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彼女を消させない  作者: 加護景
日記
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1-4

『前回の日記読みました。授業が嫌い、ですか。そう思うのも無理もないかもしれません。受験の時期ですから、まともに話を聞いている人もあまりいないかもしれません』


『そのことを察しているのか、先生の方も勉強に関係のない雑談が増えてきたように思えます。こういったことがよりあなたを苛立たせるのかもしれません』


『しかし、私は先生の雑談はあまり嫌いになれません。つい聞いてしまいます。話をしているというのに誰も聞いていないというのは少しさみしいですからね。……本当は少しでも勉強のことから、気を逸したいからなのかもしれません。不真面目ですね』


 日記の文面に思わず笑みを浮かべてしまう。自分も受験勉強で余裕がないはずなのに、私はおろか、教師にまで気を遣うことのできるなんて、優しい人だ。よくよく考えれば、場の雰囲気を読み取ること、他人を思いやること、私に欠けているものを彼女は余すところなく持っている。だからだろうか、彼女との交換日記はいつも新鮮で、とても楽しい。


 そのせいか、彼女の前では、私は無防備になってしまう。他人には決して話さない考えも、思いも、彼女が相手なら書き出せてしまう。例え、どんな秘密を抱えていたとしても、彼女の前なら曝け出せてしまうのだろう。どうやら私は、一年も文通をしていないのにも関わらず、まるで旧知の仲だと錯覚してしまうほど、彼女に気を許してしまっているようだ。


 ……実のところ、相手が誰なのか、私は知らない。何度聞いてもはぐらかされてしまうのだ。


 しかし、そのほうが良いのかもしれない。もし、お互いに相手の正体が分かってしまえば、いずれ学校の中で出会ってしまうだろう。彼女を、目で見て、音で聞いて、ともすれば、肌で触れることができてしまう。そうなれば、日記でやり取りする必然性は失われてしまう。仮に続いたとしても、今までのような胸の高鳴りはもう起こらないだろう。最新のページを捲るときの楽しみも、彼女の愛おしい筆跡も、返事を書くときの緊張も、すべて消えてしまう。それは、私にとって酷く恐ろしいことだ。


 だから私の方も彼女を探すことに気乗りはしていなかった。文面だけのやり取り、それだけで満足していたのだ。


 私は日記に返信を書き終えると、図書室の隅の方へ目を向けた。視線の先には後輩が椅子にちょこんと腰を下ろしながら、本を読んでいた。私の視線に気付いたのか、後輩は本を通学鞄の中へ仕舞うと、元気よくこちらへ向かってきた。


「先輩! もう用事は終わりましたか!」


 一度頷くと、じゃあ帰りましょー、と後輩は楽しげに出口の方へと向かっていく。日記を引き出しに仕舞い、後輩の後を着いて行く。


 玄関を出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。もう冬だ。流石に日が落ちるのも早い。図書室に行く前に聞こえていた生徒達の織りなす喧騒も今は聞こえない。ほとんどの生徒はもう帰ってしまったのだろう。私も早く帰ろう。


 一歩足を踏み出すと、さくり、と小気味の良い音がした。下を向くと、足元には雪の残滓。また雪が降り出すかもしれない。ため息混じりに出した吐息が白くなっているのを見て、私はマフラーを少しだけきつく巻き直した。


「寒そうですね、先輩。良かったらカイロ使いますか? ああ、遠慮しなくても大丈夫ですよ、自分の分はちゃんと持っていますから。それに異性に気を配るのは当然のことですからね」


 そう言って手に持ったカイロを私に差し出す。確かに寒いが、欲しいというほどでもない。必要ない、と私は首を振る。


「そうですか。でも、やっぱり必要だと思ったら言って下さいね。先輩はもうすぐ受験なんですから、体調管理には十分気をつけないと駄目ですよ―。本番で風邪なんて引いちゃったら大変ですからねー、ってお節介が過ぎますかね」


 これ以上過保護にされると面倒なので、もう勉強する必要がないことを後輩に伝える。


 実のところ、私はもう、推薦を貰っている。そのため、もう受験勉強はする必要がない。強いて言うなら面接の練習をするぐらいだろうか。他の人がいよいよラストスパートに突入し、気が立っている頃合いだが、私にはもう関係がない。何とも気楽なものだ。


「あれ、そうだったんですか。おめでとうございます! これで、先輩も一安心ですね! 教えてくれれば、お祝いのプレゼントを用意したのに。いけずですねー」


 小躍りして何故か自分のことの喜んでいる。これぐらい元気なら、カイロも必要ないだろう。


「それにしても、推薦ですかー。いいですねえ。推薦狙ってみようかなー。やっぱり、こうゆうのは日々の積み重ねが大切なんですよねー。こう見えて先輩は影で努力してるんですよねー、って待ってくださいよ、せんぱいー」


