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夫依存  作者: 暁 とと
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簡易な分娩代のようなものに体を横たえると、次々体に器具が取り付けられていく。

右手には常時血圧を測るバンドが巻かれ、左手の指先にもなにやら洗濯ばさみのようなものを挟まれる。胸元を大きくめくられ健康診断で心電図を図る時に貼られるような吸盤を何個も貼られた。

「点滴刺しますね。」

看護師さんが左手を持ち上げる。

「今から点滴の中に睡眠薬を流していきます。そうすると山之内さんは眠ってしまいます。その間に手術するからね。」

「はい」

先生の言葉に私も力なく同意する。

「目覚めるまで2時間くらいかな。目が覚めてもできるだけ右手は真っ直ぐに伸ばしててね」

「はい」

「じゃあお薬入れていくから、ゆっくり呼吸して、静かに目つぶっておいてください」

「はい」

全身麻酔はこれで2回目だ。

前の時は本当にいつ眠ったのかわからないくらいあっという間に全てが終わっていた。

今回もそうなるだろう。

そう思いながら目をつぶり、ゆっくりと呼吸をしながらその時を待った。


待っていたが、なぜだろう。

今回は意識をなかなか手放せずにいた。

いや、正確には違う。

おそらく意識はもうない。体は眠っているのだろう。

だというのに中途半端に聴覚だけが残ってしまっていたように思える。

常に耳元でガサガサガヤガヤ聞こえてくる。

声ではなく、ずっと何か音が聞こえてくる。

その音の中、私の意識はおそらく夢の中にあった。

私という体は粉々に分解され、砂の中に磨り潰されていく。

磨り潰され、他の砂と混ざり、私という個体はなくなり、このまま形ない平らな地面の一部になっていく。体が消え、自由もない。なのに自分という意識だけは残ってしまっている。夢なのか現実なのかわからなくなってしまったその状況に、恐怖だけが体を駆け巡っていった。

ずっとこのままなら意識すら消してくれ。

自分の体がなくなる感覚・・・。

もしかしたらさっきまで私のおなかの中にいた誰かの感覚を私が勝手に想像して、それを自分に置き換えているだけなのかもしれない。

産まれるはずだった、望まれて私達の元に来てくれたはずだった。

それがたったの8週間で無理やりに命を絶たれてしまった存在。

そこに感情があるのかはわからないが、私はその恐怖を自分勝手に想像してしまっているのかもしれなかった。

そんなことを思っていると、まるで粘土でも捏ねるように私の体に外部から力が掛かるのを感じた。

形のなかった私の体が元の人の形へ戻されていく。

尻の辺りをこねくり回せれ、周囲の音がさっきよりもはっきり形を持って聞こえてくる。

顔の周りに何層にも膜が張られているような錯覚。ビニールの袋を何重にも頭から被せられ、ガサガサとてもうるさい。

その一枚一枚をもがくように剝いで行くとほんのり現実の体に意識が戻っていく。

実際の体は指一本動かせてはいなかったのだが。

尻をこねくり回さていると感じたのは、尻を持ち上げられ巨大なオムツのようなものを巻かれていたようだ。左右に人の気配も感じられる。

何か話しながら私の顔の周りにシートを敷いている。吐いてしまう人もいると手術前に看護師さんに説明を受けていたから、その対策の為だろうと戻ってきた頭で冷静に考えていた。

