第62話「ポチ」
「お兄ちゃんと離れ離れになっちゃうの?」
ポチは今にも泣きそうだった。
この顔を見たら俺にも感動が移ってしまいそうで、すぐに目を反らしてしまう。
ポチはまだ幼い。
それに元奴隷。
家族など覚えてもいないだろう。
だから俺は勝手に親近感を抱いてしまっていた。
お互いこの世界には家族と呼べる存在がいないから。
この異世界に来て、唯一家族と呼べる存在ができたから。
お兄ちゃんと笑いながら微笑みかけてくれるポチが愛おしくて仕方がなかった。
泣き虫なポチが可愛くて仕方がなかった。
寂しくなるという感情が俺にもあったとはな。
五年前から考えれば、こんな気持ちになるとは夢にも思わなかっただろう。
「嫌だ! お兄ちゃんと離れたくない、ないないない!」
ポチは顔がくしゃくしゃになるほど泣き、俺に抱き着いてくる。
俺を抱きしめる手の強さが、俺とポチの思い出を蘇らせた。
何度も何度も俺にこうやって泣きついてきていた。
俺も泣きたかったのに、ポチのせいで泣けなかった。
いや、泣くわけにはいかなかった。
お兄ちゃんとしての役割を全うしないとならなかったから。
その責任があったからこそ、生きられたのだ。
俺が逃げ出してしまえばポチはどうなる。
それを考えるだけで前に進めた。
魔獣に立ち向かえたのだ。
「アザゼル、ポチはこれからどうなるんだ?」
俺は心の寂しさを分散させるようにアザゼルに質問を投げる。
「ポチちゃんには今から私が付きっきりで修行をするよ。 君がやった修行の何倍も厳しいやつをね」
アゼゼルが珍しく真剣な顔をしていた。
ということは本気でポチに稽古をつけるつもり。
この言葉は冗談ではない。
「飯は出るのか?」
「もちろん。 それも修行のうち」
「ならいい」
飯を食べるという行為がどれだけ大変なことなのか、身をもって経験できた。
だからこそ、そこの心配さえクリアできれば俺が心配することはない。
それにアザゼルが付いてる。
俺よりも何十倍も、何千倍も強いこいつがいれば大丈夫だ。
それにあの修行は必ず役に立つ。
これから長く苦しい人生が待っているのだから、それを考えればお釣りが出てきてしまうほどに。
それにポチには魔力の才能がある。
俺が教えても少ししか上達しなかったが、アザゼルが教えれば最効率で魔力の使い方をマスターできてしまうだろう。
心配はしていない。
心配など。
「あれ……」
目から一粒涙がこぼれてしまった。
なんでだろうな。
家族と離れるってこんな気持ちになってしまうのか。
「アザゼル早くポチを連れてどっか行ってくれ」
「うん、そうするよ」
アザゼルは立ち上がり、ポチを引きはがす。
「嫌だ嫌だ! お兄ちゃんとずっと一緒にいるもん、ずっと一緒に暮らすんだもん!」
ポチはアザゼルに抱きかかえられながらも、必死に体を揺らして抵抗している。
アザゼルは俺に背を向け、ほら穴の入り口へと向かって行った。
「じゃあね、カナタ。 またどこかで」
「おう。 一応だが礼は言っておくぜ」
微笑を浮かべたアザゼル。
五年間、いや十年間か。
俺を生きていけるようにしてくれた人への少しばかりの感謝だ。
「ポチ!」
泣きじゃくるポチだが俺の言葉を聞いてピタリと泣き止んだ。
「最後までポチって呼んでいたが、今日からお前はティア・アゼレアだ。 泣き虫なお前にピッタリの名前だな!」
俺は満面の笑顔を作って見せた。
涙が止まらない。
それでも最後までお兄ちゃんでいたかったから、俺は笑って見せる。
俺の言葉を聞き再び泣きじゃくるポチ。
