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大賢者様の聖図書館  作者: 櫻井 綾
第1章 大賢者様の秘書になりました
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5.異世界への扉

ブクマありがとうございます!

 私が契約書に署名を終えると、境さんは満足そうに書類をしまい、すぐ席を立った。


「署名は頂きましたので、あとは焔さんのお好きなようにして頂いて構いません」

「忙しいところ申し訳ないね、境さん。ありがとう」

「いいえ、焔さんはこういうところきちんとしてくださるので、こちらとしても助かります。――では」

「ああ、また報告するよ」


 さらりと別れを告げて、境さんが去って行く。

 2人と1匹なったテーブル席で、私はひとつ、ふうと息を吐いた。ずれていた眼鏡の位置を直して、ぬるくなってしまったカフェオレを飲む。……そろそろ、カップの底が見えそうだ。


「――正直、断られると思ってたんだ」


 ぽつりと、テーブルにこぼれ落ちた言葉に顔をあげる。ぼうっと窓の外に向けていた視線をこちらに向けて、焔さんは気が抜けたような笑みを見せた。


「それでも君は、信じてくれた。ありがとう、梨里さん」

「……私は、まだちゃんと信じられたわけでは、ないです」


 異世界とか、話の全部を信じたわけじゃない。だから、お礼を言われるのも、ちょっと違う……と、思う。


「焔さんから聞いたような……そんな図書館があるのなら、見てみたいと思った。それだけです。お話を信じたからってわけじゃないから、そんな、お礼言われるようなものじゃありません」

