43.ワルツの練習、しようぜ!
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「……ふああ……」
帰宅するなり、ぼすんとソファに身を投げ出した。
なんだか色々あった一日だった。本当に。
ワルツの練習も、焔さんとの昼の一件も。……なんだろう、まだ週の始めだというのに、もう1週間分は疲れたような。
瞼が閉じそうになる中、呆れたようなアルトの声が頭上から降ってきた。
「おーい。なんとかとかいう、友達に電話するとか言ってなかったか、お前」
「……あー」
そうだ、美佳に電話しないと。
重い身体をずるっと持ち上げて、携帯電話に手を伸ばす。
コール音は3回もせずに鳴り止んで、夜だというのに元気いっぱいな彼女の声が聞こえてきた。
『もしもしー!』
「もしもし、こんばんはー美佳」
『こんばんは!……って、どうしたのよ、ゾンビみたいな声出して』
「ゾンビって……ひどいなあもう。疲れただけだよー」
『ええ……まだ月曜だよ?仕事そんなに辛いの?大丈夫?』
美佳にまで心配されてしまうと、さすがに自分が情けなくなってくるような。
声だけでもしっかりしようと、ソファに座り直しながら一つ、美佳にばれないように溜息を吐いた。
「んー、週末の準備でちょっと……。仕事は辛くないの。ただなんていうか……ちょっと色々あって」
『ふうん……まぁそんな日もあるか。あ、それで? 週末のこと聞いてくれたんでしょ?』
「あ、そうそう。仕事は土曜だったから、お茶するのは日曜の昼間で大丈夫かな?」
『ん、日曜ねー了解した!待ち合わせは前回のとこと同じでいいでしょ?』
「うん、大丈夫。時間はどうしよう?」
『あ、時間はちょっと調整してからまた連絡するわ。それでいい?』
「大丈夫。うん、それじゃまたね」
『うん、おやすみー!ちゃんと休むんだぞー!』
「あはは、ありがと」
通話を切って、うんと大きく伸びをした。
美佳はいつもいつも元気で明るくて、ちょっとうらやましくなってしまう。
ソファに置いてあるクッションをちょっとだけふかふかして、そのまま寝たくなってしまう気持ちを頑張って振り切った。
明日も仕事だし、早く寝なくちゃ。
……今日は一日、何となく昼のことを色々と思い出してしまって、その度になんとも言えない気持ちになって……本当に気疲れしてしまっている。
明日もワルツの練習あるんだし、ちゃんとお風呂で温まって、ゆっくり寝よう。
こういうときは、寝るのが一番だって……どこかの偉い人も、言ってたはずだ。
翌日。
ワルツの練習、2日目。
今日も頑張ろう、と気合いを入れて扉を開いた面談室にはやはり美女ふたりが待ち構えていて、昨日と同じようにシャーロットのドレスに着替えてのレッスンが始まった。
2回目の今日はといえば、背の高いグレアが男性役として相手になってくれている。
「1,2,3――はい、ターンして」
シャーロットの声に合わせてくるりと回る。足をもつれさせながら、なんとかグレアの正面へと戻ってくるけれど……。
わたわたしているうちに、すぐに次のステップが始まってしまい、盛大に間違えた。
「あっ――」
「はい、一度休憩にしましょう」
シャーロットの言葉に、グレアから離れてすぐ頭を下げる。
「ご、ごめんなさい!」
「まだ慣れないのでしょう?焦らないようにして、あとは練習あるのみですわ」
「うん……」
グレアにそっと肩を叩かれて、項垂れながら長椅子へと腰を下ろした。
相手役がいると、どうしても勝手が違う。それをものすごく実感していた。
美味しい紅茶にほっと息を吐いていると、隣のシャーロットがすすっとお菓子を差し出してくれる。
「相手がいると、また違いますでしょう?」
「うん……本当、ひとりで踊ってたときと全然違う……」
