◆◆㉑遠吠えと女の子◆◆
順調順調。
鋼管に炎を送り込みながら葉巻を噴かす。
葉巻の香りに混じって潮の匂いも爽やかだ。
なる程な。
豊かな海だ。なぶらが立って海鳥が集まり喧騒を醸し出す。
そこへ小魚を一網打尽にしようと『鯨』が大きく口を広げて海面に飛び出してきた。
おお!ヤンヤヤンヤ!
見た目は俺の知っている鯨とそう変わり無さそうだが、何しろデカイ。
空は何処までも高く、蒼く▪▪▪
海は碧く深々と濃さを増している。
時折流氷の欠片が船縁を横切る。
俺はエンジン(俺の業火な。)を止め、船を波の揺蕩うのに任せた。
寝転がり葉巻を噴かした。
気持ちが良いな▪▪▪
睡眠など必要の無い俺だが、この揺れは眠気を誘うな▪▪▪
陽射しは柔らかく風も優しい。
こりゃ化かされるな。
「アンタが『主』かい?」
目を瞑ったまま聞いてみた。
何も聞こえない。
しかし、頭のなかに直接言葉が届いた。
『そう呼ばれていることは知っている▪▪▪』
ふん、この手の呼び名っつうのは自分から名乗ることなんか無いからな。
「そうかい。アンタと話をしたいと思って来たんだがな。」
瞑った瞼を通過していた光が消え、暗い影が落ちてきた。
次の瞬間、俺は船ごと『主』に飲まれていた。
◇◇◇
「大丈夫でしょうか▪▪▪」
「俺らの大将はこの世界で一番強ぇえんだ。
何を心配する?」
ウラジミールがメビウスと鯨漁の相談をしている後ろでポスカネルとヘリオスが話している。
「ん?小僧はどうした?」
「タウリ君なら石化を解きました。」
「それは知っている、船に試乗してたしな▪▪▪あっ!」
「え?」
「小僧、船から降りてねぇぞ?」
「ええっ?」
皆がガンゾウが消えた海を見た。
「大丈夫でしょうか?」
「丸橋?何で降ろさなかったんだよ?」
「タウリ君はヘリオスさんの管轄ですよ!」
「何時決まったんだよ!」
「小僧小僧って可愛がっていたじゃ無いですか!」
「何だとこのヤロウ!」
「何ですかっ!」
「テメエ!相手してやる!表に出ろっ!」
「おお!喧嘩売ったこと後悔するなよ老い耄れ!」
「何だとごラァっ!」
そう言い合いながら二人は表へ出た。
「隊長ぉ、良いのですかぁ?」
「ウラジミールさん、その気もないのに心配する素振りは止めましょう。」
「そうですねぇ、死ななければ治癒して差し上げますからぁ。」
「お願いしますね▪▪▪」
ポスカネルは小さく溜め息をついた。
◇◇◇
あっちの世界のお伽噺に有ったな。
鯨に飲まれて腹の中に入ったらそこには誰かが住んでいて▪▪▪
んな訳ねえだろう▪▪▪
見事に有機物を溶かしていく『胃液』がダブダブ言ってやがる▪▪▪
「くさァァァァいっ!」
ん?
「犬? 何してんだ?」
「面白そうだからついてきちゃいましたぁ▪▪▪
でも▪▪▪くっさぁぁぁぁぁっ!」
そりゃ臭えわな。
何せ胃の中だ。
「犬、死ぬぞ?溶けるぞ?」
「嫌です!一人前になってアゼッタに帰る約束をしたんです!」
そんなこと言ってもな▪▪▪
まあ、空間開けてぶっ込むか▪▪▪
で、空間を切ったのだがな、文字通り『空』を切った。
つまり犬をぶち込む穴が開かないのだな。
ほほう?面白れえじゃねぇか?
何時以来の『ピンチ』だ?
「犬、空間が切れねぇ、最悪覚悟しろよ。」
「▪▪▪仕方ないですね。自分の責任ですから。
でも、最後まで諦めませんよ。」
そう言った『犬』が、鯨の腹を震わせる程の『遠吠え』を発した。
「ウオォォォォォォォッ!ウオォォォォォォォッ!ウオォォォォォォォッ!」
おお、子供だと思っていたが、いや、事実子供なのだが、さすが狼族といったところか?
