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【WEB版】大賢者様の聖図書館  作者: 櫻井 綾
第4章 長い時間の物語

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244.大賢者の目覚め


 銀色の猫――ヴィオラの案内があったお陰で、イグニスの居る場所へはすぐに到着した。

 途中何度か、飛んできた魔導書やら呪いの書籍やらに攻撃されかけたが、なんとか無事だ。


「ふう……」


 ヴィオラに案内された場所は、ぽっかりと浮かんでいるかつてのイグニスの執務室だった。

 ベッドに横たわるイグニス。

 そして、その傍らにはイグニスの使い魔である黒猫が、丸くなってまどろんでいた。

 黒猫はぴくり、と身体を揺らして頭を上げると、こちらに向かって小さく頭を下げた。

 彼は、気配で『俺』だと気づいたようだ。


「楽にしていいよ。イグニスの猫。……さて、彼は?」

「……目を覚まさない。ずっとこのままだ」


 黒猫が、紅い瞳を不安げに揺らし、イグニスを見つめる。


「よし、診てみよう」


 ベッドへと近づくと、彼の白い肌が青く見えた。

 顔色以外、特に何処が変わった、ということはなさそうだが……魔力の目で見てみると、イグニス自身の体内の魔力が、空に近い状態になっているのがわかる。

 どうやら、リブラリカの火事の時、一時的に魔力を使い果たしてしまったようだ。

 魔術師にとって、体内の魔力というのは生命力とも等しいもの。

 それが足りなくなってしまっては、起き上がることさえできない。


「1ヶ月、寝たままだと言っていたな……」


 ひと月もの間、寝込んだままだったとしても、これっぽっちしか魔力が溜まっていないのか。

 この回復の遅さは、恐らくこの場所によるものだろう、と推測される。

 最奥禁書領域は、自然界の場所ではない。

 イグニス自身が、自身の魔術で作り出した空間だ。

 だからこそ、自然に発生する魔力――マナの量がとても少なく、寝て居る状態で体内に取り込まれる魔力も少ないのだろう。

 ここにいたままでは、あと10年ほど待っても目覚めるかどうか。


「それじゃ遅すぎるな」


 彼の大切な子猫が、妖精たちと共にあちらの国へ向かったと聞いた。

 子猫のためにも、イグニスには早々に目覚めて貰わないと困る。


「猫、今からイグニスを叩き起こす」

「できるのか?!」


 俺の言葉に、黒猫はがばりと身を起こした。


「ああ。だからお前は、ひとっ走り応接室まで行って、そこにいる赤い髪の男と副館長に、食べ物を持ってくるよう命令してこい。なるべく沢山だ」

「わかった!」


 返事をするなり黒猫は、もの凄い早さで走り去って行く。

 余程主人のことが心配だったのだろう。


「やれやれ……。叩き起こすのはいいが、お前、その身体の小僧は大丈夫なのか?」


 この場に残ったヴィオラが、呆れたようにアイスブルーの瞳を細めた。

 俺は肩を竦めて応える。


「まぁ、この子も相当な魔力は持ってる。一時的に衝撃を与えて起こすくらいならしても問題ないだろう。あの猫に食事も用意するよう言ったしな」


 ライオットにはちょっとしんどいかもしれないが……まあ、失ったマナを補う食事を用意できていれば、体調に支障を来すほどにはならないだろう。

 ――と、思う。

 念のため、と己の内にいるはずのライオットに問いかけてみると、「大賢者のためならやってくれ!」と、大変元気な返事が返ってきた。

 俺の子孫だ。きっと大丈夫だろう。

 そんなことより……。


「そもそもだ。俺がわざわざ起こさなくても、ヴィオラ。お前がいるなら起こせただろ?なんでしなかった?」


 そういえば、と銀色の猫……の姿をした、本体は女賢者と崇められている魔女を睨み付けると、彼女は飄々と、前足の毛繕いをしながら笑みを浮かべた。


「ほっほ。我がこいつを?起こせたと?……まぁのう、やれるかやれんかで言ったら、やれたがの。そんなめんどっちいことを我にせいと?そんなことしたらあの小娘も妖精どもについていかなかったかもしれんしな。そんなのつまらんだろうよ」

「まぁ……お前ならそうだよな」


 まったく、昔と欠片も変わらないひねくれた態度に、溜め息しかでない。

 こいつは本当に、周りとズレすぎている。

 自分が面白ければいい、と周囲を引っかき回すのが大好きな気まぐれ魔女だ。

 今更、こいつに何を言っても時間の無駄だろう。

 さて今は……。イグニスを起こすのが最優先事項だ。


「じゃ――いくぞ」


 気を取り直し、俺は眠るイグニスに向き直った。

 これをするのは、本当に久方ぶりだ。

 両腕を捲り上げ、ぶんぶんと肩を回して気合いを入れ……。


「えいっ!」


 俺は渾身の力を込めて、寝て居るイグニスの額へと――魔力を最大に込めたデコピンを放った。

 すぱあああああん!!!

