たけのこ派と決めつけられて婚約破棄されたけど、黒船に乗ったお菓子の国の王子様が甘い未来を運んでくれました
「マリー! お前がたけのこ派だったなんて……失望した! この婚約は破棄させてもらう!」
婚約者であるムーンライト公爵の怒号が広間に響いた。
月光のような金髪が、怒りで震えているのがわかる。
「そんな……! 私は別にどちら派なんてありません! きのこも、たけのこも、どちらも素晴らしいじゃないですか!」
「嘘をつくな! エリーゼからの証言だってある!」
彼は高らかに腕を広げ、傍らに控えていた少女を招き寄せる。
「ムーンライト様がきのこ派だと知りながらの裏切り……これはもう、戦争ですわ!」
エリーゼは真白な肌に涙を伝わせ、淡いベージュの髪をはらりと揺らしながらムーンライトの胸元に飛び込んだ。
「戦争だなんて……! それに、その証言だって根も葉もない言いがかりです!」
「俺の目をまっすぐ見て、『きのこ派です』と告げたエリーゼが、嘘をついている……だと!? 彼女を侮辱するにもほどがある!」
彼の稲妻のような鋭い目つきが突き刺さる。
きっともう、私が何を言っても事実が覆ることはないのだろう。
──こんな理由で……。
怒りよりも、呆れる気持ちの方が大きかった。
だって、私は本当に、どちらも好きだったのだから。
だけどもう、私の声はかつて愛した人には届かない。
敵意しか感じられない視線。
あの優しかった瞳は、もうどこにもなかった。
◆◆◆◆
私はひとり、港の端に座り込んでいた。
現実逃避のように、ただぼんやりと波の音を聞いている。
──ほんと、ばかみたい……。
そう思ったりもしたが、涙が止まることはなかった。
ふと見上げた視線の先。
見たことのない漆黒の船が港に止まっていた。
──どこの国の船かしら……。
不思議に思いながら見つめていると、ふいに背後から声がした。
「そこのあなた、大丈夫ですか?」
波の音と一緒に聞こえたのは、とても穏やかな男性の声。
振り向くと、見知らぬ男性が心配そうに、こちらの顔を覗き込んでいた。
落ち着いたブラウンの髪と深い青の瞳。
海のようにきらめく目が、じっと私を見つめている。
──誰?
と思う間もなく、その人は私の隣にしゃがみ込んだ。
その瞬間──ふわり、と甘い匂いが鼻先をくすぐった。
そして男性は、小さな包みをこちらにひとつ差し出してきた。
「よかったら食べてください。理由はわかりませんが、落ち込んだときは甘いものが一番ですから」
包みを開いてみると、中から現れたのは手のひらにすっぽり収まるサイズのチョコレート菓子だった。
板状のチョコレートが上層を覆い、その下にはビスケット生地らしいものがくっついている。
「ありがとう……ございます。お気持ちは嬉しいのですが、知らない人から食べ物は……」
少し訝しげに顔を歪めると、男性は慌てたようにぺこりと頭を下げた。
「これは失礼しました。確かに、あなたのおっしゃるとおりですね」
そして彼は胸に手を当てて、にこりと微笑む。
「俺はブルーボン王国の第一王子、アルフォート・ビット・セピアート。『お菓子の国』と呼ばれているブルーボンの次期国王です」
アルフォートの所作と口調には、自信と品の良さがにじんでいた。
「ブルーボン王国……! 知っています、たくさんのお菓子を生み出しているという、甘くて夢みたいな国ですよね……!」
思わず声が弾んでしまった。
小さいころからブルーボン王国のお菓子は食べてきた。
どれも美味いしくて、いつか行ってみたいと思ってた王国。
その国の次期国王が、今こうして自分の目の前にいるなんて。
なんだか、それこそ夢のようだ。
「お褒めにあずかり光栄です」
アルフォートはにっこりと笑い、軽く頭を下げる。
「この国の名産でもある『ピュアカカオ』を求めて来たのですが……。材料は手に入ったのに、完成したお菓子には何かが足りない気がして。それで、俺も考え事をしに港に戻ってきたところなんです」
