冒険者ギルド登録
リュクスが目を開けると、そこはもはや真っ白で何も見えない空間ではなかった。窓の外からは光が差し込み、何かはわからないが音も聞こえてくる。ただ、彼のいる部屋で目に入るのは、真っ白なレンガの壁とその継ぎ目の模様、そして木目の浮かぶ茶色の扉に黒い鉄の装飾が施された、巨大な扉だけだった。10人が並んで通れそうなほどの大きさだ。
後ろを振り向くと、リュクスの遥か頭上に、真っ白な女性の像が高い台座の上に据えられている。背中には二対の羽が生え、その顔の表情ははっきりとはわからない。だが、不思議とリュクスには、これが聖神イリハアーナ様の像だと感じられた。
その像の台座の下には、もうひとつ小さな台座があり、蝋燭やコスモスに似た花がたくさん供えられている。台座の表面には模様が刻まれており、どこか文字のようにも見えたが、リュクスには読み取ることができなかった。
もしかして古代文字かもしれないとリュクスは思い、識別を試みたものの、特に新しい情報は得られず、現れた青いボードに表示されたのはただ、神をまつるための台座という内容だけだった。
そうしているうちに、大きな扉がギギギ、と鈍い音を立ててゆっくりと開かれていった。
「おや、いらっしゃいませ。来訪者の方、ですかね?他の方々に比べて、かなり遅いご到着ですね。」
「え? あ、はい。たぶん来訪者で合ってます。遅くなってすみません。」
白い生地に金の刺繍が施された、まるで教会で見かけるような美しい司祭服を身にまとった男が現れた。彼の挨拶に、リュクスは思わず職場で返事をするような調子になってしまった。
「いえ、謝っていただくようなことではありませんよ。まずはご挨拶をさせていただきますね。私はこの街で神官を務めております、アールグレンと申します。よろしくお願いします。」
「僕はリュクスです。よろしくお願いします。」
神官だと名乗ったアールグレンは、まさに神官のイメージ通りの人物だった。そして、深く頭を下げる所作の中で見えた、染めた様子のない淡い黄色の髪が印象的だった。リュクスは、元の世界ではあまり見たことのない髪色に、この地の住人では普通なのだろうと感じた。
「どうやらあなたは他の来訪者のかたとは違うようですね。私に名を教えてくれた方はあなたで二人目ですよ。」
「二人目なんですか?」
「ええ。挨拶を返してくださる方も何人かいらっしゃいましたが、ほとんどの方は私を素通りして、そのまま向かいの冒険者ギルドへ行ってしまいました。」
「な、なんか同郷の者がすいません。」
挨拶を無視して通り過ぎるなんて、来訪者全体の印象が悪くなってしまう。リュクスに謝る義務はないし、顔も知らない相手の行動ではあるが、それでも一応頭を下げておいた。
「いえ、お気になさらず。来訪者の方々が私たちとは異なる存在だということは、神託でも告げられておりました。ですから、教会の機能については、必要とされる方にのみ説明するよう指示を受けております。ご説明いたしましょうか?」
「はい、お願いします。」
「かしこまりました。まず、この教会についてですが、教会は各都市ごとに一つ存在し、転移地点としての役割も持っています。帰還石と呼ばれる魔詰石を所持した状態で、そちらのイリハアーナ様の像の前で祈りを捧げると、後にその帰還石を使った際、最後に祈りを捧げた教会へ転移することができます。そのため、拠点としたい教会で祈りを捧げるのが一般的なのです。」
「なるほど、そんな便利なものがあるんですね。もう少し詳しくうかがってもいいですか?」
リュクスの申し出に、アールグレンは困ったように表情を曇らせた後、深く頭を下げてから口を開いた。
「申し訳ありません。お恥ずかしながら、私はこの教会を任されて以来、一度もこの街を離れたことがなく、帰還石を使用した経験もないのです。詳しい話は、冒険者ギルドでお尋ねいただければと思います。」
「わかりました。ありがとうございます。」
「いえいえ。聖神イリハアーナ様のご加護がありますように。」
アールグレンは再び深々と頭を下げ、リュクスを見送った。
リュクスが転移してきた部屋を出ると、通路は十字に分かれており、正面にはさらに大きな門があった。門は開け放たれていて、外の光景が見えている。
教会の目の前は大通りになっていた。ふとリュクスは背後を振り返る。そこには、自然が生んだとは思えないほど巨大な絶壁がそびえており、その壁に教会の門がまるで埋め込まれるようにして存在していた。高さは何メートルあるのだろう。とても常人が登れるような代物ではない。
その絶壁は左右にも続いており、見える限り果てしなく伸びているようだった。リュクスが立つ大通りの先には、彼の五倍はありそうな石の壁が遠くに見えたが、その先もやはり絶壁となっていた。
