11 気配
今日は最後の幹部ギルとの授業、の筈なんだけど……。
「来ない……」
時間になってもギルが部屋に来る様子はない。多少の遅れじゃそこまで心配はしないが、流石に鐘一つ分になりそうだと不安が募る。
「都合が悪くなったという連絡は受けていませんが……」
一緒に到着を待っていたダリアも眉をひそめた。
「来る途中で何かあったのかもしれません。確認をしに行ってきます。姫様はこちらでお待ちください」
一礼をしてダリアは出ていく。誰もいなくなった部屋で、私は大きなため息を吐いて机に突っ伏した。
普通なら何かあればすぐ連絡がある筈だ。あれでも幹部なんだし。
となると、直前になって教えるのが嫌になったのかもしれない。受けてくれた時の反応もいまいちだった気がする。
まぁ言葉数は少ないし、表情もよく見えなかったせいでそう感じただけかもしれないが。
あの時、嫌々でお父様の願いを引き受けてたとしても、それを何の知らせもなしに反故にするようなキャラじゃない……
「遅れた……」
「おわぁっ!?」
誰もいないと思っていたから、突然声をかけられ淑女としてあるまじき声を上げてしまった。顔を上げると、そこには申し訳なさそうに俯くギルがいた。
「ぎ、ギル。いつの間に」
「今、来た……」
そういうことを聞いたんじゃないんだけど……
ノックの音も、ドアを開け閉めする音もしなかった。それとも、私が考え事をしていて聞き逃したのだろうか。
「ええと、ノックをしましたか?」
「いや」
即答され、私は浮かべていた笑顔が引きつったのを感じた。
「……ギル、何故ノックをしなかったのか聞いても?」
「隠密には不必要だから……」
えーと、確かにギルはそういった方面を仕事にしているから、間違ってはいないかもしれない……
でも、それとこれは別のような気がする。
「もし私が着替えなどをしていたらどうするんですか」
「気配で確認している……」
あー、なるほど。それなら不都合な時に入ってくることはないのか……って、納得できるかい!
いつ現れるか分からないこっちは、気が気じゃないよ!
ギルが関わるであろう仕事仲間や幹部の面々、そしてお父様はなんかは、彼の存在を察することが出来るのかもしれない。でも、わたしは違う。
「……ギル。次からはノックをお願いします」
「何故……?」
ギルは心底不思議そうに首を傾げる。
「私はまだ未熟で、あなたが来たことを察することは出来ません。なので、合図もなく部屋に入ってこられると驚いてしまうんです」
「……分かった」
私の説明に納得したのか、ギルは反論しなかった。融通が利かない訳じゃなくて良かった。ゴードルの様な相手だったら、貴女が察せるようになってください。などと言われていたに違いない。
そんな話をしていると、ノック音が響き、ドアの向こうから「ダリアです」と声が聞こえてくる。
「どうぞ」
「姫様、ギル様は到着されている筈だというお話しが……ああ、もうこちらにいらしていたのですね」
ドアを開き、こちら見たダリアは、ギルの姿を見てほっと息をつく。
「本日は姫様のご指導、よろしくお願い致します。では、私は下がりますね。何かあればお声掛けを」
ぱたりとドアが閉まったのを確認してから、私は念を押す。
「今の様にして、入って来てくださいね」
ギルは静かにこくりと頷いた。
「それにしても、こんなに遅れるなんて、来る途中で何かあったんですか?」
「……いた」
「え?」
声が小さくてよく聞き取れなかった。私がじっと見つめると、少しだけ顔を上げてギルはもう一度口を開く。
「授業内容を考えていたら、時間が過ぎていた……すまない」
予想してなかった言葉に、私はあんぐりと口を開けたまま固まってしまった。
「なのに、結局何も思いついていない……。俺は教えるのに向いていないんだ……」
いや、まだ何も始まってないのに、その判断は早くない?
私は呆れつつも、しゅんと落ち込んで体を縮こませるギルを見る。体は大きい筈なのに、何だかぷるぷる震える子犬を見ているようだ。
「教えたい、という気持ちはあるんですよね?」
「ああ……」
なら話は早い。私は椅子から下りて、ギルの前に立つ。
「じゃあ、気配の消し方を教えてください」
「え……」
「それならギルの得意分野ですよね?」
「……そんなことでいいのか?」
「そんなことって、大事なことですよ! 敵にも察知されにくくなりますし、狙われる危険性がある私にとっては、必要なことです!」
まぁ、本当ならそんな危険はないに越したことはないんだけど、お父様が言ってたように、もしもということがある。
「本当に努力しようとしているんだな……」
「? 何か言いました?」
あまりに小さな呟きで、上手く聞き取れなかった。
「いや……あんたがいいなら、気配の消し方を教える……」
「よろしくお願いします」
「大事なのは、呼吸と体の力を抜くこと……。乱れた呼吸や体の力みは雑音になる……」
ギルが実践をしたのか、一層気配が薄くなって、目の前にいる筈なのにいないような不思議な感覚になる。
「魔法は使ってないんですよね?」
「ああ。使う奴もいるが、魔力に敏感な相手には勘づかれるから、極力使わない方がいい……」
純粋に自分の力で習得した方がいい訳か。
まずはリラックスね、リラックス……
深呼吸をして、ふうっと力を抜いてみる。
「まだ力が入ってる……」
「えっと、どこに……ですか?」
「足だな……」
ギルの言葉に従って、足の力を抜くように意識する。そうすると、今度は「腕に力が入ってる……」と言われ、そっちを意識するとまた別の場所……といったように上手くいかない。
「難しいか……」
「はい……」
ギルは顎に手をあてる。その仕草をする時も、衣擦れの音すらしない。完全に染みついている動きだ。それに感心していると、何かを思いついたのかギルは部屋にあったソファーの方へ行き、こちらに視線を向けてソファーをぽんぽんと叩いた。
座れってことかな……?
促されるまま座ると、ギルは視線を合わすように膝をついた。
「立っていると、どこかに力みが生まれるようだから、まず座ってやろう……。気配を消す感覚に慣れる所からだ……」
「分かりました」
ふーっと力を抜き、ソファーに体を預ける。支える力が働かない分、変に意識しないで済む。
「いい感じだ……そのまま、何か一点に集中を向けてみろ……」
そう言われても、顔を動かしたら無駄に力が入りそうだ。目に入る範囲で、じっと見ていられそうなものといったら、ギルしかいない。
不快にさせないだろうか……という不安を抱えながら、彼の顔に目をやる。こんなに近くにいても、その表情は窺えない。
前髪、邪魔じゃないのかな?
キャラのデザインをしたのは自分なのだが、こう顔が見えないとあっちからもこちらが見えてないんじゃないかと疑問になる。
無意識に手が動いて、ふ……とギルの前髪に触れた。その瞬間、ばっとすごい勢いで距離を置かれた。
「……今日はここまでだ」
そう告げられ、何も返せないままギルは部屋を出て行ってしまった。ぱたりと閉まったドアの音ではっと我に返る。
あ、ああああぁぁぁぁぁ……やってしまった!
がばりと自分の顔を手で覆う。
無意識とはいえ、まだそんなに親しくもない相手に、隠している顔を見られるのは当然嫌だろう。人と付き合いの薄いギルが、折角ここまで歩み寄ってくれたのに、なんということをしてしまったのか。
次から来なかったらどうしよう……
そんな一抹の不安を残したまま、今日のギルとの授業は幕を閉じた。




