248.馬車の旅
オルフィード国と隣国を繋ぐ街道。
多少は整備されているのだが、石ころが転がり、走れば土埃が舞うその道を、一台の幌馬車が走っていた。
一見、普通の行商人か何かの馬車だが、近くで見るとそれは、中々に上等な作りになっていることがわかる。
そんな馬車の御者台に、柔らかな茶色の髪を肩口で揺らし、眼鏡をかけた女性がひょっこり顔を出した。
「わああ……!広い草原!まるで物語にでも出てきそうな森までありますよ!殿下!」
「なんだって?俺にも見せてくれ!……おー!本当だな!あの本に出てきた一幕のようだ!」
続いて顔を出してきたのは、蜂蜜色の髪と薄紫の瞳をきらきらと少年のように輝かせた、整った顔立ちの青年。
きゃいきゃいと外の景色にはしゃぐ2人の後ろで、俺はもう、何度目になるかわからない溜め息を吐いた。
「……リンアード嬢……それから、猪王子、お前も。子供の遠足じゃないんだよ?」
「なーんだよ、お前はまーたそんなこと言って!」
心外だ、という顔で、猪王子はふんっと腰に手を当て口先を尖らせる。
「国にとっても重要な遠征だっていうのは重々承知してるさ!だけどな、こんな風に国を離れる機会なんて、滅多にないんだ!長い道行きを、楽しまずぴりぴりなんてしていられないだろ!」
「あはは……。す、すみません。大賢者様。ですがどうしても、私も……わくわくしてしまって。私自身、首都を離れるのは初めてなものですから」
「まったく……」
まぁ、ライオットが言うように、本当に長い道行きだ。
ぴりぴりしたまま過ごすよりかは、いいのかもしれない。
そう納得することにして、また外の景色に楽しく会話を始めた2人から目を逸らし、僕は空を見上げた。
――オルフィード国を出発して、この馬車に揺られ……1週間が経っていた。
この旅に参加したのは、僕を含め3人。
国王を怒濤の勢いで説得し、妖精の国行きを勝ち取ったライオット王子と、どういうわけか出立場にいたメリー・リンアード嬢だ。
猪王子はまぁ、現在ザフィアとの共生生活を送っているということもあり、今回の旅についてくるだろうな……とは予想していたが。
ちら、と視線をやると、リンアード嬢は馴染みのリブラリカ制服姿で、飽きもせず外を眺めている。
――彼女は……出立の日、王城の馬車が用意された場所に、ひとり、意を決した表情で立っていた。
「リンアード嬢?」
彼女は確か、リブラリカで一般書架の担当をしている……リリーとも割と親しい司書だったはずだけど。
首を傾げる僕に、彼女はばっと頭を下げた。
「国立大図書館リブラリカ、所属司書を代表しまして――メリー・リンアード、この度の大賢者様の出立に、お供させて頂きます!」
「え……ええ?」
たじたじになる僕に、リンアード嬢はずい、と一歩、踏み出してきた。
「私、何を言われてもついていきますので……!どうぞよろしくお願いします!」
……あの押しの強さは、もしかしたら貴族窓口に移動させてもやっていけるかもしれないな。
彼女の強い意志に溢れた言動を思い出して、ふとそんな風に思ってしまった。
にしても。
彼女だって、年頃の男爵家の令嬢だ。リンアード男爵家は、小さいながら歴史もあり、常に公平で、堅実を守ってきた名家。
そのご令嬢が、仕事とはいえ侍女も付けず、男たちの中、幌馬車での旅なんて、大丈夫なのだろうか?
