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空飛ぶたまごと異世界ピアノオルガン♬アンサンブル  作者: 黒須友香
第一楽章 ピアノ兄妹と鏡の中の新しい友達
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phrase5 涙のピアノ・セッション

 今日は大学の課題を片付ける予定だったのに、急遽(きゅうきょ)『ニュー・シネマ・パラダイス』をやることになってしまった。

 確かに、音兄(おとにい)のスケジュールを考慮すると、今日のうちにやってしまう方がいい。


音葉(おとは)くん、帰国したばかりなのにごめんね。この人ってほんと、言い出したら聞かないんだから」

「俺は大丈夫ですよ。音道(おとみち)さんとのセッションはいつも刺激的で楽しいですし」

「そうそう、こいつがこれくらいで疲れちまうようなタマかっての」


 むしろ、演奏前から緊張でガチガチなわたしの心配をしてほしいんですが……。


 今日は小学校が早く終わる日とかで、八歳になったばかりの娘さんの羽奈(はな)ちゃんもやってきた。というか、ランドセルぶん投げる勢いでコンサートルームに飛び込んできた。


「音くんせんせぇーッ! お帰りなさーいッ!」

「羽奈ちゃんただいま。今日も元気だね」


 音兄が渡したお土産の「ピアノを弾くうさぎ」マスコットを、「ありがとぉー!」と中身出そうなくらいの力で抱きしめ、「かわいいぃー!」と高速頬ずりですりおろす勢い。頑張れうさぎさん。

 わたしが知る限り、この子は音兄のもっとも熱心なファンの一人。つまり、推しの同志だ。


 羽奈ちゃんがまだ赤ちゃんだった頃、

「一人娘に将来スティールパンをやらせるか、アイリッシュ・ハープをやらせるか」で、一瞬音道夫妻の間に緊張が走ったが、生まれて初めて音兄の生演奏を聴いた羽奈ちゃんの「ぴゃのー!」の一声で、あっけなく緊張が解けた。


 一歳になり、歩き出した羽奈ちゃんは、音兄の足にまとわりついて離れなくなった。


 二歳から、音兄のマンツーマン・レッスンを受け始めた。

 音兄が忙しいので、レッスンは不定期だ。たまにオンラインでも見てあげてるけど、今回のように一ヶ月以上お休みになることも少なくない。その間、さぼらず懸命に練習を積めば、未来のピアニストへの道は決して遠くはない、はず。レッスン前日からの猛練習()()は鬼気迫るほど凄まじいらしいので。


 もちろん、音兄にはさぼった期間も一夜漬けもすべてバレバレだ。

 にっこりと、「練習頑張ったね!」とだけ言って褒める。もしかしたら、羽奈ちゃんはこの笑顔と誉め言葉だけのためにレッスンを続けているのかもしれない。

 両親は、色んな音楽を聴く機会は作ってあげるけど、無理に演奏をさせるつもりはないみたい。たとえ本人にやる気と才能があっても、熱狂的なステージママにかえって潰される若き音楽家は少なくない。音道家に、そんな光景は似合わない。


 せめてわたしたちは、彼女の前で楽しい音楽を。

 純粋に「音を楽しむ」時間を、楽しんで演奏するわたしたちの前で、羽奈ちゃんにもゆっくりと過ごしていってほしい。



 * * *

 


