245.女王陛下のお膝元
それは、目を見張るほど美しい光景だった。
「うわああ……!」
眼下に広がる緑の森の先に現れたのは、巨大な花――そんな言葉でしか言い表せないほど、美しく壮大な、白い花だった。
大きさは、オルフィードの城下街――それ以上だろうか。
幅広の川から繋がる、きらきら輝く湖の上に、その花はあった。
まだまだ遠いというのに、連なった多数の花びらまでくっきり見えるほどに巨大だ。
白い花弁は虹色の光沢を持ち、花の中心には、これまた美しい白亜の宮殿がどっしりと構えている。
花と湖を囲むようにして、大小様々な木々や小さな泉、ママルファ=エルでも見たような、虹色の花たちが咲き誇っている。
思わず身を乗り出していた私を、背後から回された腕が優しく引き戻した。
「あの景色を喜んでくれるのは嬉しいけど……落ちないよう気をつけろよ」
「あ、ごめん。すっごく綺麗だから、つい」
「まぁ……わからなくもないけどな。田舎から出てきた妖精だって、この光景を初めて見たときには『心が空に昇る』というから」
ルゥルゥの言葉に、再び前方へと視線を戻す。
「心が空に昇る、か……。うん、わかるかも、その感覚」
ぎゅう、と胸元を押さえている手がなかったら、本当に私の心が空に舞い上がってしまいそうだ。
妖精の王国、その首都は、見る者に高揚感を与える何かを持っているようだ。
――ママルファ=エルを出発してから、3日。
途中の小さな村で夜を過ごしながら、私たちはついに、ここまでたどり着いたのだ。
……ここに、あの人がいるのね。
ドキドキと胸が高鳴る理由が、彼女ともうすぐ会えるからなのか、はたまたこの美しい都市を前にしたからなのか、わからない。
わからないけれど……私、ついに、ここまで来たんだ。
そんな小さな達成感のようなものが、私の胸を占めていた。
――その時だった。
「――――?」
ちくり、と、胸に微かな違和感のようなものがあった。
何だろう、洋服が擦れたかな?と――違和感のあった場所に手をやって、気がついた。
それは上着の内ポケット。
ほんの少し、そこから光が漏れていた。
「これ……」
大切に、いつもそこに入れていたのは、マナペンと栞だ。
ごそごそ、と覗いてみれば、栞がきらきらと、淡い光を放っていた。
それはいつだったか、焔さんと城下街をデートしたときに、お互いに買って交換した宝物。
宝石で出来ているとはいえ、自発的に光る筈なんてないのに。
目の錯覚かと思ったが、やっぱりその栞は、数回淡く発光して……そして、ふっと光が消えたのだ。
「……リリー?どうかした?」
背後のルゥルゥから声を掛けられ、咄嗟に上着を直す。
「ううん!何でもないの。ちょっと……服がチクチクしただけ」
「そう?……人間の世界の布って、ちょっと荒いからな。向こうについたら、こっちの生地で作ったドレスを贈るよ」
「そ、そんなのいいよ!気遣わないで……!」
あはは!と誤魔化すように笑えば、タイミング良く、私たちの一団が下降を始めた。
見れば妖精の国の首都はもう目と鼻の先で、着陸するための場所が見えている。
会話が途切れて、良かった。
そんな、理由もわからないほっとした気持ちを抱えながら、私はぼうっとしつつ地に足を付けた。
……さっきの。栞が光ったのって、もしかして。
見える筈なんてないけれど、無意識に背後の空を見上げてしまう。
――焔さん。目、醒めましたか?
