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彼女を消させない  作者: 加護景
日記
6/31

 子供がうずくまって泣いている。


 きっと、怯えているのだろう。リビングの隅で嗚咽を漏らしながら身体を丸くしている。背丈から察するに小学生ぐらいだろうか。丸まっているせいか、それとも怯えているせいなのか、その小さい身体は同学年の子たちよりも小さく見える。


 私はその子供を無感情に見下ろしている。


 泣いた子供の夢。最近よくこの夢を見る。


 何を悲しんでいるのだろうか。手がかりを求めて、辺りをゆっくりと見渡すと、食事をするために用意されているのであろう、焦げ茶色の長机に机と同じ色合いの椅子が見える。机の上には湿った布巾が置かれているだけだ。食事机から三メートルほど離れた所には、乳白色のソファがあり、その正面にはスイッチの切られたテレビが鎮座している。


 その他には何もない。まるでモデルルームを見ているかのように錯覚するほど、生活感がない。本当にここで生活しているのだろうか。


 再び、部屋の隅で泣いている子供に視線を移す。わざわざ狭い所にいなくてもいいだろうに。それとも、狭い所が好きなのだろうか。


 そんなことをぼんやりと考えながら、眺めていると、リビングの扉が横暴に開かれる。ちらりとその方向へ目を向けると大柄の男がやってくる。その男の顔はマジックで落書きをしたように黒く塗り潰されており、顔がよくわからない。ただ、なんとなくだが、この子の父親なのだろうと思う。その男は虫の居所が悪いのか、憤怒の形相で近づいてくる。


 男は泣いている子供の腕を掴み、無理やり立ち上がらせる。


「何をやっているんだ、お前は」


 そう言って、子供を殴りつける。子供は殴りつけられた勢いですぐに床に倒れ込む。ごめんなさい、ごめんなさい、と掠れた声で謝るも、すぐに男の罵声で上書きされてしまう。


 子供にはもう抵抗する気力もないのだろう。ただ身体を丸めて、この男がいなくなるのを待っている。それをいいことに、男は罵詈雑言とともに子供を痛めつける。


 見慣れた光景。私も飽きもせずに、ぼんやりとそのやり取りを眺めている。


 男は子供の存在を否定するあらゆる暴言を吐いた後、飽きたのか、自分の部屋へ入っていった。


 ゆるして、そう許しを請う声が聴こえる。祈るように何度もくちにしながら、啜り泣く。子供の身体には無数の痣。昔から続けられてきたのだろう。その姿を見るのももう何度目だろうか。


 嫌な夢だ。


 子供から目を逸らそうと、手元に視線を移す。すると、私の手にナイフが握られていることに気がつく。よく研がれているのだろう、鈍色に光るナイフには自分の目がはっきりと映し出されている。


 これで、夢見も少しはマシになるだろう。そう思い、私はナイフを子供に差し出す。


 しかし、子供は受け取らない。無理やり押し付けようとしても、首を横に振りながら、精一杯抵抗する。


 受け取らないのなら仕方がない。いつか使う日が来るまで私が預かって置くことにした。




 気がつくと、またリビングに立っていた。

 うずくまって泣いている子供。男の罵声。許しを請う声。

 いつもと同じ、見慣れた光景。


 同じように私は子供にナイフを手渡そうとする。もっといい夢が見たくないか。そう囁きかけるように、ナイフを近づけていく。


 それでも、子供は私からナイフを受け取ろうとしない。拒否し続ける。


 もしかして、このナイフは使いものにならないのだろうか。試しに自分の指先をナイフで切ってみる。切り口からぷくり、と球状に血が膨らみ、やがて堰を切ったように指先から滴り落ちる。切れ味は十分だ。一体何が気に食わないのだろうか。


 ああ、そうか。使い方を知らないのかもしれない。


 使い方を実演するために家で飼っているハムスターを一匹持って来る。まだ数匹残っているので練習には持って来いだ。ちゃんと逃げないようにビニール紐で机に固定するのも忘れない。


