第14話「徹夜明けはやっぱり寝る」
イチルはこれまでにないほどの恐怖を感じていた。
あの威圧感のある目、雰囲気、そして力。
イチルがここまでの恐怖を感じたことは、一度きり。
過去のトラウマが、イチルの頭を逡巡し、そのせいか体も震えてきてしまう。
一番消したい過去であり、自分の頭の隅に押さえつけていた過去。
しかし、それを思い起こさせるほどの体験をしてしまった。
イチルの性格的に恐怖を感じることは少ない。
それが、イチルの特徴であり、生き様であった。
イチル自身もそれが強みであると自覚していた。
どんなに強力な相手だろうが、どんなに凶暴な魔獣であろうが、怯むことなく戦えていた。
どんなに傷ついても、深手を負っても、逃げることはしなかった。
その自分が人生で二度も逃げることを選択してしまった。
これほどまでの屈辱はない。
―――お前、地獄を知っているか?
この言葉が心にこびりついたように残り続けている。
かつて屈辱を味わった相手からも同じことを言われた。
「逃げたわけじゃねえ」
「兄貴、喋らない方がいいっすよ~」
「すよ!」
右足から出る痛みよりも、心からにじみ出る怒りがイチルの脳内を支配する。
「また這い上がってやる、それが俺であり、俺の生き様だ」
* * *
「あ、カナタ君! いらっしゃい!」
受付嬢のロゼッタさんが今日も元気に挨拶をする。
俺が来るのを朝からずっと待っていてくれたかのようだ。
しかし、俺はその行為に元気に返事をすることはできない。
「って、どうしたのそのくま!」
ロゼッタが俺の顔の異変に気付く。
「あの、昨日の、クエスト、受注、お願い、します」
今にも倒れそうになりながらも何とか言葉を絞り出して、ロゼッタに魂の叫びに近い言葉を伝える。
その魂が疲弊しているため、大きな声を出すことはできないが。
「クエストとかそんなのどうでもいいよ! そっちで一旦座ろ!」
「どうでもよくない……」
受付のカウンターから飛び出すように出て、俺を支えながら席に座らせる。
立つこともやっとの状態であるため、きっとロゼッタさんにはかなりしんどい思いをさせてしまっていると思う。
俺が発した言葉などロゼッタさんは気にしていないようで、体を委ねた形で導かれるまま集会所の隅の席へと向かう。
目が霞んでおり、瞼も三秒に一回は閉じている。
一瞬で寝そうであるのに、なんとかクエストを完了させたい一心からか目を必死に開ける
「もしかして、カナタ君徹夜で遺跡行ってたの?」
その言葉に頷くことしかできない。
「とりあえず、これ」
手に持っていた大きな麻袋をロゼッタさんに見せる。
「これは……」
その袋の中を見たロゼッタさんは言葉を失っている。
なにかめちゃくちゃレアな鉱石でも入ってたっけ。
「君は一体……」
ただもう限界だ。
ロゼッタさんの声が遠く聞こえる。
せめてクエストの受注だけはしたかった。
* * *
「これはすごいね」
「わっ!?」
突然、右後ろから声を掛けられ体が少し浮いてしまう。
ロゼッタがその声の方を振り向くと、可憐な女性が目の前にいた。
「あ、ヤマトさん」
ヤマトはにっこりと微笑むことで、挨拶を返す。
「この子が採ってきたの?」
ヤマトは鉱石が満杯に入った袋を見ながら、顎に手を当てている。
「おそらくですが。私も詳しくは……」
「まあ、この子が他人の力借りて取ってくるとも思えないしね」
その本人の寝顔は、赤子のようにすやすやと寝ていた。
「決めた! この子、うちにもらってくよ」
「え!? 【天使の加護】にですか?」
「うん!」
曇りなき眼でヤマトが頷く。
その言葉の真意はわからなかったが、ヤマトが言っているならと納得してしまう。
なぜならヤマトはこの世界で数人しかいない、『神の実績』なのだから。
「ギルドマスターに聞かなくて大丈夫なんですか?」
「大丈夫、大丈夫。あの人は何やっても許してくれるから。まずはマスターよりも先に私たちの専属の受付嬢に許可とらないとね」
「私にそんな権利はないですけど……」
ロゼッタは基本の受付業務に加えて、この世界にある主要七大ギルドのうちの一つ【天使の加護】の専門受付嬢の仕事も承っている。
そのためヤマトの性格も把握しているつもりだが、やはり彼女は掴めない。
掴めない性格を知っているという意味では彼女の性格を把握しているといえばしているが。
その行動は全く読めなかった。
「その子が起きたら伝えておいて、もう一度【天使の加護】に来てって」
「ヤマトさん、お知り合いなんですか?」
「うーん、知り合いっちゃ知り合いかな」
ヤマトは少し考える素振りをしているが、その表情からは関係性をつかめない。
「彼って、いったい何者なんですかね」
ロゼッタは改めて、カナタの経歴を思い起こす。
十六歳にして、両親もいなければ、それに近しい存在もいない。
それなのに、一人で生きている。
明日のご飯代を稼ぐために、必死に今を生きている。
そしてたった一人で夜の遺跡を探索し、大量の鉱石を取ってくる実力者。
「どうなんだろうね。もっと早く彼の実力に気付くギルドもあっていいはずだけど」
「そういえば彼、一回も集会所使ったことないって言ってました」
「なるほどね。じゃあ、納得できるかも」
ヤマトがその言葉に反応して、微笑を浮かべる。
彼女が何を思って、笑っているのかわからない。
しかし、彼女は常に先を見ている。
それだけはここ数年の付き合いでわかる。
そして彼女の先見の明は、大体当たってしまうのだ。
「とりあえず、カナタ君が起きるまでは私が面倒見ておきます」
「うん、ありがとう」
ニッコリと笑ったヤマトはその集会所を後にする。
それを見送ったロゼッタは再びカナタに目を向ける。
ロゼッタから見ればカナタはまだ少年。
元気に、健やかに生きていく歳だ。
それなのに、彼は本来するはずのない苦労をしている。
それを考えるだけで、ロゼッタは悲しい気持ちになってしまった。




