08 スパルタ授業
前日と同じように午前の勉強をこなして、昼食を済ませる。少し休憩を挟んだら、運動用にと用意されていた服に着替えて鍛錬場へと赴いた。
「お待ちしておりました。セレーネ様」
ゴードルは鍛錬場の真ん中辺りに佇んでいた。顔話わせの時と同じで、細身で紳士的な雰囲気を感じさせるのに、どこかひやりとした空気が漂い、妙に緊張する。
「今日はよろしくお願いします。ゴードル」
「では、まず準備運動をしてから軽く体を動かしましょう」
「はい」
体をくまなくほぐし終わると「ここを走ります。離れずついてきてください」と言われ、鍛錬場の壁沿いを走り始める。
前の世界じゃ運動不足で持久力はなかったが、この体は結構身体能力高そうだから、意外といけそうだ。
そんなことを考えながら、ゴードルの後をついていく。すると、急にスピード早くなった。
「え? わわ……!」
私は慌てて追いかける。数メートルダッシュを続けた所で、今度はスピードが緩んだ。突然のことに足がついていかず、勢いあまって前に飛び出て転びそうになる。
「ぐぇ」
襟首を掴まれ、ぐんっと後ろに引かれた。
「けほっ……ありがとうござ……」
「置いて行きますよ」
ゴードルはそのまま足を止めず走り続ける。戸惑いながらも、私はまた走り始める。先程と同じ様に一定のスピードで走った後、ダッシュ。走った後、ダッシュと何度も繰り返した。
「はぁっ……はぁっ……っ!」
軽く体を動かすって言ってなかった? これ、すごいキツイやつな気がする。
それでもついていかない訳にもいかず、不満を喉の奥へと押し込む。もう鍛錬場を何周したか分からない。息が苦しくなって、もう駄目かもしれない……と思った所でゴードルは足を止めた。
お、終わった……?
私はがくりと膝を折り、床に座り込んだ。息は上がり、話すこともままならない。それに対して、ゴードルは息も切らさず汗一つかいていない。
「キツイですか? 今の運動は楽な方ですよ。本来なら外の高低差がある場所をこのように走りますからね」
マジか……
俯いていると、ゴードルの靴が視界に入ってきた。私は視線を上げる。
「私は相手が誰であろうと、お教えする時に手を抜きません。今以上にキツイ訓練や辛い思いもするでしょう。もしそれが嫌ならば、今すぐにでもレジェ様に指導の緩和を願い出た方がいいですよ」
こちらを見下ろす顔には笑みが浮かんでいる。だが、その瞳の奥には暗く冷たいものが見えた。背中に嫌な汗が伝う。
ウィネットが友好的だったから油断していた。ゴードルはお父様の大きな弱点となりえる私を、生かすか殺すか見定めている……。
ここで楽な道を選べば、いずれ私が障害となった時ゴードルは躊躇いなく剣を振るだろう。
苦しい。でも、こっちの方が死ぬよりはマシだ。それに、私はお父様の死を阻止するために強くなると決めた。得られるものは全部得てやる。
ふーっと深く息と吐き、吸い込むと同時にぐっと足に力を入れて立ち上がった。ぽたりと汗が床に落ちる。
「このまま、指導をお願いします」
私はゴードルの視線を真っ直ぐ見据える。ゴードルは一瞬驚いたように目を見開き、ほう……と感嘆の声を漏らし、顎髭を撫でた。
「ならばこのまま進めましょう。まず最初に学んで頂くのは体術です」
「体術……ですか」
私は首を傾げる。ゴードルは剣を主に扱うキャラだったので、てっきり剣術から入るのかと思っていた。
「素手である程度戦えなければ、武器が手元にない時困りますからな」
「なるほど、確かにそうですね」
ゲームじゃ戦ってる最中に武器を落とすなんてことはないが、現実ではそうはいかないだろう。身一つで出来ることがあるのは大事だ。
構えや動き方を一つ一つ学び、次は実際にゴードルが手を構えた所に打ち込みをする。
「はっ! やっ!」
