第26話「絶望から逃げた先」
「な……」
「え……」
絶句してしまうタイヨウとネロ。
それもそのはず、アーノルドが倒された瞬間を見ていなかった。
いや、見えなかったが正しいのか。
視認できない攻撃に構えるネロ。表情からは焦り、不安が感じとれる。
呼吸も乱れ、肩で呼吸をしており、極度の緊張感が走っているのだろう。
魔獣はアーノルドの重厚な装備を切り裂いた爪をまじまじと眺めている。
「バニシング・サンッッッ!」
自信を奮い立たせるがごとく、炎を身に纏ったタイヨウが余裕を見せる魔獣に対して正面から立ち向かう。
それを見ていたネロもタイヨウの行動に呼応されるように、自身の能力で地面からツタを生やして敵を固定する。
それでも魔獣はニヤニヤと笑うことを辞めず、抵抗することもせず、これから放たれるであろう攻撃をまるで待ちわびているかのようだ。
それでもタイヨウは止まらない。
魔力を拳に溜める。
固定されている魔獣の心臓に向かって自身の最大級の火力をぶつけた。
ツタごと周囲は炎上し、魔獣周辺は炎によって焼かれる。
「はあ、はあ……」
全身全霊を持って魔力を使い切り、タイヨウはその場で片膝をつく。
タイヨウは魔力全部を使い切る勢いで当てた攻撃だった。
凄まじい威力で、近くにいた人物に炎の熱が伝わるほど。
そして炎は消え去り、周囲は白い煙に飲まれる。
ツタが焼かれた後の灰と、焼き焦げた匂いのみがその場に散っていた。
「ヒック」
しかしその煙が消えていき視界も良好になっていくその時、タイヨウの双眸は確かに黒い物体を映していた。
「え……」
そして魔獣はネロの目の前に立つ。
ネロは驚きのあまりか身動きが取れていない。
「ネロ! 逃げろぉぉぉぉぉぉぉ」
タイヨウの叫び声はネロに届くことはなかった。
タイヨウがネロのほうを振り向いた瞬間には、大量の血しぶきが飛ぶ。
「ネロ?」
ネロは大量の血を流しながら、地面に倒れこむ。
地面に鮮血が広がり、ネロから円を描くように赤色の血が広がる。
タイヨウの目からは涙がこぼれ、これほどまでに感じたことのない絶望感がタイヨウを襲う。
そしてその絶望の象徴である魔獣はニタニタと笑うことをやめない。
「ネロぉぉぉぉぉぉ!」
タイヨウからは魔力を感じられず、悪魔に向かって走るのみだった。
しかし、魔力の籠らない攻撃などこの魔獣には通用しない。
魔獣は戦闘に飽きてしまっているのか笑うこともしないで、額にデコピンを当て軽くタイヨウをあしらう。
そのデコピンでさえもタイヨウは数メートル吹き飛び、体がクルクルと回転する。
そして、タイヨウは起き上がることはなかった。
* * *
手も足も出ないとは、このことであろう。
後方に位置し、アーノルド、ネロ、タイヨウの戦いを見ていたイチルは一歩も動けずにいた。
足はガタガタと震えを起こし、頭は真っ白な状態になる。
できていることは魔獣を双眸で捉えることのみだった。
「あ、あ……」
イチルはこの状況を整理する。
【王の楽園】の副リーダーが、喧嘩で負けたタイヨウが、自身よりも格上の二人が呆気ないほど簡単に、いとも容易く屠られている。
どうやって逃げればいい?
いや、この魔獣の速度からは自分は逃げられない。
だからさっき冒険者が逃げた時に一緒に逃げられなかったのではないか。
でもそのおかげでまだ命がある。
ただ自分がこの魔獣に勝てるわけがない。
戦っても死ぬだけ。
死ぬしかない。
今、この場で舌を嚙みちぎって自殺するしかない。
自殺できるのか?
俺は自分から死ねるのか?
何をやっても無駄なのか?
結局、逃げることしかできないのか。
逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ。
「————————違うだろぉ!」
イチルは自身の頬を殴った。
今まで逃げてきた自身の過去を殴った。
デカい口を叩き、それによって自身を大きく見せる。
自分よりも弱い者を倒し、自身の小さくてしょうもないプライドを守り続けてきた。
しかし、自分よりも強い者はこの世界に何人と、何十人と、何百人と、何千人も存在する。
その者と勝負した結果負け、しっぽを巻いて逃げる。
そして言い訳をする。
戦う条件が悪かった、戦う相手が悪かった、相手との相性が悪かった。
(違う)
自分の調子が悪かった、運が悪かった、お酒を飲んでいたのが悪かった。
(違うっ!)