『ニュー・シネマ・パラダイス』は、1988年に制作されたイタリア映画。

 シチリアの、小さな村の教会の中にある映画館と、映画に魅せられた少年の生涯を描くヒューマン・ドラマだ。


 一回だけみんなでCDを聴いて、ざっとソロの順番を決めたら本番だ。ひえー。


 映画のサウンドトラックから、「ニュー・シネマ・パラダイスのテーマ」「過去と現在」「愛のテーマ」など、印象的な、メジャーなテーマをメドレーで流す。

 今まで数多くのオーケストラ、アーティストたちにカヴァーされてきた、映画史上に輝く名曲中の名曲だ。


 わたしのソロは、「ニュー・シネマ・パラダイスのテーマ」の頭と、「愛のテーマ」の頭に、約三十秒ずつ。ソロを入れやすいタイミングにしてもらった。


理音(りね)なら大丈夫」


 ピアノの前で指が震えているわたしに、もう一台のピアノから、音兄が声をかけてくれた。

 音兄の優しい目が、わたしの心に染み込んでくる。わたしに力をくれる。

 一回深呼吸。ありがとう、音兄。もう大丈夫だよ。


 温玉(おんたま)ちゃんが、シェーカー・ダンスで録画開始の合図を送ってくれた。わたしは、できるだけ優しい音色で「ニュー・シネマ・パラダイスのテーマ」を弾き始めた。



♬エンニオ・モリコーネ作曲

 映画『ニュー・シネマ・パラダイス』メドレー



 テーマを一通りなぞると、控えめに優しく、もう一台のピアノが重なった。

 わたしの音に完璧に合わせて、寄り添うように。支えるように、絡み合うように。


 ピアノ・デュオだけで、一気に世界が広がった。脳裏に、次々に映画のシーンがよみがえる。切なさに、胸がぎゅうっと締めつけられる。

 エンニオ・モリコーネは偉大だ。この映画の音楽を聴いて、心を熱く揺さぶられない人がいるだろうか。


 これはヤバい。泣ける曲なのは知ってたけど、もう最初っからエモすぎる。そう思ったところに、アイリッシュ・ハープとスティールパンまで加わった。


 アイリッシュ・ハープは、オーケストラで使われるグランド・ハープよりも小さく、民族的な、素朴で可愛らしい音色を持つ。ケルト音楽には欠かせない。

 ピアノだけだった音楽が、新しい風に色づく。より温かな風が吹く。

 そこに、静かなトレモロでスティールパンが色を重ね始める。

 音道さん、五十過ぎのおじさんなのに……なんでこんなに、可愛いくて、しかも心臓揺さぶるような音を……ずる過ぎない……?


 世界が、さらに広がる。奏者が一人増える度に、目の前の光景がさあっと開き、さながら映画館のスクリーンのように臨場感あふれる映像を映し出す。世界の眩しさに、目を細めたくなるほどだ。


 泣いちゃいけない。なのに、熱いものが込み上げてくる。どうしよう。


 初めて経験する音楽に感動し過ぎて、わたしはソロで入るはずの「愛のテーマ」の頭の音を、うっかり飛ばしてしまった。


 ヤバ! と、思ったのも一瞬。

 すぐに音兄が、限りなく自然な形で音を繋げてくれた。わたしが持ち直すと、また控えめに伴奏に戻ってくれた。

 音兄が、優しい目でわたしに笑いかけてる。ありがとう、音兄。


 わたし以外の三人のソロも、言うまでもなく、文句なしに素晴らしかった。

 里琴さんのアイリッシュ・ハープが、ギターのように哀愁漂うメロディをしっとりと聴かせる。

 音道さんのスティールパンが、心の奥にまで透き通るようなトレモロを優しく響かせる。

 音兄のピアノが、甘く切なく、ダイナミックに、わたしの五感のすべてを鷲づかみにする。


 こんなにも美しい音楽を、一番近い場所で感じることができる奇跡。


 最後の一音が静かに消えた時。感極まって、思いっきり泣き出したくなった。

 と思ったら、わたしの代わりに、羽奈ちゃんが拍手しながら大泣きしていた。


「わっ、わたしも、ピアノがんばる! せんせぇと、この曲弾くぅー!」


 一人目のお客様に、わたしたちのセッションは大好評だったみたい。



 * * *



「こんなこと言っていいのかどうかわからんけど、あえて言うぞ」


 演奏後、音道さんが低い声で言った。

 どうしよう、これはやっぱりわたしがダメ出しされる流れでは。助けて音兄。


「この動画、バズるぞ」

「……え? ほんとですか?」

「俺もテイク1でここまでいくとは思わんかった。各自の掛け合いも全体バランスも絶妙だったわ。やっぱ音葉がすげえしな。理音のフォローも完璧だったし」


 やっぱり音道さんにはバレてる、あはは。

 でも、いい演奏になったことがわかって嬉しい。


「理音も慣れないセッションよくやった。上出来だ。音葉、これでしまいにするか? それとも録り直すか?」

「皆さんがよければ、俺は今ので大丈夫です。俺も、今の演奏よかったと思います。理音は、いい?」

「あ、うん、わたしもいいです……というか、もう力抜けちゃって、また演奏できる気がしませんよぅ……」


 みんなの間に笑いがこぼれた。

 音兄の溶けそうな笑顔が、何よりも眩しい。

 よかった、音兄。演奏楽しんでくれたんだ。


「音道さん、里琴さん、ありがとうございました」


 二人が帰った後で、音兄はわたしにも「理音、ありがとう」と言ってくれた。


「久しぶりに、理音と弾けてよかった」

「うん、わたしも。すごく楽しかった。いっぱい支えてくれて、ありがとう、音兄」


 胸がいっぱい、そう返すだけで精いっぱい。


 音兄。ピアニストにならなくたって、こんな風にピアノが弾けて、音兄に喜んでもらえて、わたしは今のままで十分に幸せです。


 一緒に弾いている時も、弾き終わった後にも。わたしに向けてくれた、お日様のような温かな笑顔を、わたしはずっと忘れない。


 また音兄の笑顔を見られるなら、音兄の音楽を守れるなら。わたしは、音兄を笑わせるのが役目のピエロであってかまわない。わたしにできることがあるなら、なんだってやるよ。



 * * *

 


 後日、音道さんが言った通り、セッション動画は大好評で閲覧数を伸ばし続けた。


 わたしはプロじゃないので、名前を出さないように、顔もあまりはっきり映らないようにしてもらった。

 視聴者の中には「この人誰? ピアノは川波音葉だけでよくない?」と思った人がいるかもしれないけど、気にしないでおこう。


 音兄の笑顔をもらえただけで、わたしはもう「人生の大仕事が終わった」ってくらいに大満足なんだから。

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