3-1
「ねえ、知ってます、先輩? 今日はもう紙を破かなくてもいいんですよ」
知っている、と私が頷くと、後輩は、ええっ、驚いた声を上げる。相変わらず、わざとらしいほどオーバーなリアクションだ。
先生に事情を聞いたところ、一度、自分の家に持ち帰ることにしたらしい。このおびただしい量のビラをすべて破り捨てるぐらいなら、いっそのこと燃やしてしまおうということなのかもしれない。
つまり、今日図書委員としてするべきことはなくなってしまった、ということだ。
「実はですね。先生に働きかけたんですよ。紙を破かなくてもいいように」
ああ、なるほど。自分達でビラを処理するより、先生に処理させる方法を考えたほうが建設的だ。後輩の働きに感心したのは初めてかもしれない。
「どうやったか知りたいですか? 知りたいですよね?」
そう言って後輩が得意げな顔を浮かべる。その憎たらしい表情に折角上がったばかりの後輩の評価がまた一段下がっていくのを感じる。プラスマイナスでいうとマイナスに近いかもしれない。
「実はですねー、先生に一度、ビラを見せたんです。ほら、破いていたビラって結構クオリティの高いものもあったじゃないですか。その中から、先生の気に入りそうなものを幾つかピックアップして、見せてみたんです。そうしたら先生、私が預かるから、もう破かなくてもいい、って言ったんです。本当に気に入ったものがあったみたいですね。多分ですけど、家に帰って、ビラを漁るのかもしれないですね」
本当にこれで良かったのかは分かりませんけど、と言葉の最後に小声で付け加える。
どうやら、後輩は意外に人を見ているようだ。私には到底できない方法だろう。
「まあ、そうなると、今日は特にすることもないですねー」
暇なのだろう。椅子に座りながら、足をブラブラさせている。
あっ、と何か思いついたように椅子ごと体をこちらに向ける。
「せっかくですから、どこか遊びに行きませんかー。まあ、遊べるところなんて寂れた商店街ぐらいしかありませんけど」
黙って首を振る。商店街に行った所で買いたいものも特にない。無駄足だ。
そうですか、と少し落ち込んだように頭を下げる。
「先輩は家に帰ったら、何をする予定ですか」
ぱっ、と顔をあげるとすぐに質問する。どうしても話を続けたいようだ。
家でしていること……食事、入浴、勉強、就寝。いや、そんなことを聞いているのではないのだろう。帰って何をしようとしているのだったか。いつもは何をしているのだったか……
「って聞くまでもなく、勉強ですよね。あっ、でも推薦貰っているから特にする必要もないのか。うむむ」
私が答えないことにしびれを切らしたのか、後輩が話を進めていく。私を置き去りに自問自答しているようだ。
「帰ったら、ラジオを聞きながら、借りてきた本を読むつもりなんです。中々オシャレでしょう」
普通はどちらか一方しかしないのではないだろうか。そう指摘すると、後輩は困ったように笑って答える。
「そうなんですよね。両方しようと思っても結局は一方のことしか出来ないんですよね。でもですね、基本的にはラジオは聞いていないんです。本を読むのに集中しだすとラジオの内容は頭に入ってこなくなるんですよね。イヤホン差しながら聞く、BGM代わりみたいなもんです。それにですね、周囲の雑音もシャットダウンできますから、結構気に入っているんです」
何か音楽でも聞いている方が、作業が集中できるタイプなのだろうか。私は無音のほうが作業に集中できるのだが。
「で、眠たくなったら、そのままイヤホン差しながら寝ちゃうんです……ってここは言わなくても良かったなー。ズボラなことがバレちゃいましたね」
そう言いながら、恥ずかしげに自分の頭を擦る。
「今日はもうやることもないですし、また一緒に帰りましょうね。ああ、そういえば、日記付けるんですよね。終わるまで、待ってますよ」
一方的に約束をし、図書室の端の方へと向かっていく。まあ、一緒に帰るぐらいなら、特に問題ないだろう。
私はいつものように、受付の引き出しから、一冊の日記を取り出す。
今日は何と書いているのだろうか。彼女の書いた内容を楽しみにしながら、ページを開く。
『返信ありがとうございます。教師もある程度子供が好きでなければ、やっていけない職業なのでしょうね。ところで、子供は好きでしょうか』
『実を言うと、私は少々苦手です。通学途中によく小学生を見かけるのですが、見るたびに緊張してしまいます。元気そうな子はまだましなのですが、大人しめの子を見ると、ついドキッとしてしまうのです』
『どうしてなのでしょうね。昔の自分を思い出すからなのでしょうか。気が弱いですね。あなたはどうでしょうか。ここまで書いておいて何なのですが、まだ、高校生の私が子供の好き嫌いを語るのもおかしな話ですね』
子供……この単語に思わず反応してしまう。私は元気な子が嫌いだ。子供というのは、自立して生きていくことができない。親に頼らなければ生きていけないような、か弱い存在だ。その事実も知らずに、無邪気にはしゃいでいることが、私には我慢ならない。
……いや、多分私は、自分が子供であることが嫌なのだ。誰かに頼って生きていく。それはまるで、他人に命を握られているような、そんな気持ちになる。私はそういった状況に我慢がならない。
とはいえ、高校生の私は世間から見てまだ子供なのだろう。いつになれば、大人になれるのだろうか。誰かに頼らずに生きていけるのだろうか。
彼女は、そんな風に考えたりするのだろうか。いや、きっとしないだろう。元気のない子に自己投影してしまうような人だ。そんな風に他人を気遣う事のできる彼女が私のように子供を見て苛立つところなど想像もつかない。
私は自分の思いを日記に綴ると、引き出しにしまった。
私が席を立つを待ってましたと言わんばかりに後輩がこちらに向かってくる。
「さあ、帰りましょう」
そう言って後輩は私の帰宅を促した。