空 空の旅路
「乗せてあげるのだから、燃え尽きるほど感謝しなさい」
アリスの恩着せがましい言葉が、旅立ちの合図でした。
竜の絶景。
世界の広さを実感できる、特別な光景です。
何という僥倖。
竜以外でこれを拝める者など、千周期に一人もいないでしょう。
でも、そんな奇跡的な瞬間に立ち会ったティノは。
アリスの角に、がっちりでした。
炎竜なので角は熱いですが、心地好い風が吹きつけているので汗を掻くだけで済んでいます。
立っているのも疲れたので、今は座っています。
アリスが飛び立ってから、四つ時。
ティノはずっと、目を瞑っています。
「ティノ。大きな湖が見えるゆえ。もう一度、試してみるかの」
「……もう、到着までこのままでいいんじゃないかな」
もう二度も試したので、ティノは及び腰になっています。
これまで多くの壁を「努力」で乗り越えてきたティノですが。
こればかりは克服できる気がまったくしません。
「男の癖に、情けないわね。高所恐怖症かしら?」
「高所だけでなく広所も駄目みたいだの」
「……樹の上も、山から見渡す景色も大丈夫なんだけど。……何が駄目なのか、自分でもわからないです」
わからない、と言いつつ、思い当たるものはあります。
本来なら。
少しずつ慣れてゆけば、景色を見ることくらいはできたのですが。
そうは問屋が卸しませんでした。
原因がアリスにあることは、言を俟ちません。
怖がるティノが面白いのでアリスは。
一人と一竜と一獣が乗っている頭を揺らしたり、曲芸飛行をしたりと。
ティノに不必要な恐怖を与え続けたのです。
アリスに文句を言えば、再び恐怖の時間ーー「拷問」を受けなければならなくなるので、ティノは置物になることに決めました。
「わしもこげな高い場所は初めてじゃから。多少の恐怖はあるかの」
「何を言っているのよ。マルっころは魔獣なのだから、『飛翔』くらい使えるのでしょう?」
「必要なかったゆえ、試したことはなかったかの。学園に行ったら、暇なときにでも試してみよう」
「ぱ~や~」
炎竜と魔狼の穏やかな会話に。
「日向ぼっこ」状態のイオリの声が重なります。
イオリを野放しにすることはできないので当然、「イオリ袋」に入れられています。
その「イオリ袋」は、他の荷物と一緒に真ん中の角に結わえつけられています。
「ぱや~?」
アリスがティノを揶揄い、楽しんだ所為でしょうか。
曲芸飛行などの負荷で、「イオリ袋」の紐が緩んでしまいました。
「ティ~ノ~、ティ~ノ~、ティ…ぱぴっ!?」
「え?」
「イオリ袋」から飛びだし、ティノに向かい駆けていったイオリですが。
いつも通りに転んでしまいます。
ティノが目を開けたときには、もう手遅れ。
アリスの竜頭から転がり落ち、背の部分でバウンドしたところでした。
「イオリ!!」
イオリの危機となればティノは。
恐怖など、地の国に投げ捨てました。
即座に立ち上がって竜頭の真ん中に移動し、イオリの姿を捉えました。
「アリスさん!」
「わかっているわよ。竜耳の近くで、そんな大きな声をださないで。打ち返すから、ちゃんと受け留めなさいよ」
「……は?」
あそこまで離れてしまっていては、「聖語」は到底間に合いません。
アリスに頼む、という正解を引き当てたティノでしたが。
アリスの性格については、理解不足だったようです。
「く~るく~る、く~るく~る、おそばっ!?」
イオリは「おそら」と言おうとしたようですが、岩をも叩き割る竜の尻尾の一撃を食らってしまったので、「おそば」になってしまいました。
ただ、「傍」に戻ってくるという点では間違っていません。
アリスの「結界」の外側。
巨大な尻尾で打ち返されたイオリは。
違わず、ティノに向かって飛んできます。
ドヤ顔の炎竜ですが、残念ながら誰もアリスの竜顔は見ていません。
「って、無理!!」
「く~るり~ん、く~るり~ん、りんりん、く~るり~ん」
