第4話 後宮の花は血塗られている
「よかった」
少し安心したように彼は言った。
「不快な思いをさせていたなら、と思ったがそうでもなかったらしい」
いや不快ではないけど怖いからね!? その威圧的な笑いやめてくれません?
そんな事を思っていると陛下の手が私の頬に触れた。あまりにいきなりだったので私は少しだけたじろぐ。
「そろそろ寝る。おやすみ」
「え……えと……おやすみなさい……」
ほんの少しだけ彼が微笑んだように見えた。そのまま彼は部屋から出る。
「はあああ、陛下と一緒にいたら常に張り詰めた雰囲気だな……」
彼のいなくなった部屋で私は呟いた。
「寝よう、かな」
夜空には満月が光り輝いていた。
「んんー、よく寝た。お布団はふかふかだし寝心地いいから油断したらお昼まで寝ちゃいそう」
澄み切った空を見上げ、私は少し欠伸をした。扉を叩く音が聞こえ、続けて女官が入ってくる。
「おはようございます、お妃様。よくお眠りになれましたか?」
「もちろん! お布団ふかふかで心地よかったわ!」
彼女達は顔を見合わせて少し笑った。
「お着替えのお手伝いをさせて頂きますね」
女官たちが持っていた着替えはやっぱり豪華で、そして私には似合わない。あのねえ。それ自体はすごく綺麗なのに私が着ちゃったら台無しじゃない。みんなが着てるような普通の服でいいのに。
「きゃあっ、やっぱりお似合いですわ!」
「ええ本当に!」
楽しそうに彼女たちがはしゃぐ。みんなお世辞が得意なのね…… 薄紅蘭の女官たちも言うもん。
再び扉を叩く音が聞こえた。誰だろう? 女官以外にここに来そうな人なんか思いつかないけど…… 扉を開けて部屋に入ってきたのは……
「鈴華。我が妃よ。黙って仕事に行って悪かった」
「へ、陛下!?」
あなたいつからそんな人になったの!? っていうか昨日寝る前に帰ったでしょ!? だが彼はそう言おうとした私の口を大きな手でふさいだ。
「んんー!?!?」
私に向けるものとは全く違う、刺すような冷たい眼差し。薄笑いを浮かべながら彼は女官たちに告げる。
「もう下がっていい」
なにか微笑ましいものを見るような顔で彼女たちは下がっていった。完全に扉が閉まりきってから彼はため息をつく。
「付き合わせて悪かったな。仲が良くないと思われると困るかと……」
……この人多分いい人なんだろうなあ…… あ、やっぱり違うかもしれないなあ……そんなことを考えながら私はとりあえず頷く。変に思われても嫌だもんね。
「ではあとは任せた。何か聞かれたら適当にごまかしておけ」
「は、はい、がんばります!」
陛下が出ていった後、私は扉を見つめながら呟いた。
「本当に大丈夫なの……?」
「お妃様、お暇でしたらお庭に出られませんか?」
思っていたより何にもすることがなくて暇すぎて死にそうだった所に女官が現れた。お庭。確かに見たことない!
「行くわ!」
そばにあったお茶を飲み干して立ち上がる。そして二人の女官とともに私は庭へと歩き出した。
「わあ、綺麗なお花」
咲き誇る桃の花や何かは分からないけどひらひらの赤い花。きっと季節ごとに見える景色が違うんだろうなと想像しながら奥に進む。
「この花、初めて見た!」
そういって女官たちの方を振り向こうとした、その時だった。
「あ……れ……?」
視界がぐにゃりと歪む。
――確かに何か変だと思った……だってお茶を飲んで少ししてから喉がおかしい気がしたし……父さんが言ってたがする……ごめんね父さん……
――せっかく守ってくれてたのに、私の運命は母さんと一緒だったのかも――
口の中が、徐々に血に侵されていく。私の意識は、そこで途切れた。
「……華、鈴華!」
遠くから私を呼ぶ誰かの声がする。なんで聞こえるんだろう。私は死んだんじゃないの?
「鈴華! 我が妃よ! 目を覚ませ!」
「う……うぅん……」
私の目に飛び込んできたのは、明るい光。もう見れないと思った、明るい太陽。
「陛……下……?」
「よかった! お妃様がお目覚めに……!」
状況が読み込めずフリーズしていた私は我に返り飛び起きた。
「あれ……? 生きてる……!?」
そんなのおかしい。だってあれは……
「毒……でしょ……?」
「ああ、そうだ」
やっぱりそうだよね。だって毒じゃないとああはならない……と思うもの。そう思っているといきなり、陛下に肩をつかまれた。あまりにも強い力で、骨が折れてしまいそうだ。
「ちょっ……!」
何するの、という言葉は、彼の怒鳴り声でかき消されてしまった。とてつもなく怖い、吠えるような声。
「なぜ疑わなかった! 仮にも王女だろう!? なんでも毒見を介せ! なんでそんなに耐性が付いていないんだ。危うく死ぬところだった! 危険は王家に必ず付きまとうものなのに、どうしてそんなに無防備でいられる!?」
その大きな声に私の体は大きく跳ねた。……そんなこと知らないよ。だって私は、私は、
「私は、こんなこと噂でしか聞いたことがなかったんだもの! 何でも私がしていたから、毒なんて入れられることなかったんだもの!」
頬を涙が伝う。そんなに怒らなくてもいいじゃない。私だって飲みたくて飲んだわけじゃない。父さんが毒を誰よりも嫌がっていたから耐性をつけるために少しずつ飲んで慣らすなんてことしなかった。仕方ないでしょ? 母さんが毒殺された可能性がある限り!
止めようとしても涙は止まらない。そばで見ている女官たちは慌てて青い顔をしている。
ふいに、誰かの手が頬に触れた。大きくてがっしりとした手が、触れれば壊れてしまうようなものを触るかのようにゆっくりと私の涙をぬぐう。