 得意げに話している間に、バスの待合室へと入っていく。そこには私達二人以外に誰もいない。電球のぼんやりとした灯りが六畳ほどの部屋を照らしているだけだ。どうやら、バスはついさっき出ていってしまったらしい。次のバスが来るまで大体三十分程掛かるだろうか。取り敢えず、赤茶けた長椅子に腰掛けることにしよう。


「惜しかったですねー。もう少し早く来れれば丁度いいタイミングだったのに」


 そう隣に座る後輩が嘆く。しかし、その言葉とは裏腹に、笑顔を浮かべているようだ。もしかすると、早く家に帰りたくない事情でもあるのかもしれない。


「しかし、こうやって二人で座っていると先輩と初めて会った時のことを思い出しますねえ。確か、二年ぐらい前だったかなあ。先輩、覚えています?」


 後輩の質問に黙って首を振る。そこまで昔のことはもう覚えていない。それに、バス停には毎日通っているのだ。その中の一日を思い出すことなんてほとんど不可能に近い。


「覚えていないんですか?」


 後輩が驚いた表情を見せる。普段のような作った表情、と言う訳でもなく素で驚いているみたいだ。


「……でも、仕方がないですよね。大分昔のことですから。ああ、大丈夫です。自分はしっかり覚えていますから。話を聞けば、先輩もきっと思い出しますよ」


 ふん、と自慢げに息を鳴らす。どうやら、このまま話を続けるらしい。昔話……か。過去を振り返ることに何の意味があるのだろうか。


「あの時は確か、四月の終わり頃でしたねえ。学校に植えてある桜が葉桜になっていた頃ですから多分そんな感じです。この学校に入ってちょっと慣れたかな―って時期ですね。その時は一度しかない高校生活、どうやって楽しく過ごそうか、どんな人達と友達になろうか、どんな思い出を作って行こうかってワクワクしてたんですよね。だから、取り敢えずいろいろ部活を見て回ってみたんですけど、中々ピンとくるものがなくて、帰る頃にはすっかり遅くなっちゃったんです」


 どうやら、後輩は高校生活を楽しみにしていたようだ。自分はどうだっただろうか。……恐らく何の感情も湧いていなかったはずだ。高校生活などただの通過点。今までの生活と大して変わりはない。このまま特に何を思うことなく卒業していくことになるだろう。


 ただ一つだけ、心残りがある。交換日記だ。彼女との文通を止めてしまうのはあまりに惜しい。このまま続ける方法はないだろうか。何か対策を考えなければならない。


「トボトボと歩いて、バス停に着いてみると、丁度バスが出ていってしまったみたいで、待合室には先客はたった一人しかいなかったんですよ。その一人がほら、何を隠そう先輩ってわけです……ってそりゃあ言わなくても分かりますか」


 先輩と初めて会った時の話をしているんですから当然ですよねー、と私に賛同を促す。取り敢えず頷いておくと満面の笑みを浮かべながら、話を続ける。


「まあ、その時は先輩のことを知らなかったものですから、同じ高校の制服を着た人がいるなあ、としか思っていなかったんですけどね。次のバスが来るまで時間がありますし、ちょっとだけ先輩の様子を伺ってみたんです。そうすると、どうやら文庫本を読んでいるみたいなんですね。しかも、ブックカバーをしていないものですから、表紙が丸見えなんです。しかも私がよく知ってるタイトルでした……そろそろ思い出しませんか?」


 後輩の質問に否定の言葉を返す。いつ、何を読んだかなど普段意識していない。ましてや二年も前の話だ。思い出せるはずがない。


「まあ、そうですよね……」


 後輩は少し暗い表情を浮かべた後、それを打ち消すかのようにすぐに明るい口調で話を続ける。


「そうそう、その本のタイトルはですね、『フランケンシュタイン』でしたよ。ほら、流石に話の内容ぐらいは覚えていますよね」


 確か、研究者が自らが造った人造人間に追い詰められて命を失う話だったか。もう少し長いタイトルだった気がするがそこまで詳しくは覚えていない。


「あの話は苦手だったんですよね。だってほら、人造人間を造った研究者も、造られた人造人間も、お互いのことを憎しみ合うんですよ。相手にとって大切な人を殺し合って……もっと上手く出来たはずなのに、あんまりじゃないですか。家族として、幸せに暮らしていくことも出来たはずなのに、どうして最悪の結果になってしまったんだろうって、初めて読んだ時は、怖くて眠れなかったぐらいです。あ、今は別にそんなことはありませんよ。その時は小学生高学年ぐらいでしたから、しょうがないんです」


 だからですね、と後輩は足を少しバタつかせながら、天井の方へと顔を向ける。


「思わず話しかけてしまったんですよ。嫌な話じゃないですかって。そうしたら、先輩、他に人がいたことに気が付いていなかったのか、驚いた表情でこちらに目を向けるんです。我ながら、悪いことをしてしまったかなーって思って、慌てて何か他の言葉を取り繕うとしたんですけど、上手いこと言えなくてですね、途方に暮れていたところに、先輩が答えてくれたんです。確かにそうだねって」