イオリを受け留める為に魔力を纏ったティノですが。
この度も正解を引き当てました。
アリスは音速の半分の速さで飛んでいます。
打ち返されたイオリが戻ってくるということは。
それより早く移動しているということです。
投石紐や弾き弓から放たれた弾の比ではありません。
ティノもアリスに乗って移動しているのでわかりにくいですが。
下手すると、「イオリ弾」でティノの体は木っ端微塵になってしまいます。
地竜であるイオリの体は、「弾」としては破壊力抜群です。
「仕方がないかの。わしが受け留めてやろう」
「お願いっ、マル!」
「それでは、耳を塞いでおくかの」
マルは無難な方法を選びました。
一巡りぶりに「縮小化」を解き、もとの巨大な狼の姿に戻ったマルは。
ティノが耳を塞いだのを確認してから、魔力を多目に含んだ咆哮を放ちます。
マルの力量なら、威力を調節し、イオリを直前でとめることも可能だったのですが。
ここで誤算が生じました。
そう、「イオリ弾」は回転していたのです。
「りんりん」と、風を引き裂く音を発しながら、「く~るり~ん」と高速回転していました。
魔獣の鋭い感覚で、それを察したマルは。
命の危機を回避する為に、全力での咆哮に切り替えました。
「オオオォォォーーーっっっ!!!」
こんな間抜けな死に方。
死んでも死に切れません。
このままではティノの、いえ、マルの望みが潰えてしまいます。
寿命を削る覚悟で、マルは魔力を絞りだしました。
ティノもマルも。
アリスに頼めば良かったのですが。
混乱した一人と一獣は。
呆れて鼻息を吐いたアリスには、到頭気づくことができませんでした。
ついでに。
妙案が浮かんだ。
炎が灯ったかのように、アリスの表情は明るいものに変わっていたのですが、こちらも彼らは見逃してしまいました。
「オオオォォォーーっ、うぐっ!?」
「ぱっく~り?」
何ということでしょう。
地竜は魔狼に食べられてしまいました。
でも、食べられたイオリよりも、食べたマルのほうが大慌て。
「ワヲっ!?」
竜がいくら巨大とはいえ、竜頭に乗るにはマルは大き過ぎました。
イオリが口に飛び込んできた勢いで足を滑らせたマルは、とっさにアリスの左右の角に爪を引っかけました。
「ちょっ、このっ、犬っころ! 角に爪を立てるんじゃないわよ!」
「ワヲっ、ワヲっ!?」
「禿げるまで燃やすわよ!!」
「マル! イオリを吐きだしてから小さくなって!」
珍しく、ティノは的確な指示をだしました。
イオリが係わっているので判断力がーーこの度は良い方向に転がって、迅速果断。
でも、残念ですが、物事というのは。
たった一つの出来事で、思いも寄らぬ方向に転がり落ちてしまうものなのです。
「相わかった! 今、イオリ…ヲっ!? いかんっ、イオリが喉の奥に移動して……あ」
アリスが遣って来てからずっと料理をしていたイオリは、探検や宝探しができませんでした。
皆が褒めてくれるので料理は好きなのですが、イオリは他のことも大好きなのです。
それが、引き金になってしまいました。
魔狼の口腔という未知の場所で、冒険心がムクムクと溢れだしてしまったイオリ。
同時に。
マルの爪の感触に耐え切れず、首を振ったアリス。
「ワヲォ~~」
はい。
マルは落ちていきました。
もちろん、口内のイオリも一緒です。
「アリスさん! イオリとマルを追ってください!」
「心配しなくても、あれくらいで死にはしないわよ。それにしても、イオリは良い仕事をしてくれるわね」
「え? いい仕事?」
巡ってきた好機に、思わずアリスは口を滑らせてしまいました。
でも、イオリが居なくなってしまったので、ティノの直感もお寝んね中。
アリスが首を振ったので、転んでしまったティノ。
わたわたしながら急いでアリスの角に戻って、がっちりつかまると。
アリスの真意を察することなく、彼女に愚痴をこぼしました。
