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竜の庵の聖語使い  作者: 風結
聖休と陰謀
33/54

学園内  逢魔時の侵入者

 ーー満月。

 十分に闇の勢力下にある、八つ音。

 食事を終えた学園生たちは、寮に戻っています。


「モロウ」


 暗闇に沈んだ世界に馴染むような、ガロの冷たい声。

 モロウは即座にしゃがみ、素早く床を這い、彼とは反対側に立って窓の外を覗きます。


 校舎の二階。

 異常は見当たりません。

 すでに変化の兆しはなく、モロウはガロの言葉を待ちます。


「『聖礼殿(ヴィナー・ヤカ)』の向こうの壁を、誰かが越えやがった」

「規則を破り、外にでていた学園生ーーの可能性はあるが、侵入者として対応する」


 緊急時の為、モロウとガロは「聖語」ではなく、「下界」の言語である「ハルフル」で対策を講じます。

 背負っていた大盾ーー対「聖語使い」用に準備しておいた防具を下ろし、ガロに手渡します。


 今日から、ちょっかいをかけてくる者が現れるかもしれない。


 朝、アリスから警告されていました。

 高つ音から、学園生たちは中央地域へと繰りだしました。

 それは、学園の情報が流出する機会であり、アリスが張った罠でもあります。


 その日の内にとは、精がでるものだ。

 そんな緩んだ考えを最後に、モロウはいつも通り、心を沈めました。

 水面の底に沈めた心は、冷え切って澄明に。

 ーーこれで。

 冷静に人の命を断ち切ることができます。


「どうする? いつも通り、俺が『(おとり)』をやるか?」

「いや、学園に送り込んで、……いや、差し向ける、か? 遣って来るのだから、腕も相応のものだろう。想定通り、近距離からの挟み撃ちでいこう」

「了~解!」


 ガロを先導しながら、モロウは必要なことを伝えてゆきます。

 作戦と指示はモロウの担当なので、これ以後、ガロは黙って彼のあとを追います。


「学園長室の明かりはついていた。校舎は問題ない。ベズ殿の研究室の明かりは消えていた。職員寮も問題ない。男子寮は人の数が多く、ティノ君もいる。女子寮の襲撃を想定し、網を張る。侵入者の無力化が最優先だが、必要があれば殺す。最後に。私たちで対処できないと判断したら、笛を鳴らす」