目がまだ開けられない。

変わりに指先に力を込めてみる。

自分の体なのに一切言うことを聞いてくれない。

聴覚だけはっきりとしてしまい、周りに自分が目覚めたことを伝えられずもどかしい気持ちになる。

どのくらい時間がたったのだろうか。

無事に終了したのだろうか。

私の体は、また一人の物に戻ってしまった。

聴覚と意識だけがはっきりする中、目尻から何かが流れていく感覚がやけに悔しかった。


そこから数十分たった頃、私の瞼はようやく私の物になってくれた。

ゆっくりと瞬きをする。

そもそもコンタクトが入っていないので視界はぼんやりとしか見えない。

パチパチと小さく瞬きをして、今度は先ほど動かせなかった指先にも力を込めてみる。

バンドが巻かれた右手の指先がピクピクと動かせた。

「目覚めましたか?」

瞬きをしている私に気が付いた看護師さんが顔を覗き込んでくる。

「はい」

恐ろしく力のない声が出た。

「今、何時ですか?」

「今はまだ9時30分くらいですね」

よく聞き取れたなと思うくらいか細い蚊の鳴くような声の私の質問に答えてくれる。

「手術からまだ15分くらいしかたってないから、麻酔冷めるまでもう少し寝てましょうね」

血圧の機械に映し出される数字をメモしならがら淡々と続ける。

「何かあったらすぐ呼んでくださいね」

力のない右手にナースコールが掛けられる。握ることは出来ないが、もう少し経てばこれを押すことくらいできるかもしれない。

「はい」

そう返事をすると私はもう一度、ゆっくりと目を閉じた。



「山之内さん、大丈夫かな?」

どのくらいの時間経過があったかは分からないが、点滴がなくなったアラームが鳴って看護師さんが声を掛けてきた。

私はあの後特にしっかりと眠ることもなく、変わらずに意識がはっきりしたまま目をつぶってみたり指先を動かしてみたりと、早く麻酔が覚めることだけを考えながら過ごしていた。

