閑話:従魔となったものたち
従魔たちに焦点を当てた閑話。
ある日、インヴェードウルフたちは縄張りを広げるため、群れの招集がかけられた。
しかし、その知らせを聞いた一匹の狼は、怪訝そうな顔を浮かべる。
過去の拡大の際、数多くの仲間が聖族に殺されたことを思い返していたのだ。
ようやく群れの頭となったばかりのその狼は、被害を恐れ、招集への参加を拒否した。
だが、狼は知らなかった。招集を拒否した者に待っているのは追放という名の粛清であり、それは上位種族やかつての仲間たちに囲まれ、蹂躙されるという現実だった。
重傷を負い、動けないまま放置された狼は、自分より格下だと見下していた犬に食われて死ぬか、あるいは聖族に殺される未来を覚悟していた。
やがて聖族が現れたとき、狼はもう終わりだと諦めた。
しかし、不思議なことに、聖族は狼の体にそっと手を添え、優しく撫でてきた。
撫でられるたびに、痛みは少しずつ和らいでいった。
さらに、見たこともない肉の塊を差し出してくる。
空腹に耐えていた狼は、思わずそれにかぶりついた。
驚くほど旨い肉だった。狼は夢中になって、最後のひとかけらまで平らげた。
やがて体が動かせるようになった狼は、自分を助けた聖族の後を追った。恩返しのつもりで、彼が関わる戦いに手を貸したつもりだったが、聖族の頭上に現れた兎が放った力を目の当たりにしてしまう。
その瞬間、狼は悟った。自分が助けに入る必要などまったくなかったのだと。
だからこそ、いつか本当の意味で恩を返すために、狼はその聖族の従魔となることを決めた。
決して、美味かった豚肉に釣られたわけではない。
街の中では大人しくするように主である聖族から言われていたが、他の聖族たちからじろじろと見られているうちに、何かをしでかす気など完全に失せていた。
本気を出した聖族たちの前では、自分など一瞬で殺されてしまう。そう考えていたからだ。
主についていくだけの日々は退屈だったが、先輩の従魔である兎も一緒に行動していたため、狼にとっては主についていくのが当然のことのように思えた。
大討伐の際、兎によるスパルタ教育を受けたことで、狼はインヴェードウルフからナイトバイトウルフへと進化を遂げた。
使ったこともない力を夜通し練習させられたが、そのおかげで、かつて自分を群れから追い出した者たちを見返すことができたのだ。
そして狼は、自らの手で仕留めた元仲間たちの死体を森に埋めた。どうしても、それらを主のもとへ持ち帰る気にはなれなかったのだ。この埋葬については、兎からも許可を得ていた。
進化によって得た新たな力について、狼は兎から教わった。影術を使えるようになったのは、従魔となった影響だという。
狼型の魔物であれば、影の力に適性があるだろうと兎は考えていたようだ。その中には身を隠す術もあり、狼としては、聖族たちからの注目が減ったことで、むしろこの力でよかったと感じていた。
現在、狼は主の新たな住処となる場所にいる。仮の住まいである宿よりも居心地がよく、好きにしていていいと言われただけで、気が楽になるようだった。
しかし、主からは数日後にはこの街を出ると告げられていた。ついてくるかと問われた狼は、もちろん同行するつもりでいた。まだ、主への恩を返し切れていないと感じていたからだ。
その日、主はしばらく新しい住処で過ごすつもりのようで、暇なら外に行ってもいいと言われた。だが狼は、宿では使わせてもらえなかったふわふわの上、主がベッドと呼ぶ寝床で眠ることに決めた。
ふわふわの上は、とても寝心地がいい。今のうちに堪能しておかねばと、狼はゆったりと身を丸め、心地よさそうにまどろみ始めた。
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蜘蛛が嗅ぎつけたのは、聖族から漂ってくる、これまでに感じたことのないほどかぐわしく甘い匂いだった。
匂いに釣られて追いかけてみたものの、その香りの元が聖族の持つ鞄から漂っていると分かると、蜘蛛は子供たちを後方に控えさせ、自らが正面に立ちふさがった。
