テーブル 村長と来訪者
今日も外で朝御飯です。
雲が多めで、すっきりとしないお天気。
春の妖精は、嘘吐きで気紛れな性格と言われているので、夕方辺りから崩れるかもしれません。
「あ、村長さん、おはようございます」
「おは~、おはや~」
「ほっほ、ティノもイオリも、元気そうで何よりじゃ」
二巡りぶりに、村長が遣って来ました。
いつもなら二人に相伴して朝食を食べてゆくので、遅めの到着です。
「寝坊ですか? イオリにお願いして、何か包みましょうか?」
「うむ。周期が周期じゃから、足が痛んでしまってのう。思っていたより時間がかかってしもうた」
元気そうに見えますが、村長は80周期を超えています。
立派な白髭の好々爺。
「聖域」の「おこぼれ」で、「下界」の平均寿命は延びましたが、それでも十分に長生きの水準と言えるでしょう。
村長は、ティノが知っている大人の中で、最も信頼している人物です。
イオリも懐いているので、猶の事。
ティノの判断基準は、市井とは若干ずれているのですが、「イオリ優先」は不治の病ですので、これが是正されることはないでしょう。
「村長、座ってください。根本から治すことはできませんが、今ある症状を緩和することはできます」
「うむ。それでは、お言葉に甘えるとするかのう」
村長に席を譲ってから、ティノは「聖語」を刻みます。
風は水を揺らし
水は凍みる
氷は土を覆い
土は食む
雷は火より生じ
火は飢える
「はなはいくにはくご、ろにはさとな、はにじぜごにごにいに、ごにはぜな、ささごにはないじごいろい、いぜはいいな」
これは、「聖語」の「改変」です。
心象をし易くする為に、言葉を入れ替えるのです。
人の営みを自然に譬え、魔力を行き渡らせる技術。
現在ティノが刻むことができる、最高の「聖語」を行使します。
普段は基本を忘れない為に、初期の「原聖語」を刻んでいるのです。
失敗しても、繰り返せばいい。
ティノはそう決意し、更にここから「復刻」を四回行います。
「『大治癒』」
ここまでの「聖語」となると、魔力をだいぶ消費します。
ただ、それもティノが未熟だからそうなってしまうだけで、ランティノールなら「聖語」ーー「力ある言葉」だけで発動が可能だったでしょう。
凍った植物のような、半透明な光が村長の足から生え、風に攫われるように解けてゆきます。
食べ終わるまで、大人しかったイオリですが。
好奇心が抉られるような光景に。
じっとしているなど、不可能です。
精霊のような綿毛を追い駆けてゆき、すっ転びます。
そんなイオリの姿に、笑顔を浮かべていた村長ですが。
「ほっほ、また腕を上げたようじゃのう。ーーさて、話があるので、座っておくれ」
村長がこんな真面目な顔を見せたのは、ーーこれで二回目でした。
忘れるはずがありません。
一回目は。
「お爺さん」が亡くなったときです。
これは、只事ではありません。
「何か、あったんですか?」
「おっき~、おっき~、ティ~ノも、おっき~」
ティノは転んだイオリを立たせてから、そのまま抱え上げます。
椅子に座って、膝の上にイオリを置いて。
イオリが話の邪魔にならないように、後ろから抱き締めて態勢を整えます。
「うむ。村を訪れて来た方がいてのう。その御方が言うには、ランティノール様の知り合いじゃということだが。恐らく、『聖域』から遣って来た『聖語使い』で間違いなかろう。服も上等なものじゃし、わしらじゃ断ることもできん。今は、『通路』で待ってもらっておる」
「『お爺さん』の知り合い、ですか?」
「さてのう、そこはわしにはわからん。ただ、ランティノール様だけでなく、ティノのことも知っておってな。ティノ以外に、誰かいることも知っておったのじゃ」
イオリの存在を臭わせておきながら、イオリの名前を知らない。
イオリのことを知っているのは、村の有力者だけです。
イオリの名前をださずに配慮した。
そのように思えますが、逆もまた、あり得ます。
イオリのことを知って、狙っている輩かもしれません。
「その『来訪者』は、どのような方でしたか?」
「それがのう……」
喋りが達者な村長にしては珍しく、口を濁しました。
「聖域」の「聖語使い」となれば、尊大な人物か将又ランティノールのような威厳に満ちた人物かもしれません。
そんな想像をした途端に。
ティノは会うのが怖くなってきました。
「お爺さん」は、「正しい人」ではありましたが「優しい人」ではありませんでした。
ティノを褒めてくれたのは。
イオリを起こした際の、一回こっきり。
ティノの大切な恩人ですが、苦手意識は今でも顕在です。
「たぶん、ランティノール様の知人の、お孫さんではないかと思うのじゃが」
「え? 孫、ですか?」
「うむ。若い、だけじゃのうて、ーー『絶世』。その言葉の上を行くような美女じゃな。名は、アリス、と言うておったのう」
「ん…と? あれ? ……女性ですか?」
「ほっほ、まぁ、冗談を言うとじゃな。わしも長生きをしておるが、ティノ以上の美人さんを見るのは初めてじゃった」