 相手の正体は知らず、侵入された時点で笛を鳴らしたいところでしたが、それはアリスに禁止されていました。

 ーー「敵」。

 「聖域(テト・ラーナ)」に「敵」と呼べる存在がいるのかどうか、モロウにはわかりませんでしたが。

 奥まで引き込む。

 アリスは「敵」を逃がす気はまったくないようでした。


 男子寮と女子寮の間にある、食堂。

 女子寮側の壁に張りつき、ガロが前にでます。


 ーー居る。


 ガロが手信号で伝えてきます。


 ガロの勘。

 これまで生き抜いてこられた理由の一つです。

 モロウは、無条件でそれを信じることにしています。


 恐らく、「隠蔽」でしょう。

 モロウは何も感じ取れませんでしたが、ガロの指の動きに集中します。

 立てた指は一本。

 侵入者は一人で、小走りで移動しているようです。


 目的は女子寮ではなかったようで、食堂の前を素通りし、男子寮に向かっています。

 ガロが無言で動きだしました。


 食堂を回って、男子寮側に移動。

 「敵」の動きを予測し、モロウは食堂の前まで移動します。

 ーーあとは。

 「敵」が再び、「隠蔽」の「聖語」を刻んだときが合図となります。


「っ!」


 姿は見えませんでしたが。

 男子寮の角の向こうで、淡い発光。

 刻む「聖語」を体か遮蔽物で隠しているのか、満月の下では見逃しかねない蛍火のごとき残光。


 ーー「聖語」を刻んでいる途中。

 「敵」が別の「聖語」を刻み直すか悩むタイミングを狙います。


 「隠蔽」を刻み終えてしまったら、劣勢になります。

 でも、その点をモロウは心配していません。

 ガロがしくじるはずがないからです。


 極力、音を立てないように。

 革鎧を腕で押さえ、上半身を固定、足だけで滑るように体を前に進めます。

 角の向こうから足音が聞こえてきました。

 ガロがあえて、音を立てて走っているのです。


「おおっ!!」


 見えました。

 闇の中の、浮かび上がる影。

 「隠蔽」を使っていないことが確認できます。


 大盾を構え、威嚇しながら突進してゆくガロ。

 「聖語」を刻み直す、「敵」。


 ()()()()は完璧でした。

 そして。

 ここからしくじったことは、これまで一度たりともありません。

 ガロの勘と、モロウの臨機応変な指示。

 もう、「敵」に対抗する手段など残っていません。


 モロウは。

 「聖域」に遣って来て、拍子抜けしたことがありました。

 それは、思っていた以上に、「聖語」に威力や効果がなかったことです。


 神聖な、それでいて凶悪なほど強い、手の届かない存在。

 「聖域」の外から見た「聖語使い」は。

 畏怖の対象であると同時に、憧れのような()()でした。

 自分たちとは違う、「何か」。

 でも、そうではありませんでした。


 「聖語」を使わなければ、外の世界の裕福な人間とさして変わらない人々。

 外ではありきたりだった「不幸」があまり転がっていない、平和な場所。


 そうして冷静に彼らを見てみれば。

 アリスとベズは別格ですが、学園生やそれ以外の「聖語使い」の中に、脅威と判断できる者はいませんでした。

 いえ、一人だけ、よくわからない学園生が居ましたが、ーーやはり脅威とはなり得ないでしょう。


 でも、当然ですが油断などしません。

 少しの油断が、慢心が、死に直結した場面を幾度も見てきたからです。


 左右の指で刻む、二つの「聖語」。

 予想通り、学園生とは異なる、上位の「聖語使い」。

 そう、「敵」は優れた「聖語使い」でしたが。

 積み重ねてきた経験から、モロウは敵の焦燥感ーーぎこちなさを感じ取ります。


 同時に。

 これ以上、引き下がる場所はない。

 そんな必死さも伝わってきます。


 左右どちらの「聖語」も、ガロに向けられています。

 刻まれる「聖語」の淡い光が、闇の束縛から「敵」を解き放ち、姿を露にしました。


 モロウたちと同周期ーー二十半ばの男。

 闇に馴染む為なのか、黒い服を着ていますが、戦士や盗賊といった風情ではありません。


 「聖語」を刻む速さが、学園生のそれと違います。

 他にも、一つ。

 「原聖語」を口にすることなく、「聖語」を刻んでいます。


 想定外。

 それを加味した上で、モロウは剣を右腕ーー利き手に持ち、体当たりを選択。

 男がモロウに気づきますが、「聖語」を刻み直す時間などありません。

 男の、生き物のように動く指がーー。


「なっ……」


 痛みより先ず、混乱が頭を襲いました。

 ーー剣を。

 落とした剣を、しゃがんで左手でつかんでから。

 その行為が間違いであったことを、モロウは悟りました。


 その一瞬が致命的。

 それでも。

 後悔を噛み砕き、命を天秤の片方に載せ、選択しないといけません。


 ガロだけでも生かして家族の許に返すーーと。


「ぁが……っ」


 そう考えた刹那。

 全身を焼かれるような激痛で、立ち上がろうとした足がとまりました。