「はぁ、これもイオリに料理しかさせなかったアリスさんの所為ですよ」
「何よ。イオリだって喜んでいたじゃない」
「イオリは好奇心旺盛なんです。得意不得意にかかわらず、色んなことをするのが楽しいんです。日課の、探検や宝探しだってできませんでした」
「宝探しって、何?」
尋ねてから。
なぜ聞いてしまったのか、アリス自身、疑問に思いました。
あの、特殊な「僻地」。
未だ解けない謎の答えを求めてしまっていたのかもしれません。
「森に遺跡があるんです。僕が『聖語』の鍛錬をしている間、仕事の手が空いたときの、イオリの趣味みたいなものですね」
アリスの心の動きに、鈍感なティノが気づけるはずもありません。
求められるままに、素直に話しました。
「それで、宝物は見つかったのかしら?」
「はい。『庵』にある桶の上の『石』は知っていますよね」
「ええ、あの真っ二つに割れた『石』ね」
「あれはイオリが頭で割ったものですけど、あれも遺跡の『術具』の一つです」
「……何ですって」
「他の『術具』は、『倉庫』に置いてあります」
またぞろ、アリスは頭が痛くなってきました。
「ちょっと待ちなさい。『施設』の『倉庫』に、そんなモノはなかったはずよ」
「え? ありますよ。『倉庫』の奥の左側に積まれていたのがそうです」
「……アレ、不用品じゃなかったのかしら」
確かに覚えています。
しっかりと記憶しています。
無造作に積まれていたゴミ、ではなく、「術具」。
まさか宝物を見逃していたなんて。
そんな事実に。
アリスは、そのまま墜落してしまいたい気分になりました。
「アレ。もしかして『原型の術具』なのかしら?」
「さぁ、どうなんでしょう?」
「『さぁ』って。ティノ。あなた『原型の術具』の価値がわからないの?」
「はい。わかりません」
ティノは素直に答えただけなのですが。
アリスは絶句してしまいました。
ランティノールが所有していた「術具」となれば、「原型の術具」である可能性は弥増すというものです。
現在、出回っている「術具」の「原型」。
その価値は計り知れません。
「あのね、『亜人戦争』で『原型の術具』は行方不明になってしまっていたのよ。『亜人戦争』は、大陸から始まって大陸で終わったから、大陸にあるはずなのに。未だに一つも見つけられていないわ」
「う~ん? でも、そんな貴重なものなら、『お爺さん』もあんな雑な扱いをしていなかったんじゃないかな」
確かに、ティノの意見には納得がゆきます。
でも、物の価値というものは人によって異なります。
「聖語」を創ったあとのランティノールには、必要のない不用品だったのかもしれません。
「ーー戻るわ」
「ちょっ、待ってください! イオリもマルもまだ戻ってきていませんし、というかっ、そろそろ迎えに行ってあげてください! じゃなくてっ、マースグリナダ様のところに寄って行くんですよね! だったら、入園式に間に合わなくなってしまいますよ!」
こんなところで引き返されては堪ったものではありません。
もしアリスが引き返したら。
それだけ長く、空の旅が続いてしまいます。
また、それだけでなく。
空に居ることが影響しているのでしょうか。
催すーー竜を見に行きたくなってしまったのです。
「ちっ、仕方がないわね」
ティノが言うことも尤もなので、アリスは諦めざるを得ませんでした。
それにイオリとマルが居ない、この好機を逃すわけにはいきません。
その為に、「結界」を解き、マルを湖に落としたのですから。
「ティノ。あなた私に敗けたわよね。その『お願い』を、ここで使わせてもらうわ」
「はい? 『お願い』って、アリスさんの『お願い』で学園には通いますよ?」
「違うわよ。学園に通うのは『命令』。『お願い』はこれからするのよ」
「……えっと、まぁ、マースグリナダ様と会わせてくださるんですから、大抵のことはしますけど」
