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15. 思い出せなくて


「ごろちゃん、だいじょうぶ? なんか苦しそうだったよ」

 目を開けると、みかんが僕の顔をのぞきこんでいた。ふわふわの毛が、僕の顔に当たっている。

 どうやら、クシャミはそのせいだ。

「ん、あ。いや、大丈夫」

 ゆっくり体を起こす。なんだか、まだ少し寝足りない気分だけど、とくに具合の悪さを感じるところもない。気を取り直して、僕は、自分とみかんに声をかける。

「よし。美味しい朝ご飯食べて、仕事に行こうか」

「うん!」



 出かける準備を終えて外に出ると、雨が降っていた。

 陽差しがない分、気温の上昇は若干抑えられているが、湿気のせいでよけいに暑苦しい気がする。


「みかん、暑苦しくてしんどいとか、体調悪かったら、ちゃんと言うんやで。我慢したらあかんで」

 いつものように背中のリュックにいる、みかんに言う。

「わかってるよ~」

 のどかな返事が聞こえた。


 夏休みが近づいて、今日からは三者面談が始まる。保護者・生徒・担任の三者で、成績や進路、学校生活について話をする場だ。

 今日は、けっこう予定が詰まっている。2時のスタートから5時半まで予定が入っている。

 けれど、初日がハードなおかげで、2日目3日目はずいぶん楽になる。

 本当は、面談の時間は、2時から5時までの間におさまるようにお願いしているのだが、『仕事でどうしてもこの日のこの時間しか無理です』などと言われると、こちらも無理をして、その時間に面談を組み込まざるを得ない。

 今日の5時半のひと組は、どうしてもと言われて予定を組んだのだ。

 4時45分からの面談の生徒は成績の伸びも順調で、進路についても学校生活についても特に問題はなく、和やかに歓談して予定より5分早く終わった。

 もちろんラストの組の親子はまだ来ていない。


 資料を見直したり、教室の整備をしたりして、過ごす。約束の5時半を過ぎた。まだ来ない。

 もしかしたら、急に何か用が入ったとか?

 職員室に連絡がないか訊きに行くため、教室にカギをかける。面談用に、成績資料など大事な個人情報をおいているので、開けたままにはできない。

 職員室に戻ると、僕の姿を見つけて、教頭先生が、

「ああ。大畑先生、ついさっき、保護者から電話があって。今日の5時半からの面談、急用で行かれへんようになったから伝えてほしいとおっしゃってて。立て続けに電話対応してたから、知らせに行けなくてごめんなさい」

「あ。そうですか。ありがとうございます。じゃあ、今日は、僕は、面談終了です。あ~。疲れた~」

 思わず声が出る。

「お疲れさん。さっき、校長先生が、そうめん茹でてくれはったから、冷やしそうめんあるよ~」

 教頭先生がニコニコ顔で教えてくれる。


 一足先に、面談が終了していた沢渡先生が、

「こっちこっち」と手招きして、僕を呼ぶ。

 冷えたガラスの器にめんつゆを注いで渡してくれる。

「薬味もあるで、青じそ、生姜、ネギ、お好きなヤツをどうぞ」

「今日はもう予定終了?」

 そうめんをすすりながら、沢渡先生が言う。

「はい。5時半からの最後の1けんにはフラれましたけど」

「え、誰? わざわざ時間外を指定しておいて、ドタキャン?」

「石田さんです」

 僕もそうめんをすする。

「え~、石田? あいつ、今日ライブやとか、うちのクラスのヤツと嬉しそうに話してたで」

 沢渡先生が言った。

「え? ライブ?」

 そんなの聞いてない。

「なんか、追加公演当たったから親子でいくて言うてたな。」

「え~……」

 僕は絶句する。腹が立つより先に脱力しそうになる。今日のこの時間でないと絶対無理だと自分で指定してきたのに。

「ひどいな。この日でないとあかん、って言うといて、自分は、ライブでドタキャンか。めっちゃ腹立つな。こっちかていろいろ段取りあるのにな。無理言うだけ言うといて、なんやねんな……」

 沢渡先生が僕以上に怒ってくれる。

「あるある、やけど、あんまりやな……。大畑さん、せめて、そうめん、もっと食べ。たくさん食べ」

 沢渡先生が、僕の器に、そうめんを取り分けてくれる。

 英語の指導方法では合わないと思うこともあるけど、でも、基本、マジメで気のいい人なのだ。僕より、沢渡先生が怒ってくれて、なんだか救われた気分になる。

 他にも、時間外を指定された先生たちがやっと面談を終えて、少しずつ職員室に戻ってきた。


「おつかれさま~」の声が飛び交う。

 みんなでそうめんをすすりながら、面談後の情報交換をする。

 保護者からの相談事や、情報共有しておかないといけないこともある。

ライブのせいで、僕がドタキャンされたことを知って、みんな、「なんなんそれ! なんで、当日にドタキャンやねん。決まった時点で言うたらええのに」と一緒に怒ってくれた。

「たぶん、自分がごり押しで決めた日程やから、変更、言い出しにくかったんかも」と僕は、控えめに答えながら、みんなのおかげで気分はずいぶん救われた。


「そんなことするひといてるの?」

 雨上がりの帰り道、背中のリュックで、みかんが言った。

「いてるねん。時々な」

「でもさ、まだ、学校での面談のドタキャンはマシな方。家庭訪問でそれやと、けっこう困るねん。カギの閉まった家の前で、ずっと待つことになるし」

「そうかぁ……なんかいろいろあるんだね」

 みかんがポツリと言う。

「そうやな。いろいろあるね」


 そう。いろいろある。

 どんな仕事でも同じだと思うけど。

 理不尽なことや、『なんで?』って言いたくなるようなことは、いろいろある。

 でも、そんなとき、一緒になって、『あんまりやな』って言ってくれる人たちがいることが、どれほど、気持ちを救ってくれることか。


「でも、ごろちゃん、よかったね。先生たち、みんな優しいね」

「うん」

「さわたり先生もね」

「うん。そやな」

 

 僕は、ホッと優しい気持ちになって、ペダルを踏む。

「今日は、晩ご飯、何がいい?」

「う~んとね。カレーがいいな」

「いいね。ルウ、ちょうどきらしてるから、スーパーによって帰ろう」

「甘口でよろしく~。でもって、人参たっぷりで~」

「了解~」

 顔が笑顔で緩む。

 

 そんな会話をしながら、僕は、自分がもうすっかり、2人? 暮らしに慣れてしまっていることに気づく。

 何気ないやりとりに、ほっと心なごんだり、ワクワクしたり、ドキドキしたり。

 1人で暮らしていた頃の、帰り道に自分がどんな顔をしていたのか、もう思い出せなくなっていた。

 

 


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