 体が勝手に反応してしまいます。


 ガロに向けられていた「聖語」から放たれた、「鋭い何か」。

 なぜ想定していなかったのでしょう。

 背後に放つことはできない。

 そんな決まりなどないというのに。

 突風のような音が過ぎ去った瞬間、モロウの右腕は引き裂かれていました。


 鈍いようで鋭い、焼き切れるような衝動を踏み躙って、モロウが顔を上げると。

 右手で「聖語」を放った男は。

 左手で「聖語」を刻みながら、ガロの突進を躱していました。

 刻む指の位置はそのままに、体だけを動かしたのです。


 こんな使い手がいるなんて。

 モロウは信じられませんでした。

 でも、今は後悔している暇などありません。

 刻一刻と状況は変化し、事態は悪化の一途を辿ります。


 左手の「聖語」が発動。

 ガロに対し、「結界」が張られました。

 自分を守る為ではなく、相手を阻む為の「結界」。


 相手が一枚上ーーだったのでしょうか。

 「聖語使い」を侮っていたのでしょうか。

 そんな不必要な雑念を、モロウは焼き尽くします。

 今は、答えなど必要ありません。


 もう、使い物にならない利き腕。

 生きる為に戦い続けた、その先にあったのが、武器も持たない突撃。

 笑えてきます。

 あまりの自分の愚かさに、天を焦がすほどの怒りで笑みが零れます。


「馬鹿野郎……」


 笛を鳴らし、逃げなければいけないというのに。

 それが役割だと、指示したというのに。

 ガロは大盾を投げつけ、それから長剣で「結界」を攻撃してゆきます。


 足止め。

 できるなら、「敵」の無力化。

 命の使い道は決まりました。


 「敵」が一撃でモロウを殺すことができないのなら。

 喉笛を噛み切る。

 もう、痛みなど感じません。

 今なら、あのマルカルディルナーディ相手でも怯むことはない。

 激情のままにモロウが駆けだそうとしたところでーー。


「は……?」


 「敵」が刻んでいた「聖語」がーーモロウの命を刈り取るはずだった淡い光が消え去りました。

 そこに。

 音、がしました。

 何かが、着地するような音。


 「結界」の向こう側である所為か、今も剣を叩きつけ続ける、ガロが立てる音は聞こえないので。

 やけに大きく、音が響きました。

 そして。

 音のあとに、場違いとも言える、耳に心地好い緩やかな声。


「モロウさん。あとで『聖語』で治癒するので、動かないでください」


 言葉とともに、周囲が明るくなります。

 聞き覚えのある声。

 男が光に怯んでいる間に。

 見目麗しい少女ーーではなく、少年は「敵」を打ち負かしーーませんでした。


 光の中で尚、輝く少年は、ガロを一瞥しました。

 その行為が何を意味するのか、モロウにはわかりませんでしたが。

 ガロは野太い笑みを浮かべました。


「ちっ、どこから!?」

「えっと、それは、空からです」

「は……?」


 律儀に答える少年ーーティノ。

 一拍。

 あっけに取られた男でしたが、即座に立て直し、三歩の距離にいるティノと向かい合い、「聖語」を刻み始めます。


「ティノ君!」


 思わず、モロウは叫んでしまいました。

 立ち尽くしたまま、ティノが何もしていなかったからです。

 男は、軽く右足を引いていました。

 ティノが近づいてきたら、蹴りを放つつもりなのでしょう。


 やはり自分が動かなければ。

 再び立ち上がろうとしたモロウでしたが、ティノに笑顔を向けられ、足が(すく)んでしまいました。


 余計なことをするな。


 ティノの笑顔に含まれていた命令を読み取ったモロウは、戦慄しました。

 まるでマルカルディルナーディと遭遇したときのようなーー。


「うがあぁぁっ!!」


 恐怖で冷や汗に(まみ)れたモロウが見たのは。

 渾身の一撃で「結界」を破壊した、ガロの雄姿でした。


「そんな馬鹿な!?」


 折れた剣を抛りだし、ガロは「聖語」を刻んでいた男を組み伏せました。

 それから。

 先ほどとは異なる、ぽっかぽかな笑顔でティノはガロを称賛します。


「ガロさん、お見事です。『結界』は壊れにくいものであって、壊れないものではありません。馬鹿力の勝利です」

「おうっ! って、ん? 馬鹿力?」

「……そこは素直に喜んでおけ」


 そう言ってから、モロウは脇を親指で圧迫しました。

 傭兵時代に聞いた、止血の方法。

 安心した所為か、痛みがぶり返してきます。


「って、こいつ! 指で『聖語』…をぉっ!?」

「ぃぎっ!?」


 腕を捻り上げられながらも、諦めの悪い男が指で「聖語」を刻み始めると。

 口笛を吹くのを失敗したような音のあとに、彼の頬が裂けました。


「ガロさん。要は、『聖語』を刻ませなければいいんです。相手は、人を傷つけようとして『聖語』を刻んでいるんですから、後頭部を殴りつける程度の対応で問題ありません。あと、場合によっては、指だけでなく腕、足や頭でも刻むことができるので、不審な動きに注意してください」

