第二話 新生物遭遇
「ワン!」
静寂としていたナルヴィー家に、巨大な咆哮が響き渡る
クラルスの目の前には、四つの足で茶色い毛むくじゃらな体を支え、フワフワとした耳が愛らしい生物がこちらを向いて尻尾を勢いよく振っていた
クラルスに興味を示したのか、その生物は呆けているクラルスに対して、再び「ワン」と大きく叫んだ
後ろからドタドタと走ってくる音が聞こえる
その瞬間、クラルスの意識は現実に引き戻される
目の前にいた生物に腰を抜かし、困惑したまま動かなかったクラルスも、この足音にはさすがに反応を見せた
足音が近づいてくる事を焦り、咄嗟に目の前の生物を引っ張って屋敷の正面に移動する
扉を開けて出てきたのは、さっきトイレに向かった見回りだった
「…あれ?聞き間違えたか?」
見回りとして呆れるほどに呑気な台詞も、クラルスには一切耳に入らなかった
心臓が、張り裂けるかと思うような鼓動を鳴らし、クラルスは自身の口となぜか引っ張ってきた生物の口を強く押さえていた
そうして見回りが扉を閉めると、やっと安心して手の力を緩めた
「はあぁぁぁぁぁ……」
身体中の空気を入れ換えるように深いため息を放つ
力を抜き、その場にしゃがみこむと、生物も同じように尻を地面につけた
「…君、何者?」
改めて目の前の生物を観察すると、茶色に見えた毛は泥で茶色くなっていただけのようだった
うっすらと生え際から見える毛の色は、穢れの一つもない白色で美しさも感じる
三角の耳や小さな尻尾は見ているだけで心が癒される
そういえば、書庫にあった本に似たような生物がいたのを思い出した
その生物も三角の耳に尻尾があったのだが、こんなに愛嬌のある見た目ではなかったと思う
それに本の生物は3mを超えると書いてあったのだが、目の前の生物は今の自分と同じくらいの大きさだ
はたしてこの生物はなんなのだろう
もしかしたら新種の生物かもしれない
そうなれば、命名権を持っているのは自分だろう
なんて名を与えようか…
そんなどうでもいいことを考えていた自分も、森から鳴った鐘の音を聞くとすぐに正気に戻った
そうだった、自分は武器商人の男を殺した犯人を探していたのだ
決して新種の生物を探し求めていた訳ではない
鐘の音が数秒間響くと、自分と生物はいつの間にか鐘の音に聞き入ってしまった事に気がついた
もう既に鐘の音は聞こえなくなったが、その音は耳にこびりつくように残っている
そうして、すぐに鐘の音を調べるため、森の中へと駆け出した
後ろからは新種?の生物がクラルスの背を追いかける
あの鐘の音が犯人のものとは限らないが、調べてみる価値は充分にある
慣れない森の中、草木をかき分けて足を動かす
体の所々に枝や葉が刺さりそうになるが、気にすることなく進んでいく
後ろを走る生物は深い毛で身を守っており、それどころか草木を跳び超えて追いかけてきている
体に数ヶ所傷ができながらも、先ほど鐘の音が鳴ったであろう場所にたどり着いた
はっきりと音が聞こえたのだ、何か無いかと周りを見渡す
だが、緑の草木と茶色い生物以外は何も見つからなかった
跡が残っているかもと期待したが、獣の足跡の一つ見つからない
肩を落とし、元の目標である商人の男が殺された場所に向かう
特に何かが起こることはなく、鐘の音も全く聞こえない
木々を掻き分ける音と、生物が跳び跳ねる音
それ以外には何の音も聞こえない
月すらも眠くなる夜闇の中、一人と一匹はずんずんと先へ進んでいく
既に半時間は歩いただろうか、領民を起こさぬためにわざわざ森の中を掻き分けたお陰で、余計に時間がかかってしまった
「…あれ?」
やっとの思いでたどり着いた事件現場
だが、そこには何の痕跡も残っていなかった
まるで、事件そのものが起きていなかったように
武器の処理は後回しにされていたため、場所さえ合っていればすぐに分かるはずだ
それに、焚き火の跡すら無い
もしかして道を間違えたか?
そう思って後ろを振り返ると、そこには只の草木が広がっていた
掻き分けたはずの草木が、触れすらしなかったかのように静かに揺らめいていた
何かがおかしい
それに気がついたのは、自分よりもあの生物の方が早かったらしい
生物は町の方向を眺めていた、その後ろ姿はどこか哀愁すらも感じる
自分も町の方へ向かうと、そこに広がる光景に言葉を失った