◆◆⑩照れるポスカネルと邪魔な牛◆◆
「父上、聞こえますか?」
サンシキスミレの館の地下深く、ビッグケリーとバリヤフが入れられたのは、『丁重に』と注釈が付いた割りには湿気と黴臭さに満たされた薄暗い牢だった。
一応、寝台は運び込まれたが、一晩で湿気に侵され、横たわれば余計に寒さを感じた。
「ああ▪▪▪」
短い返事だが、その声は太く威厳に満ちていた。
「未だに信じられません、母上とユリヤーノフが反乱を起こすなど▪▪▪」
「▪▪▪」
地下牢には窓がない。
明かりなど射し込まないが、上階に通ずる通路の壁には松明が灯されているはずなのだが、今はそれすら無い。
信じられないのはビッグケリーも同じだった。
いや、最愛の伴侶に裏切られたのだ。
さすがのビッグケリーも混乱した。
しかし今はもう腹を括っていた。
「あれはマチルダでは無い。
いや、正確に言えば、身体はマチルダの物だが意識はマチルダではない。ユリヤーノフもそうだ。」
「▪▪▪どういうことでしょうか?父上?」
「わからん。」
ビッグケリーは両の手首にはめられた手枷を眺めながら呟いた。
「もし▪▪▪もし苦しんでいるなら▪▪▪
早く楽にさせてやりたい▪▪▪」
絞り出すような声は苦痛に満ちていた。
後にも先にも、父の苦しげな声を聞いたのはこの時だけだったと、後日バリヤフは述懐した。
◇◇◇
「ん?」
「どうされましたかぁ?ブラウリオ様ぁ?」
ブラウリオ達はガンゾウ達と分かれ、ニュクライノスに向かっていた。
間も無くニュクライノスの外壁が見えてこようかというところで、ブラウリオは後方から近付く『気配』を感じ取った。
「いや、ここで少し休憩を取りましょう。」
「ニュクライノスは目の前です?私もですが、皆さんお疲れになるほどの距離では無かったと思いますが?」
忠也が怪訝な顔で聞いた。
「すいません、多分、いえ、間違いなくもうすぐここにクリスタが到着します。」
「姫様が?で、でわでわ!フロリネさ▪▪▪いえ、デカ尻好色エルフも一緒ですかぁ?」
ブラウリオと忠也がチラリとウラジミールを見た。
「ウラジミール殿、好いた女子にその様な物言いはするものではありませんぞ?」
ニヤニヤと口角を上げながら忠也が嗜めた。
「あやっ!あややややや!誰が好いた女子なのですか!そ!その様な事を言うならば、丸橋さんには治癒も回復も施しませんからね!」
「ハッハッハ!それ、その様子が肯定しておる。」
そんなやり取りをしていると、南の空に何かをぶら下げて飛ぶ姿が見えた。
「ほら、あれですよね?ディートヘルムさんがぶら下がっているようですから、フロリネさんも居るのじゃないですか?」
「▪▪▪おおかたむこうでももてあまされて追い出されたのですよぉ▪▪▪」
とか言いながら、ウラジミールの目はどんどん近付くクリスタ達を凝視していた。
そしてあっという間に上空に到達すると、フワリと地上に降り立った。
「お兄ちゃん!ただ今!」
ディートヘルムの肩を掴んでいた足を離すと、クリスタは人姿になった。
「お帰り、ご苦労だったね。」
「何て事無いわよ。ところでガンゾウと他の子達は?」
クリスタが周りを見渡しながら聞いた。
「まあ、ちょっとした理由でガンゾウさん達は先に極北の海に向かったんだ。」
ブラウリオが頭を掻きながら答えた。
「姫様ぁ!お帰りなさいませぇ!」
「うん、ウラジミール、そうだ、ちょっとディートヘルムに治癒施してあげて。」
クリスタが振り返って見た先には、力無く座り込んだディートヘルムが居た。
「ありゃ?どうされましたかぁ?」