見慣れない地形に圧倒されつつも、大通りを行き交う人々に目を向けると、様々な髪色の人間たちに加え、犬や猫の特徴を持つ獣人。この世界で言うところのビスタたちが、まるで当たり前のように歩いている。これぞまさに異世界の光景だった。
エルフやドワーフの姿もあるかと、辺りを見回してながら大通りを抜けたリュクスだったが、それらしき者は見つからなかった。
やがて、大通りを抜け、教会の正面に建つ大きな木造の建物へとたどり着いた。建物の入り口は開け放たれており、その上には大きな剣の形をした看板が掲げられ、冒険者ギルドと刻まれている。
中へ足を踏み入れると、外観のとおり広々としていた。正面奥にはカウンターがあり、仕切りが四つ、それぞれに受付口が設けられているようだ。今はそのうちの一つにだけ人がいて、スキンヘッドの男が黒い革製のような鎧を着て、何かを熱心に書き込んでおり、忙しそうな様子だ。
カウンターの右手側、壁には大きな掲示板が二つ設置されており、いくつかの紙が貼り出されていた。入口から見て奥の掲示板の前には数人が集まっており、そこが依頼板であることは容易に想像がつく。手前の掲示板には、わずかに五枚だけ紙が貼られていた。
左側の広いスペースには八つの丸テーブルが並び、それぞれのテーブルには背もたれのない丸椅子が六脚ずつ備え付けられている。すでに四つのテーブルは埋まっており、いくつかのグループが話し込んでいるようだった。すべてのテーブルの中心には三角錐のオブジェが置かれており、人が座っているテーブルのオブジェは、青暗く光を放っている。
リュクスにはその声は聞こえてこないことから、おそらくは情報漏洩を防ぐためのアイテムなのだろうと推測した。
その中でもひときわ目立っていたのは、入口のすぐ近くに座る赤髪の大柄なヒュマだった。燃えるような鮮やかな赤髪に、立てば二メートルは優に超えるであろう体格。そして何より目を引くのは、彼が背負う大剣だった。
簡素な革製の留め具で背負われたその大剣は、刃の部分がむき出しで、しかもその刃もまた彼の髪と同じ赤に染まっていた。夕焼けのような、穏やかな赤。その色合いからは、不思議と血のような不気味さは感じられない。
誰が見ても、美しいと感じる剣だった。
とはいえ、じろじろと見続けるのはマナー違反だろう。リュクスが視線をカウンターへと移すと、スキンヘッドの男もちょうど手を止め、彼にしかめっ面を向けていた。
しかたなく、リュクスはカウンター前へと足を進めた。
「ふぅ…冒険者ギルドにようこそ。なんのようだ?」
大きなため息をひとつついた後、あからさまに疲れた声色と態度で対応を始めた男に、リュクスは思わず苦笑しつつも、めげることなく自分の目的を伝えた。
「すいません。冒険者登録と、あと戦闘指南を受けたいんですが、可能ですか?」
「あー、やっぱそれか。あんたみたいなのが、他にもわんさか登録に来ててな。だいぶ大変だったんだよ。」
それは確かに疲れるだろう、とリュクスは内心で同情する。千人規模で転移したという話は聞いているが、仮に半分でも五百人。対して受付口は五つしかないのだ。対応は相当な負担だ。
「まあ…おそらく、僕が最後になると思いますよ。」
「ほぉ? なんでわかるんだ? やっぱおまえさんも来訪者ってやつか?」
「えぇ、まぁ。知ってたんですね。」
「さすがに教会から連絡くらい来てるさ。異世界からの来訪者が大量にこの町に来るってな。それで対応は最大数でやったんだが…まぁ、うるせぇ連中が多くてな。」
来訪者という言葉が教会以外からも出てくることにリュクスは納得する。これだけの人数が流れてくれば、当然、情報共有はされるだろう。申し訳ない気持ちが湧いてくる。
「なんか同郷の者がすいません。でも、イリハアーナ様も僕が最後だって言っていたので、来訪者はもう来ないはずです。」
「ほぉ。イリハアーナ様の名前を口にして、虚言を吐いたらただじゃ済まねぇからな。おまえが無事ってことは、嘘じゃねぇってことだな。」
「え、そんなの力があるんですね。さすが神様。」
「なんだ、そのことも聞いてねぇのか。まあいい、とにかく登録だ。ほらよ。」
男がリュクスに差し出したのは、一枚の真っ白なカードだった。手に取って裏返しても、やはり何も書かれていない。滑らかでつるつるとした、不思議な素材だ。
「カウンターに置いて、親指を押し付けてみろ。」
「了解です。…いてっ!」
言われたとおりにカードをカウンターに置き、親指を押し当てたリュクスだったが、次の瞬間、チクリとした痛みに驚いてすぐに指を引っ込めてしまった。思わずカードを見返すと、さっきまで真っ白だったカードの左上に、文字が刻まれているのが目に入った。
