第90話「二つの始まり」
「はあ、はあ……」
自分より格上の相手。
この絶望の味を噛みしめたのはいつ以来か。
目の前にいるのは裏切者で、アルを奪った張本人であるブルシット・ジョークがいる。
「大したことねえなあ、<危険領域>を生き抜いたっていうのは嘘かあ?」
不敵な笑みを浮かべながら、ブルシットは堂々と椅子に座り続けている。
ブルシットは戦い初めてからその椅子から動いていない。
「腹立つなあ」
体が疲れているからか、自然と心にある言葉が漏れてしまう。
ギルドマスターの実力はよく知っている。
【天使の加護】のギルドマスターの実力をこの目で見たばかりであったから。
あのクロガネさんと同程度の実力があると考えれば、椅子に座っていることも納得できる。
でもそんな中でなぜ俺が立っていられるのか。
それは一種の意地に近い。
ブルシットが腰を下ろす椅子の下には磔柱に鎖でつながれているアルがいるから。
だからどんなに痛くても、きつくてもここで倒れるわけにいかないのだ。
「どうする、カナタ・アゼレア」
ブルシットが禍々しい魔力を解放した。
<危険領域>で出会った魔族と同じ魔力。
いや、それ以上の恐ろしさか。
「普通は逃げる状況だが、今回はそうはいかねえ」
俺に残された魔力は残り少ない。
限られた魔力で勝つしかない。
俺は駆け出した。
この世界に初めて闇雲に駆け出した。
アルを取り返すために、アルを救うために。
「それは、単純すぎるだろ」
「うっ……」
しかし俺の英雄譚はここで終わる。
ブルシットから放たれた魔力によって、胴体を貫かれた。
体の真ん中が熱い。
そして、俺の意識もここで途絶えた。
* * *
快晴の空。
透き通った空気。
一年でこれほどない散歩日和だと言うのに、よりにもよって今日は仕事。
「そして、何でよりによってお前なんだ……」
「それはこっちのセリフよ。 なんであんたみたいな奴と一緒にクエストなんて」
ふんっとそっぽを向いた赤髪の少女。
スレンダーな体で、目鼻立ちは整っており誰が見ても美少女と呼んでしまうだろう。
しかし、それは見た目の話。
こいつの性格を知ってしまったが最後、心の中にある邪な感情は砕かれ同時に自身の自尊心もボコボコにされてしまう事だろう。
ツンデレと呼べば聞こえはいいが、いざツンデレの女が近くにいれば俺のこの憂鬱な気持ちを理解してくれるだろう。
「はあーあ」
隣のネロに聞こえるぐらいのため息を吐き出す。
今回俺とネロが呼ばれた理由のクエストは護衛クエスト。
国の王女を王都<セルティナ>から、【慈しみの愛】が守護地である<新しい世界の入り口>まで傷一つなく護衛することが今回のクエストの内容だ。
王都から<新しい世界の入り口>までは、馬の移動で三日程度かかる距離にある。
それをネロと共に過ごすなんて、考えただけでストレスで気が滅入るというものだ。
このクエストは【天使の加護】が依頼を受けた、国指定のクエスト。
このクエストの日、【天使の加護】のメンバーで予定が空いていたのが俺とネロだけであったため仕方なくこの二人で行くことになった。
仮病でも使ってやろうかと考えていたが、クロガネさんに釘をさされ、ヤマトさんにも脅されたので仕方なくこのクエストを受けることとなってしまったのである。
ただ、国指定のクエストには必ず引率となる人物が存在する。
<未開拓遺跡>の時もそうだが、国指定のクエストともなるとそれだけで高難易度のクエストとなるため若手の冒険者を守るためにも引率が存在するのだ。
ただし、難易度が高いから実績がある人物だけを招聘してしまうと今度は人が足りなくなり、クエスト自体の実行が困難となる。
そこで引率となる人物を用意することで俺のような『何もない実績』でも呼べるようし、人手不足という問題を解決しているのだ。
いや、なんてブラック。
普通は俺が受注できないようなクエストに行くなんて、背伸びの域を超えている。
俺の経験など無視し、人が足りないからとい理由だけでルーキーを連れ出す。
上の立場にいるものは好き勝手言いルールを決めるだけでいいが、下の立場である俺からすれば上の言う事にされるがまま。
それに従わなければ仕事がなくなるだけ。
これがこの国のやり方。
いや、俺の元いた世界でもそうだった気がする。
「やっほ~」
それに俺が憂鬱になっている理由はネロや、国指定クエストだからだけではい。
今回の引率もよりによっての人物。
この屈託ない笑顔に、女性経験が少ない男は何度騙されたことだろう。
いや、女性経験が多くてもこの笑顔に騙されてしまうかもしれない。
【慈しみの愛】のエースであり、『神の実績』。
「イザベラさん」
俺が口を開くよりも先に、ネロが口を開いた。
ネロもこの女性をあまり良く思っていない。
ネロ曰く、手のひらの上で転がされる感覚が嫌だとか。
この人の考えている事は読めない。
それはこのクエストに行く前の準備段階でわかっていたことだった。
ネロの言う通り、気づいたらこの人の思うがままに事が進んでいくような気がする。
だからこそ、この人の相手は疲れる。
俺が会話で気を遣うことなどないに等しいが、この人と相対するときは無意識下で警戒してしまうのだ。
「そんな怖い顔しないでよ、ネロちゃん。 楽しくいきましょ?」
ニコニコと笑う顔は完璧と言っていいほどの笑顔。
だからこそ、余計に不自然。
本人は優しさを表面に出しているつもりだろうが、俺からすれば怪しさで塗り固められたような笑顔だ。
「カナタ君も、よろしくね」
「うっす」
俺も最低限の返事だけ済ませ、できる限りこの人と距離を置こうとする。
ネロの向けられた笑顔は俺にはない。
変わりに俺の心を覗こうとするように、黒色の眼で俺の目を見つめてくる。
え、俺の事好きなの?
そんな見つめられたら、好きになっちゃうよ?
「ふふ、楽しくなりそう」
それだけ言い残して、イザベラさんはどこかに行ってしまった。
あぶねえ、あともう少し見つめられたらワンって鳴いてベロ出してイザベラさんの靴を舐めてしまうところだったぜ。