「男性にリードしてもらって、女性は身を任せながら踊る。最初のうちは、中々難しいですわよね。……まぁ、何が何でも踊れるようになってもらいますけれど」
「うう」
付け加えられた一言に、がくりと肩を落とした。
さっきのように、男性のリードに上手く乗りながらステップを踏む、というのがどうしても感覚的が掴めないでいるのだ。
しかし、本番が週末に迫っている今、甘えたことは言ってられない。
身体が少し休まったところで、ぐっと紅茶を飲み干して立ち上がる。
頑張らなければと、残りの2人の休憩が終わる前に、少しステップの予習をしようと一歩足を踏み出した。
がちゃ。
ノックの音もなく、突然面談室の扉が開いたのは、その時だ。
驚く私たちがそちらに顔を向ける中、礼儀もなく突然に扉を開けた本人が、ひょっこりと顔を覗かせてキラキラした笑顔を浮かべた。
「ああ、やっぱりここにいた」
「でっっっ」
「殿下?!」
きらめく金髪と宝石のような薄紫の瞳の青年に、シャーロットとグレアが悲鳴のような声を上げて立ち上がり、慌てて頭を下げた。
それを聞いたライオット王子は、慌てた様子で部屋に入ってきて後ろ手に扉を閉めると、しーっと口元に人差し指を立てる。
「もうちょっと静かにしてくれ!他の人間に見つかるだろう」
唐突に現われたこの国の王子は、呆然としたまま動けずにいた私と目が合うと、嬉しそうににっこり微笑んだ。
「こんにちは、リリー。遊びにきたよ」
「こんにちは……って、えっあ……!」
思わず普通に挨拶を返しそうになって、はっと我に返った。
相手は王子。シャーロットとグレアのように、きちんと礼を取るのが当然の行動のはず。
慌ててその場で礼を取ると、歩み寄ってきたライオットにそっと両肩を掴まれ、多少強引に礼の姿勢を戻されてしまう。
「やめてくれ、リリー。あの時俺たちは、友人になっただろう? 頭なんて下げないでくれ」
……私の記憶が正しければ、あの時。
確かに友人になってほしいと言われたし、自分もそれに応えようとしたけれど、それは焔さんによって邪魔されて、うやむやになった筈なのだけど。
どうやらこの王子の中では、私はもう友人という枠になっているらしい。
「えっと……」
困惑したまま顔を上げると、こっちを見下ろすライオット王子は少し寂しげな顔をしていた。
「忘れてしまったのか? 俺が悪いことをしたらあの時のように叱ってほしいし、あの場所に落ちた時のように、普通に接して欲しいと頼んだのに……」
「忘れたわけではない、ですけど……」
「なら敬語もやめてくれ。友人だろう?」
……なんだかもう、このまま否定するほうが不敬な気がしてきた。
王子がそうして欲しいと望んでいるのなら、ここはもう彼の望み通り、本当にただの友人のように振る舞った方が何かと都合が良さそうだ。
ちらりとシャーロットに視線を向ければ、王子の背後で礼の姿勢をしたまま、シャーロットがこっそりと肯定するように頷いてくれた。
ならもう、そういうことでいいのだろう。
「……ええと、それじゃあお言葉に甘えて。取り敢えず一ついい?」
「ああ!なんでも言ってくれ!」
私の態度が柔らかくなったことに、子供のように嬉しそうな顔をするイケメン王子。
その眩しい笑顔に向かって、私はこれだけは言っておかなければ、とにっこりと笑顔を返した。
「部屋の扉を開けるとき、ノックをするのは常識だと思うのだけど」
「……あ……その、確かに、そうだ」
私の言葉に、ひくりと顔を引きつらせるあたり、悪いことをしたという認識はあるようだ。
彼は思いのほか素直に、くるりと振り返ってグレアとシャーロットに向き直った。
「2人とも、楽にしてくれ。……その、先ほどは気持ちが逸ってしまって、無礼をした。すまない」
「……。あっ!いえ、その、気をつけて頂ければ……ね、グレア!」
