262.繋ぎ目と木の実
森をしばらく歩くと、薄い膜を通り過ぎるような感覚があった。
ヴィオラの領域から出たのだ。
周囲の森の様子は、見た目特に変わったところはないが、突然、生き物の気配があちこちに出現する。
久々の外の世界の空気は、少し湿り気を帯びていて、青々しい香りだった。
前を歩くココゼが、歩みを止めないままに話し始める。
「これから、妖精の国へと入る繋ぎ目へと向かいますが……。歩きながら、少し話をさせてください」
がさがさと森をかき分け、道なき道を歩きながら、ココゼは淡々と説明をしてくれた。
これから向かう繋ぎ目は、正式な入り口ではない、ということ。
妖精の世界の産物を秘密裏に入手する人間や、妖精の世界での所謂『ならず者』たちが、女王の許しを得ることなく人間界との行き来をするための入り口なのだという。
正式ではないが、黙認されているような場所のため、そこから出入りしたところで特に咎められるようなことはないらしいが、向こう側が不法地帯であることをしっかり覚えておくように、とのことだった。
……なるほど。たまに闇市へと出回る、妖精族しか扱えないような素材や、向こうの国でしか作られない数々の品は、今から向かうような非正規の場所を使って入手していた、ということか。
ぼんやりとココゼの説明を聞きながら、内心なるほど、なんて納得しつつ歩き続ける。
しかし、そういった素材を入手するのも、大変だろう。
何せ、向こう側へ行って戻ってきた時……家庭や社会といった自分の居場所がそのまま、残っているとは限らないのだから。
それにしても……不法地帯、か。
人間だというだけでもそれなりに目立つだろうに、治安の悪い場所にこの……お嬢様と猪王子を連れていくというのは、少々気がかりだ。
「……ココゼ。少しだけ、休憩させてもらってもいいかい?」
「ああ!もちろんです、気遣いが足らずすみません。皆さんは人間ですから、こんなに長く歩けば疲れてしまいますよね」
ココゼは明るく言って、すぐに開けた場所で休憩の準備を始めてくれた。
僕自身、まだ休憩が必要なほど疲れた訳ではないのだが……後ろを振り返ったところ、ぜぇぜぇと肩で息をする猪王子と、青い顔をしたリンアード嬢が切り株に座り込んでいる光景が目に入って来たため、声を掛けたのは正解だったようだ。
「ちょっとお待ちくださいね。今温かいお茶を準備しますから」
「ココゼ……お前本当に有能すぎるよな……」
息も絶え絶えのライオットの言葉に、リンアード嬢がぶんぶんと首を縦に振っている。
二人のことは、しばらくココゼに任せておけばいいだろう。
「さて……」
僕は見つけた倒木の上に腰を下ろすと、魔術を使って紫色の巾着袋を呼び出した。
空間魔術の応用で、なんでも好きなもの亜空間に収納しておいて、好きなときに取り出すことのできる魔術だ。
金の刺繍が入った深紫色のビロードの巾着は、特別なものだ。
魔術が施された糸で作られていて、魔力のあるモノを入れておくのに最適な、特殊な魔道具である。
金色の組紐を引いて巾着の口を開くと、ずっしりと重い巾着の中から、小石程度の大きさの宝石を3つ、取り出した。
研磨すらされていない紅い石は、強い魔力が宿った魔石の原石たちである。
再び亜空間へと紫色の巾着袋を仕舞い込み、僕は倒木の上に広げたハンカチに、宝石たちをそっと並べる。
両手を翳して、小さく魔術を発動させて……。
そんな作業をしていると、温かな紅茶で復活したのか、ライオットが近くに寄ってきた。
「大賢者?さっきから何やってんだ?」
覗き込まれた手元では、ちょうど魔術をかけ終えたところだった。
「ん。ちょっとね」
適当に答えて、「はい」と、有無を言わさずソレをライオットの胸元へと押しつける。
「は?!ちょっと、何だよこれ……ネックレス?」
背後で受け取ったネックレスをしげしげと眺めるライオットを放置し、ココゼとリンアード嬢にも同じ物を手渡した。
「大賢者様?こちらは……」
「今作った。急ごしらえだけど、お守りだよ。保護の魔術を掛けたから、付けておくといい」
「……すごい、魔術の込められたアクセサリーなんて、初めて見ました……。とても高価なものですよね?」
「気にしなくていい。一緒に行動する君たちに何かあった方が、後々大変だから」
確かに、魔術を込めたアクセサリーというものは非常に高価で、作れる職人も少ない。