「気持ち悪いとかある?」

「いえ。でも、腕が痛いです」

「ずっと同じ位置だったからだね。今点滴外すからね」

手術が始まってからずっと刺さりっぱなしだった点滴が外され、指先の物も外された。

看護師さんがゆっくりと私の肘を曲げてくれる。留まっていた血液が一気に流れていくような痛みが走った。

「この後お小水を出してもらって、先生に診てもらうんだけど、立てそうかな?」

体中の器具を外しながら私の顔色も確認する。

「大丈夫です」

自分の顔に血の気がないのが分かる。

なんだかやけに体が怠い。

「じゃあ無理しないでゆっくり起き上がってみようか」

背中に手を回してもらい、上半身を立てる。

途端に頭の血が更に引いていくような感覚が体の中に巡る。

吐きそう、とはまた違う。肩のあたりが急に冷たくなったような感覚だ。

どうやら暴れないように足首を拘束されていたようで、床に投げ出した足首は少しだけ跡が残っていた。

足に力を込めて立ち上がる。

「大丈夫そうかな?」

私の一挙手一投足に声をかけてくれる。

「はい、大丈夫です」

本当はあまり大丈夫ではなかったが、今の私は人類で最も罪深い行為をした人間の様に感じていたのでそう答えるほかなかった。

自分の子供を殺したのだ。

誰にも気遣われる資格はない。

それにきっと、この人だって心の中では私を最低な人間だと思いながらも接しているに違いない。

そんな風に思いながら無理やりに立ち上がり、支えられながら手術着から私服へと着替えることにした。

大きなオムツが巻かれている。

スッピンで青白い顔に髪はぐちゃぐちゃ。

腕にはバンドの跡がくっきりと残り、点滴を刺していたあたりは黒く内出血していた。

羞恥心こそないが、なんて情けない姿なんだろうとは思えた。



フラフラしている状態のまま流れ作業のように診察を受け、次の予約を入れてもらった。

待合室で待っている間に圭吾に迎えの電話をする。

『もしもし?』

スマホを鳴らしてすぐに圭吾が出た。

「もしもし、終わったから迎えに来てください」

声にまだ力が入らない。

正直喋るのもまだまだ億劫だった。

『分かった』

簡素な返事を聞いて通話を切る。

他に何か掛ける言葉はなかったのだろうか。


数十分後、病院に着いたと電話があり、受付の人に声を掛けてから外へと出た。

駐車場の車の中に圭吾の姿を見つける。

未だにふわふわした足取りで助手席のドアまでたどり着く。

私のこんな姿を見て、車から降りて来てもくれないのか・・とも思ったが、迎えに来てくれたことへの礼を述べた。

「お迎えありがとう」

「ん」

こちらを見ているようだったが、それ以上何も言ってこないので私はのろのろとした手付きでシートベルトを締めた。

そういえば圭吾の運転する車の助手席に座ったのはいつ以来だったろう。

ここ最近家族で出かけることが少なくなっていたし、そもそも出かける時は修也が助手席に座るのが当たり前になっていた。

ましてや二人で出かけるなんて、もうどれ程していなかっただろう。

そんなことを思いながら、車は帰路へと走り出した。


帰りの車内、特に会話はなかった。

私が疲れているから遠慮してくれているのか、はたまたボロボロの私に関心がないのか。

なるべく何も考えないようにしていた。

今は考えたくなかった。

家に着く寸前、突然胸のあたりが熱くなってきた。

どうしようもないくらいお酒に酔ってしまった時のような気持ち悪さだ。

「吐きそうかも・・」

小さくそう呟く私に圭吾が車のスピードを上げた。

駐車場に車を停めると、私は荷物も持たずに車から降りた。

圭吾が玄関のカギを開けてくれている。

なだれ込むようにトイレに入ると、我慢していたものを吐き出す。

子供を妊娠してからお酒はほとんど飲まなくなっていた。少し飲んでも酔うほどは飲まない。夜中に何が起こるかわからないから。

だからこの気持ち悪さは本当に久しぶりで、もう二度と経験したくなかった気持ち悪さだった。

胸の奥の気持ち悪さを吐き出したいのに、昨日の夜から水分すら取っていなかった体からは、胃液がほんの少し吐き出されただけだった。

その変わり、吐こうと力んだ下半身からドロッとしたものが飛び出したのがわかった。

「・・・血が・・」

胃がムカムカするが吐くことが出来ない。下半身の方も不快。

とりあえず下着にナプキンを付けたい。

はぁはぁと息が荒くなるがトイレに腰を下ろす。

血まみれの下着に仕方なくナプキンを張り付けているとトイレのドアが突然開いた。

圭吾が顔を覗かせる。

「大丈夫?」

「・・・うん」

お尻丸出しの姿。

こんな姿普段だったら大騒ぎするところだが今はそんな気力がない。

「血が出ちゃって、ごめん少ししたら行く」

「わかった」

静かにドアが閉まる。

なんだか私ばっかり情けない姿で泣けてくる。


よろよろとトイレから出てソファに横になる。

タバコを吸っていた圭吾がこちらに近寄ってくる。

「二階で寝る?」

「・・・ん、今はまだ大丈夫」

「そっ。」

少しだけ寝たい。

目を閉じるとタオルケットが掛けられる。

その流れで圭吾が静かに頭を撫でてくれた。

久々に彼の方から私に触れてくれた。

たったそれだけのことで、私の胸はいっぱいになり涙が零れそうになる。

それを隠すよう、私は顔をソファに埋めた。


時間にすると30分ほど経った頃、圭吾が昼食の準備をしている音で目が覚めた。

「何食べるの?」

「カップラーメン」

コンロにやかんをかけているようだ。

「何か食べられそう?」

昨日の夜から何も食べていない。なのにおなかは全く空いていない。

「ううん、大丈夫。ご飯ごめんね」

そうは言ったが経口補水液を差し出されたのでそれだけ口に含んだ。

おそらく軽い脱水症状になっていたのだろう。口に含む以上に飲むとまた吐き気が込み上げてきそうになった。

カップラーメンを食事テーブルに運ぶ圭吾の姿を眺める。

表情も口調も硬いが、今日は私の手術のために仕事を休んでくれた。

水分も気にてくれたしトイレに籠った私の様子も見に来てくれた。

それにさっきは頭も撫でてくれた。

大丈夫。私は愛されてる。


食べ終えたカップラーメンの片付けをして、圭吾が私の側に腰を下ろす。

「体どう?」

「まだ少し調子悪いけど大丈夫かな」

でも今夜の夕飯は作れなさそうかな。

だからご飯は修也とどうにかして欲しいかな。

あと今夜修也の塾があるからそれも送り迎えお願いできる?

そう続けようとした次の瞬間、圭吾の言葉に耳を疑った。

「じゃあ俺出かけても大丈夫?」

「・・・え?」

出掛ける?

体調の悪い私を置いて?

