発動
――ッ、痛ってぇ……
「あれ、俺生きてる?絶対助からない高さから落ちた……はず」
起き上がると、突然自分の身に起きた出来事に立ち尽くす。何が起きたのか。脳の処理が追いつかない。
お、落ち着け、俺。
うん、まずだ、マンションのベランダにいたはずだ。そう、そこまではオーライ。それで、手すりから滑って……下はコンクリート。落ちたらどうなる。イェスもちろんコンクリート。だがしかしbut、ここは……
――森ぃいいいいい!!!!
周りを見渡すと、木々が鬱蒼と茂った森の中にいた。自分の背丈よりも高い大木があちらこちらに生えている。
ここはどこだ。近所に森なんてなかったはずだ。いや、そもそもどう考えてもこの木異常だよな……。
近づくと珍妙さが一層際立つ。両手を広げても抱え込めない幹に、これまた巨大なツタがウネウネと巻きついている。幹は所々裂け、呼吸するかのごとく一定の間隔で鈍い光を放つ。
まぁ異常といえば、この状況自体が異常なわけだが……。知らない場所に飛ばされて、知らない植物が目の前にある。とすれば、濃厚なのは俺の頭がおかしくなったか、はたまたここが異世界か。
片手をあごに添え、ぶつぶつ呟いてるとちょうど木々が途切れている草の奥。物音が聞こえ、足が動く。
――ん?
「……音の正体は、小川か」
都会に住んでたら滅多にお目にかかれないほど澄んだ水がそこにあった。穏やかで、水位も浅く水面がキラキラと光を浴びて光っている。
「……はぁ。見た目は変わりなしか。ちょっとは期待したんだけどな」
顔を突き出し、水面を必死に覗き込むとこの世全ての不幸を背負ったかのように恨み言を呟く。
マンションの12階から落ちたものの、体のどの部位も損傷はおろか傷ひとつない。彼の気にする片目も同様。異世界に来ても現実世界とまるっきり変わらなかった。
「いや、むしろもっと赤み増してるぞこれ」
希は、これ以上覗き込んだら川に落ちるというほど、まじまじと自分の顔を見る。ため息のオンパレードだ。
――と、その時希の耳元に吐息が聞こえた。
――これはやべぇ……
振り向いた瞬間、顔色が変わる。
巨大なウルフが真後ろにいた。牙を剥き出して今にも飛びかからんとする勢い。
体長2メートルはあるだろうか。強靭に発達した筋肉と、額から突き出た螺旋状の一本の角、さらには口から伸びる鋭利な牙がその凶暴さを誇示している。地の底から聞こえるような低い唸り声。こんなのに噛みつかれたら、おそらくひとたまりもない。
「これで異世界説で決定……じゃなくておいおいマジかよ。ちょっとたんま!何にも持ってねぇぞ。異世界ならせめて剣とか盾とか、そういう初期装備的なの普通あるだろうが」
つぶさに周りを見渡すが、武器などおろか小枝一つも落ちていない。希はジリっと一本後ろに下がって気がつく。
――しまった。背面は川だ。
もうこれ以上退がることはできない。まさに絶体絶命。一方、ウルフは獲物を狩るように着実に間合いを詰める。
「そんならこれでもくらえ」
足元に転がる川原の砂利を掴んで投げる。HPゲージなんてものがあったとしたらもちろん攻撃は0。だが、目眩しとして逃げるには十分な効果があった。ウルフが怯むのと同時に素早く右手に駆け出す。
――ウォオオオオン
ウルフが甲高く吠えた。木々が掠れ合う音が激しくなる。と、同時に駆け出した希の足が止まる。
「終わった……。囲まれた」
雄叫びに呼応して、彼の周りには7、8匹の牙を剥き出した獣が取り囲んでいた。どの野獣も今にも飛びかからんと息巻いている。
「――なんだ。異常に強力な魔素反応があると思って来てみたら、子供。間違いか」
ウルフの群れの間から、長身痩躯の男が姿を現した。
茶色のロンググローブを身にまとい、背中には3本の異なる色で王冠を描いた紋章が付いている。
「この化け物達、お前のかよ」
「化け物とは随分な言われようだな。ライダーウルフといってね、私の使役する可愛い魔獣達さ。くれぐれも妙なマネは起こさないでくれよ。この子達が何するかわからないからねぇ」
男は魔獣達に合図を送ると、希に近づく。
