深淵の死闘
座してなお二メートルを超える巨体を誇る金獅子のアンデッド。
死者を思わせないほど美しい金色の鬣と、獅子の逞しい肉付きはそのままに、額から生える一本の赤黒い角と背の翼はデモナであることの証。
ほぼ生前の姿を保つ見事な容貌に似合う金のローブには黒の刺繍が施され、黒いファーが彩りを添えている。ほとんど汚れの見えぬその装いは、生前の栄光を物語るかのようだった。
だが、露出した肌の一部はただれ、確かにアンデッドであることを明白にしていた。
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対象:エンペラーリッチキング
かつてデモナの王と呼ばれた存在が、アンデッドの皇帝と化した姿
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「ほう?断りもなく識別とは。」
「っ!しゃべった!?あ、いや、ごめんなさい…?」
「よい。こちらも乱暴な招待をしたからな。」
一度上を向いたエンペラーは、リュクスに向き直るとにやりと笑った。それだけで、リュクスも自分たちが落とされてきたことを思い出し、戦闘姿勢を取る。
『そうだリュクス。こやつに謝罪などいらぬ。己らを落とした張本人だ。』
「そうだよね。わかってる。」
リュクスだけでなく従魔たちも全員がエンペラーをにらみつける。
しかし彼はどこ吹く風とばかりにゆっくりと立ち上がり、その人ならざる巨体を顕にする。座っていた王座のような椅子は、役目を終えたとばかりに砕けて地面へ消えていった。
そしてエンペラーはリュクスに赤黒い目を向ける。
「帝がここにお前を呼んだ理由は簡単だ。このダンジョンからの解放、ただそれだけだ。」
「ダンジョンからの解放…?」
「理解できないか? 帝はこの地の底に落とされ、怨嗟によりアンデッドとなり、三千余年を過ごしてきた。」
『たとえ怨嗟でアンデッドとなろうとも、お前はダンジョンで生まれた存在として縛られた、というわけか。』
レイトが補足すると、エンペラーは頷いた。
「そういうことだ。解放を望んで何が悪い。」
「レイトの言葉がわかるの!?…じゃなくって、まだ聖族に恨みがあるってことですか?」
「帝は魔物だ。魔物の言葉もわかる。…怨嗟などとうにない。初めの十年こそ怨嗟に囚われたが、すでに褪せた。今はただ、解放を望むのみだ。」
穴の開いた天井を見上げるエンペラーの顔には、どこか物寂しさが漂っていた。リュクスも少しだけ同情を覚える。
「…つまり、テイムして、外に連れ出せということですか?」
『お前、何を言い出す!?』
「いや、だって…」
レイトの叱責に肩をすくめたリュクス。しかしエンペラーは不快そうに顔を歪める。
「それは違う。帝はかつて王。誰かの下につくなど反吐が出る。」
「…それじゃあ、何をするんです?」
「簡単だ。お前の肉体をよこせ。アンデッドとなり闇の力で魂の分離を得た。後は、ふさわしき肉体のみ。」
「…そういうことですか。死んでもお断りですよ。」
リュクスから同情の気持ちは一気に消え去った。狙いが自分の肉体だけと聞いて頷ける者などいるはずがない。
だが、エンペラーは不敵な笑みを浮かべる。
「多少は力を持つようだが、魔素頼みなのは上での戦いで見ている。魔素の使えぬお前では、ただ無駄死にするだけだぞ?」
「やっぱり、この魔素封じもあなたの力ですか。」
「そうだ。もっともこれも長年かけて編み出した闇の力の一端。そのうえ、あの忌々しい封牢の内側までしか及ばぬがな。」
エンペラーがにらみつけたのは、遥か上に見える白い柱。