「……ねぇ、リンアード嬢」
「はい?」
「今回のこの旅が、妖精の国を目指していることは、理解しているんだよね?」
この1週間、何度も繰り返した質問に、彼女の頬がぷうと膨れた。
「大賢者様。私も申し上げますけれど、十分に承知の上ですわ。失礼ながら、その質問、今ので23回目ですよ?」
「そ……そんなに質問してたかな?」
「してらっしゃいました!もう……お気遣い頂けるのは大変ありがたいですけれど、私はしっかり理解した上でここにいるので、ご心配なく!」
「そ、そうか……」
なんというか、こうもきっぱり言われてしまうと、この先をどう返したらいいのかわからない。
黙り込んでしまった僕を横目に、猪王子が苦笑した。
「リンアード嬢。そんなに大賢者をいじめてやるな」
「殿下!私、いじめてなんか……」
「まぁまぁ。大賢者もさ、心配してるんだよ。リンアード嬢は男爵家の令嬢だろう?この妖精の国行きの旅から戻って、もしかしたら……もう、何十年も経ってしまっているかもしれないんだから」
「……それは……」
猪王子の言葉に、俯く彼女。
どうやら、本当に『妖精の国に行く』ということの重大さは、理解できているらしい。
僕と猪王子が見守る中、彼女は、ぐっと顔を上げた。
「……ご心配は、有り難く思っています。でも私……私も、きちんと理由があってここにいるんです!」
「理由?」
「私は、大賢者様がリリー様を追って、妖精の国へ行くと聞いて……自分からロイアー副館長に願い出たんです。リブラリカの司書代表として、私が付き添って行きたいと」
ぐっと拳を握りしめて、彼女は意志の強そうな瞳でこちらを見つめた。
「ロイアー副館長からも、お父様からも止められました。でも、それでも私は、どうしてもと頼み込んでここに来ました!……リリー様が、旅立った時のお姿が、忘れられなくて」
そっと伏せられた瞳に、きらりと光るものが見えた気がした。
隣にいた猪王子が、ぽんと彼女の肩を叩くと、リンアード嬢はにこ、と笑顔を見せて、再び顔を上げた。
「リリー様は、本当に……眩しいくらい、凜としていらっしゃいました。私たちリブラリカの司書を助けようと、あの火の中でも懸命に走り回ってくださって……。妖精の国へ旅立つとなったあの日も、俯くような様子は、ありませんでした」
「……」
「私、憧れているんです!リリー様に……。私も、あんな風に一生懸命、本に向き合う司書でありたい。リブラリカのために、一生懸命尽くしたい。そう思ったから、リリー様をお迎えに行くというこの旅に、参加したいと思いました」
微かに涙声になった彼女は、目尻を軽く拭いつつ、「それに」と、明るい笑顔で頷いた。
「帰りの道中、リリー様のお世話ができる、同性の私が一緒だと、便利でしょう?」
「うん……そうだね。おしゃべり相手とかいいんじゃない?」
「あら!殿下もそう思われますか?」
「うん。きっとリリーも、君の姿に喜んでくれるよ」
「そうだといいのですけど」
ちょっとだけ寂しそうに笑う2人の様子に、僕はそっとフードを目深に引き下げた。
猪王子も、リンアード嬢にも、こんなに思ってもらえている。
異世界から来た君だけど……この世界で懸命に過ごしていた時間は、確実に君の存在を、この国に刻みつけていたんだよ。
「……梨里さん」
小さく、音にもならないような声で、囁いた――その時。
「殿下!」
外から、猪王子の近衛騎士が呼びかける声がした。
「なんだ?」
猪王子が幌の外へと顔を出し、二、三言会話をして戻ってくる。
「大賢者、そろそろ到着だそうだ」
「ああ、そうか」
騎士の報告から少しして、馬車は小さな街へと到着した。
石畳に、小さな広場。そこを行き交う大勢の人々。
「わあ……思っていたより、人が多いですね」
馬車から降りてきたリンアード嬢が、そんなことを言った。
「ここが、国境の町か……」
猪王子が、従者や騎士たちにあれこれと指示を出している間、僕はそっと、変わらないその町並みを眺めていた。
国境の街――ダンファ。
隣国との間、オルフィード国側最後の宿場町になっているここは、沢山の人が行き交っている。
そういえば、ここからさらに1日ほど馬車を走らせたところに、ロランディアがあるんだったっけ。
夏にロランディアへ行った時は、テレポートの扉を使ったから距離も実感しなかったけれど……こうして馬車で来てみると、中々にリブラリカから離れているんだな。
「おーい大賢者!」
猪王子が、脳天気なことに、人目も憚らず大きく手を振っている。
「お前……そんな大きな声で呼ぶな。騒がれたら困る」
「お、悪い悪い。それで……ここからはどうするんだ?体調は?……ここまで馬車で移動してきたのだって、お前の魔力が回復してないからって話だったろ?」
「ああ……。そうだな。魔力はまだちょっと、回復にかかりそうだ。今夜はこの街の宿に泊まって、明日の朝、徒歩で出発しよう」
「は?徒歩?」
「そう。徒歩。目的地はもうすぐだからな」
そう言って、振り仰いだのは、街の向こう――国境の先に広がっている森。
「あそこへは、徒歩でしかいけないから」
懐かしいような、正直行きたくないような気がするのは、気のせいではないと思う。
冷えた魔力の波動を感じた気がして、僕はちょっとだけ、肩を竦めたのだった。




