第81話「憎しみの眼」
ネロはその場にうつ伏している。
指一つ動かさずに。
服も所々破け、白く美しい肢体にも傷が見える。
このネロの姿が先の戦いの規模を示していた。
「うっ……」
全開で魔力を解放したからか、ロアは片膝をついてその場にしゃがみ込む。
ロアの美しい顔にも傷がついており、ロアの様子を見ればどちらが勝ってもおかしくはない。
ついでに水球のフィールドも崩れ去り、ネロとロアを支配していた水球が消える。
ピクッ
「え……」
ロアは目を大きく開き、驚きを隠せていない様子であった。
「こんな攻撃、あの頃に比べれば痛くも痒くもない」
ネロは地面に手をつきながらゆっくりと立ち上がる。
「恨みしか残らない悲しみを経験したこと、あなたにはないでしょうね。 愛するべきはずの家族に裏切られる気持ちを味わったこともないでしょう」
ネロは思い出していた。
トルール家の生活を。
ミアとの数少ない思い出を。
ミアを失った悲しみを。
それを思い出す度に胸が痛んだ。
息もできなくなるほど苦しくなった。
それを知っているからこそ、立てるのだ。
勝たないといけないから。
自分の為に、ミアの為に。
「姉さん何でそこまで私たちの家族を恨むの?」
「……あなたは知らなくていいことよ」
ネロはわかっている。
ここにいるロアは何も関係のないことを。
もっと言うならば彼女も被害者なのかもしれない。
トルール家による過酷な英才教育、ロアはトルールという名を存続させるために作られたいわば人形だ。
それはトルールにいたネロだからこそわかる。
常人では耐えられないものであると。
だから彼女は強い。
だからロアは『黄金世代』のトップに君臨しているのだ。
「教えてくれないなら実力で聞き出すわ!」
ロアは地面を蹴ってネロに近づく。
ロアに残された魔力は残り少ない。
それはロアが近づいて来たからこそ、ネロがわかったことだった。
ネロはロアの攻撃に備えて杖を構える。
ここから殴り合いになると本能がそう言っているから。
杖と杖がぶつかり、木でありながらずしりとした重たい音が森に響き渡る。
ロアの攻撃に意思が宿っていると思うほど、一撃一撃が重い。
しかし、ネロも杖に怒りを乗せていた。
防御無視の殴り合い。
意地と恨みのぶつかり合い。
二人が立っている理由はそれだけで十分だった。
「お父様が嫌いなの!?」
「あの家全部が嫌いなのよ!」
二人の口調も激しさを増し、姉妹喧嘩のようになっていく。
「なんでそんなに意地になってるの!?」
「あんたも意地になってるでしょ!」
杖と杖が激しく激突し、その衝撃により二人の間に距離が生まれる。
(この子、近距離も強いじゃない……)
ネロは口に出すことはしなかったが、ロアの実力は相当高いことを理解する。
トルール家で英才教育を受け、【王の楽園】でも経験を積んだ。
才能だけではここまでなれていない。
才能の上に努力を重ね、そして才能が伸びた結果が今のロアだ。
その才能にネロはどれほど嫉妬したことか。
ロアの活躍を知るたびにネロには激しい嫉妬心が芽生え続けた。
「姉さん、なかなかやるわね。 私も全てを懸けて姉さんにぶつかるわ!」
ロアに魔力が集中する。
「まだ、魔力残ってたの……」
ネロは少しだけ肩を落としてしまった。
これがトルール家次代当主。
ロア・トルールだ。
「『果てのない大航海』!」
再び水球がネロとロアを包み込む。
もうネロに逃げる体力も魔力も残っていなかった。
「この試合が終わったら、ちゃんと家を出た理由を聞くから」
ロアがその言葉だけを言い残し、水の槍がネロを襲った。
* * *
「ミアみたいになるにはどうしたらいい?」
幼いネロはミアに突然質問をした。
ミアみたいな女性になりたいと強く思っているからこそ、ネロはこの答えをしっかりと耳を立てて聞かなくてはならない。
「ネロ様は私みたいにならなくても立派な女性になりますよ」
「私はミアになりたいの!」
ネロが頬をぷくーっと膨らませながらミアを見る。
なぜネロはここまでミアに拘っているのか。
ネロから見れば随分と大人だからか。
気丈に振る舞う彼女の姿が美しかったからか。
家族から嫌われているネロに唯一優しくしてくれた人だからか。
ただ幼いネロにはそこまでの考えまでは至っていない。
しかし漠然としたミアへの強い憧れがこうしてネロの憧れを沸き立たせているのだ。
「そうですね。 でもやっぱり私みたいになるのはやめてください」
「どうして?」
「ネロ様はネロ様らしく育って頂きたいのです」
「んー?」
ネロは考えてみても答えに辿り着くことはできなかった。
「今のネロ様はわからなくても大丈夫です。 大人になった時にこの言葉を思い出して頂ければそれだけで十分ですよ」
ミアは目を細めながら太陽のように微笑んでいた。
でも、やっぱりミアの言葉だけではミアへの憧れは消えなかった。
自分が大人になった時にミアの言葉を思い出そう。
その時にわかればいいとすっと頭に溶けていった。
* * *
(まだ私は大人じゃないし、まだミアにも憧れている。
あの言葉の意味もまだはっきりとはわかってない。
それでも、その答えを見つけるためにも私はトルール家を……)
「トルール家を壊す……」
「まだ立ち上がるの、姉さん」
ロアの顔は引きつっていた。
それもそのはず、あの一撃で確実に仕留めたと思っているはず。
いや、先にも仕留めたと思った瞬間はあった。
それでも何度も何度も起き上がる。
それが恐怖にも感じたからこそ、ロアは驚きが顔に出てしまっているのだろう。
「ロア、あなたに恨みははっきり言ってないわ……」
ネロは再び立ち上がった。
「でもあなたに勝たないと、その上のクソがつくほど殺したい奴に勝てないから」
「何で! 何でそこまでして私たち家族を恨むの!?」
ロアは不安を、恐怖を掻き消すように叫んでいた。
「これは私とミアの戦い、申し訳ないけどあなたはただのトルールに続く道でしかないわ」
「……やっぱり姉さんをここで倒して理由を聞く必要があるわ」
そして能力を発動し再び水球でネロを包み込んだ。
しかし、ロアの能力で発動した水球の中にはネロの姿はない。
「不思議ね、なぜかあなたの動きが手に取るようにわかるわ」
ネロは負けるわけにはいかないと強く願った。
その瞬間からネロの視界はいつもと見えている景色が変わったのだ。
「姉さん、その目……」
ロアのその言葉をネロはすぐに理解することはできなかった。
しかし、水球に映る自分の目を確認して疑問が驚きに変わる。
自分の目が青色に変わっていたから。
ネロはこの目を知っている。
自分が一番知っているのだ。
「複雑な感情ね、過去に私が一番欲しくて今は憎いと思ってる魔眼がこのタイミングで発現するなんてね」
ロアは言葉を失ってしまっている。
「まああんたが驚くのも無理はないわ、私だって意味が分からないもの。 でも今は有難くこのクソほど憎いこの魔眼を使うわ」
魔眼
『青碧の海皇帝』




