phrase1 うちの「たまご」を紹介します
あなたの相棒は、どんな「たまご」ですか?
私の相棒は温玉ちゃん。そう、温泉たまごです。
プルップルの白身に、今にも溶け出しそうなトロットロの黄身。って、中身見たことないんだけどね。
殻が真っ白つやつやなんだから、中身だってとっても可愛らしいに決まってます。わたしみたいにね。なーんてね。
たまごの外見も中身も、どんなことができるのかも、人それぞれ、たまごそれぞれですよね。
わたしの温玉ちゃんは、音楽が大好きなわたしの相棒らしく、録音や録画が大得意なんです。いつもたくさんの音楽データを録ってくれます。
それだけじゃありません。実はこの文章も、温玉ちゃんのおかげでサクサク書くことができるんです。
え、あなたには相棒がいないのですか?
大丈夫ですよ。たまにそういう方もいますよね。
わたしの兄もそうなんです。兄はわたしと違って、生まれた時から卵の相棒がいませんでした。
その代わり、兄は音楽の才能に恵まれていました。
たまごの力を借りなくても、兄の指先はたくさんのキラキラした音の粒を生み出してくれるんです。
兄がピアノを弾くたびに、まるで新しく小さな命が生まれ出てくるみたいに。
小さな「命の音」たちは、兄の心のままに、時に激しく、時に軽やかに、時に切ないほどに甘い響きを振りまきながら流れていきます。
わたしは、その音を聴くたびに、なんかこう、胸がキュウッと締めつけられるみたいに――
* * *
「あーぁもう、ダメダメー! なんじゃこりゃー!」
PC画面の前で、わたしは髪を振り乱して絶叫した。いつものことだ。
文章を書いてはセルフダメ出しを繰り返す。虚しいけれど、これはわたしの欠かせない日課なのだ。
「『わたしみたいにね。なーんてね。』ってなんやー? 卵自慢と兄自慢だらけの痛い女丸出しやん! また『夢見すぎー』って感じの可哀想なコメントもらっちゃうやんけー!」
関東人のはずなのに、ツッコミとなると関西弁が炸裂するのは日本人あるあるだよね。
ノートPCのモニターに反射するは、後ろで一つに束ねたひっつめ髪の、おでこ全開ダサ丸メガネに学校ジャージ装着の、典型的な痛い喪女。このカッコが一番、執筆に熱が入るんだから仕方ない。何より楽だしね。
「まあ、痛くてもいっか。これ、『夢小説』だし」
と、ダメ出しの後で勝手に納得するまでがワンセット。
夢小説。漫画や小説などの好きなキャラクターとオリジナルキャラクターなどを掛け合わせ、作品の壁や次元を超えて自由に創作を楽しむコンテンツである。
内容は、大半が恋愛二次創作。つまり、推しキャラとのキャッキャウフフを妄想するためのものである。痛いオタ女と呼びたければ呼ぶがよい。
わたしが手がけているのは、イケメンでハイスぺでピアニストな兄を持つ、女子大生の妹を主人公とした萌え萌え青春ストーリー。
華麗で洗練された、妹に激甘の兄と、兄の愛に包まれながら音楽の喜びを謳歌する、ふわふわ乙女な妹。
小説投稿サイトで地道に更新を続け、全国に「兄に溺愛されたい!」「ピアノの貴公子萌え~♡」な夢女子読者を増やし続けている。
筆の乗るまま気の向くままに、兄のキラキラ度を上方修正しても、ヒロインの可愛さを五割増ししてもかまわないのだ。だってこれ、小説ですから。
……脚色はともかく、設定や事実は九〇パーセントぐらい、ノンフィクションなんだけどね。
あ、これ書いてるの、兄には内緒ね。
タイトルは『兄とわたしの黒鍵協奏曲』。兄に見られたらツッコミの嵐だろう。
兄と妹、二人とも楽器がピアノだから協奏曲(独奏楽器+管弦楽)は成り立たないし、二人だったら正しくは「デュオ」でしょう。でも「コンチェルト」の方がゴロがいいんだもん。
実際に『黒鍵協奏曲』という曲があるなら聴いてみたいものだ。
「黒鍵」の文字は、兄の実名を出さないこの小説を読んだ読者に、「実はあの人のことなんじゃ……?」と、気づいてもらうために入れてある。
巷で呼ばれている兄の二つ名は、「黒鍵の王子」。
リサイタルの度に、アンコールで必ずと言っていいほどショパンの『黒鍵のエチュード』を弾くので、そう呼ばれるようになった。
なぜ弾くようになったのかというと、どうも幼き日の無垢なわたしが兄に向かって「この曲大好きー!」と言ったから、みたいなんだけど……すみません、全然覚えてません。
つまりわたしは、限りなく兄にそっくりなイケメンピアニストの小説を書いて兄ファンを増やすことで、兄の宣伝に貢献しているのだ! これぞ献身的・模範的な妹の務め! ……あ、フォロワー数は聞かないでください。
さて、ひと通り開き直ったところで、今日も兄萌えの「推しごと」を頑張りますか。
「温玉ちゃん、何かネタ元の動画出してくれる?」