「私は王国軍直轄の魔獣使いで、この辺を警備しているんだが……怪しいねぇ。君は何者なんだい?」
嫌な笑みを浮かべる。直感で感じた。この男はどんな返答をしても俺を殺す気でいる。腰に手を当て、希を見下ろすように話しかけるが男と自分との距離はすでにないに等しい。
「ま、答えたくなければそれでもいいさ。王都で処刑する予定の娘もそうだけど、少しでも変な魔素を漂わせる異分子は早めに排除した方がいいからねぇ」
男は居住まいを正すと、ロンググローブからすっと腕を伸ばし希の首を押さえつける。ものすごい力。細い体格からは見当もつかないほどの怪力に、抵抗もできず体が宙に持ち上げられる。
「残念だけどねぇ、ここで死んでもらうよ」
「……やめ……ろ」
ギリギリと首を絞められ息ができない。殺される。なすすべもなく。ぐっ……。こんなやつに、こんなにあっさりと……。
途絶え途絶えに呼吸をしながら、男を睨みつける。
「……助け……て……、なーんちゃって」
不敵にニヤリと笑うと、希は素早く呟く。
≪――死ね/不戦の瞳≫
突如、猛烈な熱さが希の右目を襲った。右目が爛々と燃えるような紅蓮に輝き、禍々しい紫の光が男を包み込む。
――グァッ!!!バ……
バカな、とでも言おうとしたのだろう。最後の言葉をいう暇もなく、男は地面に崩れ落ちた。
刹那、主人を失ったライダーウルフがけたたましく吠え、一斉に希に飛びかかる。
≪――お前らも死ね≫
それは殺戮、否、虐殺だった。睨み付けられたウルフの群れは一方的な力の前に、命を奪われた。避けることも、戦うことも許されない絶対的暴力。何が起きたのかさえ考えさせることも許さない能力だった。無数の亡骸だけが、彼の足元に残る。
「――やっぱ即死系のスキル強いな……。発動条件は状況的にみて、殺意を持って睨むこと、ってとこか」
男とウルフの群れだったものを見ながら呟く。
「悪いな。自分がどんなスキル持ってるか確認するのは異世界物好きなら常識でね。もう全部把握してんだわ。相手がどれだけ強いかまではわからないから試したけど、こいつは大したことなかったな」
右目の激しい熱さと輝きはずいぶん収束した。同時に、ひどく冷静な自分がいる。殺さなくては、殺される世界。思えば元いた世界だってそうだったが、ここではそれが顕著なのだ。
「しっかし、派手にやっちゃったけど。これどうするかな」
ステータスや何かのアナウンスなんてものがあればいいけど、今のところその気配は微塵もない。しかし、この世界に来てから直感的にわかるのだ。自分が何ができるのかを。
希は男の亡骸をじっと見つめると静かに宣言をした。
≪――同化の瞳/コピー•アイ≫
みるみるうちに希が変化し、魔獣使いの男の姿へと変わった。寸分も違わない、完全なコピーだ。
「やっぱりか。生きている物にもできるかは実験する必要があるけど、とりあえず目にしたものの姿には変われるみたいだな」
男の身に付けていたロンググローブを手に取ると自らに羽織り、森に向かって歩き出した。
数十分ほど歩いただろうか。前方から馬車を引き連れた兵士の集団がこちらに向かって近づいて来た。念のため、警戒を強める。
「ベルモンド様!こちらにおられましたか」
「方々、探しましたぞ!」
鉄鋼の鎧に身を包んだ兵士が、20人程。口々に声を出す。
「あぁ。すまん。手を煩わせたねぇ」
自分でも呆れるほどの名演技だ。これもスキルの力か、自然にスラスラと立ち振る舞える。
「王都より至急帰還せよとの御命令が出ております。馬車にお乗りください」
完全に信じきった兵士達は希を馬車へ促す。内装は豪華だった。上等な革の座席に腰掛け、希は考え込んだ。
ベルモンドと呼ばれる先ほど殺したこの男、中々身分の高い人間らしい。自分と同じような魔素を持つ女の子というのが気になるし、このまま王都に行ってみるか。
希を乗せた兵士一行の馬車は、土煙をあげながら王都へ続く長い一本道を走っていった。
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