「……そっか。それなら、こういう言い方をしないと」


 申し訳なさに俯く私の頭に、焔さんの声と同時に、そっと温かい感触が一瞬だけ。

 驚いて顔を上げるけれど、彼はにこにこしているだけで、さっきの一瞬の温かさがなんだったのかはわからなかった。


「一歩を踏み出す勇気を出してくれて、ありがとう」


 真正面から伝えられた言葉は、あの日のようにまっすぐだ。

 その言葉にはさすがに、反論するような言葉も見つからない。


「……どういたしまして、です」


 カフェに流れるBGMや喧噪にかき消されるぎりぎりの小さな声で、やっとそれだけ、返事をしたのだった。






 お互いの飲み物が空になった頃、私たちはカフェを後にした。

 カフェに来る前と変わらないどんよりした雲の下、向かう先は私の自宅。

 どういうわけなのか、あの後焔さんが「君の家まで移動しよう」、と告げてきた。

『大丈夫、安心して。玄関の外まででいいよ。そこから僕の図書館へ道を作るから』

 にこにことそんなことを言っていたけれど……。これはいよいよ、異世界への初移動、ということになるのだろうか。

 家に向かう道すがらでも、焔さんはいつもの落ち着いた姿に見えるが、声の端から少し楽しそうな様子が見え隠れしている。


「あ、そうそう。君の制服、必要になると思って。向こうに用意してあるんだよ。僕の秘書だから、みんなとは違う色にしてみたんだ」

「そう、なんですね」

「うん、気に入ってくれるといいな。……ところで、家まではあとどのくらい?」

「すぐそこです。もう見えてる……あそこの」

「ああ、本当に近いんだね」


 どこにでもあるようなアパートの階段を上って、たどり着いた自宅の玄関。


「この部屋です」

「わかった、それじゃ……ああ、開けなくていいよ。そのままで大丈夫」


 鍵を取り出そうとする私を制して、焔さんはドアノブにそっと触れる。


「ちょっとだけ、待っててね」

「……」


 そのままの姿勢で目を閉じた焔さん。その様子だけを見るなら、すごくそれっぽい。

 そう、魔法を使ってるっぽい感じがすごくする。……けど。

 半信半疑のまま、なんとなく声を出さずにその様子を眺めていた時だった。


「……?」


 あれ、気のせい? 今、一瞬。

 ……いや、やっぱり気のせいじゃない。

 曇り空のせいで、ちょっと薄暗いアパートの廊下で。

 ドアノブに触れている焔さんの指先が、ぱちぱちと小さく光の粒を発している。

 小さく細かい紅い粒が次々跳ねて、空気中に消えていく。

 ――ファンタジーでいうなら、魔法のような。

 ぱちぱちした光は次第に量が多くなっていく。そのうち、ぼうっとした紅い光が玄関の扉を縁取るように輝いていた。

 呆けたように見惚れている間にも、今度は、光が急速に薄くなっていく。

 彼がそうしていた時間は、5分もなかったと思う。

 光の粒が見えなくなった頃、彼の声にはっと意識を引き戻された。


「――はい、おわり」


 最後に扉から、かしゃんと鍵の掛かるような小さな音がして、焔さんが顔を上げた。


「これで、外側からでも内側からでも、僕の世界に繋がるようになったよ」

「ええと……?」

「ブレスレットをしてる手で開けると、図書館へ。もう片方の手で開けると、君の部屋に行けるようにした。よかったら、試してみて」

「……」


 そんな簡単に行けてしまっていいのだろうか、異世界。

 何はともあれ、ここまできたらもう、確認してみないといけない。

 鞄から鍵を取り出して、いつも通りに鍵穴にさし、回す。


「……」


 数秒だけ迷って、私はまず、ブレスレットのついていない右手でドアノブに触れた。

 がちゃりと、いつも通りに扉が開く。少しだけ隙間を開けそっと覗いた先は、つい1時間程前に自分が出てきたままの、自宅の玄関だった。

 ……何もおかしいところ、なさそうだけど。

 一旦扉を閉めて、焔さんの方を見る。促すように無言で頷かれて、また玄関扉と向かい合った。


「……」

「怖いか?」


 左手を持ち上げたまま躊躇している私の肩に、とす、と軽い衝撃があって、アルトが飛び乗ってくる。


「……ちょっとだけ」


 左手でこの扉を開けてもやっぱり自分の部屋で、私は彼に騙されてるのかもしれない。

 ――それでも。

 この先が本当に異世界だったらいいなって、ほんのちょっとだけ思っている。

 すうっと息を吸って。ぐっとお腹に力を込めた。

 非日常へ一歩踏み出すと、決めたのは自分だ。

 左手でドアノブを掴んで、力を込める。

 かちゃりと、いつもとは違う音がした。

 ちょっとだけ開いた隙間から、自分の部屋とは違う香りがふわりと漂う。この香りは――、ハーブみたいな匂いと木の匂い、それから。

 私の好きな、紙とインクの匂いだ。

 さらに力を込めて、扉を大きく、開けた。


「――っ!」


 目の前に広がったのは、いつもの玄関じゃない。

 温かなオレンジの光に照らされた、木造の柱と石の壁。

 木製のシンプルな椅子と机が置かれた、小さな小部屋だ。

 ……夢を、見ているのだろうか。

 中世を思わせるような雰囲気。今まで感じたことのない空気が肌に触れて、少しだけひんやりした温度に鳥肌が立った。

 目を丸くして恐る恐る部屋に足を踏み入れれば、柔らかな紅い絨毯が足音を吸ってくれる。


「わ……」

「うん、成功したみたいだね」


 後ろから小部屋に入ってきた焔さんが、入ってきた扉を閉める。慌てて振り返ると、今入ってきた扉には、青い布飾りが掛けられていた。


「行き来するときは、そこの青い布の扉ね。この部屋は自由に使ってくれていいよ。欲しい調度品もあれば、アルトに言って」

「焔さん、ここ……」

「うん?……あぁ、おめでとう。君は無事に世界の境界を越えて、僕の世界へとやってきたんだ」

「ここが、異世界……?」

「まだ実感ない、って顔してるね。ひとまず、そこの椅子の上に君の制服があるから、着替えてくれる? 僕は自分の部屋で着替えをしてくるよ」


 椅子の上……あ、あれかな?

 焔さんの視線を追いかけると、向こうの椅子の上に大きめの箱が置いてある。あの中に、制服が入っているのだろうか。


「着替え終わったら、今度はここの、紅い布がかかった扉から出てきてね。そっちが図書館に繋がってるから。――じゃあ、また後で」

「あ」


 箱と部屋の中に気を取られて、ぼうっとしていた。

 扉の閉まる音に、はっと気づいた時にはもう、焔さんは紅い布の扉からどこかへ行ってしまっていた。


「よし、まずは着替えだな」


 そう言って、アルトはぴょんと器用にテーブルの上に飛び乗った。取り敢えずひとりではないということに安堵する。……知らないところに突然ひとりは、やっぱり不安だ。

 ええと、さっき見た着替えの箱は……。あれか。

 椅子の上にあったのは、そこそこの大きさの木製の箱だ。さっきちらりと見たときも思ったけれど、洋服が入っているにしては随分大きい気がする。持ってみると、やはりというか、ずっしりした重みが両腕にかかった。

 布って、こんなに重いものだっけ……?

 首を傾げつつも箱を机の上に移動して、そっと蓋に手を掛けた。


「わ」


 中に入っていたのは、白いブラウスに、ワインレッドのスカートとジャケット。黒いベストも入っている。ブラウスはシンプルだけど袖がふんわりしたシルエット、スカートやジャケット、ベストも、全体的にシンプルでシックだが小さく黒いベルベットのリボンがついていたりして。


「……可愛い」


 思わず口から漏れてしまった本心に、アルトは「そぉかあ?」と首を傾げた。


「その程度ならめっちゃくちゃ地味だと思うけどな」

「えぇ、それはないよ……」


 何というか、クラシックな感じですごく綺麗だ。


「俺様は向こうむいておいてやるから、さっさとしろ。あいつも待ってるだろ」


 衣装を広げてしげしげ眺めていたけれど、アルトの言葉にはっと我に返る。

 そうだ、焔さんが待ってるんだ。

 アルトが壁を向いて身体を丸めているのだけ確認して、私は急いで着替えに取りかかることにした。


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