不思議なことに、この聖族の言葉は他の聖族と違い、蜘蛛にもはっきりと理解できた。交渉に応じると、聖族からは緑甘樹の実の蔕部分の皮が剥かれたものが差し出された。
香り高い緑甘樹の実に、蜘蛛は触肢を突き刺して吸い付きながら考えた。
この森ではいつ聖族に襲われるか分からない。それよりも、交渉が通じるこの聖族についていくほうが、種として長く生きられるのではないかと。
さらに、子供たちにも緑甘樹の実を分け与える聖族の姿を見て、彼についていくことを固く決意する。こうして蜘蛛は名を与えられ、従魔となった。
街に来てから初めて見る赤い木の実が気になった蜘蛛は、主人に頼んでみたところ、快く用意してもらえた。緑甘樹の実ほどの甘さはなかったが、吸い取るのではなく食べられる果実という点がとても気に入った。
子供たちも気に入ったようで、主人がその苗木を植えてくれた。実がなれば、自分たちで食べられるだろうと、蜘蛛は期待に胸を膨らませた。
また、主人の力を借りて、緑甘樹の実の皮を自分自身も子供たちも剥けるようになった。
蜘蛛は、それが自分に宿った力によるものだとは理解できたが、主人の力のどの性質に起因するのかまでは分からず、同じような力を完全に身につけることはできなかった。
一方で、料理と呼ばれる行為を通して力を借りたときには、不思議なほど楽しく感じ、やめられなくなるほどだった。特に実を茹でたときに立ち上る香りに夢中になってしまったようだ。
茹でた後であれば、緑甘樹の実も食べられると分かった蜘蛛は、木が育ち、実がなったときにはたくさん茹でて子供たちにも食べさせようと、静かに決意を固めていた。
今の蜘蛛にとって優先すべきは、主人のために露店という施設へ品を納めることだった。料理を終えた蜘蛛は糸玉を作り、それらを露店に収めていった。
子蜘蛛たちも、蜘蛛があらかじめ伝えていた通り、料理の最中にも糸玉作りを進めていたようだった。
主人から離れていても、蜘蛛は力を借りることで緑甘樹の実の蔕を取り除くことができた。これも従魔になったおかげだろうと、蜘蛛は安心していたが、その日は露店の近くが次第に騒がしくなっていった。
ちょうどその日は、土地の中で主人に雌の聖族が話しかけてきた日でもあり、その聖族は蜘蛛の行動を不思議に思っていたようだった。
蜘蛛は雌の聖族の言葉を理解できたことに一瞬疑問を覚えたが、これも主の力だろうとすぐに判断する。
そして、生みの母から毒術を教わったときと同じように、その雌の聖族から力を借り、実際に使って見せた。
まさか、完全に他者である聖族から力を借りるだけで、新たな力として自身だけで使えるようになるとは思っていなかった蜘蛛だったが、それができたのは主人のおかげに違いないと感じていた。
もともと蜘蛛たちは、同じ種族から力を受け継ぐだけの存在であり、自力で力を習得できるようなものではない。
だからこそ、今は森に残っている他の同族に対して、少しだけ優越感を覚えてしまいそうになった。
しかし同時に、主人のような存在と出会えたこと自体が奇跡だったとも思い直す。
他の聖族であれば、自分たちはきっと惨殺されていた。主人に出会うまでの蜘蛛にとって、聖族とはそういう存在だったのだから。
次の日、主人は蜘蛛に雨をしのぐための屋根を作ると告げる。巣が濡れないようにという配慮だった。
狼や兎といった先に従魔となった者たちとは異なり、蜘蛛は自分たちがこの地に住まわせてもらっている立場にあると思っており、申し訳なさも感じていた。
作業にあたる者の言葉には従うようにと主人に言われた蜘蛛は、雌の聖族との会話で表情を動かすことで否定や肯定を伝えられると理解していたことから、主人がいなくとも何とかなると判断し、指示に従うことを引き受けた。
最初に作られたのは、主人の住まいとなる家と呼ばれるもので、どうやら聖族の種族は閉鎖的な空間に住む習性があるようだった。
