01 小さな出会い
――その昔、ここルドラリウス大陸には天地を操る『始まりのドラゴン』と呼ばれる存在がいました。
でも、そのドラゴンも不死ではありません。彼は自分が死す時に、世界に赤い雨を降らせます。
その雨は、のちに『魔法』と呼ばれる力を人々に与えました。
奇跡の雨だ、神様からの贈り物だと、人々は喜びの声を上げます。しかし、良いことばかりではありませんでした。
動物や植物の中にも、不思議な力を持ち人を襲う存在『魔物』が生まれ、人の中からもその魔物のような見た目や力を持った『魔族』と呼ばれる者達が生まれたからです。
魔族は周りから化け物と呼ばれ、忌み嫌われました。そこに追い打ちをかけるように天災や飢饉に見舞われ、争いが起こったのです。
そして魔族はその戦いに破れ、不毛の大地と呼ばれる場所に追いやられてしまいます。
強力な魔物がたくさん棲み、人の身体を蝕む毒霧が漂う場所。それでも彼等はその地で必死に生き続けました。
「そして長い年月をかけて彼等はその毒霧に打ち勝ち、魔族だけの都市『魔都アズヴァイド』を……自分達の帰る場所を築き上げたのです」
優し気な声はそう締めくくり、ぱたりと本を閉じた。
「難しいお顔をされていますね。絵本とはいえ、やっぱり姫様には少し難しかったのではないですか?」
栗色の髪をまとめ上げた女性が、ベッドの脇に置かれた椅子に座ったまま微笑んだ。彼女はダリア。私の侍女であり乳母だ。
「ううん。すごく分かりやすかったよ」
私はにっこりと笑い返す。
絵本だからかなり簡略化されてはいたけど、私が設定した話と一致している。魔王の娘という私の存在以外は、基本【キミが希う】の世界と同じなんだと改めて実感した。
私は寝転がっていた天蓋付きベッドから、ひょいと下りる。ふと視線を横に向けると、そこには生まれてからまだ二年程だというのに、身長は百センチ程で、父親ゆずりである銀髪はなびくほどに伸び、アメジストのような紫色に輝く瞳を持つ少女が鏡に映っていた。
名前はセレーネ・ロードニクス。
こんなにも成長が早いのは魔族の特性だ。子供は毒霧の耐性が低く、亡くなることが多い。そのため生存率を上げようと体が変質し、六、七歳頃までは人間の半分程の時間で成長するようになっている。
その反動で、のちの成長は緩やかになり長命らしい。父親である魔王もそれなりの年齢の筈だけど、見た目は二十代と言っても通じるだろう。
特性とはいえ、自分がそんな成長をすると変な感じだ。
まぁ、そのお陰で赤ん坊時代が短くて、おむつ替えられたりする恥ずかしい時期が少なかったのは救いかな。
「セレーネ様。ベッドから下りる時は、きちんと靴をお召しになってください。汚れてしまいます」
「あ、そうだった」
室内で靴を履くという習慣がなかったから、つい忘れてしまう。
もう一度ベッドに座らされ、靴を履かされる。
最初はここの人が話している言葉も文字も理解が出来なかったが、子供の吸収力だろうか。だんだんと分かるようになり、今では不自由を感じることはなくなった。むしろ前の世界の影響で、子供としては流暢過ぎるぐらいだろう。
「はい。これでよろしいですよ」
「ダリア。今日は庭に出られそう?」
「そうですね……」
ダリアは一度窓の方に視線を移した。
「今日は霧が薄いですし、少しだけなら大丈夫ですよ」
「ほんと!?」
私はダリアの手を握って、小さくジャンプをした。外は常に毒霧が蔓延しているため、子供は長時間外に出ることは禁じられている。だから、これまで外に出たのもほんの数回だ。
もとの私は出不精だったから、室内で過ごすのは嫌いじゃないけど、ここは娯楽が少ない。それに、駄目だと言われると逆に出たくなるというか。
まさか自分が外に出ることを求めるようになるとは。世の中分からないものだ。
「室内ばかりじゃ気が滅入りますからね。姫様の調子も良さそうですし、一鐘分ぐらいは出られると思います」
「やった! じゃあ、早く行こ!」