ティノの了解を得たので、さっそく話そうとしたアリスですが。
どうにも、踏ん切りがつきませんでした。
マースグリナダの姿。
彼の竜の面影が、アリスの心の炎を不完全燃焼させてしまいます。
「じらさないでください。というか、よくわかりませんけど、失火竜してください」
アリスの様子が普段と違ったので、和ませようとして「地雷」を踏んでしまったティノですが。
程好い刺激が、アリスの背中を押しました。
あり得ないはずの重い心の負担を感じながら、アリスは何事もないかのように話し始めました。
「私は、女よ」
「は……? ……えっと、そうですね、竜の周期は知りませんけど、『人化』した際は、若々しい、二十歳くらいの女性の姿ですね」
「マースグリナダはね、『分化』していないから、イオリと同じなのよ」
「イオリと……、ということは、男でも女でもないってことですよね」
「そうよ」
ここで一拍。
そもそも、ティノに「お願い」するのは間違いではないかという気がしてきましたが、ここで怖じ気づくわけにはいきません。
マルやイオリには竜の誇りが邪魔をして頼めないので、消去法でティノしかいません。
アリスは氷竜と和解する(つまり半ば錯乱しながら)勢いで、言葉を継ぎました。
「マースグリナダを『男』にして欲しいのよ!」
「すみません。勘違いしたら嫌なので、詳しく説明してください」
「は……?」
ティノに言われてから、アリスは発言の微妙さに気づきました。
アリスは自覚しました。
このままでは『発火』してしまいます。
竜の状態での「発火」。
そうなれば、ティノは死んでしまうでしょう。
竜の智慧。
即座に炎ーー溜め込んだものを吐きださないと不味い事態になることをアリスは悟りました。
「な…何を言っているのよ! 言葉の通りに決まっているじゃない! マースグリナダを『分化』させて『男』にするってことよ!」
「そこはわかりました。なので、そこの部分を聞いています」
「『そこの部分』って、何がよ!」
「発火」しないように耐えているというのに、ティノは冷静に返してきます。
いっその事、炎を駄々洩れにしてやろうかとアリスは思いましたが、それでは本末転倒。
話を誤魔化すこともできず、そのまま聞き返してしまいました。
「いえ、『男』か『女』になるかは、マースグリナダ様の自由ではないんですか? 何で『男』でなければならないのか、その理由を聞いているんです」
「……理由?」
「はい。理由です」
至極当然のことを聞かれたのですが。
アリスはこれまで、そのことについて考えることを無意識に回避していました。
自分本位。
一個で完全な存在。
本来、竜とはそういう生き物だからです。
「そこは秘密よ!!」
「えー?」
そういうわけでアリスは、そんな投げ遣りな対応しかできませんでした。
話はここで終わり、とばかりに翼をばっさばっさと羽搏かせます。
一応、アリスからの「お願い」なので、ティノは考えます。
ただ、人生経験が不足しているティノの想像力などたかが知れています。
自分とイオリーーイオラングリディアとの関係に当てはめるくらいのことしかできません。
アリスは「女」で。
そんなアリスは、マースグリナダが「男」であることを望んでいます。
ティノがイオラングリディアに向ける感情と似ているような気がします。
何となく、というか、だいたい理由は察したティノですが、間違っていた場合、地の国への直行便となるので「正解」に言及するのは控えておきました。
「わかりました。協力します」
「……そう。頼むわね」
「マジュマジュ~、マジュマジュ~、ふあんふあん、マジュマジュ~」
下から、イオリの「ふあん歌」が聞こえてきました。
アリスが言っていた、「飛翔」の方術を使ったマルと一緒に戻ってきたのでしょう。
それからアリスは、張っておいた「結界」を解き、一竜と一獣を迎え入れたのでした。