「冗談でもやめてください」
村長は、場を和ませようとしてくれたのかもしれませんが。
それを受け流すだけの余裕は、ティノにはありません。
真顔で言い返しました。
「して、どうするのじゃ? 会わぬ、というのであれば、わしのほうから伝えておくが」
「いえ、会います。もしかしたら、墓参りーー『お爺さん』の知人が亡くなったことを知らせにきてくれた、とかかもしれません。それにーー」
追い返せば、村に迷惑がかかるかもしれない。
ティノは、喉元でその言葉をとめました。
「村長。そのアリスという女性が今日の内に帰ったら、人を寄越してください。明日、いえ、明後日、女性が戻って来ないようなら、この時間帯に、様子を見に来るようにお願いします」
頭を下げようとして、ティノは途中でとめました。
イオリが村のある方向を見ていたからです。
「おー? なんか~、なつかしーかんじ~?」
「ほっほ、イオリがそう言うのなら、大丈夫なのやもしれんのう」
村長の判断基準も、ティノとあまり変わらないようです。
イオリの言葉で相好を崩した村長は、とんでもないことを言いだしました。
「うむ。アリスさんがティノのお嫁さんになる、とかじゃったら安心できるのじゃがなぁ」
「それは、無いと思います」
ティノは、イオリにーーイオラングリディアに、心と魂を捧げているので、そんなことは天竜と地竜が同時に引っ繰り返るくらい、あり得ないことです。
そんなわけで、即座に断言したティノですが。
「あと50周期若ければ。……そんな軽口も叩けぬような相手じゃ。『聖域』に住む『聖語使い』とは、皆ああなのかのう。身分、とは違う、同じ人間とは思えぬ、大きな隔たりのようなものがあった。まぁ、村の男どもは、のんきに熱を上げておったがのう」
別の意味と受け取った村長は、最後に忠告を残して去ってゆきました。
ティノは、村長の背中を見ながら。
時間が許す限り、考えることにしました。
「亜人戦争」以前、村のある場所は、流刑地でした。
村は「大陸」の南西にあって。
そこから先の「僻地」には、誰も住んでいないとされています。
ランティノールは、生き抜くだけでも困難な流刑地に遣って来て、人々に生きる為の手段を与えました。
その見返りは、食料の提供と、ランティノールの存在を秘匿すること。
その関係は、ランティノールが亡くなるまで続いて。
今は、ティノが後を継ぐ格好になっています。
ランティノールに比べれば、雛どころか、まだ卵の殻をくっつけているような「聖語使い」ですが。
村に裨益している、との自負があります。
ただ、ランティノールと違い、ティノは。
村との関係を続ける意義を、見出せなくなってきています。
今では、食料の提供も、ほとんど受けていません。
村の人々ーー特に若い人たちの視線が。
疎遠になる道をティノに選ばせました。
ーー異物。
彼らの視線が物語っていました。
「聖語」を使うことの代償でしょうか。
いくら村に有益であったとしても、彼らからすれば「よくわからない力」を使う「怪しい奴」なのです。
窮地を救ってくれたランティノールと異なり、ティノを受け容れるだけの強い動機が村人にはありません。
周囲の個人以外に、人づき合いというものを学んでこなかったティノ。
これを打開するのは無理というものです。
イオリという絶対の存在が居ることが、かえって弊害となってしまいました。
ティノのほうでも、村人に近づくだけの動機が持てなかったのです。
村という、閉鎖された環境にいる、力を持て余した若者からすると。
ティノは、彼らが望んでも得られない、「何か」なのです。
「怪しい奴」であると同時に、「特別な者」でもあるのです。
それは周期若い者の、自尊心を傷つけます。
村長が代替わりする頃。
村との関係が破綻する前に。
大人になったティノは、「庵」から旅立ってゆきます。
ティノの隣には、もちろんイオリがーー。
漠然と、ティノはそんな心象を持っていました。
でも、その時期が早まるかもしれないのです。
「人生の目標」を達成する為には、いつか旅立たないといけません。
ーー「聖域」の関係者。
まだ確定ではありませんが、そうであるなら。
「聖域」に行き、「聖語」の中心地で学ぶ機会を得られるかもしれません。
「ふぅ~」
そろそろでしょうか。
座ったまま客人を迎えるのは失礼になるので、イオリを膝から下ろし、立ち上がりました。
心臓に手を当ててみると。
殊の外鼓動がうるさく、自分が緊張しているという事実に。
ティノは、焦燥感に苛まれました。
「く~るぞ~、く~るよ~、く~るかもよ~? イ~オリ~もいっしょに~、く~るくりゅ~!」
「クルクル歌」を歌っているイオリは、楽し気にその場で回転しています。
イオリを見習ったほうが良い。
そう思った刹那にーー。
「う……わ」
視線が強制的に引き寄せられました。
炎のような、いえ、炎そのものでした。
魔力のことを知らない者は、魔力の影響を受けづらい。
ティノは、ランティノールの言葉を思いだしました。