貴重なものであるのは間違いないが、正直なところ、僕にとっては魔石があればいくらでも作れるものなので、そんなに珍しいものでもない。
妖精界の不法地帯がどんなものかわからないが、このネックレスをつけていれば、悪意ある接触をはねのけるくらいはできる。
気休め程度にはなるだろう。
「ありがとうございます、大賢者様……!しっかり身につけておきますね!」
素直なリンアード嬢は、すぐに首から提げて、洋服の中へ仕舞い込んだようだ。
ライオットもしげしげとネックレスを眺めながら、ああだこうだとぶつくさ呟きつつ、しっかり身につけている。
彼には必要なかったかもしれないが……もうひとり、ココゼはネックレスをじっと見つめて、「なるほど」と頷いた。
「とても高度な防御魔術が掛けられていますね。僕があんな説明をしたからでしょうか?」
「まあね。僕と君だけならこんなもの必要ないけれど、ライオットはともかく、リンアード嬢には戦闘なんてできないだろうから。障害になりそうなものは、先手を打って防いだほうが利口だろう?」
「確かに、仰る通りです」
ココゼも真剣な表情で頷くと、ネックレスを身につけ、代わりに、と、温かな紅茶のたっぷり入ったカップを差し出してきた。
「これから向かう不法地帯でも、これがあれば僕らが足止めを食らうようなことにはならないでしょう。さすがは大賢者様です」
「大したことじゃない」
肩を竦めて紅茶を受け取ると、ココゼはくすりと笑みを零した。
「全く……。貴方も、ヴィオラ様も。本当にすごいことをなさっても、なんでもないことのように振る舞うところはそっくりですね」
「……嬉しくない褒め言葉だな」
「それは失礼いたしました」
クスクス、と笑いをかみ殺しながら謝るココゼから、更に紅茶もう一杯とお茶菓子を献上された。
しばらくして、僕らは再び森の中を歩いて進んでいった。
薄暗く、陽の光もまばらな森の奥を、妖精について歩いて行く。
繋ぎ目というのは、一体どこにあるのだろうか?
どの位歩けば到着する場所なのか、予め聞いておくべきだっただろうか。
……梨里は今頃、どうしているかな?
やがて、周囲からは賑やかな鳥の声が消え、静かに震える虫の声が響き渡る。
がさがさと、遠くの茂みを揺らしたのは……大きめの魔物だろうか。
すっかり陽が暮れて、夜のとばりが森全体を侵食し始めた頃。
「さて、着きましたよ」
ココゼがやっと、その一言を発してくれた。
「つ、着いたって……?!」
ぜえぜえと、やっぱり息も絶え絶えだったライオットが、喜びの声を上げる。
見れば、いつの間にかライオットの奴、青い顔をしたリンアード嬢の手を引きながら歩いていたようだ。
いつもリブラリカの館内でばかり過ごす貴族の令嬢が、こんな森の中の獣道を歩き慣れているはずがない。
体力的にも辛いだろうに、彼女は一度も弱音を吐くことなく、必死についてきていた。
「リンアード嬢、大丈夫?」
「……だ、大丈夫、です……!まだ、歩けます……!」
青い顔をしながらも、彼女はしっかりと前を見てそんな風に言い切る。
彼女は、梨里のために、と自ら志願してついてきた。
それが、これほど覚悟してのことだなんて……本当に、立派な令嬢だ。
……リリーは、愛されているな。
ふとそんなことを思って、心が温かくなった。
「皆さん、お疲れ様でした。……こちらです」
ココゼが示したのは、なんの変哲もない、唯の木の洞だった。
大きな巨木の幹に、縦長の暗い洞がある。
「ここが……?」
ライオットがちょん、と触れた幹には、しっとりとした苔が生えていた。
「はい。この洞を通り抜けるのですが……その前に」
ココゼは背負っていた荷物をごそごそと探ると、小さなガラス瓶を取り出した。
瓶の中には、小さな木の実のようなものが詰まっている。
彼はそれを人数分、手のひらに取り出すと、全員に一粒ずつ手渡した。
自分に渡された分をつまんで、観察する。
苺を乾燥させたような見た目のソレは、色褪せているが、元は紫色だったようだ。
「こちらは、妖精界にしか存在しない木の実です。ちょっと酸っぱいのですが、こちらをよくかみ砕いて、飲み込まないように注意しながら、この木の洞を通り抜けてください」
ココゼはそう言って、自分の分の木の実を口に放り込むと、もぐもぐと咀嚼しながら木の洞に手を掛けた。




