婚約破棄
「レイチェル! 貴様との婚約を破棄してくれる!」
旧華族、新堀小路家の新年会において、嫡男正胤はヒステリックに言い放っていた。
「もうだめだ! 限界なんだ! お前はなんなんだ!? 間男との浮気ぐらいなら許すさ! 家事だってしなくていい! しかしだな! よりによって! 私の祖父と浮気しなくたっていいだろう!? 歳の差何歳だと思ってるんだ!?」
新堀小路正胤の祖父、新堀小路英麿は御年82歳。新堀小路家本家のみならず親戚筋全てを掌握する紛れもない領袖である。
「それどころか! 私の弟の処女も奪ったそうじゃないか! 英嗣はまだ尋常中等教育学校生なんだぞ! いいや! そうじゃない! そんな問題じゃない! しかも! それどころじゃない!」
正胤は半狂乱だ。周囲はあまりの剣幕に誰も二の句が継げない。もっとも、一の句すら発していないが。
「貴様は今まで大和撫子みたいな顔をしておきながら! 本当は豪州人だったらしいな! 私を騙したのか!? 何とか言ってみよ!」
「まさたね……可哀想に。婚約破棄は構わないわ。喜んで同意するわ。」
「貴様レイチェル! この後に及んで虚勢を張るか! 破棄だ! 今すぐ出て行くがいい!」
周囲が静寂に包まれる。
「まさたね……まだ分からない?」
「なんだと言うのだ!」
黒髪黒目の淑女レイチェルが手を振り上げると、ゾロゾロと無数の男達が新年会の会場へと雪崩れ込んだ。
「ちーぃっす!」
「おっす!」
「どーもぉー!」
「まいど!」
「んちゃぁー!」
「いよっ!」
「ハッピー?」
「ラリホー!」
「ヒャッハー!」
「へけけっ!」
「ニャッポ!?」
突如現れた大勢の男達。正胤の主観で言えば、彼らは概して二枚目であった。それも、銀幕を飾ることができるほどの。顔だけで比べるならば、正胤では相手にならないであろう。
「彼らは私の囲い者。性の道ではいずれ劣らぬ一騎当千の猛者共です。」
「それがどうしたと言うんだ! 好きなだけ囲えばいいだろう! さっさと出て行け!」
「いえ、出て行くのはあなたの方よ。ねえ英麿?」
「おお。正胤よ。お前は未だにレイチェルに女の喜びを与えてないらしいのぉ。そのような情けない男に新堀小路家を継がせるわけにはいかん! 勘当じゃあ! 外の世界で男の道を魁てこいやぁ!」
「そ、そんな、お爺様……わ、私はただ……清く正しい男女の付き合いを……レイチェルを大事にと……」
「バカたれがぁ! そんなもんオドレの勝手な思い込みじゃあ! じゃからワシらがレイチェルを慰めることになったんじゃろうがやぁ! ええかぁ! 男の価値は女の満足じゃあ! 分かったら腕ぇ磨いて来いやぁ!」
「お、お爺様……」
その場に崩れ落ちる正胤。一体どこで間違ったのか……
「おいたわしや兄上。かくなる上は新堀小路家は僕が継ぎましょうぞ。」
「お、おお、英嗣……体は大丈夫か? レイチェルに酷いことをされたんだろう?」
「ほら英嗣。こっちにいらっしゃい?」
正胤の弟、英嗣は光に集まる虫のようにレイチェルに吸い寄せられていった。
「ひ、英嗣? そ、そんな毒婦に近寄っては……」
「兄上? レイチェルさんは毒婦なんかじゃありませんよ? むしろ僕の蒙を啓いてくれた女性ですよ……愛の形は一つじゃないってことを……ねぇ、レイチェルさん?」
「そうねぇ。英嗣が御家を継ぐならしばらくは可愛がってあげるからね?」
絶望に身を捩られる正胤。この世に神も仏もないのだろうか?
少し続きます。