【ゆりかご】入手
世界でVRゲームが主流となり始めて数年が経った時代。普通の画面に映るゲームよりも、VRゴーグルを通して立体世界でプレイするゲームのほうが何倍も人気となり、ゴーグル内にモニターが搭載されているため、薄型モニターですら売り上げが低迷するような時代だった。
そんな中、日本で今までになかった新たな技術の開発完了が唐突に発表された。それは、カプセル型の睡眠装置を転用したフルダイブVRゲーム機、通称【ゆりかご】である。
その情報は世界中に広まったが、【ゆりかご】は人一人が入れるほどの大きさであり、何より製造数が千台のみと少なかった。さらに、海外への出品が不可とされたため、日本国内のみでテストプレイが行われることになった。
当然、日本だけでも人口は億を超えており、加えて【ゆりかご】を目的に来日する海外客も増加。その狭き門に、多くの人々が不安を抱いていた。
しかし、実際に最終テストへ参加したのは数万人ほどという結果になった。それは、事前に告知されたテストの内容が、あまりにも常識外れなものだったからである。
まず、ほぼ履歴書ともいえる書類を書かされる。過去の住所から現在の住所、氏名、年齢、幼稚園から最終学歴、短期バイトを除く職歴まで、細かく記入しなければならない。さらに、最後の記入欄には【ゆりかご】でプレイできる唯一のゲームである[Different World Diving]、通称[DWD]をどれほどプレイしたいかを記載する項目がある。
[DWD]の内容自体は比較的ありふれたもので、剣や魔法を駆使できるファンタジー世界を舞台にしたMMORPGだ。その壮大な世界観を映し出す映像は全国に放映され、多くの視聴者が目にした。彼らが最も衝撃を受けたのは、まるで現実のように見えるグラフィックだった。
しかし、それゆえに多くの応募者がグラフィックの美しさばかりを強調して記入し、この試験に落とされていた。
次の試験は、どちらかというと実験前のチェックに近いものだった。体毛の抜け毛、採血、指紋、虹彩といった個人情報の採取に加え、現在の健康状態や精神状態のチェック、アレルギー検査、過去の疾患の確認など、多岐にわたる検査が課せられた。
こうした個人情報の提出を伴う試験があることは事前に通達されていたため、[さすがにそこまでは出せない]と試験を受けること自体を断念する者も多かった。さらに、書類審査を通過した後ですら辞退する者は少なくなかった。
そこまで残った者たちに渡されたのは、膨大な量の【ゆりかご】の契約書だった。それも、この時代には珍しい紙の形式である。
翌々日に控えた最終試験は、この契約書の内容をもとにした記入式テストとなる。しかも、不正防止のために試験内容は個々に異なるものが用意されていた。
[なぜここまで厳格にするのか]と訝しむ者も多かったが、ここまで来て引き下がるわけにもいかず、多くの者が翌日を契約書の暗記に費やした。契約書は、日本語・英語・中国語の中から選択できたため、それぞれが読める言語で記載されていたが、それでもA4用紙8ページ分もの量は、目に大きな負担を強いたことだろう。
当然、この最終試験で満点を取ったとしても、合格できるのは千人のみ。何かしらの要因で弾かれる可能性は十分にある。誰もが緊張に包まれながら、合否発表の日を迎えた。
テストの合格と当選の通知を受け取った者は歓喜し、一方で不合格とされた者は涙を流した。中には【ゆりかご】の運営会社にまで詰め寄る者もいたが、契約書に記載されていた[不合格であっても不満を言わないこと]という文面を指し示され、[そういう姿勢が不合格の要因です]と突き返される始末だったという。
巨大トラックによって、当選者のもとへ千台の【ゆりかご】が次々と運ばれていった。盗難や強奪の可能性も懸念されたが、各装置には個人登録がされており、所有者本人以外は使用できないという徹底ぶりだった。そのため、たとえ奪えたとしても、ただの置物にしかならない。
もっとも、【ゆりかご】の外観や構造は、白一色の安眠カプセルそのものであり、寝床としては利用できるかもしれない。ただし、通常なら窓になっている顔の上部にあたる部分が、ゲームを起動する際には完全に閉じなければならないという点が、一般的な安眠カプセルとの大きな違いであった。
そんな【ゆりかご】を満足げに見つめる、一人暮らしの彼もまた、合格者の一人である。地方の田舎に住んでいたためか、【ゆりかご】が届くのは他の人よりも遅れたようだが、彼にとっては些細なことに過ぎなかった。
「やっときた!とりあえず3日分のご飯と飲み物の準備よし!戸締りよし!中でネット開けないみたいだけど、まぁそれはしょうがないよね!」
興奮した様子で冷蔵庫の中身を確認し、玄関と窓の戸締まりを入念にチェックする。パソコンとVRゴーグルを見つめ、一瞬名残惜しそうな表情を浮かべたが、それ以上に【ゆりかご】への期待感が勝っていた。
彼はこの【ゆりかご】でDWDを存分にプレイするため、ひと月の休暇を取得していた。事前に節約しながら資金を貯め、ひと月程度ならコンビニ飯や出前で十分生活できるよう準備を整えていたのだ。
【ゆりかご】でゲームをプレイする際は、肉体はまるで眠るように意識をゲーム世界へと落とすため、スウェットやジャージのような緩やかな衣服が推奨されていた。
そのため、彼は青いパジャマ姿で【ゆりかご】の中へ入り込む。
【ゆりかご】の中には、柔らかく寝心地のいいマットレスが敷かれており、中に入った彼の体は半分ほど沈み込んだ。しかし、このままではただ横になっているだけだ。
彼はすぐさま、透明なガラス部分の横にある取っ手を横にスライドさせる。空気穴は確保されているとはいえ、これで完全に密閉された空間となった。
ちょうど目の前には、青く光る【ログイン可能】の文字。この表示が出ていない限り、たとえ蓋を閉じてもログインすることはできない。どうやら【ゆりかご】には体調や精神状態を測定する機能があり、異常が検知された場合はこの文字が表示されないらしい。
だが、彼にとってそんなことはどうでもよかった。今すぐにでも、フルダイブVRの世界へ飛び込みたいのだから。
「ログイン。」
【ログイン可能】の文字が消え、完全に真っ暗な世界が広がると、中に入った彼の意識はまどろみへと沈んでいった。