「どこに?」

直感的な言葉が出た。

「どこにって・・・パチンコ」

硬い表情のままの圭吾が更に冷たく見える。

「え・・今日は私の為に休んでくれたんじゃないの?」

妻の手術がある為に休みます。

会社にはそのように話していたはずだ。

「やったじゃん。送り迎え」

「そう、だけど。私夕飯作れないから修吾と二人で何か食べて欲しかったんだけど」

「あいつもう中学生なんだから一人でできるだろ。冷凍食品とかあんでしょ?」

「あるけど、けど塾もあるし」

「だから、それも一人で行けるだろって。お前は心配し過ぎなんだよ」

「でも、終わるの10時だよ」

はぁーと圭吾が溜め息を見せつけるように吐く。

「修也もう13だぜ。いつまでも子ども扱いすんなよ」

「子ども扱いじゃなくて、たまには親子二人で過ごしてみて欲しいって思ったの」

「そんなこと言われてないんだけど」

不機嫌な顔。

たしかに言ってない。

私が彼に頼んだのは病院への送り迎えだけ。

だけだけど。

普通に考えてその後の看病なり、息子との時間だったりお世話だったりも混みでこちらはお願いしているつもりになっていた。

「だけど・・・」

普通体調の悪い奥さん置いてパチンコ行く?

今日あなたとの子供堕ろしてきたんだけど。

最近そっけなかったけど、今日くらいは優しくしてくれるんじゃないかって期待していた。

私の体調を気にして夫と息子が優しくしてくれる。

そんなことを期待して手術を受けたはずなのに。

「行かないで欲しい」

ぼそっと出た私の言葉に圭吾の表情が更に曇る。

「あのさ、そこまで頼まれてないんだけど。それにもう大丈夫なら俺必要ないだろ」

「必要とかじゃなくて、一緒にいて欲しいんだけど」

言っていて恥ずかしくなるような言葉。

でも今はこれが本心だ。

「俺は一緒にいたくない」

「え?」

一緒にいたくない?