ダリアを引っ張って部屋を出る。中庭へは階段を下りて、そこから少し歩く。ゲームの最終ステージなだけあって、このアズヴァイド城はかなり広い。道中すれ違うメイドや兵士に挨拶をしながら、やっと中庭に続く両開きのドア前までやってきた。
城から外へ続くドアには、子供が開けられないよう仕掛けが施されている。ダリアが中央にはめ込まれた石に手をかざすと、石が淡く光りドアがぎいいっと軋む音をたてながら開いた。
少し湿った空気がさあっと流れ込んでくる。うっすら霧がかかった庭へダリアと手を繋いだまま歩いていく。ここの庭は木や植え込みがほとんどだ。花は通路に沿って控えめに咲いている程度。太陽の光があまり届かないこの環境で育つ花は少ないから、こればかりはしょうがない。
少し散策した後、ダリアと一緒に競争をしたり追いかけっこをして体を動かす。それを何度も繰り返していたら、ついにダリアが音を上げた。
「はぁ、はぁ……すみません、姫様。少し休ませてください」
何だか甥っ子、姪っ子と遊んでた時の自分を見ているみたいだ。子供の体力ってすごい……ついていけないって思ってたっけな。
懐かしい気持ちになって、少しだけ胸が痛む。今はここで楽しく生きようって決めたけど、最初のうちはもとの世界の家族が恋しくなって、泣いた日もたくさんあった。
「……どうかされましたか?」
顔を上げると、ダリアが心配そうにこちらを見ていた。
「何でもないよ。私、あっちの方で遊んでるね」
私は笑顔を作り、変に思われないうちにその場から離れる。少しだけ不思議そうな顔はされたものの、追いかけては来ないみたいだ。
ほっと息を吐いて歩いていると、ひらひら……と木の葉が落ちてきた。私は傍にあった木を見上げる。
太い枝や細い枝が何本も生え、青々とした葉が沢山茂っている。そんな中に、薄緑色の何かが蠢いていた。
「……ぎゅわ」
「え……」
鳴き声と共に体を起こしたそれは、四本の手足に鋭い爪を持ち、体は鱗に覆われていて、背中には翼が生えていた。
「子供の……ドラゴン?」
うわあああ、本物だぁ……!
空想上の生き物がそこに息づいている。何だか感動だ。
子ドラゴンは手足を動かしたり、尻尾で枝をはたいたりしている。何だかおかしな動きに、私はじっと目を凝らす。
どうやら翼が木の枝に引っ掛かって、抜け出せなくなっているみたいだ。どうにかしようと奮闘するが、見事にはまっているようでびくともしない。
子ドラゴンはがくりと項垂れた。可哀想だけど、ちょっと可愛い。
うーん、下から少し持ち上げてあげれば抜け出せそうかな?
問題は私がそこまで行けるかどうかだ。まぁ、まずはやってみよう。失敗したらその時にまた考えればいい。
私は気合を入れて、低い位置にある太い枝に向かってジャンプをした。
伸ばした手は見事枝に届いた。次は足をかけて……と考える前に、体がひょいひょいっと動いて、子ドラゴンがいる枝の近くまで登り切ってしまった。
身体能力が高いのかな? それとも魔族だから?
よく分からないけど、目的の場所には来れた訳だし良しとしよう。
視線を戻すと、子ドラゴンは私に驚いているのか、ぱちぱちと目を瞬いていた。こちらを威嚇するような様子はない。背丈は私の頭一つ分低いけど、翼がある分大きく感じる。下から見た時はもう少し小さく見えたから、持ち上げられるかちょっと不安だ。
「翼が挟まって動けないんだよね? 今助けてあげるね」
「ぎゅるる……」
私の言葉が通じたのか分からないが、子ドラゴンはじっとしてくれている。私は一つ息を吐いてから、子ドラゴンお尻の辺りをぐっと下から押し上げた。表面の鱗の感触が何だか不思議な感じだ。
ぐぐっと力を込めて、上へ上へと持ち上げる。
すると引っ掛かりがなくなったのか、するりと子ドラゴンの翼が抜けた。その拍子に、ととっと前に少しだけよろめいたが、すぐに体勢を整えくるりと振り返り、自分の背中を確認している。
「ふふ、良かったね」
「ぎゅわっ!」