ぺしんっぺしんっと、なんとも弱々しい音が響く。まだ力も速さもないから仕方がないだろうが、何だか格好がつかない。
何度か繰り返したところで、今度は防御や攻撃のいなし方を教えてもらう。
「では、これから私が指定した箇所を攻撃しますので、先ほど教えたように対処してください。加減はしますので、ご心配なく」
「え、え……?」
「正面胸部、防御」
戸惑う私を他所に、ゴードルは言葉を続ける。とりあえず言われたように防御をしなければと、胸の前に腕を構えた。
しかし、向かってくる攻撃はまるで手を差し出すような優雅な動きをしている。
なんだ、思ったよりゆっくり……
ほっとした瞬間、私の腕の前にきていた手がブレて、どんっと衝撃が走って後ろに弾き飛ばされた。がっ、ごっ、と床に二回ほど打ち付けられ、ざざーっと滑っていく。
「……う……い、た……」
防御をしていた手は痺れ、打ち付けた背中や腕がズキズキとしていた。服は所々汚れたり破けたりして、少しだけ血が滲んでいる。恐らく滑った時に擦ったのだろう。痛みで涙が浮かぶ。
「軽い攻撃だと思って、防御を緩めましたね。その油断が命取りになります。さあ、もう一度」
倒れているのに関わらず、容赦のない言葉が投げかけられる。
でも、確かに油断して力を抜いた私が悪い。痛みに堪えながら、私は式を思い浮かべ魔力を通す。
「“ヒール”」
自分の体に手を押し当て唱えると、痛みが引いていく。昨日魔力量を把握したあと、回復魔法を優先して教えてもらっていて良かった。
起き上がり、もう一度ゴードルの前に立つ。先程の衝撃と痛みが思い出され、体が震えた。それでも、逃げる訳にはいかない。
ぐっと拳を握りしめ、大きく深呼吸をしてから、構える。
「お願いします!」
「では……左わき腹、防御」
またゆっくりとした動きで足が近づいてくる。同じことを繰り返さないよう、今度は力を緩めず腕を構えた。
どっと衝撃はあったが、ずずっといた位置から二、三歩分動かされただけで、吹っ飛ばされるようなことはなかった。
でも、手は痛い!
少しでも痺れを和らげようと、ぱぱっと手を振ってみる。
「次、顔面、いなし」
「……っ!」
お構いなしに、次の攻撃が繰り出される。
休む暇は与えないってこと!?
しかもそれは回数をこなす内に、どんどん間隔が短くなっていき、何度かは防御が完全には間に合わず、最初の時の様に弾き飛ばされた。
「ふむ、では次からは攻撃する場所は言いませんので、自分で対応なさってみてください。貴女から攻撃を仕掛けるのもありですよ」
「もうですか!?」
ゴードルは手を抜いてくれている。とはいえ、私はまだ彼の攻撃を見切れてはいない。こんな状況で手合わせをするのは無茶じゃないだろうか。
「実践に近い形でないと身につかないでしょう。何か問題でも?」
この鬼畜じじぃ……!
ぎっと鋭く睨みつけると、何とも楽しそうに笑われた。
くそう! 意地でも認めさせてやって、姫様は私の自慢の教え子です! とか言わせてやる!
「望むところです!」
そう意気込んだものの、結局は一方的な手合わせとなった。ヒールを魔力枯渇寸前まで使い、オルガから貰っていたマジックポーションを飲んで、また魔力を使い切る。そこまでしたのに私の攻撃は一度も当たらなかった。
「流石にここまでですかね。もう一本マジックポーションを飲ませる訳にもいきませんから。ダリアを呼んできましょう」
「あ、ありがとうございました……」
私は気力だけで立ち上がり礼をする。ゴードルが鍛錬場を出て行ったのを確認して、ばたりと床に倒れた。
「つっかれたぁ……」
ヒールで傷は癒えても疲労感はなくならない。緊張感が解かれたせいで蓄積された疲れがどっと体を襲う。私は重くなった瞼を閉じる。
うとうとと意識が落ちそうになっている中、鍛錬場に入ってきたダリアの「ひ、姫様ー!!!?」と叫んだ声が遠くで聞こえた気がした。