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リュクス・アルイン
冒険者ランク:H
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「文字が出たか?それなら冒険者登録は終了だ。そいつの説明は聞くか?」
「はい、お願いします。何が何だかわからないので。」
「そりゃそうだな。んじゃ教えてやる。そいつは証明ってもんだ。さっきので、あんたの情報は冒険者ギルドに登録された。あらゆる冒険者ギルドで、あんたの名前とランクは共有されることになる。縛り名のほうはおまえからは見えてるだろうが、基本的に他人からは見えねぇから安心しろ。」
「それって、個人情報ダダ漏れじゃないですか。」
「あぁ。そういうの嫌がる奴が多くてな。途中から説明するのも面倒になって、先に話すのやめちまったんだよ。」
「なるほど。」
以前の適性検査で髪や指紋を採取された時点で、個人情報の価値観がこの世界では薄いことには気づいてもおかしくないのだが、このギルドに文句を言った来訪者がいたのかと、リュクスは内心で少しあきれた。とはいえ、自分もこの世界の常識にまだ馴染めていないと改めて実感する。
「まぁ、一応今ならキャンセルもできる。情報も全部消えるが、ギルドで使われるのは生きてるかと犯罪してないかくらいだ。Aランクともなりゃ、行く先々で名前が知れ渡っちまうが、しょうがねぇよな。」
「それはしょうがないですね。」
「それにな、証明がないとこの街から出ることもできねぇ。出る時も、入る時も提示は義務。できなきゃ、そいつは犯罪者扱いだ。」
「犯罪者にはなりたくないですし、街を出る予定もあるので、必要ですね。」
リュクスだけでなく、他の来訪者たちも王都を目指すのが一応の共通目的になっている。必須ではないが、多くが向かうとなれば、この街の人々が来訪者を警戒するのも無理はない。説明もなくとにかく登録しろとなるのは、ある意味では当然なのだ。
「それだけじゃねぇ。カードの白い部分、まだ多いだろ?そこにはいろいろ載せられる。証明は識別なしに一目で見られる情報だからな。たとえば、職業を表示しておけばパーティーも組みやすくなるし、裏側にはスキルや所持武器、商業ギルドの登録情報なんかも載せられる。受けた依頼を表示しとけば確認にも便利だ。表示内容は自分で決められるが、載せた内容はギルドにも共有されるってのは覚えておけよ。」
「じゃあ、証明に載せなければ職業とかは共有されないんですか?」
「さっきも言ったろ? 基本は生きてるか犯罪してないかだけだ。表示してない内容はギルドも見ねぇ。後はそうだな、証明にはリラも入れられる。入れたリラはいつでも取り出せるし、他人の証明と重ねれば受け渡しもできるぜ。」
スキンヘッドの男がカウンターの下から取り出したのは、不恰好な一円玉のような銅貨だった。これがこの世界の十リラにあたるらしい。
男は自分の証明を取り出し、銅貨を吸い込ませてみせる。そして再び中からそれを引き出した。
「おぉ、すごい!」
「だろ?リラのやりとりには、双方の同意が必要になる。入出金も登録者しかできねぇし、証明自体も紛失しない。これは自分と繋がっててな、離れすぎると消えちまう。出したいと思えば出てくるし、しまいたいと思えば勝手に消える。便利な魔道具だぜ。」
ただの身分証明書かと思っていた証明の、想像以上の万能さにリュクスは驚き、目を輝かせる。彼は自分の証明を、まるで宝物のように大事そうに握りしめた。
「あと一応言っておくと、死亡したら証明に入れてたリラはギルドに落ちる。どうやってるかは聞くなよ、俺も知らん。ただ、証明で生存確認できるって言ったろ?死亡が確認された時点で即座にギルドが引き落とし、そいつの証明はギルド本部に戻って、破棄される仕組みだ。」
「なるほど。でも、証明に入れてなくても、死んじゃったらお金持ってても意味ないですよね?」
「いや、それが意味あるんだ。ギルドに落ちた金は、完全にギルドのもんになる。遺族に渡すこともできなくなる。だから、遺したい金は証明に入れずに別で持っておけよ?」
遺族にも渡らないと聞いても、リュクスにはまだ実感が湧かない。この世界に来て間もない自分には、遺す相手すら思い浮かばないのだ。それよりもふと、元の世界に置いてきた自分の通帳や財布は、今ごろどうなっているのだろう、と考えてしまった。
「まぁ、そんなところだ。証明について他に聞きたいことはあるか?」
「えっと、どうやったら、職とかを記入できるんですか?」