「えっ!ええ、そう、ですわね。その……ええ……」
シャーロットのその時の顔に驚愕の色が見えて、何となく察するところがあった。
きっと、この王子が自分から謝ることなんて滅多にないことなのだろう。
「そ、それより、殿下はその……リリーに会いにいらしたのですか?」
恐る恐る、というふうに尋ねたシャーロットに、今度はぱっと王子の表情が明るくなる。
ここまでコロコロ表情が変わると、本当に子供のようだ。
「ああ、その通りだロイアー。この時間が欲しくて、ここ数日公務を必死で終わらせたんだ。今日はリリーと話す時間が取れればと思ってな!」
誇らしげにそんなことを言う王子だけれど、私たち3人は顔を見合わせてしまう。
こんな風に突撃されてしまったけれど、今は貴重な授業の時間なのだ。
王子がそうしたいと言っているのならそれを優先させるべきなのかもしれないが……本当に週末まで時間がない今、あまり授業の時間を無駄にはできない。
一瞬で目で会話した私たちだったけれど、皆思う事は同じだったらしい。
最終的にシャーロットとグレアの2人から熱い視線を受けて、私は申し訳ない気持ちになりながら事情を説明することになった。
「あの、殿下。実は……」
かくかくしがじか。
ある程度内容を省略しつつ、今は週末の舞踏会に向けて、ワルツの練習中なのだと説明をする。
真剣な表情でふむふむと聞いてくれていた王子は、なるほど、と顔を上げてまたぱっと明るい笑顔を浮かべた。
「ここにこの3人が集まっていたのは、そういうことだったんだな。そういうことならばむしろ、俺にも出来ることがあるだろう?」
「え?」
すっと、差し出された手の意味が汲み取れず、きょとんと首を傾げる。
何かに気づいたらしいシャーロットが、あっと嬉しそうな声を上げた。
「ワルツの実践練習、なのだろう? 男性役ならば、俺がやろう」
「ええっ?!」
いや、あくまで練習だというのに、その相手を王子にしてもらうというのは一体どうなのか。
「なんだ、リリーは俺では不満か? こう見えて、ワルツは得意中の得意なんだ。余裕が出てくれば、練習しながら話すことだってできるだろうし。丁度いいだろう?」
「えっいやその……私、まだ本当に練習中で……!」
「失敗したって構わない。俺がやりたくてやることだしな。……おいロイアー。俺が相手役をしてはいけないか?」
王子に話を振られたシャーロットは、ぶんぶんと勢いよく頭を横に振る。
「いいえ!いけないなどと、そのようなことはございません。殿下相手に気後れしてしまうリリーの気持ちもわからないでもありませんが……。殿下が相手役をしてくださると仰るのでしたら、大変助かりますわ!」
「ほら、教師役もこう言っていることだし。手を取るのだって初めてじゃないんだ。いいだろう?」
「えっ……えええっと……」
本当に、どうしたら。
王子とは友人(という関係になったはず)なのだから、まぁ……ダンスの練習相手をしてもらうくらい、その、友人ならばおかしいことでもない、ような気もする、けど。
わたわたしているうちに、王子の少し骨張った大きな手が、そっと私の手を握ってきた。
直接触れはしないように、そっと唇を寄せる仕草をするのは貴族男性が貴族の女性へと敬意を表す時の挨拶。
焔さんと良い勝負ができそうな具合に整った、太陽のような容姿でそんな仕草をされれば、どきっとしてしまうのも仕方がないと思う。
ふわ、と再び開けられた、長い金のまつげに縁取られた薄紫の瞳が、楽しそうな色を湛えてきらきら輝いている。
「さぁリリー。ワルツの練習、しようぜ?」
結局私は、期待に満ちた目で見つめてくるシャーロットとグレアの視線に負けて、頷き返す選択をするほかなかったのだ。
「……ご迷惑おかけしますが、お相手、よろしくお願いします」




