祭りの日
赤月祭当日となると、南端の街もいつも以上の賑わいを見せ始めていた。
満月をかたどった円盤飾りと赤い布で彩られた民家もちらほらと見え、商業者ギルド前ではその二つを売る露店が並んでいる。販売員はギルド職員のようで、リュクスが以前顔を合わせたキャロラインの姿もあった。
冒険者たちも、いつもの依頼まみれの日常から解放され、今日ばかりは朝から体を伸ばしている。
普段は日が暮れてから賑わう酒場も、今は外にまでテーブルが出され、温い安酒を煽る冒険者たちの笑い声が通りに響いていた。
喧騒を楽しみながら街を歩くリュクスだったが、特にめぼしいものは見当たらない。露店で売られている食事もいつも通りで、王都で見かけた円月焼きの姿はなかった。
「円月焼きか。懐かしいな。あれは王都でしか売られない、赤月祭の特別な菓子だな。」
「そうなんですね。いろんな種類があったんですけど、結局手には取らなかったんですよね。」
「そうなのか?安くてうまいんだぞ?…まぁでも、お前なら似たものを作れちまいそうだ。」
赤月祭で華やかに飾られた冒険者ギルドは、外とは対照的に中が閑散としていた。
そんな中、受付で一人作業をしていたドーンに、リュクスが声をかけたのだ。
「てかよ、書類仕事は昨日までに全部済ませたが、暇ってわけじゃないんだぜ?他の職員が赤月祭で羽を伸ばす中、受付の守りを任されてんだからよ。」
「でも、他の冒険者はいませんよ?」
「あたりまえだろ。祭の日にわざわざ職場に来たがるやつはいねぇよ。とはいえ、何が起こるかわからねぇから、完全に誰もいないのもマズいのさ。」
「なるほど。ーンさんは朝からお酒飲まなくてよかったんです?」
「酒は好きだがな。俺は朝から飲むより、夜にゆっくり月見酒としゃれこむつもりさ。…まぁ、いつもの安酒だけどな。」
少し残念そうに酒瓶を振るしぐさを見せたドーンに、リュクスはコネクトポーチをあさり始めた。
取り出したのは、透明な瓶に入った無色の酒だった。
「もしよければ、これとかどうです?あんまり数がないので、一本だけしか渡せませんけど。」
「それは、酒か?やけに透明だが…」
「はい。リザードマンが作ってくれた米酒です。基本的には料理酒として使ってるんですけど、良ければ飲んでみてください。」
「米酒?よくわからんが、ちゃんと酒なんだな。ありがたくもらっとくぜ。」
ドーンは透明な米酒を受け取ると、自身のポーチにしまい込む。
すると、リュクスの頭上から、目ざとい指摘が飛んできた。
『おい。己が飲む分ではないだろうな?』
「あれは料理用の分。レイトの分はちゃんと別にあるよ。」
『ならよい。』
「…待て。まさか、そのサチュレイトフォーチュンラビットが今の酒を飲んでるのか?」
「え?えぇ、飲んでますよ。家にいるときに時々。」
「そ、そうなのか。料理用って言ってたが、お前は飲まないのか?」
「僕はアレルギー…じゃなくって、飲むのは無理なんです。」
「飲むのが無理?あぁ、酒が毒になる体質か。珍しいが、そりゃ飲めねぇな。」
ドーンはアレルギーという言葉こそ理解できなかったが、リュクスの説明で納得した。
そして、酒を楽しめない彼に少し同情的な目を向ける。だが、リュクスは首を振った。
「元々、飲むことに興味もなかったので、あまり困りませんでした。でも、料理にはよく使うんですよ。」
「お前が作る、酒を使った料理か…気になるな。けど、それは平気なのか?」
「はい。火を入れると、お酒にとって大事なアルコールって成分が飛んじゃうので、酔うことはないんです。」
「あー、そういうことか。納得いったぜ…」
短くそう返したドーンは、何か思い当たる節があったのか、しばらく天井を見上げて黙り込む。
その様子に、リュクスは少し困ったように笑いながら声をかけた。
「とりあえず、今日は少し付き合ってくれてありがとうございます。後は夜まで家でゆっくりしようかと。」
「おう!お前は初めての赤月祭だったな。夜を楽しみにしておけよ。」
「はい!赤い月なんて、楽しみです!」
満面の笑みでギルドを後にしたリュクスは、再び南端の街の賑わいを楽しみながら自宅へと戻っていった。
日が暮れ始め、街中が赤く染まる。
いつもなら日が沈み切ったあと、すぐに薄青い月が顔を出す。だが今日は、月がなかなか現れず、雲ひとつない満天の星空の時間が一刻ほど続いた。
「…なかなか出てこないね。」
『そろそろ出る。もう少し待て。』
「あ、そっか。みんなは赤い月が初めてってわけじゃないんだよね。」
『レササの子供たちは主と同じく初めて見ることになりますよ。』
「そうだね。…あ、赤くなってきた。」
モイザの補足に頷いたリュクスは、街が再び赤く染まっていくのを見た。
だが、それは夕暮れの赤とはまるで違う。紫をわずかに帯びた、深く澄んだ紅。
やがて、街の外壁を越えてのぞき込むように、巨大な満月が姿を現す。
空を覆うほどに大きく、欠けひとつないその月が、街を紅玉の光で包み込む。
夜はその輝きに染まりながら、静かにその姿を変えていった。
その迫力と美しさに、リュクスは口をぽかんと開けたまま見上げ続けていた。
兎足で頭をぺしぺし叩かれて、ようやく我に返るほどに。
「すごい大きいね。いつもの月が嘘みたい。なんかすごく近くにあるように感じるよ。」
『そうだな。だが、あれは強大な魔素をこちらに送り込んでいる姿だ。この世界に魔物を生み出したものでもある。』
「…え?そうなの?でも、不思議と嫌な感じはないね。」
『聖族に悪影響があるわけではないからな。だが、遥か昔はこの大陸だけは月の魔素の影響を受けず、魔物が存在しない土地だったそうだ。』
「へー…それも、レイトのお父さんから聞いたの?」
『いや、これは四魔帝となったときに、イギルガブラグから聞いた話だ。』
懐かしむようにレイトも赤い月を見上げる。
他の従魔たちも、静かにその赤月を見上げていた。
そしてリュクスもまた、魅入られるように赤い月を見上げ続けていた。




