アイリスの悩みは尽きない
「エヴァン様、お茶会の時にいらしたケント侯爵令嬢の事なのだけど」
あれからどうなったのかしら? エヴァン様の言う通り他の令嬢とお話をさせて貰っていた。学園時代の友人や若い令嬢達との話が楽しくて気がつくと姿がなかった。
「体調を悪くした様だ。ケント侯爵夫人が連れて帰ったと聞いたよ。もしかして仲良くしたいとか言わないよね?」
「エヴァン様の名を呼んでいましたが、名前で呼ばれるほどの仲でしたの?」
少しご機嫌斜めなアイリス。
高位貴族にありがちな傲慢さ。それを気高いなどと言われることもありますし、ケント侯爵家は名門ですし、エヴァン様の婚約者候補に名が挙がっていたのかもしれません。
私が知らないだけで親しい間柄だったのかも……
「いや。話をしたことがあっただろうか? 挨拶くらいはあったかもしれないな……子供の頃に面倒な茶会はよくあったが、全く記憶にない。あの頃はアイリスに会いたくてなぜ茶会にいないのかと悩んでいた頃だ。たった一度会っただけのアイリスに恋して学園でアイリスを見つけた時は心臓が止まるかと思ったくらいだ……私の名を呼んで欲しいのはアイリスただ一人だけだよ」
アイリスの白い頬にキスをするエヴァン。それを見ながら書類と格闘する側近のレイ。急に声をかけられる事があるから、話に耳を傾けながらの作業だ。他の側近達は黙々と書類を片付けていく。
執務室でいちゃいちゃする二人だが、エヴァンは不思議と今日の分の執務を終わらせていた。側近達の書類はエヴァンのサインがいるもの、急ぎかそうではないかを分別している。
レイは黙っていられなくなり、とうとう口を出した。
「本当に覚えていないのか?」
アイリスとの甘い時間を邪魔されてむすっとするエヴァン。
「何をだ?」
「ケント侯爵令嬢の事だよ」
「まったく、記憶にない」
アイリスのお腹を優しくさすりながらエヴァンが答える。服の上から見てもお腹がぽっこりと突き出ているのが分かる。
「縦巻きロール」
「知らん」
「真っ赤なドレス」
「知らん」
「ケーキ事件」
「……ケーキ?」
「大変だったよな。あの時、おまえは興味なさそうにしていたな。あそこまで無関心でいられるのも凄いと思ったぞ」
「何のことですの? エヴァン様覚えていないの?」
首を傾げるアイリス。
「いや、思い出しそうなんだが……」
目を瞑り考える様子を見せるエヴァン。
「ケーキやマカロンが飛び交ってたよな」
青い空、白い雲、緑の芝生、心地よい風、あれは春の日、鳥の囀り……ケーキや菓子が空を飛び交い、驚き焦る大人達の顔……
「……あぁ、あの時のヒステリックな令嬢か! 思い出したぞ」
「記憶にありましたのね」
そっとお茶を飲むアイリス。
「あの時の令嬢か……嫌な記憶だ」
はぁっ。とため息を吐く。
「エヴァンの隣に誰が座るかで喧嘩になって、誰かが席を立った時机の上に置いてあったケーキが床に落ちたんだ。そしたらそのケーキがケント侯爵令嬢の靴を汚した。ケント侯爵令嬢がご立腹でその場にあったケーキを投げつけたんだ。それで投げつけられた令嬢の顔にケーキが当たって泣き出して、別の令嬢がドレスを汚された。とケーキをまた投げつけて……ケーキが足りなくなったらマカロンを投げつけて……地獄絵図とはあの事を言うのだろうな」
レイが嫌そうな顔をしながら話をする。
「あぁ、最悪だ……そんな事思い出したくなかった」
「最低ですわ! わたくし許せません!!」
「アイリス? どうした」
「食べ物を粗末にするなんて! ケーキは投げるものではありません!」
アイリスは現在妊娠中で甘いものを控えていた。つわりで甘いものが食べられなくなり、悲しくて悲しくてしょうがなかった。
ようやくつわりが治ったかと思ったら、お腹の子供のためにも太るわけにはいけないと言われ、大好きなスイーツが食べられない。
「レイ……なんて事を思い出したんだ! アイリスが可哀想じゃないか。アイリス、少しくらい口にしても良いと医師が言っていた。チョコレートを用意させよう」
可哀想でアイリスを見ていられなくなった。
「少しくらいじゃ足りません。一口食べてしまうと呼び水になって止まらなくなりますもの」
アイリスを刺激してはいけない。アイリスのお腹の中には王族が宿っている。そこまで大事にしなくても良いと言われていてもエヴァンはお腹の子よりアイリスが大事なのだそう。
「レイが悪かった。ほらアイリスに謝罪しろ」
気が立っているアイリス。レイは直ぐに謝罪した。
「アイリス王太子妃には申し訳ない事をしてしまいました。心から謝罪を」
アイリスは気を取り直した。妊娠中はそんなものだ。と医師も言っていた。
「もう良いです。その後どうなったのですか? お掃除も大変だったでしょうし、王宮でそんな醜い事をした令嬢達の処罰は……」
この頃アイリスの実家は復興中。甘いものを控えていた時期だったのだ。甘いものは贅沢で控えていた頃。状況は違えど今の心境と重なる。
「それからお茶会はなくなったんだ。ケント侯爵家は醜聞を嫌って娘を留学に出したし他の令嬢も、謹慎させられたりとかだったな。子供のしたことだから、家に任せたと聞いています」
女の争いは怖い。我が強い女は苦手だ。レイは幼心にそう思った。
「あの時茶会がなくなって心の底からホッとしたけど、さらにアイリスが恋しくて仕方がなかった」
髪を一束取ってキスをするエヴァン。
「エヴァンもエヴァンですわ……」
しくしくと泣き出すアイリス。最近は少し情緒が不安定なのだ。何故なら妊娠中だから。
「え、アイリス! 何が悲しいんだい?」
オロオロするエヴァン……あぁ、また始まった。と遠くを見るレイ。
二人の時にやってくれ……
 




