第96話「逃走」
「ふー、食った食った」
「意外と美味しかったわね、さあ帰りましょ。 あんたとここで一泊なんてしたら何されるかわかんないし」
「俺も同意見だな、ここでお前と一泊して事が起きるわけがない」
「あんた、殺されたいの?」
ネロの冷徹な視線が飛んでくる。
お前が先に攻撃してきたんだろ、と言いたいところだったがこれもすっかり慣れたものだ。
これは彼女なりの表現方法であり、愛情表現なのだと思うことにしている。
気が強いと思われているが、実のところ彼女は繊細で真面目で不器用。
本性は素直でいい奴なのだ。
彼女は陰口を絶対に言わない。
必ず、本人の前でストレートに悪口を言う。
一見、彼女の性格は悪いと思う人が多いだろう。
ただ、俺はこのネロの性格を尊敬までしている。
人間は必ずしも本音を言うわけではない。
いくら仲良くしていようが心の中では嫌っていることもあるし、言ってはいけない悪いことを心の中で呟いているかもしれない。
それを隠す行為は確かに美徳かもしれない。
しかしネロのように心の中で思う事を素直に言ってくれた方が俺はよっぽど嬉しい。
そしてこの行為は誰でもできることではない。
本人が傷ついてしまう可能性はあるし、果ては関係性が壊れてしまうかもしれない。
それでもネロは本人を目の前にして棘のある悪口を言う。
悪口、というよりネロが思っていることだ。
口から出る言葉が自然と悪口となってしまうことが多いだけで、本人は悪口とは思っていない。
ネロの性格はデリカシーがないだけだと最初は思っていたが、彼女はこう見えて人の感情は機敏に感じている。
だからタイヨウが落ち込んでいた時に真っ先に気が付いていたのはネロだった。
そんな事を気づいてしまう彼女が無神経なわけがないと信じている。
彼女にも、彼女なりの信念があって喋っているのだ。
飾らない女性になるために、ということだろうか。
「やっほ~、お二人さん」
飯を食い終えた俺達の正面に現れた人物は、見知った笑顔を浮かべたイザベラさんだった。
イザベラさんは引率者であったため、今までクエストの事後処理でも行っていたのだろう。
「どうも」
ネロが素っ気ない声で軽く会釈をする。
「事後処理っすか?」
「ええ、今回は襲撃者もいたからね」
イザベラさんは常に微笑んでいる。
この先に起こり得る何かを知っているかのように。
「あ、そういえばネロちゃん。 叔父様が呼んでるって」
「え……」
ネロから漏れ出た声は、声と呼ぶべきなのだろうか。
一種の嗚咽に近い声。
かつてのトラウマを思い出してしまったかのようなそんな声だ。
「叔父様ってことは、ネロの父親ですか?」
言葉が出ないネロの代わりに俺がイザベラさんに尋ねた。
「そうよ」
短い言葉ではっきりと肯定したイザベラさん。
「何で今更になってだ? 俺が聞いていたところによるとネロは捨てられたって聞いたんですが?」
今この場で言葉を選んでいても仕方がない。
そんな事よりも、なぜこのタイミングでネロを連れ戻しにきたのかという謎を教えて欲しいのだ。
「さあね、それは叔父様に直接聞いて頂戴。 でも驚いた、あなたがネロちゃんを庇うなんてね」
唇を少しだけ上げたイザベラさんが俺の【天使の加護】を知っているかのような振る舞いだった。
イザベラさんとこうして喋ったのは、このクエストが初に近い。
なのに彼女は俺をずっと見てきたみたいな口調だ。
それも初めて出会ったときからずっと知っていたかの如く。
「……私はあの家を出ました。 戻る気もないし、もし戻るとしたらその時はあの家を滅ぼすときです」
ネロは俯いていた顔を上げた。
その顔は弱いネロではない。
決意を胸に秘め、悪を滅ぼすために強くなったネロだ。
「そっかあ、でも迎えが来ているみたいよ?」
「え?」
ネロが声を出した時、いつの間にか周りはメイド服を着た女性に囲まれていた。
それも物騒な銃火器をこちらに構えている。
それにただのメイドでもないようだ。
彼女らに隙などは一つもない。
幼い頃からずっと訓練されてきたかに見える。
なぜなら、彼女達は一糸乱れぬ動きをしているからだ。
誰一人輪を乱している者がいない。
立ち位置、歩幅、息の遣い方。
まるで同一人物かのような動きだ。
「ネロ様、お迎えにあがりました」
丁寧な言葉遣いとは裏腹に、メイド達に顔の表情はない。
唯一彼女らの心でわかるものは、ネロを強引にでも連れ戻すという覚悟ぐらいか。