 まるで大きな大砲でも撃ったっかのような、とんでもなく大きな衝撃音が領域全体を震わせた。

 残響が消えるまで、たっぷり10秒ほどたって……。


「い゛っ……!!」


 がばりと、イグニスが額を抑えて起き上がった。


「おー、起きたか」


 ぱんぱん、と両手を叩いてマナの欠片を払う傍ら、イグニスはベッドの上で悶絶している。


「な……おま……ど……え?」


 呻きながらもそんなことを呟いて、イグニスは涙目になってこちらを睨み付けた。


「懐かしい痛みだろ?まぁ今回はさ、俺がわざわざ起こしてやったんだから、ほら、感謝してくれよ?」

「……はぁ?」

「まだ寝ぼけてんな……ま、無理もないか」


 ふう、と大きく溜め息をついて、どかりと手近な椅子に腰掛けた。

 己の魔力をイグニスに叩き込んで、起こす。

 少々乱暴な手段だったが、こうして目が覚めたのだから良しとしよう。

 心配していたライオットの身体も、大きな疲労感と空腹感があるだけで、衰弱したりはしていないようで安心した。


「取り敢えず、お前の猫が食事を持ってくるはずだから。それ食って身体なんとかするぞ。わかったな?」

「…………」


 そんなに痛いのか?昔はよくやってたが――何しろ数百年ぶりだったからな。

 さすがにやりすぎたか……?

 イグニスは悶絶したまま、俺の言葉に無言で頷いた。




 イグニスの猫は、そのあとすぐにこちらへと戻ってきた。

 くわえてきた大きなバスケットには、作りたての美味しそうな食事が山のように詰め込まれていた。

 今のリブラリカの食堂を仕切っているシェフたちは、本当に優秀だからな。

 この料理があれば、イグニスの身体も、ライオットの身体もすぐ回復するだろう。

 イグニスの奴は、届いた食事を片っ端から平らげていった。

 魔術師はマナが枯渇すれば腹が減る。

 当然の反応だ。

 その間、俺とヴィオラはというと、近くを浮遊していたテーブルと椅子を捕獲して、優雅にティータイムを楽しんでいた。

 美味しいクッキーと食事、紅茶を楽しんでいるうちに、意識がどんどん重くなっていく。

 ……そろそろ限界か。

 一つの身体に二つの魂。

 そんな無茶をさせている以上、普段からライオットにはかなり負担を掛けているが……今回は、俺が面に出ている上に、強い魔術を使ったから……。

 そろそろ身体を返さないと、ライオットが倒れてしまうだろう。


「悪いが、そろそろ時間みたいだ。あとの事はこの子と……ヴィオラ、猫、お前たちに任せるぞ」

「好き勝手言いおって……さっさと変われ」


 そんなヴィオラの言い草に苦笑して、俺は目を閉じた。




 『ザフィア』が眠るように目を閉じると、次に開いた瞳に宿っていたのは、優しげな光だった。

 神秘的にすら見えるその交代の瞬間を、ベッドに座ったままじっと見ていると……ライオットは何度か瞬きした後に、ぽん、と手を打った。


「あ……そうか、戻ったのか」


 ライオットが呟くと同時、ぐううううう、と盛大に彼のお腹の音が響く。


「わ、なんだこれすごく腹が減って……あ!美味しそうな食事、もらっていいか?」


 そう言って、ライオットは近くにあったバーガーを鷲掴みにするともぐもぐとかぶりつき始める。


「……おい、猪王子」

「なんはよ、だいけんは!いは、おはかへって……」

「教えてくれ。僕が眠ってる間に、一体何がどうなったんだ?」


 切実な声で問いかけると、ライオットはぴたりと動きを止めた。

 ……目が覚めてすぐ、気づきたくないことに気がついてしまった。

 それは、最奥禁書領域がめちゃくちゃなことではない。

 自分が昏睡していたことでもないし、強烈なデコピンで起こされたことでもない。

 手を伸ばして、サイドテーブルに置いてあったブレスレットを引き寄せた。

 きらきらと、華奢な輝きが美しいそれは……俺の、大切な人の手首にあったはずのもの。


「……教えてくれ。どうして、リリーがリブラリカにいないんだ?」


 頭を巡るのは、嫌な想像ばかり。

 そう問いかけた俺の声は、情けないくらいに掠れていた。






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