対してリュクスは、そっとベードから降りた。
『主、なぜ降りるのです?』
「…だって、ベードもみんなも魔素使えないんでしょ?一人で行くつもりだよ。」
『吾なら威力は圧倒的に落ちるが、黒炎を吐くくらいできるぞ!』
『やめておけ!先ほどのリッチキングに通用しなかった技の劣化で、あれに通用するはずがない。』
『…わかっている。』
レイトの叱責に、グラドは俯いて呟く。
魔素が使えなくとも肉弾戦なら確かに可能かもしれない。だが相手はエンペラーの名を冠する存在。
本能で理解していたのだ。今の状態で戦える相手ではないと。
『それでも、私は行かないでほしいです。』
『ニだって不安だよー!』
「…大丈夫、何とかしてみるから、巻き込まれないよう、端っこにいてくれる?」
『…託すしかない。この状況でも戦えるという、己らの主にな。』
レイトもリュクスの頭上からベードの背へと移る。
従魔たちを壁際に残し、リュクスは戦う覚悟を決め前へ進み出た。
「意地でも戦うというのか。ならば仕方ない。殺してから奪うとしよう。」
エンペラーが、何もないはずの背から引き抜くような動作を見せると、その右手にはサイスと呼ばれるような大鎌が握られていた。
長くまっすぐ伸びた柄は雪のように白く美しいが、鋭く曲がった刃は魔物の瞳を思わせる赤黒い色を帯びているため、いびつさを感じさせる。
「そんなもので僕の体を切ったら、入る肉体がなくなっちゃいますよ?」
「ふっ。ばらばらにする前にお前は絶命する。その後で肉体を修復すれば済む話だ。」
「…それは困りますね。でも、勝つ手段はありますから。」
「ほう?良い威勢だ!」
振り下ろされた大鎌を、リュクスはまさかの無手のまま両手で受け止めた。
素手が刃を受け止めたとは信じがたい、金属音のようなガキンという音が響き、エンペラーは目を見開いた。
「…まさか、魔素によるスキルアーツを発動しているだと?お前の体はどうなっている。」
「さぁ、できるんだからできるんですよ。」
意地悪くにやけたリュクスに、エンペラーもまた邪悪な笑みを深める。
「ますますほしくなったわ!」
「それは不都合ですね!」
そこから大鎌と素手による激しい打ち合いが始まった。
当然、間合いは大鎌が圧倒的に優位。しかしその巨大さを感じさせぬほどしなやかな動きで、エンペラーは自在に鎌を操る。
リュクスが鎌を弾けているからくりは、ディメンジョンスラッシュを腕に纏わせているためだ。
魔素を放出することはできなくても、纏わせるだけなら可能。グラドが翼にウィンドスラッシュを纏わせていたのを参考に、落下中にとっさに編み出した応用技だった。
時には鎌を手刀のように弾き、あるいは掴みにかかる。だが見抜かれたように交わされ、追撃といわんばかりにエンペラー本人を狙うが、逆に脇を狙って斬り込まれる。それをリュクスは咄嗟に纏う個所を増やして防いでみせた。
一進一退の戦いに見える拮抗勝負だったが、時間がたつにつれ、リュクスは徐々に息が上がっていった。
「魔素の消耗が激しそうだな!帝の魔素封じがまったく効いていないというわけではないらしい!」
「っ!どうでしょうね!」
エンペラーの指摘は正しかった。
纏わせているだけのはずなのに、ディメンジョンスラッシュは異様な速度で魔素を食う。出力を細かく調整し、消耗を抑えようと必死に試みているが、出力を落とせばあの赤黒い大鎌に切り裂かれる未来しか見えない。
一方のエンペラーには、疲れの色は一切ない。アンデッドゆえ疲労は無縁、加えてその魔素量は底知れない。
やがて互いに大きく弾き合い、距離を取る。
