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彼女を消させない  作者: 加護景
日記
3/31

1-2

「ねえ、先輩……」


 縋るような声で私を呼ぶ。


「今日はもう、これぐらいにしましょうよ」


 ピタリと手を止める。備え付けの時計に目をやると、針はもうじき十九時を指そうとしていた。目の前には、処理しきれていないビラの山。とても今日一日で終わる量ではない。このペースで作業を進めるとすると、後、三日は掛かるだろうか。


 後輩の言葉に頷き、片付けをし始めた。


「……この作業、あんまり好きじゃないんですよね」


 片付けの最中、後輩が呟く。その言葉に思わず怪訝な表情をしてしまう。


「あー、先輩の考えは読めますよ。どうせ、面倒だから、やりたくないだって思っているんでしょ。まあ、それも確かにありますけど、それだけじゃないんですよね」


 細かく引き裂かれた紙束を見て、物憂つげな表情を浮かべる。


「何ていうんでしょうか。このビラって、誰かが一生懸命作ったものじゃないですか。例えば、この本の紹介文の書いてあるビラなんですけど」


 私に見えるように一枚のビラを私の方へと向ける。何かのキャラクターの書かれた挿絵に空いたスペースには文字がぎっしりと埋められている。


「これを書いた人って、きっとこの本が好きでたまらなかったんだと思うんですよ。自分が好きな作品を他の人にも読んでもらいたい、好きになって欲しい、そう思って、必死に考えてこのビラを作ったんだと思うんです。だから……」


 言葉を切って、少し目を伏せる。


「だから、あんまりこの作業、好きじゃないんです。作った人の気持ちを踏みにじっているような気がして……」


 後ろめたいんです、と小声で呟く。後輩が作業に気乗りしていなかったのはそういった感情があったからなのだろう。


「先輩は、どうですか?」


 嫌いですか、とそう問いかけられている。同調して欲しいのだろうか。


 好きか、嫌いか。

 裂いている間にそんなことを考えてなどいない。どうだっていいことだ。


 考えている間に、ふと、視線を後輩の手元に移す。後輩の手には昔、誰かが作ったであろうビラが握られている。強く握られているせいか、紙に皺が寄っている。手も少し震えているようだ。


 そこまで深刻に考えるものなのだろうか。もうすでに自らの役割を失ったただの紙切れに、感傷的になるものなのだろうか。私にはその感情はわからない。


「先輩?」


 呼びかける声。答えを求めているのだろうか。それとも、手元を見られていることに疑問を持ったのだろうか。何れにせよ、早く答えを示さなければならない。何と答えるべきだろうか。私も嫌いだと、嘘を吐くのか。私は好きだと、答えるのか。


 ……考えるのも面倒だ。


 私は後輩の持っているビラを引っ手繰ると、真っ二つに引き裂いた。


「えっ?」


 呆気にとられた表情を私に向ける。紙を破かれたことがそこまで、意外だったのだろうか。


 後輩は少し目が泳いだあと、困ったように笑いかける。


「少し驚きましたけど……先輩らしい答えですね」


 まあ、先輩は冷たい人ですからねー、と誂うような口調で付け加える。


 その発言を受けて私は後輩の頬を引っ張る。


「いてて。あんまり引っ張らないでくださいよー。ちょっと冗談を言っただけじゃないですかー」


 頬をさすりながら、不平を言う。


「確かに、考えすぎだったのかもしれないですね。作った本人たちにとっては、もうどうでも良いもののはずですし。それに本当に

大切なものなら、原紙を大事に保管しているはずですからね」


 でも、と言いかけて、口を噤む。完全には納得していないようだ。


「そうだ、せっかくだから、今日は一緒に帰りませんか。ほら、今日は作業頑張りましたし。明日からも頑張れるように親交を深めましょうよ―」


 なぜ、一緒に帰りたがるのか。後輩の提案に私は自然と眉を顰めてしまう。


「あー、嫌そうな顔してますね。そんな寂しいこと考えないでくださいよ。だって先輩、一緒に帰ろうって言っても最近は無視してよくここに残るじゃないですかー。一人で帰るの寂しいんですよ―。ねえせんぱいー」


 別に一緒に帰ることは構わない。ただその必要性を感じないだけだ。一人でも、二人でも、家に帰る時間はそこまで変わらないだろう。しかし、私にはまだここでやることがある。誰かにあまり見られるのは気が進まない。


 その旨を後輩に伝えると、じゃあ終わるまで残りますよ―、と部屋の隅へと移ってしまった。今日はどうしても一緒に帰りたいらしい。


 離れていく後輩を横目に、私は入り口にあるカウンターへと向かい、引き出しを漁った。引き出しの中には、消しゴムのような筆記用具の他、本の貸出表、そして、鍵の掛かった一冊の日記があった。


 私はその日記を取り出す。青い表紙に革の質感のある、飾り気のないシンプルな日記だ。鍵を開け、最新のページを捲る。そこには新しい言葉が加えられている。


『最近寒い日が続きますね。そのせいか、私は少し風邪を引いてしまったようです。大切な時期ですから体には気をつけて下さいね……』


 そう、これはいわゆる交換日記だ。この人と日記を通して文通を始めたのは今年の春ぐらいだっただろうか。




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