「お……おう」

「ああ、あと、次に抵抗したら、『風刺(ピアース)』を首の横から刺します」


 ーー「風刺」。

 上手く聞き取れませんでしたが、そんなことよりも何よりも。

 モロウは再び戦慄しました。


 首の横から刺す。

 ティノは当たり前のように言っていましたが。

 それは、血で汚れるのを防ぐ為のものです。


 外の世界とは異なる、微温湯(ぬるまゆ)の中で育った「聖語使い」たち。

 それが「聖域」の人々を見てきた、モロウの感想でした。


 あと、ティノは「風刺」を放つ際、「聖語」を刻んでいませんでした。

 腕を上げ、振り下ろしたと思ったら、「敵」のーー男の頬が裂かれたのです。


「まさ…か?」


 ある一つの可能性が思い浮かびましたが、「禁忌」に等しいその言葉を、モロウは喉に至る前に抑え込みました。

 ーー「魔毒者」。

 モロウとガロは、一度だけ「魔毒者」と戦ったことがあります。

 依頼を受け、「魔毒者」を「処理」しました。


 「魔毒者」は命が尽きる、その瞬間まで抵抗し、5人の傭兵が犠牲になりました。

 その内の一人は、貧民街からの仲間だったトウネ。

 あのときの、遣る瀬無さが胸に溢れてきます。

 同じ結論に至ったのか、ガロも鋭い眼差しでティノを睨みつけています。


「……今、何をした…?」

「ガロさん。治癒の『聖語』を刻むので、その人の目と耳を塞いでください」


 男の言葉を無視し、ティノはガロにお願いしました。

 彼がモロウに向き直ろうとしたところで、男が暴れだします。


「ちょっと、まっ、話を聞いてくれ!」

「だっ、このっ、暴れんな!」

「お前たちのような馬鹿にはわかるまい! 私にはーー」

「やめろ、ガロ!」


 モロウは、男の後頭部を殴ろうとしていたガロをとめました。

 男には男の、譲れない何かがあるのでしょう。

 そしてそれは、モロウとて同じことです。


「確かに。私たちはまともな教育を受けていない馬鹿だ。だが、馬鹿には馬鹿なりの誇りがある。ーー大切な家族の為なら、この命を惜しまない。仲間は、絶対に裏切らない。拾ってくれた学園長には感謝している。この学園と学園生を守る為に、命を懸ける。私たちのような馬鹿でも、そのくらいのことはするさ」


 失敗した。

 ガロの満面の笑みを見ながら、モロウは後悔しました。

 ついカッとなって本心を吐露してしまいましたが、じわじわと恥ずかしさが押し寄せてきます。

 どう誤魔化したものか迷っていると、決意を秘めた顔で男が話しかけてきました。


「……すまなかった。だが、聞いて欲しいこと…ぐばっ?!」

「もういいです。傷は治せても、血は戻らないんです。『大治癒(スポンテニアス)』を使うので、僕の気が散らないように黙っていてください」


 ーー蹴りました。

 ーー頬の傷を蹴りました。

 ーー傷口が広がるくらい、強く蹴りました。


 あまりと言えばあまりのことに、モロウは三度確認してしまいました。

 クロウに腹パンしたこともそうですが。

 この少年には人としての優しさがないのでしょうか。

 モロウとガロは、「魔毒者」疑惑をそっちのけに、顔を見合わせてしまいました。


「はなはいくにはくご、ろにはさとな、はにじぜごにごにいに、ごにはぜな、ささごにはないじごいろい、いぜはいいな」

「な……、これは『原聖語』ではない? しかも……ひっ!?」


 言葉を発するーーというティノの集中を乱す行為をしてしまった男は。

 彼にじろりと睨まれ、情けない声をあげました。


 理解できない「聖語」。

 それだけではありません。

 刻み終えた「聖語」を、逆の指で最初からなぞっています。


 上位の「聖語使い」。

 そんな彼が驚愕するような「聖語」。

 初めてティノと会ったときのことを思いだします。

 あのときの気配。

 やはりティノは、只者ではなかったようです。


「『大治癒(スポンテニアス)』」


 「聖語」を四回なぞってから、ティノは「力ある言葉」を発動しました。

 凍った植物のような、半透明な光が腕から生え、風に攫われるように解けてゆきます。


 闇に咲く、幻想花の乱舞。

 精霊のような綿毛が舞う、現実とは思えない光景に見入っていると、不機嫌さを隠さない声が耳に飛び込んできました。


「まだ痛いですか?」

「あ、いや、……痛みはない」


 ティノの言葉に反応し、モロウは腕を回してみました。

 再起不能。

 警備員の職を辞さなければいけないと覚悟を決めていたモロウでしたが。

 多少熱が籠もっている感じはありましたが、腕は元通り、問題なく動かすことができました。


「そっちの人。学園長室に行くまでに、必要なことを喋ってください。今、僕は、ちょっとだけ、機嫌が悪いんです。何で明日ではなく、今日来たのか、先ずそれから説明してください」


 一方的に言い放つと、夜目が利くのかティノは校舎に向かい、すたすたと歩いていってしまいます。

 今度は、二人ではなく、三人で顔を見合わせる男たち。


 ガロは男から手を放し、それだけでなく彼を立ち上がらせます。

 どうやら、ガロもわかっているようです。

 「魔毒者」とかそんなことはどうでも良い。

 ティノの機嫌を損ねないように、大の大人たちは、遠ざかってゆく頼りない背中を慌てて追っていったのでした。

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