蜘蛛も中を見せてもらえたが、そのとき、なぜか家の角に巣を張りたくなる奇妙な衝動に駆られた。これ以上その欲求に従ってはならないと思い、明確な指示がない限り、もうこの家には入らないと心に決めてすぐに外へ出たほどである。
屋根を広く張ってもらえたことで、蜘蛛は落ち着いて過ごせるようになった。そしてある日、食事をしている中で、声の高い聖族の足元へと近寄り、そっと脚でつついて誘導を試みる。
その聖族は、主人とよく話をし、以前には裁縫という力も授けてくれた存在であったため、蜘蛛はこの者なら意図を汲んでくれるだろうと思ったのだ。
身振りと脚の動きで、巣の位置を変えたいという意志をどうにか伝えたところ、なぜか土地の真ん中へと移動させてもらえることになった。
主人にはどう説明したものかと蜘蛛は悩んだが、聖族の言葉によればこの方が主人は安心できるはずだという。聖族のことは聖族にしかわからないことも多いのだろうと、蜘蛛も納得した。
巣の移動を終え、古い巣を処理しようとしたところ、その聖族から糸を回収してもいいかと尋ねられ、蜘蛛はそれを許可した。
とても喜んでいた聖族の姿を見て、蜘蛛は心の中でその分、主人のためにも役立ってほしいと願った。
土地にはいくつもの植物が植えられていたが、それも主人の許可を得ているのだろうと蜘蛛は判断し、邪魔にならぬよう配慮しながら、糸玉の製作と料理の子との交代で料理を続けていた。
料理は料理小屋と呼ばれる小さな建物で行っていたが、狭い空間は蜘蛛にとってはむしろ落ち着く快適な場所だった。
しばらくして主人が戻ってきた際、家の中に入るかを問われたが、蜘蛛はそれが明確な指示ではなかったため、遠慮して外に留まった。
その後、一度地を離れていた主人が再び帰ってきた際、大切な話があると言われた。
数日のうちに街を離れて旅立つというのだ。主人は連れて行くとしても、蜘蛛は一体までと詫びるように伝え、この土地は蜘蛛たちが安心して暮らせるように整えてくれた場所だと教えてくれた。
裁縫の力をくれた聖族だけは、ときおり様子を見に来られるように手配してくれているらしいが、他の聖族は露店の範囲までしか入れないのだという。
主人がいなくとも蜘蛛たちが過ごすために用意されたと知り、それは非常にありがたいことではあった。
だが、それゆえに急がねばならないとも蜘蛛は考える。自分が主人と共に旅立つのが一番だと、すでに決めていたからだ。
そして、母の立場を継ぐ候補は、料理の子しかいないと目星をつける。
出発までに、子供たちだけでもこの地でうまく暮らしていけるよう整えておかねばならない。
料理の力はすでに引き継がせてある。蜘蛛は、もう一つの力も託すために、料理の子を呼んだ。
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それは、兎にとってはただの気まぐれだった。
過去にいた地から自らの足で行ける最遠まで逃げてきた兎には、あれを見分けて、綺麗に掘り出す手段などなかった。
だからこそ、それを綺麗に掘り出した弱い聖族を見つけたとき、兎は愛嬌を振りまいたのだ。
かつて通り過ぎた地でも、兎は同じ方法で聖族から食の恵みを得ていた。
だが、兎の存在価値に気づいたのか、次の日には大量の聖族が押し寄せ、兎の種族名を叫びながら駆け回っていた。
滅ぼすことはできたかもしれない。だが一度は食を貰った手前、兎は引いていった。
遠いこの地に似た種族がいたのは、偶然だったのだろうか。
兎の狙い通り、聖族から食を得ることができた。しかも綺麗に引き抜かれたからか、今まで食べたどれよりも美味しく感じた。
夢中で食べていたとき、兎は聖族から何か複雑な力をかけられた。
とても暖かく、包み込むような力だった。拒絶するのにはかなりの意識を要した。
どうにか拒んだ兎は、すぐに逃げ出した。
翌日、兎はまた大勢の聖族が来ることを覚悟しなながらもその地に残り経過を見るこに決める。だが現れたのはたった二人。
ゆっくり様子を見ることにした兎は、これが罠ではないかと疑った。