わたしがつぶやくと、温玉ちゃんがふよふよと飛んできて、大型モニターの前で「エッグシェーカー・ダンス」を始めた。
温玉ちゃん。わたしと一緒にこの世に生まれてきた、わたしの大事な「卵の相棒」。
すべすべ真っ白たまご肌、フォルムは完璧たまご型。
自慢の可愛い温玉ちゃんが、自分をふりふり、エッグシェーカー(卵型マラカス)のようにビートを刻むと、モニターに映像が流れ始める。
そんなに頑張って振っちゃって、中身の温泉たまごは大丈夫なのかな。いつもありがとう、温玉ちゃん。
「あ、『ドリー』だ……」
モニターから、とても可愛らしいピアノ曲が聞こえてきた。
画面の中で、二人の子供が並んでピアノを弾いている。
男の子と女の子。十二歳の兄と、七歳のわたしだ。
* * *
♬ガブリエル・フォーレ作曲
組曲『ドリー』より
第1曲「子守歌」
フランスの作曲家フォーレが、「ドリー」と呼ばれる女の子のために作曲した、ピアノ連弾曲。
ピアノ独奏版も管弦楽版もあるけど、わたしはこの曲を連弾で弾くのが大好きだった。
十二歳にしてすでに「天才少年ピアニスト」と呼ばれていた兄の伴奏の右で、メロディを弾かせてもらって喜んでるわたし。
二人の弾く場所はすごく近くて、しょっちゅう肩がこっつんこ。その度にクスクスとこぼれる、子供らしい笑い声。
ゆりかごのように優しく揺れる伴奏と、赤ちゃんのドリーに聞かせてあげているような子守歌のメロディが、二人の子供の指先からキラキラと生まれては流れていく。
初めてこの曲を聴いた時、わたしは兄にこう尋ねた。
「この曲、なんていうの?」
「これはね、『理音の組曲』だよ」
「えーっ、理音の曲なの! わたしといっしょ!」
無知なわたしは、兄の冗談をすっかり信じてしまった。
その後、わたしが正しいタイトルを知っても、兄はまだ『理音の組曲』と呼んでいた。
わたしが呆れて「『ドリー』でしょ!」と訂正しても、兄は「『理音』でいいじゃん」と笑っていた。
子供の頃の、兄妹の楽しい思い出。
その頃すでに、兄がピアニストとして苦難の道を歩み始めていたことを、幼いわたしは長い間知らずにいた。
――「音を楽しむ」だけでは、「音楽」の道は続かない。
二十五歳の兄と、二十歳のわたし。
大人になったわたしたちには、楽しかった音楽とほろ苦い音楽、両方が心の奥底に雪のように降り積もっている。
真っ白な部分と、汚れてしまった部分。その上からまた真っ白な雪を降らせようと、わたしたちは音楽に向かっていつまでも手を伸ばし続ける――
* * *
「ありがと、温玉ちゃん」
懐かしい動画を再生してくれた温玉ちゃんに、お礼を言った。
動画からはまだ、『ドリー』が第2曲・第3曲と続けて流れている。
曲が進むごとに、赤ちゃんから幼児へ、そして少女へと、『ドリー』が成長を遂げていく。わたしの思い出も、音符と共に変化しながら流れていく。子供だった頃が、音と共に消えていく。
ちょっとしんみりしちゃったけど、この曲をもとに小説の続きを書こう。全国の読者様に、今日も兄萌えをお届けするのだ。
と、その時。
「……えっ!?」
突然、温玉ちゃんが鏡に向かってゴンゴンとぶつかり始めた。
わたしの部屋のすみにある、母から譲り受けた化粧台の大きな鏡面に。
「温玉ちゃん!?」
恥ずかしながら、今までわたしはこのドレッサーをドレッサーとして使わず、ただの物置にしてて、鏡面には布をかけてあった――はずなのに。
いつの間にか布が取り払われ、温玉ちゃんが何度も自分で自分を鏡にぶつけている。
たまごの自傷行為(!?)だなんて、わたしは今まで聞いたことがない。
どっ、どうしよう!?
わたしが恐怖に固まってると、目の錯覚だろうか、鏡面の色が少しずつ変わってきた。
明らかに、この部屋ではない色合いが、鏡の中に広がっていく。
な、なに……!?
温玉ちゃんは自傷行為(?)をやめ、いつものようにわたしの頭の上に乗ってきた。
鏡の向こうに見えたのは、白い靄だった。
靄が動いてる。モクモクと、視界をふさぐように。
霧のような、雲のような……それとも、何かの煙?
よく見ると、鏡一面に水滴がびっしりとついている。水蒸気、なのかな。
おそるおそる近づいて、そーっと鏡を覗き込むと、不意に、靄の一部がさっと消えた。
「!?」
誰かいる!
女の子だ!
金髪の女の子がこっちを見てる。
彼女の手が大きく斜めに何度か動くと、水滴がすっかり取れて、その姿があらわになった。
ウェーブのかかった金色のショートボブ。ぱっちりと大きな、アクアマリンのような瞳。
わたしよりは年下に見える、細身で小柄な、真っ白な、華奢な……
一糸、まとわぬ……
裸の、外国人さん……
数秒の、沈黙の後。
「『ンギャアァァァーッ!?!?」』
絹を裂くような、ではなく、ボロ雑巾を引きちぎったような悲鳴が、どちらともなく響き渡った――。