何となく。本当に何となくだけれど、そんな気がして仕方がなかった。
妖精の王国の首都。中心部。
妖精の女王陛下のお膝元――それが、レッラ=フィオターナ。
妖精の言葉で、フィオレッタ女王陛下の御座――という意味なのだそうだ。
こちらの世界での夕刻に当たる時間、レッラ=フィオターナに到着した使節団は、その場で一時解散し、明後日、一斉に王宮へ集まり女王陛下に謁見することとなった。
解散した妖精たちが、次々と自身の家へと去って行く中、ルゥルゥが私の手を引いた。
「リリー、こっち」
「ルゥルゥ?え、何処行くの?」
私を抱えてふわりと浮き上がるルゥルゥは、私の問いにきょとんとした顔をした。
「何処って……家だけど?」
「へ?」
「……はぁ。リリーさ、謁見がある明後日まで、一体何処で過ごすつもりだったの?」
呆れたように溜め息を吐かれてようやく、彼の言っていることがわかった気がした。
「あ!それはほら、どこかの宿?とか。泊まれるとこ探せば……」
「なんでそんな冷たいこと言うんだよ。俺が、自分の花であるお前を、そこら辺の安宿に放っておく訳ないだろ」
「それは……その、そんな風には考えてなかった、と言いますか……」
段々と暗くなっていく中、街にはぽつりぽつり、と灯りが灯り始めていた。
ママルファ=エルで見たような屋台も多いが、この街には更にしっかりとした、建物のお店も沢山あるようだ。
大きな木の中に、沢山のお店が入っていたり、かと思えば広い葉っぱの上に、テーブルと椅子が並んでいたり。
ログハウスのような家が枝に吊られていたりもするから、そのそれぞれに灯りがつくことによって、街は宝石箱のような煌めきを放っていた。
綺麗……なのはそう、なんだけど。
ちらり、と自分を抱えて飛ぶルゥルゥを盗み見る。
そう、だよね……なんとなく、着いたら宿探せばいいや、くらいに思ってたけど。
花の誓いを結んだ以上……彼が私を放っておくはずなんてない。
それほど、妖精にとって誓いを捧げた花は大切な存在なんだって、忘れてたみたいだ。
ここは大人しく、彼の好意に甘えるほうが良いだろう。
人間だというだけで、ママルファ=エルにいた検問の妖精のように、険しい視線を向けてくる妖精がいるかもしれないし。
彼の庇護下にいて、きちんと誓いを受けたんだという体でいれば、酷いことにはならないはず……。
ルゥルゥがその場所に到着して――あんな楽観的なことを考えていた、数分前の自分を思いきり張り倒したくなるなんて、思ってもいなかった。
「着いたぞ」
街の中でもかなり大きな木の、だいぶ上のほうまで飛んできたと思ったけど……。
着いたと言われ、下ろされた場所は、どう見ても豪邸の玄関先だった。
「え……」
戸惑う私が何か言う前に、綺麗な装飾の施された木製の扉から、きちんとした服装の妖精が数人、飛び出してきたのだ。
「お帰りなさいませ、お坊ちゃま!」
「……お坊ちゃまはよせと、言っているだろ」
ぶすっとしたルゥルゥの前まで来て、彼らがさっと頭を下げる。
揃いの制服のような……そう、侍女や侍従が着るような服装の妖精たち。
その先頭にいる、白髪の老妖精が、ちらりとこちらに視線を向けた。
「その……お坊ちゃま。お連れのお嬢様は……。見たところ、翅がない、ようですが……」
「あ……えと、」
どう自己紹介したものか、と、迷いルゥルゥへ視線で問いかけると……。
ぐい、と肩を抱き寄せられ、爽やかな水の匂いに包まれた。
「バルト。彼女は俺の花だ。しばらく滞在するから、もてなしてやってくれ」
ルゥルゥが、頭上できっぱりとそう言い切ったのが聞こえた。
「は……」
一瞬、ぽかんとした顔をする、白髪の妖精さんは……次の瞬間。
すう、と大きく息を吸い込むと、音がしそうな程勢いよく背後の屋敷を振り返って大きな声を出した。
「誰か!!旦那様!旦那様をお呼びしなさい!!お客様に部屋を!西の……ああいえ、お坊ちゃまの隣の部屋が空いていましたね!そこを至急整えなさい!」
びくっと驚いた私の背を、ルゥルゥがぽんぽん、と叩いてくれるが……今は本当に驚いて、落ち着くなんて出来そうにない。
再びぶんっ!と効果音が出そうな程の勢いでこちらに向き直った白髪の妖精に、私は「ひっ」と小さく声を漏らしていた。
怯える私に、その妖精はにっこりと満面の笑顔を向けてこう言った。
「よくぞ……ようこそ、クウェーラ家へいらっしゃいました!ルゥルゥ様の花君。お嬢様、とお呼びしてもよろしいでしょうか?さぁさぁこちらへ!クウェーラ家使用人一同、心を込めておもてなしさせて頂きます!」