似た種を無差別に狩る姿を見て、己を狩るために別の聖族を呼んだのではと考えたのだ。
だが、兎の懸念とは異なり、先日の聖族は再び謎の器具を並べて何かを作り始めた。
もう一方の聖族が少し離れた隙を見て、兎は器具の影にまで近づく。二人の会話を聞こうとしたのだ。
なぜか兎には、作り手の声だけが非常に鮮明に意味を理解できた。
今まで多くの聖族の言葉を耳にしていたせいかとも思ったが、そうではない。
もう一人の聖族の言葉は、理解するのが難しいのだから。
今のところ、聖族たちは聞き耳を立てる兎のことなど眼中にないようだった。
それなら捕らえられることはないかもしれない。そう思った兎は、もう一度アタックをかけた。
呆れた顔をしながらも、聖族は大量の根草を兎のために用意した。
本来、根草の葉は好みではないはずだったが、その聖族が出したものはただの葉とは思えぬ良い味だった。
もちろん、根の方が好みではあるのだが。
兎が器に盛りなおされた根草を食べていると、もう一方の聖族が、作り手の聖族に向かって兎の存在価値を説明し始めた。
その様子に、兎の胸を不安がよぎる。このあとまた追われるのではないか。
そして、温情をかけてくれたこの聖族までもが、己を捕らえようとするのではないかと。
だが、兎ははっきりと思った。
この聖族にだけは、追われたくないと。
その思いに突き動かされるように、気づけば無意識に、聖族の足元へとすり寄っていた。
そしてまた、兎の体にあの温かい力が流れ込む。
昨日、全身を包んだ、あの力だ。
不意を突かれたこともあってか、今度ばかりは、兎もそれを拒むことができなかった。
やけっぱちで、この力を取り消せと聖族にあたった兎だったが、なぜかその聖族は兎に名を与えた。
一瞬、それは違うと思った。けれど、名を与えられたことが、うれしいという気持ちのほうが勝ってしまったのだ。
こうして、兎の新たな居場所ができてしまった。
名付けをした聖族の頭上だ。
聖族であるがゆえか、その頭上は、兎が己の存在をより認識されづらい、都合のいい場所だった。
たとえ認知されたとしても、兎を無理に引きはがそうとする聖族は誰一人いなかった。
名づけ者は毎日律儀に、しかもかなり大量にノビルというらしき、旨い根草を用意してくれる。
こんなにも居心地のいい場所があっていいのか、兎はそう思っていた。
狼が新参者として従魔となり、無謀にも一匹で群れに挑もうとするまでは。
兎から言わせれば、自分と同程度の存在の群れに戦いを挑むなど、無謀の一言だった。
仕方なく、気配の消し方も知らない狼に、兎はみっちりとその方法を教え込んだ。
さらに、気配を薄めるために影術にも取り組ませた。
それは、兎が通り過ぎた地で見た狼種が使っていた業だった。
こいつも狼だから使えるだろうと思い、意識の仕方や夜でも使うコツを教えた結果、狼は進化を果たすことができた。
そして進化を果たした狼を、ようやく兎は群れとの戦いに送り出したのだった。
動きは、兎から見れば及第点。だが、狼は満足していたようなので、良しとした。
今の兎の問題は、名づけ者が王都方面を目指しているということだ。
どうするべきか、兎は悩んでいた。好きにしていいと言われているのだから。
ノビルという根草も、名づけ者の土地で育てることはできる。
見分ける必要もなく、簡単に食べることもできるだろう。
だが、それではなぜだか、兎からすると味が落ちるのだ。
たとえ蜘蛛たちに採らせたとしても、同じ結果だった。
取り方の問題ではない、何か別の要素がある。兎もそのことには気づいていた。
名づけ者から直接もらうときだけ、格別に旨く感じる。
その理由は分からない。だが、事実として旨いのだから、仕方ない。
ならばと、兎は決意する。
弱い聖族である名づけ者を、もう少し見てやるのも悪くない。
たとえ、逃げてきた場所に自ら向かうことになったとしても。
25/05/17
改行部分を多く入れて内容を修正しました
長くなってしまいましたが、話数の関係で分割せずこのままにします