 さあ、準備完了だ。子供の方へと目を向けると、両手を口に当てながら、ペタリと座り込んでいる。これから何をしようとしているのか、わかっているのだろうか。


 何も怖くないよ。そう勇気づけ、子供を立ち上がらせる。焦点があっていないのだろうか、目を合わせても虚ろな瞳をしている。もう、何もかも諦めているのだろうか。子供の目からはただ涙だけが流れ続けている。子供の顔に手を当て、優しく涙を拭い取る。今まで泣きたいことが沢山あっただろう。でも、もう大丈夫。これからは泣く必要なんて何一つない。


 子供の後ろに回り込み、手を添えて、ナイフを握り込ませる。子供の手は汗ばみ、微かに震えている。怖がっているのだろうか。しかし、大きな抵抗はない。ちゃんと教えてもらう気はあるようだ。


 ハムスターは生きているままだと面倒だ。ナイフの逆手側をハムスターの頸部に当て、一気に押し込む。すると、暴れまわっていたハムスターもすぐに大人しくなる。一人で何度かやったことのある作業だ。添え手であっても淀みはほとんどない。


 仰向けにし、腹部に切れ込みを入れていく。その度にハムスターの毛と血がナイフにこびりつくので切れ味が落ちないようにティッシュで綺麗に拭き取っておく。腹部を開き終わると、大腸、心臓、肝臓が頭を覗かせる。


 続いて、脚や腕にも切り込みを入れていく。骨がある所を避けながら、開いていくと、筋肉が見えるようになる。赤と白の筋が絡み合うようにしてできているそれは非常に丈夫そうだ。


 ある程度、開き終われば、次は臓器を切り取っていく。大腸に小腸、肝臓、胃、心臓、膵臓、それにほとんど潰れてしまった脳とパーツごとに切り分けていきティッシュの上に並べる。餌を食べたばかりなのだろうか。大腸には餌と思われる薄茶色のゆるい固体が詰まっている。非常に汚らしい。個体を厳選するべきだっただろうか。


 後は、両手足、それに頭を裁断していく。関節の付け根の筋肉にナイフを当て、押し込むだけだ。そう難しくはない。


 こうして、机の上には、ハムスターだったものがパーツごとに並べられる。広げられたものを見ても、ただ汚らしいという感情しか湧かない。今はもう、ただのものでしかないのだ。


 これで、ナイフの使い方は一通り理解できたはずだ。私は添えた手で強く包み込み、子供の手からナイフが落ちないようにしっかりと握らせた。


 使い方さえわかればあとは自分次第だ。


 バラした残骸をゴミ袋に放り込み、家族に見つからないように地域の共同のゴミ箱へと放り込んだ。


 これで次からはましな夢になっていることだろう。




 また、同じ場所にいた。


 啜り泣く子供。拳を振り上げる男。謝罪の言葉。

 いつもと同じ、見慣れた景色。何一つ変わっていない。


 子供の手にはナイフはない。いつの間にか私の手に移っている。


 一体どういうことなのだろう。


 ナイフの使い方も教えた。使えばどうなるかも、自分の目できちんと確認したはずだ。

 それなのに、何故かナイフは私の手の中にある。


 ああ、そういうことか。私はようやく理解できた。


 これは私がやらなければならないことなのだ。

 自分の夢は……未来は自分で切り開かなければならないのだ。


 私は子供の方へと目を向ける。

 怯えた子供の顔。これから自分の身に起こることを考えると無理もないだろう。


 大丈夫。あなたの役割はもう十分に役目を果たしたのだ。


 私は子供のためにとびきりの笑顔を浮かべる。


 最後の光景ぐらいはせめて、明るい表情で迎えてやりたい。


 嫌なことはもうこれ以上起こらない。もう悲しむ必要などないのだ。


 私は手に持ったナイフを高く上げ、子供目掛けて思い切り振り下ろした。


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