自分が弱かった、ただそれだけのことだった。
一つの真実を隠し、抑え込み、そしてなかったものにする。
反省もせず、また弱い者を狩り、満足感を得る。
そうでもしないと、イチルはイチルを認められなかった。
自分の弱さを認められなかった。
そしてそうやって逃げ続け、逃げ続け、逃げ続けた結果、死に直面してしまった。
(俺のせいだ……)
負けたことも逃げたことも死ぬことも、すべてイチル自身が招いた結果なのだ。
「俺は弱い、弱すぎるぐらいに弱い。だからこそ、もう、逃げねえ」
魔獣は首を傾け、イチルの動向を見届ける。
「誓ったんだ。俺に……」
タイヨウとの戦闘が、ある男に折られた足が、イチルを奮い立たせる。
あの時負けた悔しさが、いつものように逃げてしまったその事実がイチルの震えを、絶望をかき消していく。
自然と頭がクリアになっていき、先ほどまで見えていた景色がより広く、より鮮明に映る。
そしてその双眸でしっかりと魔獣を捉える。
「俺が俺であるために、お前を殺す!」
イチルに魔力が集中していく。
タイヨウと戦った時よりも、大きく、強く、勇敢な魔力が。
今までに自身の奥に隠していた魔力が沸き上がってきていた。
「行くぜ」
もう迷わない。
もう逃げない。
もう、負けたくない。
負けたことが、逃げたことが、自分を強くする。
真の強者へと導いてくれる。
「なんでもっと早く気付かなかったんだろうな」
『最も偉大で小さな一歩』
「ア?」
魔獣がイチルを見失う。
「こっちだよ、バカタレ!」
魔力の籠った大きな一撃が魔獣の後頭部に激突する。
巨大な体躯が吹き飛ばされ、大きな音を鳴らしながら地面を転がっていく。
「まだまだぁ!」
反撃を許さないようにイチルは魔獣と距離を詰め、一撃、二撃、三撃と数えきれない速さで拳を当て続ける。
魔獣は反転しイチルの攻撃に備えるも、ただただイチルの攻撃を受けるのみであった。
魔獣の腕は防御に使われ、その先に伸びる鋭い爪も指についた飾りとなる。
「これで、終わりだぁ!」
そして連発した最後の攻撃にイチルの渾身の魔力を乗せる。
激しい音を鳴らし、眩い光に包まれる。
「はあ、はあ……」
イチルは最後の攻撃を当てた。
当て切った。
自分の渾身の魔力を、過去の悔しさを、後悔を全て乗せて。
「ゲップ」
その攻撃を受けた魔獣は笑っていた。
傷一つ負わず、疲れた様子もなく、笑っていた。
「ははっ。やっぱ勝てねえか」
どうしようもできない実力差。
住んでいる世界がまず違う。
もうイチルには逃げるための魔力など残っていない。
最後に出し切ったので全てであった。
「ア?」
魔獣は自らの体をまじまじと眺めている。
傷など一つもついていないことはわかりきっているはずなのに。
「勘に触る野郎だな……」
魔獣はニヤッと笑い、爪を立てる。
ゆっくりと一歩、また一歩とイチルとの距離を詰める。
(ここまでか、死ぬまでに一回は自分より強いやつを倒したかったぜ)
イチルはゆっくり瞼を閉じた。
これでよかったのか。
これで正解だったのか。
いや、よかったのだ。
この状況、死と直結する戦いから逃げなかった。
今までの自分なら逃げていたから。
それを乗り越えただけでも成長することができたという実感がある。
「まだ死にたくねえなあ……」
イチルは笑った。
イチルは目を瞑りながら涙を流した。
この笑みは絶望からくるものではない。
自分が成長できた、その事実に喜んでいるのだ。
「やるなら、一瞬でやれよ」
イチルが目を開けた瞬間、魔獣の鋭い爪は眼前まで来ていた。
ズドーン!
死んだ直後とはこういうものだろうか。
まだ生きているように、呼吸も、空気も感じられる。
呼吸ができている?
「――死ぬのはまだ早いだろ」
目を開ければ、自分の位置から一瞬で離れた場所まで移動していたことがわかる。
「え?」
そして、目の前に立つその人物の顔を見る。
かつて負けた、逃げた、足を折られた人物。
「よくここまで生きていたな。お前、運がいいよ」