「最近のさ、俺といて何も思わなかったわけ?」

最近の圭吾。

気が付かないわけがない。でも気にしないようにしていた。

帰ってくるといつも表情が死んでて、話しかけてもそっけない態度。

そっけないどころか語彙が強い時が増えた。

前から私や息子に当たりが強い時があったが、ここ最近は私にだけ当たりが強い気がしていた。

何を聞いても「なんでお前に言わなくちゃだめなんだよ」という態度。

週末は車で一人どこかへ出かけて行く。土曜の朝に出かけて日曜の夜中に帰ってくる。

誰と何処へなんて言うはずもない。

何をしているのかも分からない。

分からないけど、確かに彼が変わってしまったことだけは分かっている。

「・・・思ってるよ。なんか冷たいなって」

言葉を選んでポツリと零す。

この場面、言葉選びが重要なのくらいは分かる。

「なんでだろうって思ってた。ずっと」

ここで全部ぶちまけたら、何かが終わってしまうかもしれない。

「でもさっき優しくしてくれたから、嬉しくて。手術、辛かったけど、それもなんか報われたなって思ってたの。だから、今日は一緒にいて欲しいんだけど・・・」

ポツポツと言葉を選んだつもりで本心を話してから、控えめに圭吾の方を見た。

私の言葉に何か思ってくれているのでは、そんな期待は一目で消え去っていく。

その顔は先ほどと同じ、死んだような冷たい目をしていた。

あまりにも冷たいその表情に心臓がざわざわしていく。

おなかの下の方がぎゅーと締め付けられ、心拍数が上がって心臓が飛び出しそうになる。

「あのさ、本当はこんな日に言いたくなかったんだけど。」

冷たい目で真っ直ぐこちらを見てくる。

最近ずっと話しをしていてもこんなにも真っ直ぐに見つめられることなんてなかったのに。

「もう好きじゃないんだよ」

圭吾の言葉に

私の下腹部の痛みは更に重く深くまで落ちて行った。

「好きじゃ・・・ない?」

そう返すのだけで精一杯だ。

「そう、最近ずっと思ってた。好きじゃないって」

聞きたくない言葉が繰り返される。

「・・・え、だから、最近冷たかったの?だから週末ずっと出かけてたの?」

感情が声にのらないのに、言葉だけが危険な程雪崩出ようとしている。

このままではマズイ。

頭では分かっているのに、堰を切ったように目の前に浮かぶ言葉が考えるよりも早く口に出てしまいそうになる。

ずっと抑え込んでいた無限に湧き上がってくる『なんで』

本当はそれをぶつけてしまいたい。

ぶつけて楽になりたい。

「・・・一緒にいたくないんだよ」

私の言葉に圭吾は怒るでもなく、ただ単調な声で答える。

「悪いと思ってる。ずっと支えてくれて大切だとも思ってる。でも好きじゃないし、一緒にいたくない」

「大切とは思ってくれてるのに・・・好きじゃないの?」

その考えが私には理解できない。

大切なら好きなんじゃないの?

「好きじゃない」

「だから・・・今日も出かけるの?私今日、子供堕ろしてきたんだよ」

あなたとの子供を

そう付け加えるのはやめた。

「なんで?だって・・・子供堕ろせばまた、元の通りになると思ったのに。なんで・・・」

段々、責める口調になってしまっている。

冷静に話さなければ圭吾が本心を話してはくれなくなる。

分かってる。

分かっているのに。

「なんで・・・」

ダメだ。

自分の言葉に我慢している涙が零れる。

これは彼が一番嫌う行為だ。

「・・・泣くなよ。話したくなくなる」

圭吾は私の涙を極端に嫌う。

だからどんな言葉を普段言われたとしても、私は涙を我慢していた。

けれど、今日ばかりは無理な話だ。

溜めに溜めた感情と投げつけられた言葉。おまけに妊娠によるホルモンバランスの乱れと、中絶による鬱状態。その全ての要素が涙となってあふれ出てくる。

「・・・ごめん、今日は無理」

掛けてもらったタオルケットで顔を覆う。

これ以上何か話しても良い方には絶対に進まないのが分かる。

唯一の救いが圭吾が怒鳴らずに淡々と話してくれていることだ。

普段の喧嘩なら、怒鳴ったり、大きな声で論破しようとしてくる。

今回はそれが不思議とない。

嗚咽を漏らさないように息を吸う。

「ごめん、さっきの嘘。もう大丈夫だから出かけて来ていいよ」

これ以上一緒にいてはいけない。

「・・・なんだそれ。大丈夫って」

呆れたようにそう呟くと、圭吾は立ち上がり出かける支度を始めた。

これ以上彼を引き留めることなんてできない。

そもそも彼が出かけると決めていたなら私が止めるなんて無理な話なのだ。

家族との出かける約束は彼の機嫌次第でなくなることも多々あった。だが彼が出かけると決めれば、例え私が体調を崩していても必ず出かけなくてはならない。

今日もその通りだ。

私の手術中、圭吾はいそいそと身支度を整えていたのだ。

「夕飯いらないから」

そう短く私に告げ、彼は出かけて行った。

そもそも、夕飯作れないって言ったのに。

タオルケットから顔を出すことが出来ず、玄関の鍵が閉まる音だけが家の中にやけに響いた。



「あれ、もう帰ってたの?」

夕方、塾の為に部活を早く切り上げた修也が帰ってきた。

「車ないからまだ病院かと思ってた」

修也には今日ママのおなかの手術をしてくると伝えてある。

本当の事なんて言えるはずもない。

「おかえり。パパがお出かけしちゃって」

「ふーん。ママ置いて?」

鞄を床に置いてシンクで手を洗う。

あまりにも洗うのが一瞬すぎるので、毎回私に怒られる。

が、今日はその気力もない。

「ママもう大丈夫だから出かけていいよって言ったの。でも、夕飯は作れないから、修也冷凍食品で大丈夫?」

「ん?パスタある?」

「あるよ」

「んじゃそれ食べるから大丈夫」

「ごめんね。あと塾も、ママ送っていけないから気を付けて自転車で行って貰える?」

「はーい」

あまりにも軽い返事をして修也はリビングのテレビでゲームをし始めた。

圭吾の言った通りかもしれない。

修也ももう13歳。なんでも私が先回りしてやってあげてはいけないのかも。

彼に任せるところは任せなくては。

やっぱり圭吾は家族をよく見ている。

私の方が間違っていたんだ。

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