その瞬間、エンペラーは大鎌を大きく振りかぶった。
「これはどうする!」
振り下ろされると同時に、空気が震える。
鎌から放たれたのは、先ほど見た黒い靄。しかしその色はさらに濃く、速度も比べものにならないほど速い。
「自分では魔法が使えるの!?」
「あたりまえだ。これは帝以外の者の魔素を封じる術だからな。」
「…まぁ、そりゃっそうだよね。でも、ディメンジョンウェア!」
リュクスは空間術の膜を全身に纏い、防御姿勢を取る。
これでどこまで防げるかは賭けだが、踏ん張るしかないと考えていた。
「そんな防御で、後ろのものも守れるのか?」
「え?」
エンペラーの言葉に黒い靄を見直す。どう見てもリュクスだけを飲み込む規模ではない。空間全体を覆い尽くす勢いだ。
背後を振り返ると、不安げにこちらを見つめる従魔たち。
その瞬間、リュクスは走り出していた。
「ヘイスト!」
時術で自らの動きを加速させる。
打ち合いの隙に飛びかかるために温存していた術。だが今はそれを仲間を守るために使う。
覚醒したとはいえ、この技の負担は大きく、最大速なら持って十秒。その十秒を、靄より早く従魔のもとへたどり着くために費やす。
「ディメンジョン、ウェアァァァァ!」
気合を込めた叫びと共に、紫の光がリュクスの全身を包む。
両腕を広げ、迫りくる黒い靄を真正面から受け止めた。
『主!』
従魔たちの声が飛ぶ。
ヒュマであるリュクスが、黒い靄を大きく逸らしたことで、巨狼ベードも巻き込まれずに済んでいた。
靄と空間膜がぶつかる場所から、無数の棘が生まれる。
棘というにはあまりにも鋭利で太すぎるそれは、時折リュクスの防御を突き抜けて襲いかかる。
腕をかすめ、ローブの中で小手が軋む。
頬を裂かれ、赤い血が流れる。
ローブも切り裂かれ、布切れが宙を舞う。
それでも黒い靄は止まらない。エンペラーが生み出し続けているからだ。
このままでは崩壊すると、リュクスの理性が警鐘を鳴らす。
「…ふざけるな。」
このままでは自分が死ぬと心臓までもが警鐘を鳴らす。
「…うざいんだよ。」
大切な仲間たちの顔が脳裏に浮かぶ。もし自分が敗れれば、彼らも危険だと、大きく目を見開く。
「この、くそ靄がぁ!」
叫びとともに、リュクスの瞳が白く輝いた。
瞬間、黒い靄の動きが凍り付いたように止まる。
「なんだ!?帝の魔法が止まっただと!?」
「靄、うざい。沈め。」
輝く瞳で睨みつけ、リュクスが右手を下ろす。
それだけで、靄は従うように地へ沈み、掻き消えた。
「何が、起こって…」
「お前も、うざい。」
唖然とするエンペラーの懐に、リュクスは一瞬で迫る。
転移だがいつもの比ではない。まばたきすら許さぬ速さだった。
「このっ!」
それでも即座に大鎌を振り下ろせたのは、さすがエンペラーの名を冠するものといえよう。
「その鎌も、邪魔。」
リュクスの拳が刃の真正面から叩きつけられる。
たったそれだけで粉砕音とともに、大鎌は赤黒い破片へと砕け散った。
「馬鹿な!?帝のデモナウェポンが、砕かれた!?この魔素を支配した空間で!?」
「どうでもいい。お前も、砕けろ。」
エンペラーに向かってリュクスが拳を突き出す。
「くっ!…グハッ!?」
エンペラーも咄嗟に後ろへ飛び退き、直撃を避けたはずだった。
だがその瞬間、体は砕け、四肢も頭も散り散りになった。
「な、ぜだ。当たっていないぞ。それよりも、防御壁すら、発動してない…」
「まだ生きてるの?しぶとい…」
転がる頭を見下ろし、リュクスは無感情に紫の光を纏った足を振り下ろす。
粉砕音とともに頭は跡形もなく砕け散り、ばらばらになった肉体と共に消滅していった。




