第百八話 燃え盛る欲と夢
「空はキャンバス、炎は絵具、人間は筆」
女は、燃えるM研究所を眺め、持っていたキャンバスに筆を走らせている
その恍惚とした表情には、高揚、歓喜、賞翫など、様々な色が写っていた
「Durch Leiden Freude」(苦悩を突き抜け歓喜に至れ)
「…最高だ、天才音楽家
やはり、人とは美しい」
キャンバスに描き終えた女は、しばらくの間、燃え盛る炎の海を、じっくりと遠くから見学していた
マグヌムと、燃え盛る心の内を描いたような、見ているだけでも苦しくなってくるような絵に、見つめられるようにしながら
──僕は、何故燃やしたのだろう
好きではないが、嫌いでもなかったはずだ
この、研究所という楽団を
僕を、逃がさないように縛った、ここを
…いや、そうだ
あの、何も分かっていない研究者のせいだ
ただの…凡人のくせに
─「僕は、世界一の音楽家になります!」
いつもと同じだ
いつもと同じ会話をして、いつもと同じ実験をして、いつもと同じように、帰るはずだった
だが、帰る直前、いつもと違って声をかけてきたのは、二匹の蛇の名札を付けた、顔も知らないM研究所の研究者だった
「きみ、マグヌム君?」
その研究者はM研究所所属のくせに、実験優先度の高い僕のことを、一目見ても分からずにいた
仕方なく僕がはいと答えると、研究者はいくつかの質問を投げ掛けてきた
適当に答えていると、研究者は、五回目あたりから少し変な質問を投げ掛けてきた
「君は、本当に世界一を目指しているの?」
「なぜ世界一を目指しているの?」
「別に世界一じゃなくても、歴史に名を残せれば充分じゃない?」
そんな、的の外れた質問に、僕は怒りを隠せなかった
ただの凡人が僕の夢を馬鹿にした、それだけでも僕は、腸が煮えくり返りそうになった
だが、目の前の研究者は、これだけでは終わらなかった
「そういえば、上層部の人達が、君への実験を止めるって言ってたらしいよ」
は?
なぜ?
僕が?
それは…音楽をやめろということか?
なぜ?
なぜそうなる?
…ふざけるな
─それから僕は、声を荒げて、研究者に向けて声をあげつづけた
「なんで?どうして止める?僕は世界一の音楽家だぞ?それを…止める理由があるはずないだろう?なんで?なぜ?なぜ?」
なぜだろう、研究者は、僕の質問に答える気は無さそうだった
そちらは、一方的に質問してきたくせに
「僕は、世界一の音楽家だ、指揮も、演奏も、作曲も、他の誰よりも優れてる
幻楽器だって持っているんだ
だから僕は、世界最高で、世界最後のオーケストラをすると、決めているんだ」
その言葉を、正確には幻楽器という単語を聞いた、目の前の研究者は、先ほどとは別人のようになってしまった
驚愕や焦り、そんな、幻楽器を恐れているかのような反応を見せ、それによって、独り言をぶつぶつと呟いていた
少しの時間が経った後、落ち着いた研究者はマグヌムへと言葉を紡ぎ始める
「いいかい?そんな冗談を言うのは止めるんだ
幻楽器は…歴史から消された物なのだから」
なに?僕だけでなく、幻楽器ですらも禁止しようというのか?
…ふざけるな、僕は、僕こそが、指揮者だ
誰にも邪魔させない
「…僕は、僕こそが世界一だ
それは、誰にも邪魔させないぞ」
「…だったら、私達は君を止めないといけない
…………いや、すでに…
……わかったよ…君を、"止める"──」
……それ以降の記憶は覚えていない
だが、確実に、止めるという単語に、僕は果てしない激昂を覚えていた
そして僕、マグヌム・"バッハル"にとって、すでにこの施設は、無意味なものとなっていた
それどころか、行き場を縛る邪魔なものだった
だから、僕は
─燃やした
邪魔を、敵を、僕を縛る、偽楽団を