「それならギルドの受付で、表に載せたいか裏に載せたいかを伝えてくれ。あとはこっちで一度証明を預かって、紙に書いたら親指を押し当てるだけで記入完了だ。」
「なるほど、ありがとうございます。聞きたかったのは、それだけです。」
「ははは、礼が言えるだけ結構。最近じゃ来訪者に限らず、冒険者ってだけで礼も言えねぇ奴が多いからな。ただ、へりくだる必要はねぇぞ?ランクが低くても、冒険者はナメられたら終わりだからな。」
ニッと笑って見せるスキンヘッドの受付に、リュクスは苦笑した。くだけた口調で話せ、というニュアンスは伝わってきたが、初対面の相手にそうするのはやはり難しい。
「ええと、いろいろありがとうございます。それで、戦闘指南の件なんですが。」
「おう、そうだったな。…とは言っても、あいつらじゃダメだろうしな。」
スキンヘッドがちらりと視線を向けた先には、六人構成のパーティーが四組。まるでゲームで見たレイド前のような雰囲気で、とてもその中に割り込める自信はない。
彼は今度はカウンターの右端から左端を見やり、そこに戻ってきたばかりらしい女性受付の姿を確認した。そして、軽く肩をすくめて立ち上がる。
「まぁ、しょうがねぇ。他の受付も戻ってきたし、俺が行くかね。」
彼はカウンター脇のスイングドアを開けて出てきた。そして、自分の証明をリュクスに見せてきた。
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ドーン
冒険者ランク:C
歴:37
職:冒険者教官
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「ドーンだ、よろしく。」
「リュクスです。よろしくお願いします。確かに、こうして見せてもらえると分かりやすいですね。」
「だろ?今のうちに、呼び名とランク、それに職くらいは見せられるようにしとくか?」
「はい、お願いします。…あ!あと歴を表示されないようにしてほしいです。」
「おう。んじゃ、証明を一旦貸してくれ。」
言われるままにリュクスが証明を手渡すと、ドーンはそれを持って受付に戻る。何かを書き込んだ紙を用意し、それを証明に押し当てる。すぐに戻ってきて、証明をリュクスに返した。
「よし、じゃあ親指を押し当ててくれ。またチクッとするけどな。」
「りょ、了解です。んっ!」
リュクスは小さく息を呑み、我慢するように片目を閉じて親指を押し当てた。少しして指を離すと、証明の表示が変化していた。
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リュクス
冒険者ランク:H
職:テイマー
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【不可視】
リュクス・アルイン
歴:18
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新たに“不可視”の欄が追加され、そこに本名と歴が記されていた。イリハアーナ様に聞いた通り、リュクスの年齢は十八歳と表示されている。
「職も表示するってことは、別に隠したいわけじゃないんだな。どんな職だ?内容によっては、行き先も考えないとならん。」
「なるほど。僕の職業はテイマーです。」
「…すまん、なんだって? テイマー?」
「あれ、あんまり馴染みのない職でしたか?でしたら、魔物使いって言ったほうが分かりやすいかもしれません。」
「魔物使い、ねぇ…イメージはできるが、それとは違うのか?…いや、推測で動くのは良くねぇな。すまんが、近接戦闘か遠隔戦闘、どっちだ?」
確かにリュクスの職はランダムで選ばれたものだが、テイマーはこの世界では一般的な職でないのかもしれない。そう考えながらも、今それを気にすることではないと、リュクスは頭を切り替えた。
「自身の戦闘力は高くありませんが、メインは遠隔戦闘です。ただ、近接戦闘の経験も積めるとありがたいですね。」
「ほぉ、どっちもやりたいのか。まぁ、やってみればいい。戦闘力に自信はないってことだし、やっぱ南兎平原だな。北門まで歩くぞ。」
「南兎平原なのに、北に行くんです?」
「なるほど、お前はここが最南端の街ってことも聞いてないのか。この街の北にある平原だけどな、この大陸の一番南にある平原でもあるんだよ。」
「もしかして南はあの大きな絶壁ですか?」
「あぁ、世界の境界といわれてる崖壁だ。登ったやつなんかいないだろうが、上った先にも何もないといわれている。」
「なるほど、でも上った人がいないなら未知の世界が広がってるかもですね。」
「んなっ、登ろうだなんて考えるなよ?とにかく行くぞ、遅れずついて来いよ。」
「了解です。」