アルフォートはわずかに苦笑した。
それはどこか自嘲するような笑みにも見える。
完璧な王子様に見えていた彼が、こんなふうに迷うこともあるなんて。
きっと、次期国王としての責任感も感じているのかもしれない。
「……あの! このチョコレート菓子、いただいてもいいですか……!?」
私は差し出された小さなお菓子を見下ろしながら尋ねる。
「もちろんです。あなたに食べてほしくて渡したのですから」
「ありがとうございます、いただきます」
手のひらに収めたお菓子をドキドキしながら口に運んだ。
なめらかに溶ける甘いチョコレートが、ほろほろになったビスケットと合わさっていく。
甘くて優しくて美味しいチョコレート菓子──だけど。
「このお菓子……まだ流通されていませんよね?」
「ええ。実は……そのチョコレート菓子が、さっきお話ししたものなのです。味自体はいいのに、何かが足りないんですよね」
アルフォートは肩をすくめ、少し気恥ずかしそうに教えてくれた。
そんな彼の姿を受けて、私は気づいたら思ったことを口にしていた。
「……このビスケット、生地に全粒粉を混ぜてみてはいかがでしょうか? チョコがうんと甘いぶん、小麦だけだとどうしても口の中が重くなってしまう。だけど、そこに全粒粉の香ばしさが加わればチョコとのバランスが良くなるかと。食感も、とろけるチョコとサクサクのビスケットの対比が……」
そう言っている途中で自分が何を口走っているのかに気づき、はっと息を呑んだ。
アルフォートは驚いたように目を見開いて、まじまじと私を見ている。
「……申し訳ございません、差し出がましい真似を。素人の意見ですから、気にしないでください」
慌てて頭を下げると、彼から思いもよらぬ言葉が返ってきた。
「あなたは……天才かもしれない」
それは冗談ではないと一瞬でわかってしまうほどの真剣さだった。
射抜かれるような視線に、心臓が一度跳ねる。
「俺は、あなたに巡り合うために今日この国へ来たのでしょう。それが、はっきりわかりました」
「えっ……?」
唐突な言葉だったが、彼の表情や口調からは、やはり冗談めいたものは感じられない。
胸がどんどん高鳴っていくのがわかる。
「よければ、このままブルーボンへ来てくれませんか? 俺と一緒に、このお菓子を完成させてほしいんです」
潮の香りに混じって、ほのかに甘い香りが漂ってきた。
──私が、ブルーボン王国へ……?
婚約を破棄された今、もう家にも帰れない。
居場所なんて、どこにもないと思っていた。
けれど目の前の彼は、私を必要としてくれている。
──本当に、王子様みたい。
ブルーボン王国の立派な第一王子なのに、今この瞬間だけは──世界にひとりきりになった私を救ってくれる王子様のように思えた。
目頭が熱くなっていく。
胸のドキドキとした鼓動は大きくなるばかり。
私は嬉しさを噛み締めながらアルフォートに答えた。
「……私でよければ、ぜひ行かせてください。お役に立てるかわかりませんが……私も、このチョコレート菓子を完成させてみたいです」
「ありがとうございます。あなたがいれば、きっと素晴らしいお菓子が誕生するでしょう」
誇らしげに笑うその表情は、太陽の光よりもずっとあたたかく感じられる。
気づけば、もう私の涙は枯れていた。
「ところで、改めてあなたのお名前をうかがっても?」
穏やかに問いかけられ、私は背筋を伸ばして答える。
「マリーと申します」
「可愛い名前ですね。では、これからはマリーと、そう呼ばせてください」
ブラウンの髪が風にさらりと揺れる。
王子様に名前を呼ばれて緊張した──というよりは、胸の奥が陽だまりに照らされるような、あたたかくて幸せで満たされるような気持ちになった。
ふいに視線を上げたアルフォートが遠くを指差す。
