第5話「ヒーロー」
イチルも俺のことはそっちのけで、その青年に対して敵意を向けている。
対する青年もそれに呼応するように、拳を前に構え臨戦態勢であった。
「弱いものいじめはよせ!」
その青年の周りは燃え盛っているかのようにも見える。
それだけこの青年の気合が入っているということなのだろうか。
「今俺は最大にイライラしてんだ、お前からまずはぶっ飛ばす!」
イチルは青年のもとへ駆け出し、走った勢いそのままに殴りかかる。
しかし、青年も反射神経で素早くかわし、逆にカウンターのパンチをイチルにぶつけた。
「ぐっ」
攻撃をもろにくらったイチルであったが、ふらつく様子はない。
攻撃を受けた箇所を手の甲で拭うも、血がついているかどうかなど確認することはしていないことからそこまでのダメージを負っていないと予測がつく。
そして少しの間を置いたところで、再び殴りかかっていくイチル。
「この野郎!」
「うっ」
なんとか青年は腕で顔をガードするも、その重たい拳により後ずさりさせられる。
身長差にそこまでの差異はないが、体格差で見るとイチルの方が上であり、青年が後ろに下がっていった距離を見るとその拳による身体へのダメージが大きいことは計り知れた。
その攻撃を受けた後でも青年の顔つきは変わらない。
イチルに恨みでもあるかの如く、殺気立った目で睨みつけている。
「お前、名前は?」
イチルは不敵な笑みを浮かべながら、青年に対して質問をする。
青年がその質問に対し、気を抜くような素振りは全くない。
「タイヨウ・ステップズだ」
「そうか、お前が。 どこかで見たことのある顔だと思ったら『天使の加護』のルーキーだな」
その答えを聞いたイチルはなにやら納得した様子であった。
『天使の加護』というのは、おそらくこの国でのギルドの一つだ。
詳しくは知らないがこの国には、6つの都市が存在している。
その都市にそれぞれ大きなギルド、通称7大ギルドが存在しているらしい。
今俺がいる都市はプラシアスと呼ばれ、2つの7大ギルドが連なっている。
『王の楽園』と『天使の加護』。
そのうちの1つのルーキーとあれば、知名度があってもおかしくはないか。
「じゃあ、ここでお前をぶっ飛ばせば俺も7大ギルドのルーキーよりも実力は上ってことになるわけだ」
独り言のような言葉を述べるイチルにはもう怒っているという様子は見受けられない。
含みのある笑いを浮かべ、タイヨウをあざ笑っているかのように見えた。
「言っていることはよくわかんねえけど、弱いものいじめはやめろ」
なぜ言っていることがわからないのか、そのまんま解釈すればいいだけではないのか。
この青年はアホであると、俺の頭のなかで勝手に認識された。
その言葉を自分の中に落とし込めていない様子のタイヨウであったが、彼が振りかざす正義に変化はない。
「遊びは終わりだ。ここからは本気で行くぜ――」
その言葉を発した瞬間イチルの周りに魔力が集中していくのがわかる。
それを見たタイヨウという青年も拳を構え、次の攻撃に備えていた。
「こい!」
先ほどまでの比にならない速さでタイヨウとの距離を詰めるイチル。
タイヨウは目線を外すことはなく、ピンポイントでカウンターを狙っているようだった。
そして、絶妙なタイミングで魔力を溜めた拳を正面からぶつけにいく。
しかし、その拳が当たることも掠ることもなかった。
その場にいたはずのイチルの姿が忽然と消えたのだ。
「もらった!」
「なっ――」
タイヨウが振り返ったときには、イチルの拳はタイヨウの頬に届いていた。
そのまま俺がいる場所まで吹っ飛ばされ、地面に激突したときの鈍い音が耳にも届きその痛々しさが伝わる。
そのタイヨウの顔を見れば口の中が切れたのであろう、顎に少しばかり血がついていた。
タイヨウは手で血を拭うが、先ほどの攻撃で呼吸が整っていない。
「大したことないな」
しかしタイヨウは減らず口をイチルに対して叩く。
赤い血が口に溢れようが、表情に余裕はなかろうが、その言葉だけは堂々としていた。
「はっはっはっは。もうお前の負けだ、タイヨウ・ステップズ」
高々に笑い、勝利を宣言するイチル。
まだ一発ぶん殴っただけであるのにも関わらず、大げさなほどの勝利宣言をしている。
タイヨウは立ち上がり、その途端地面を蹴ってイチルと距離を詰める。
大ぶりの拳をイチルの顔面へとぶつけにいった。
ただタイヨウの拳は躱すには十分すぎるスピード。
先ほどのダメージが残っているのか以前までのキレはない。
イチルもタイヨウの拳に合わせて自身の拳を入れる。
が、その拳に合わせ曲芸師のような体使いで背中を反らし、流れのままオーバーヘッドの蹴りをイチルの顔面にぶつけた。
「ぶっ」
その攻撃を受けたイチルが元居た位置から2、3歩下がっていく。
見事。
わざと拳のスピードを落としてカウンターを誘い、自身の蹴りを意識からそらす。
アホそうに見えて、戦闘IQが高い。
たった数秒の出来事であるのにイチルのスピードに適応し、それに対抗するための策を瞬時に体で反映させる。
才能、と呼ぶべきだろうか。
こういうものは戦闘経験をいくら繰り返しても身に着けられるものではない。
加えてそれを実行できる頭と体を持っている。
こいつ、強いな。
「おい、こんなものか」
タイヨウが鋭い眼差しでイチルを睨みつける。
「へっ。お前の蹴りも大したことねえな」
イチルもにやりと笑って見せ、タイヨウが言った言葉を模していた。
そしてこのイチルもまた相当な魔力使いだ。
ここまでの戦いをすぐ傍から見ていたが、そこら辺の一般人でこの戦闘ができる者はまずいない。
魔力を戦闘に生かすことができるのは選ばれたものだけ。
なぜこの二人がこの場所で、出会っているのか。
そう思ってしまうほど、この二人の戦闘は高度であった。
「さっきの言葉取り消せ。俺は負けていない」
「へっ。根性だけでは勝てないってことを教えてやるよ」
イチルの魔力がまた一段と大きくなる。
「どこにこんな魔力隠しているんだ?」
不思議と心の声が漏れてしまった。
それだけこのイチルの魔力量は戦闘を繰り返すことによって魔力量が大きく変化している。
「行くぜ」
イチルが地面を蹴り、凄まじいスピードでタイヨウの元へ駆けていく。
そしてタイヨウの顔面をめがけて、殴り続ける。
攻撃の手を緩めることはなく、反撃する余地も与えずに。
目にもとまらぬ速さとはまさにこのことであろう。
拳が当たれば、もう片方の拳が当たる。
その拳の入れ替えは1秒にも満たない。
防戦一方のタイヨウに反撃の余地はなく、腕で顔をガードすることしかできなかった。
「くっ……」
顔のみを狙ってくるイチルの攻撃でタイヨウの視界はほぼ何も見えていないだろう。
視界が狭まっているせいか、タイヨウも反撃するきっかけを掴めていない。
しかし、連続攻撃に対し隙を見つけたのか腕を顔面のガードから外し反撃を試みる。
が、その時にはイチルはタイヨウの目の前にはいない。
「おらぁ!」
「うっ!」
タイヨウは再度背後から魔力のこもった重たい一撃を浴びた。