「アザゼルの修行に耐えてそれが終わったらまた俺のところまで来い、そん時までに強くなって、その泣き虫直して、お兄ちゃんを助けてくれよ!」
ポチは泣きながら頷いた。
その瞬間に俺の目の前からアザゼルとポチは消えた。
「元気でな……」
人がいなくなった洞穴の入り口を見つめながら、俺は涙を流すことしかできなかった。
* * *
あの時、自分の中の記憶が曖昧だった。
なんせ自分もポチに負けないぐらい泣いていたから。
「おい、ティアはどこにいる」
「え、えっと【天使の加護】のすぐ近くだよ!」
「よりによってか……」
【天使の加護】にはここら辺に住んでいる人々が避難している。
クロガネさんが近くにいるはずだがこの緊急事態となれば遠くへ行ってもおかしくはない。
俺は魔力を使い、全速力でその場へと向かった。
こんなところで死ぬんじゃねえぞ、ポチ。
* * *
「はぁ、はぁ」
ティアは満身創痍で、刀に体重を預けている。
ティアの眼前にはZ級、シェムハザがそこにはいた。
「可愛いのに強いねえ、俺の人形にして持ち帰ろっと」
シェムハザは涼しい顔でティアを撫でまわすように見つめている。
ポチは心底それが気持ち悪かった。
Z級ともなれば一筋縄ではいかないことはわかっていた。
ここらのA級を一掃して体が疲弊していたとはいえ、何とか戦ったもののやはりZ級。
ティアは立ち上がり、刀を腰の横に置き居合の構えを取る。
「まだやる気? 死んじゃうよ」
ニヤニヤと笑ったシェムハザを見た瞬間ポチは切りかかった。
『瞬間瞬殺』
ティアからは放たれた太刀筋は百。
そして能力によって追加で百。
計二百の剣線がシェムハザを襲った。
しかし、その攻撃はシェムハザに掠りもしない。
瞬時に張り巡らされた魔力の糸を切り裂いただけであった。
「まだまだあ!」
ティアは叫びながら、刀を振り続ける。
こんなところでは死ねないのだ。
カナタに、自分のお兄ちゃんに強くなった自分、泣いていない自分を見せていないから。
「うん、根性ある女の子も俺は嫌いじゃあないぜ」
ポチの手が何かに掴まれた。
それに伴って体全体も動かない。
そして体が宙に浮いた。
「はい、捕獲完了っと」
シェムハザは両手を擦りティアを見上げる。
ティアの太ももをじっくりと擦りながら。
「くそっ!」
ティアは何とか抵抗しようとするが、体は縛り付けられているように動かない。
魔力を使おうとするが、ティアに残っている魔力ではこの蜘蛛の巣のような糸からは逃れられなかった。
「さあさあ、どうしよっかなあ」
シェムハザの手は太ももからゆっくりと上に進む。
ティアは恐怖で声も出なかった。
あの〈危険領域〉から恐怖など感じたことはなかったが、急に恐怖心が体と心を支配していた。
ティアはこの状況である人物を浮かべた。
自分を助けてくれた人物を。
自分の命を守ってくれたヒーローの顔を。
「助けて、お兄ちゃん……」
か細く、擦れた声で助けを呼んだ。
「お兄ちゃん、来てくれるといいけどね」
シェムハザが下半身の中心に手を伸ばしそうとしたその時、空からきらりとした光が見える。
シェムハザは即座に後ろへと回避し、その光を避ける。
そしてその光の正体は刀。
純黒の刀身に真っ赤な刀紋。
刀はティアを縛り付けていた蜘蛛の巣状の糸も切り裂いた。
そして空から現れたのは紛れもない、ティアの英雄が舞い降りたのだ。
「おい、俺の家族に何してくれてんだ」
背中しか見えない。
本当は正面から見たい。
それでもその小さくも大きな背中が頼もしくて仕方がなかった。
「お兄ちゃん!」
「久しぶりだな、少年」
ティアのヒーロー、カナタ・アゼレアがこの場に到着した。