「あそこに停まっているのが俺の船なんです」
それは、気になっていた漆黒の大きな船だった。
立派な帆は空へとまっすぐに伸び、どこまでも行けそうな気配をまとっている。
「マリーがよければ、さっそく出航しましょう」
差し出された手。
その手に、自分の未来が繋がっている気がした。
「……はい、よろしくお願いします」
私はその手を取る。
甘い物語のはじまりを告げるように、心地よいひと筋の風が吹いた。
◆◆◆◆
ブルーボンでの生活はとても楽しくて、幸せだった。
お菓子の香りに包まれて、好きな人と一緒にいれて。
毎日が夢のようだった。
「小さく型取ったスポンジにホイップクリームを挟んで、ケーキのようなお菓子を作ってみてはどうでしょう?」
「なるほど。手軽に食べられるケーキ……、面白そうだ」
「それをチョコレートで包んだら、チョコレートケーキ風にもなりますね」
「さすがマリーだな」
アルフォートいつも私のアイデアを真剣に聞いてくれる。
「甘いものばかり食べていると、どうしてもしょっぱいものを欲しくなってしまいますよね」
「しょっぱいものか……そうだ」
「なにか思いつきましたか?」
「フライドポテトにチョコをかけてみよう。甘いのとしょっぱいの、どちらも味わえる」
「それは面白そうですね、やってみましょう」
笑い合いながら、一緒に試作を重ねる時間。
それはただの共同作業ではなく、確かに私たちの距離を少しずつ縮めていた。
そして、一年後。
「ついに……完成したな」
「ええ……しましたね」
完成品を前に、私たちは静かに見つめ合った。
艶やかなチョコレートに、全粒粉を混ぜたほんのり香ばしいビスケット。
試作に試作を重ね、何度も語り合い、笑い合い、悩んできた結晶。
その小さなお菓子を口に運び、私たちはにっこりと微笑み合った。
数秒の沈黙のあと。
「やったな!」
「やりましたね!」
弾んだ声が重なった瞬間、私たちは自然と手を取り合っていた。
そして、勢いのままに抱き合う。
甘くて、あたたかくて、胸がいっぱいになっていく。
それは、このチョコレートみたいな瞬間だった。
「あの。よければこのチョコレートに、アルフォート様の船の形を刻んでみませんか?」
「俺の船?」
アルフォートは不思議そうに顔を傾げる。
「はい、幸せを運ぶ船です。港で出会ったとき……あのときの私は、人生に絶望して泣いていました。だけどアルフォート様の船が来てくれたから、今こうして笑えてるんです」
胸に手を当てて、確かな気持ちを伝える。
「だから今度は、このお菓子が誰かの心に届いたらいいなって……みんなに幸せが届きますように、と」
言葉にすると自分でも恥ずかしくなるくらい、純粋な願いや希望であふれていた。
アルフォートはふっと微笑んで、小さくうなずいた。
「そうだな、そうしよう。マリーがあのとき感じた気持ちを、たくさんの人に届けられるように。このチョコレートには、あの船の形を刻もう」
「嬉しいです、ありがとうございます」
新しい希望が芽生えた、そんな幸福感に満ちていた。
あの港での小さな出会いが、いま、形になった。
甘くて、やさしくて、そしてどこか懐かしい。
このチョコレートは、私たちの物語そのものだった。
やがてブルーボン王国のお菓子は、海を越えて世界中に広がっていく。
その『美味しさ』と、誰かを想う『思いやり』を届ける国として知られるようになった。
功績を認められたアルフォートは国王となり、私はその妃として迎えられる──のだけれど。
それはまた、もう少し先の未来のお話。
お読みいただきありがとうございました
いつの時代も、「きのこたけのこ論争」は変わらないなと思って書いた作品です
たけのこ派の方も、きのこ派の方も、面白いなと思っていただけたら評価・ブクマしていただけると励みになりますので、よろしくお願いします★★★★★