「随分物騒なお出迎えだな」
いつでも戦闘ができるようにと魔力をじんわりと体に流し込む。
隣に立つネロも杖を構え、すでに戦闘態勢だ。
「いいわよ、いつでもかかってきなさい」
しかし、まだその時ではないだろう。
今戦闘を開始したところで勝ち目はない。
メイド達相手ならもしかしたらネロの能力で何とかできるかもしれないが、俺らの正面には『神の実績』であるイザベラさんがいる。
加えて、トルール家は巨大で凶悪。
相手にするのはほぼ一つの大型のギルドと言っても過言ではない。
それに今ここで俺らが能力でも発動した瞬間たちまち俺らは蜂の巣。
ただ、ネロの怒りがこんなところでは止まらない。
向こうが勝負を挑んでくるのであれば、乗っかってやるのが彼女の性格だ。
彼女は何年もの間爪を研いできた、何年もの間トルール家を滅ぼすために修行をしてきたのだ。
だから彼女にとっては晴れ舞台と一緒だ。
自分の力をトルール家に見せつけるには最高の舞台が整い過ぎている。
「あんまり抵抗しないで頂戴ね。 私加減ができなくなっちゃうから」
この言葉はおそらく真実だ。
まあ、それだけ俺達のことを買ってくれているのだと思うとしよう。
イザベラさんにとって魔力が使えない者を相手とするならば赤子の手を捻るようなものだ。
しかし、相手が魔力を使っているとするならば、話は別。
手を抜いて戦えば、自分が危険にさらされる可能性が出てきてしまう。
だから、彼女はわざわざ俺達に警告までしてくれたのだ。
ここで逃げろと、戦ったら命の保証はできないと。
仕方ない。
あんまり、大きな事を立てたくないが今はそれどころではないようだ。
「ネロ、さっさと行け。 お前じゃこの人を止められねえよ」
「はあ? あんたには助けてもらいたいなんて一言も言ってないわよ」
「あのなあ、せっかく俺が格好つけてるんだから女の子らしくさっさと逃げろよ」
一瞬でも決まったと思ってしまった自分が情けなくなってしまうではないか。
トルール家が何を思ってネロを連れ戻しにきたのか、ネロがトルール家に何の恨みをもっているか知らない。
つい最近までの俺ならばこんな場所からさっさと逃げていたし、何ならネロを一番早く渡していたと思う。
なぜ自分が彼女を庇うかなんて、俺が一番聞きたい。
【天使の加護】に所属しているから?
ヤマトさんと約束したから?
仲間、だから?
でも今は俺の禅問答に考えを巡らしている場合ではない。
「あんたには関係ない、これは、私の問題だから」
「その通りだ。 でもなお前を逃がすことも俺の問題なんだから大人しく言う事聞け」
「誰があんたなんかの指示を……」
「っ!」
ネロが言葉を言い終わる前にイザベラさんは俺の元へと攻撃を仕掛けてきていた。
いつの間にか黒のアタッシュケースから魔装武具であるチェーンソーを取り出している。
魔眼を発動してなかったら、イザベラさんがケースから魔装武具を取り出したことすら見えていなかった。
もう彼女は本気で俺達を倒しに来ている証拠だ。
「早く逃げろ、ネロ! お前がいない方がこの人と戦いやすい!」
俺は声を荒らげることで、事の重大さを強調した。
ネロにとっては屈辱でしかない言葉かもしれない。
でもこの状況では事実だ。
ネロを庇いながら、メイド達を牽制し、『神の実績』と戦う。
そんな事は俺にはできないのだから。
「くっ、貸しなんて思ってないから!」
そう言うとネロは能力を発動し、トンネルのような退路を作りだした。
その道をネロは駆け出し、この現場から立ち去る。
銃を構えていたメイド達もネロの後を追っていき、この場には俺とイザベラさんだけ残った。
どうやらメイド達もネロを殺すことまではしたくないらしい。
「あなたはネロちゃんなんかすぐ捨てて逃げると思ってたんだけど、意外と優しいのね」
「そういうイザベラさんこそ、俺は優しさに溢れていると思いますよ」
そうあの瞬間、イザベラさんが攻撃を仕掛けに来る前魔力を発動した最初の人物はトルールのメイド達。
イザベラさんはメイド達が魔力を発動したのを確認したのち、自分の魔力を発動したのだ。
その行動の真意はおそらく、俺とネロを守るため。
この人は見た目よりも優しいらしい。
「ふふっ、やっぱり面白い子ね。 でも、子供っぽくないからあんまりタイプじゃないかも」
イザベラさんは持っていた魔装武具を下ろし、俺の元から離れて行った。
え、今俺さらっと振られた?