「肩を掴んで飛んでたからね、穴が開いちゃったのよ、肩に▪▪▪」
見るとディートヘルムの両肩から血の筋がこびりついていた。
「ありゃぁ、性悪エルフのせいで痛い目にあわされちゃいましたねぇ、それ私も経験有りますけど痛いですよねぇ▪▪▪」
ウラジミールは、そう言いながらディートヘルムの横に居たフロリネを無視したようにディートヘルムに近付いた。
「最悪▪▪▪何でポスカネル達が居なくてゴブリンっ鼻が居るのよ?」
「さあさあ、ディートヘルムさん、今治して差し上げますからね。」
ウラジミールがチラリとフロリネを見て重ねた。
「ああ、クサイクサイ、瘴気よりも身体に悪そうだぁ▪▪▪」
「こっのぉっ!」
フロリネが放ったクナイをウラジミールは尽く避けた。
結果、全てウラジミールの陰に居たディートヘルムに刺さった。
「▪▪▪痛い▪▪▪」
「!ご、ごめんなさい▪▪▪」
「ありゃりゃりゃ?まったく仲間を傷付けるなんて酷いですねぇ、仲間なのにねぇ▪▪▪」
と言ったウラジミールに忠也が言った。
「何だかんだ言っても『仲間』と思っているのですねぇ、。」
「!い!いやいやいやいや!」
「照れなくても良いですよ?ウラジミールさん?」
「て!照れてなど!」
バタバタと騒ぐ面々には構わずブラウリオが言った。
「ところでディートヘルムさんは何故身体を『硬化』させなかったのですか?
硬化させていれば爪が食い込む事も無かったと思いますが?」
「あ▪▪▪」
と、顔を見合わせる面々だった。
◇◇◇
「おう小僧。」
「タウリです。」
「おう、少し散歩に連れていってやるよ。」
「何ですか?散歩って?」
とか言いながら、千切れる程尻尾振ってるぞ?
「ガンゾウさん、少し先行して食い物探してくらぁ、小僧の鼻が必要だからな。」
あ?食い物なら▪▪▪
「いやいや、たまには貯蔵品じゃぁなくてよ、新鮮なやつ食いてぇじゃねぇか?
おい、行くぞ小僧!」
「ですからタウリですってば!」
ふん、犬、喜んでるじゃねぇか?
尻尾千切れるぞ?
「テェ事だから、隊長さんよ、ガンゾウさんとよろしくな!」
「え?」
「行くぞ小僧!」
「ですからタウリですってばぁ!」
とか叫びながら走っていきやがった。
「まあ、確かにな、ここに来てからストック食い続けているからな。
鹿の一頭も捕まえてくれりゃぁな。」
新しい葉巻を出して火をつけた。
ん?
「どうしたポスカネル?顔が赤いぞ?」
「い、いえ、何でも▪▪▪」
「そうか、ならいい。」
『もう、ヘリオスさんったら、ガンゾウさんと二人きりなんて、な、何を話したら良いの▪▪▪』
ポスカネルがチラリとガンゾウを見上げると、何の変わりもなく前を向いて飄々と歩き、煙を吐き続けている。
『せめて角馬にでも乗っていれば、何か話の種もあったのでしょうけど▪▪▪』
ルルキーヌに上陸してから、それまで乗っていた角馬は瘴気にやられて倒れてしまっていた。
「▪▪▪カネル。」
『本当にヘリオスさんったら、こういうのをお節介って言うんです。ガンゾウさんはもう男女の仲なんて興味ないのですよ?それを▪▪▪』
「おいポスカネル?死にてぇのか?」
「え?」
気が付くと目の前には何かの巨大な影が落ちていた。
「ほう?こりゃ見事だな。」
ユルシアにもたまに出てきたが、こんな妖精に加護された土地に出るとはな。
まあこのサイズなら自分で瘴気滲ませていられるんだろうな。
ガンゾウとポスカネルの目の前には身の丈5mになろうかと言うミノタウロスが立っていた。
しかも3体。
「ブモッボゥフッ!」
どれ、久しぶりに懸賞クビでも取るかね?
 




