◆◆⑤ガストーネとウラジミールのお茶◆◆
「俺は常々思っているんだがな?」
「はい、マスター▪▪▪」
バリベッチの姿をしたスタルシオンにガストーネが話しかけた。
「お前、まだ前のに忠誠心持ってんだろ?」
「▪▪▪」
ふん、と鼻をならしてガストーネは続けた。
「隠したってわかるものわぁわかる。
まあ、あまり隠そうとはして無ぇようだがな?」
「▪▪▪」
「だんまりかい、まあいい、転向者ヤツを無条件で信用できるほどお人好しじゃぁ無ぇしな。
それにどう思っていようが、こうして俺に仕えていることには違い無ぇ。
何時でも消せるしな。」
「▪▪▪私は▪▪▪まだ、バルブロ様の復活を諦めた訳ではありません▪▪▪
いえ、バルブロ様が消滅したと受け入れてしまえば、私は存在できる筈が無いのです。
何故なら、私はバルブロ様の父親なのですから▪▪▪」
「▪▪▪」
今度はガストーネが黙り込んだ。
ガストーネは気付いていた。
飲み込んだバルブロは、その殆どを吸収してその能力を奪った。
だが、バルブロの何かが、魚の小骨のように折りにつけチクチクとガストーネを刺激するのだ。
何度も飲み込もうとしたが飲み込みきれない。
そのイライラが爆発し、時折スタルシオンに当たった。
その度にスタルシオンは身体を壊し、肉体の乗っ取りを繰り返してきた。
もしかしたらその恨みも有るのかもしれない。
いや、有るだろう。
かと言って、今更バルブロを吐き戻すなど出来ない相談だった。
そんなことを考えていると、あっという間に時が経ち、気が付けばそばにいた筈のスタルシオンは国王代理として仕事に戻り、一人で王座にうたた寝しているかのように取り残されていた。
いいさ、独りには慣れた。
ああ、アンブロシウス▪▪▪
お前と相撲をとっていたときが懐かしい▪▪▪
そう思いながら左目を瞼の上から撫でた。
「目がお痛みですかぁ?」
ハッとした。
間の抜けた声の主が近付くのがわからなかった。
「な、何の用だ▪▪▪」
思わず口ごもった。
「はいぃ、お茶でも如何かと思いましてぇ、これですがなかなか美味しいお茶ですぅ。
それからこれ、この焼き菓子ですがぁ、治療した患者さんが私とガストーネ様にと持ってきてくれたものですから▪▪▪」
ウラジミールが差し出したトレーには、温かそうな湯気をたてた紅茶と、表面をカラメリゼされた甘そうなパイのような焼き菓子が乗っていた。
「俺がそんなもの食うと思うのか?」
「いいえぇ、でもガストーネ様は元々人間だったとお聞きしていますぅ、ならば食べられない訳でもないでしょうと思いましてぇ?」
ガストーネはチラリとトレーの焼き菓子を見た。
そう言えば食事なんて何時から摂って無いのだろう?
ましてや、甘い菓子なぞ、言わずもがだ。
気が付くと手が焼き菓子に伸びていた。
口許に運ぶ手が小刻みに震えていた。
一口頬張った。
「甘い▪▪▪」
そう言って残りも口に押し込んだ。
サクッとした生地と濃厚なバター、程よい塩味、タップリと砂糖を使っているのだろうが、甘さの限界で素晴らしく調和している。
素朴な味わいの中に、この調和を作り上げた職人の「意気」を感じる。
ガストーネはもう一つと手を伸ばした。
紅茶も口に含んだ。
何だろう?
知っている。
長い間忘れていたが、自分はこれを知っている。
ウラジミールは、ガストーネの右目から溢れる涙を見たが何も言わなかった。
トレーを袖机に置き、一礼して立ち去った。
ガストーネはそれにさえ気付けないでいた。
◇◇◇
「おうっ!良いじゃねぇか!」
ガンゾウの目の前には広大な草原が広がっていた。
「もうさあ、あんた達なにやってたのよ?あたし一人だからさ、出来ることなんて限られてるんだからね!」
そうぼやいたのはドリアードのエルヴィーラだった。
「凄ぉぉぉい!何処までも草原だぁ!」
犬、尻尾千切れるぞ?
「ほれ!走れ犬っ!」
ヘリオスがそう言って棒切れを投げた。
「ウオォォォォン!」
走りやがった▪▪▪
「先行してた弟のアンセルモは▪▪▪」
「来てないわよ、その子だけじゃなくて誰一人。」
エルヴィーラの言葉に牛の長男のアガピトが肩を落とした。
「他の方々ならいざ知らず、ミノタウロスではなくなった我らは只の亜人▪▪▪アンセルモが生きているとは思えません▪▪▪」
ふん、そうか、言うのを忘れてたな。
まあ、良いさ。
アンブロシウス達は西へ行ったらしいからな。
ブラウリオに乗ってくるならもう着くだろう。
ポスカネルが牛兄を慰めてるがな。
「ドリアード。」
「なあに?名前有るわよ、エルヴィーラ。」
「そうかい、ドリアード、この放牧地は見事だ。流石だな。」
「あら、ありがとう。なかなか見る目が有るじゃない?」
「ウラジミールが居なけりゃなかなか進まねぇと思っていたが、どうしてどうして、見事だよ。」
「まあね、これだけの広さを整えるのは流石に苦労したわ。
でも、これだけじゃないわよ。」
「ん?」
「まあ着いてきてよ。」
エルヴィーラは、そう言って小肥りの身体を背中の小さな羽を激しく羽ばたかせて飛んだ。
「こっちよ。」
ふん、なんだよ?
期待するじゃねぇか?
「ポスカネル、先行くからな。」
「え?ガンゾウさん!」
「そいつらよろしくな。」
走り回る犬。
その犬で遊ぶ禿げ。
泣き崩れる牛。
それから▪▪▪忠也?
ふん、まあ、害は無ぇだろう。
「じゃあな、頼んだぜ。」
俺は皆に構わずエルヴィーラの後を追った。
◇◇◇
アンブロシウスとベルギッタは、西方大陸の東端の国、レクオス王国に入った。
人間以外が住みづらい大陸ではあるが、それでもこのレクオス王国は、中央大陸に近いこともあって、カルアラレック王国に比べればまだ亜人の割合が多かった。
もちろん、そのほとんどが他の大陸から商用でやって来た商人であったり、他の大陸の国々の役人達だった。
「へぇ、結構賑やかなのね?見て、市場の規模がなかなか大きいわよ。」
ベルギッタが、何処で手に入れたのか片手にリンゴを持ち噛りながら話した。
「そうですね。レクオスは西方大陸の窓口とも言える国ですからね。他の大陸と交易する商人は、概ねここから出発します。
ですからここの港は西方大陸随一の規模を誇っているはずです。」
「▪▪▪詳しいのね?」
「昔▪▪▪そう、大昔の話ですよ▪▪▪」
「?」
「さあ、少し探りましょうか?」
アンブロシウスは、そう言って慣れた足取りで市場へ踏み入った。
「ちょ!待ってよ!」
ベルギッタは慌てて追いかけた。
二人の姿は、あっという間に人波に飲まれた。