村人は、魔力のことを知りません。
だからこそ、彼女を前にして、立っていることができたのでしょう。
ティノには、魔力そのものが煌煌と燃えているように見えました。
炎の熱で、焦がれてしまいそうです。
腰まである長い髪は、燃え立つような炎の河。
直視した者の魂まで染め上げる、灼眼。
鮮やかな血の色をした唇に、ドレス。
足から尻、腰への優雅な曲線。
その上の、こぼれそうな果実。
ティノの視線は、そのまま近づいてくる極炎にーー。
「……っ!?」
ティノの呼吸がとまりました。
女の視線がティノに向いていたのなら、心臓がとまっていたかもしれません。
ティノは理解しました。
何と、甘っちょろいことを考えていたのでしょう。
想定しておくべきことだったのに。
完全に、想像の埒外でした。
女は、炎そのもの、いえ、炎を纏って尚無尽に焼き尽くす。
「炎…竜……?」
焼けつくような言葉が溢れでた瞬間ーー。
ティノは一歩、踏みだしていました。
イオラングリディアに出逢っていなければ。
あの邂逅がなければ。
ティノの魂は、炎竜の魔力で焼き尽くされていたことでしょう。
地竜の面影が、ティノの一歩を引きだしたのですが。
それは、自殺行為でした。
それをティノが理解したのは。
取り返しがつかない場所まで踏み込んだあとでした。
「あの……」
「邪魔」
無機物に向けた、一言。
小石を蹴るより、いえ、砂粒を踏むより簡単に。
ティノの命は消し飛びました。
「ティノ!!」
昨日、マルと戦っていなければ、ティノの妄想は現実となっていたでしょう。
ティノの前に、跳び上がった、イオリ。
イオリの姿と言葉だけが、ティノにとっての真実でした。
コマ送りのような世界で。
ティノは、イオリとのすき間を失わせました。
そうしないと、弾き飛ばされたイオリに当たって、ティノは死んでしまうからです。
イオリを盾に。
イオリを引っこ抜くように、少しでも衝撃を少なくしようと、身を反らしました。
「がっ!?」
「ぱゃ~!」
何が起こったのか、わかりません。
ただただ、イオリの感触だけを頼りに。
離してなるものかと、イオラングリディアに誓いました。
痛覚が破壊されたかのような、鈍麻。
酩酊しているかのような、揺らめく世界。
でも、そんなことは関係ありません。
生きているのなら。
腕の中にイオリが居るのなら。
目を開け、藻掻き続けなければーー。
彼女の前に立つ資格を失ってしまうのです。
「ぐっ…がぁっ!!」
感覚に乏しい体を、ティノは無理やり起こしました。
自分の体ではないような、頼りなさは。
イオリの存在が吹き飛ばしてくれます。
ひとつひとつ、できることをします。
先ずは、女をーーアリスを見ます。
それからーー。
「……えっと?」
ーーそれから。
何をすれば良いのか、ティノは失念してしまいました。
「いた~っ! いた~っ!」
居た、ではなく、痛い、と叫んでいるようです。
ということで、ティノは先ず、イオリの相手をすることにしました。
「痛いの痛いの、風~竜~っ!」
イオリの額が赤くなっていたので、ティノは摩ってあげました。
すると、イオリは一瞬で笑顔になりました。
「おー! さっすがティ~ノ~、なおった~」
「え……?」
摩っていたイオリの額から手をどけてみると。
本当に治っていました。
ティノは何もしていません。
イオリの額を摩っただけです。
慌てていた、というか、混乱していたので。
「聖語」の「治癒」を使うべきところで、「おまじない」をしてしまったのです。
イオリの傷を治したのは。
地竜であるイオリ自身の力なのでしょう。
当然のことというか、イオリはまったく気がついていません。
イオリの相手をして、心がほっこりしたので、ティノはアリスに視線を向けました。
ティノがイオリに「おまじない」をしている間。
三本の角を生やしたーー竜。
アリスは、右手で自分の目を隠し、動かずにいたのですが。
「あー、ちょっと待ちなさい」
活火山が噴火、もとい美麗な炎竜が命令してきました。
魔力の影響でしょうか。
アリスは声を荒らげているわけもないのに、耳の内側まで燃えてしまいそうです。
天険のごとき表情は緩みましたが、未だ魔力が燃え盛っているので、油断などできようはずがありません。
ティノは恐怖を打ち払い、アリスを直視しました。
額の中央と、左右から、頭部の形に沿うように。
赫赫たる角が、彼女の正体をこれ以上ないくらいに満天下に知らしめるーーと言いたいところですが、ここに居るのはティノとイオリの二人だけです。
無機質ではない、炎竜の感情の籠もった言葉。
それから、胸の中のイオリ。
ティノはやっとこ、冷静の「れ」の字くらいは、落ち着くことができました。
すぐさま鈍い頭を回転させ、指針を決めます。
炎竜が本気になれば、逃げることは不可能。
戦うのは論外、絶望的。
となれば、言葉ーー意思疎通を図る以外に、選択肢はありません。
ティノは一縷の望みをその手に、覚悟を決めたのでした。