なかなか凄ぇ遠吠えだ。
途端、景色が変わった。
鯨の腹の中に居たのは事実だ。
なにせ船が胃液まみれで溶けかかってシュウシュウ言っている。
その船ごと真っ白な空間に浮かんでいた。
「これは▪▪▪?」
タウリも呆然と辺りを見渡した。
ふん、やっとお出座しか?
「あなたはだれ?」
唐突に声を掛けられた。
いや、声を掛けられたのは「犬」のほうだ。
「あなたはだれ?」
小さな女の子だ。
見た目五歳ほどか?
フワフワの薄く黄色掛かった羽毛のような衣を纏っている。
「ぼ、僕はタウリ、狼族だよ▪▪▪」
「たうり?すごくきれいなこえだったね?もういちどきかせて?」
「え▪▪▪」
犬がちょっと困った顔して俺を見た。
黙って頷いた。
「じ、じゃぁやるね?」
コホンと咳払いかまして犬は吠えた。
「ウオォォォォォォォッ!ウオォォォォォォォッ!ウオォォォォォォォッ!」
「すてきすてき!もういっかいもういっかい!」
女の子がぱちぱち手を叩きながらアンコールした。
「ウオォォォォォォォッ!ウオォォォォォォォッ!ウオォォォォォォォッ!」
「すてきすてき!もういっかいもういっかい!」
「え▪▪▪」
その後、20回のアンコールを終えたとき、犬の声は掠れて、蚊の鳴くような音しか出なくなった。
「ありがとう。すてきだったわ。」
そう言って女の子は犬の頭を撫でた。
「いえ、こちらこそ誉めてもら▪▪っ▪▪て▪▪?
声が!喉が治ってる!」
そう言いながら俺を見るがな、俺じゃねぇぞ?
「ところであなたはだれ?」
女の子は、今度こそ俺に聞いてきた。
◇◇◇
その森は木漏れ日爽やかな穏やかな森だった。
けっして暗がりを生む事無く、小鳥や野ウサギ、小動物が『命の心配』をする事無く駆け回っている。
「でも▪▪▪あまりにも出来すぎよね?」
ベルギッタさんが不安を口にしましたが、今見えている景色は見たままだと思います。
視線を感じます。
「ドリアード?居るなら姿を見せて頂けませんか?」
と、とりあえず聞いてみました。
まあ、居るのは分かっていますが、我々は他所者ですからね、警戒を解くように話さないといけませんからね。
「早く出ていったほうが良いわよ▪▪▪」
少し先の樹上から声がしました。
「そうですね、そうしたいのは山々なのですが、こちらにも事情が有りまして、もう少し先に進まなければなりません。」
そう言うと、ガサガサと枝を揺らして小肥りの女が降りてきた。
「あのね、アンタ達死んじゃうわよ?
私が報告しなくてもこの森、いいえ、大陸のあちこちに監視が居て魔王の手下が飛んで来るわよ?」
「そうですか、まあ、来たら何とかしますから。」
「▪▪▪」
ドリアードは怪訝な表情を浮かべた。
「▪▪▪知ってるの?あの男を?」
「はい、些か、いえ、かなり良く知ってます。」
ドリアードが見るからに及び腰になる。
「心配要りませんよ。彼らとはむしろ敵対関係とでも言ったほうが良いくらいですから。」
「て!敵対って!その方が危ないじゃないのっ!」
まあそうですね。
でも来ちゃいましたね。
魔物の気配は無かったはずですが▪▪▪
森の木々の隙間から差す陽射しが消えた。
晴れ渡った青空は、あっという間にどす黒い雲に覆われた。
走り回っていた小動物達は姿を消した。
小鳥の囀りも聞こえない。
生臭い風が、瘴気を纏って吹き付けてきた。
ほほう?これはあの方ですかね?
バサッバサッと無遠慮で威圧するかのような羽音とともに降りてきたのは▪▪▪
「ち!父上っ!」
ブラウリオが叫んだ。
その竜の顔は、酷く歪んでいた。
まるで握り潰されたかのように。
 