 後もう少しで思い出せそうですか、と後輩が話しかけるが、残念ながら思い出すことはできない。そんなこともあったかもしれないが、正直興味がない。知りたいと思わないものに力を注ぐことはできない。


 後輩は笑顔を浮かべながら続きを話す。


「それで、先輩はこう尋ねたんですよ。研究者と人造人間、どちらが悪いと思う? って。返事が来ただけでも動揺していたのに、質問まで来てしまったのでそれはもうテンパっちゃって、ああ、今でも恥ずかしいですね。でも、その時はすでに自分の中の答えは持っていました。何せ、あの本を読んだときから、どうすればハッピーエンドになるのかずっと考えていましたからね」


 ハッピーエンドになる方法か。そんなことは考えても見なかった。小説の物語はなるべくして、話を組み立てているはずだ。起こるべくして起こるイベント。登場するべき人物。すべてが計算ずくの物語。だから、もしこうなったら……なんて、仮定の話を考えても仕方がない。やはり、ハッピーエンドになる方法を考えるなんて無駄なことだ。


「その時は、人造人間だって答えました。だってそうでしょう。いくら嫌われていたとしても、研究者の家族まで手をかけることなんてないと思うんです。そりゃあ、目の前で恋人になるべき人を壊されるのは辛いと思います。だけど、その復讐なんてしても、意味がないじゃないですか。復讐した後に残るものなんて何もない。それに、生みの親を恨むなんて、良くないことだと、そう答えたんです。そうしたら先輩も自分の意見を伝えてくれたんです。なんて答えたか、覚えていませんか?」


 その時、何と答えたのだったか。やはり覚えていない。しかし、話を聞く限り当時の私の下した答えは分かりそうだ。今も昔も、私の思考回路に大きな変化はないはずだから。


 悪いのは当然……


「私はどちらも悪くないと思う。そう答えたんですよ。その時は正直ビックリしちゃいました。てっきりどちらか一方が悪いと答えるんだと、そう思っていましたから。少し不服そうな表情をしているとですね、先輩は寂しそうな顔をして言うんです」


 確かこんな感じだったかな、と一人喉の調子を整えながら、過去の台詞を暗唱する。


「確かに、人造人間は研究者の親族を殺したり、生みの親である研究者を世界の果てまで追い詰めてたりと、酷いことをしている。だけど、それも仕方がないことだ。何せ、目の前で伴侶となる人が殺されたのだから。人造人間の立場から見れば、研究者を追い詰めるような行動を取ってしまうのも、仕方がないと思う。一方で、確かに研究者も自らが生み出した人造人間を拒絶した。だけど、それは本当に悪いことなのだろうか。誰だって、嫌いな人や苦手に思う人はいる。嫌いなものに関わりたくないと思ってしまうのは仕方がないことだ。それが自分が生み出した人造人間だとしても。そのことを責めることは私にはできない。だから、どちらが悪いとも言えない。ある意味不運な事故だ。だから、この話は嫌な話なんだと思う」


 大体こんな感じでしたよ、と台詞を言い切れたのが嬉しかったのか、嬉しそうな声で話しかける。


「先輩の話を聞いた時、その通りだなーって感動したんですよ。一方的に悪い人を決めつけてしまうのは良くないことなんだって、考えを改めたんです。どんな人でも愛せるような聖人君子なんていませんからねえ。あとこれを言うのはちょっと恥ずかしいんですけどね」


 顔を伏せ、照れた様子で言葉を繋ぐ。


「その時の先輩、ちょっとかっこいいな―って思っちゃったんです。いや、本人を目の前にして言うのはやっぱり照れくさいですね」


 ……なんだろうか。この違和感は。まるで、自分ではない何かが、私を支配しているかのような、奇妙な感覚だ。胸がざわついている。


「だからですね、先輩が入っている図書委員になろうと決めたんです。ほら、先輩の近くにいると面白そうですし。それに、気になる部活もありませんからね」


 後輩は過去を懐かしむように天井を見上げる。その仕草につられるも、目に入るのは仄かな電灯の光と天井の染みぐらいだ。同じように懐かしむ気持ちにはなれないようだ。


「先輩も、あとニヶ月ほどで卒業してしまうんですね。正直寂しいです」


 そう、もうすぐ私はこの高校からいなくなる。この不便な道も、バス停も利用しなくて済む。ありがたい話だ。


「……先輩、実は」


 後輩が何かを言いかけた所で外からクラクションが鳴る。バスがやってきたようだ。


 乗りましょうか、何故か不満げな後輩の言葉と共に、私たちはバスの中へと入っていった。


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