215.俺から、君へ<2>
咄嗟に、返す言葉がでなかった。
え?とか、は?とか――そういう、聞き返すような声すらでなかったのは、彼の言葉の意味を、知っていたから。
それがどれだけ重い意味を持った言葉なのか、ルゥルゥから聞いていたから……だからこそ、驚きすぎて、どんな言葉も出てこなかった。
彼の手が触れたままの両肩が、熱い。
一秒が、数分にも思えるような沈黙の後。
その間もじっと私を見つめつづけていた彼の瞳に、私はやっと、声を返した。
「……ルゥルゥ」
「うん?」
「それは、あの……『花への誓い』、なんだよね?」
「ああ、そうだ」
震える私の声に対して、彼は低く落ち着いた、しっかりした声を返してくる。
その声の強さから、冗談なんかじゃないことが伝わってくる。
「ねぇ、私……人間、だよ?」
「わかってる」
「人間に誓いを立てるなんてこと、――いいの?」
「確かに、あまりないことではあるけど。これまで、人間に誓いを立てた妖精って、実はそこそこいるんだ。だから、問題はない」
「……そう、なんだ」
彼が、俯いた私の両肩から、手を離した。
……ルゥルゥが、私に。『花への誓い』、を。
妖精にとってそれは、とても大切な誓いなのだと聞いた。
愛を誓うものであり、己の命、生の全てを捧げるという誓いであり――己の存在、もてるもの全てを捧げるという、永遠の誓い。
人間の世界でいう『愛の告白』とは、重みが全然違う。
妖精は、一度誓いを立てたら生涯、心変わりをすることはないのだという。
相手の命が尽きるまで――己の命が、尽きるまで。
文字通り、一生を掛けた誓いのはずだ。
そんなに大切な誓いを、私に――なんて。
戸惑い、上手く言葉が出てこない私に、ルゥルゥが優しい声で言った。
「……悪い。お前を困らせるって、わかってたけど。でも、どうしても、お前に……他でもない、リリーに誓いを、立てたかった」
「……どうして、私に?」
「それは……。お前だけ、だったんだ。あんな風に、本について楽しく、話をできたのは。俺が好きな物を、好きだと一緒に笑ってくれて、あんなに楽しい時間を一緒に過ごせたのは、生まれて初めてだった」
今度はそっと、彼の手が私の手を包み込んでくれた。
触れたところから、温かさが伝わってくる。
彼は妖精で、私は人間だけれど……こうして、互いに感じる体温は、同じなのだ。
「……よかった」
ぽつりと、彼が安堵の息を零した。
「え?」
「お前が、すぐに断ったり、受け入れたりするようなこと、しない奴で。……そうやって、真剣に受け止めてくれてるの、本当に嬉しい」
「ルゥルゥ……」
彼はそう言いながら、嬉しそうな顔をしていた。
ルゥルゥにとって――彼にとって、どれほど重さがある誓いなのか、わかっているからこそ、そう簡単に答えを出して良い問題だとは思えなかった。
私だって、真剣に、彼の想いに向き合わなければならない。
「ありがとう。――とても、嬉しい」
私が言うと、ルゥルゥがぱっと顔を上げた。
これは本心だ。彼に、真摯な思いを向けられて、本当に嬉しいと思っている。
ルゥルゥという妖精のことも――本当に、大切だと思っている。
彼と過ごす時間を、私もすごく、楽しく感じていた。
――けれど。
私の心の中心にいるのは、『彼』なのだ。
「でも、ルゥルゥ。私……私は、マスター……ううん。イグニス様のことが、好きなの」
……言った。
相当な勇気がいる一言だった。
けれど……彼に対して、私も真剣に向き合いたいって、そう思ったから。
私の言葉に、ルゥルゥは――そっと頷いた。
「……知ってる。見てれば、わかる」
「えっ……と。そんなに、わかりやすい、かな……?」
「ああ、まるわかりだな」
肩を竦められてしまい、私はちょっとだけ困ってしまった。
……そんなにも、見ていてわかりやすい態度をとっているのだろうか。まったく覚えがない。
――それにしても。知ってるって。
私の気持ちを知っていて、大切な誓いを、私に?
「……その。わかっていて、誓いを立てるって言ったの?」
「ああ。……これは説明したかわからないけど、『誓い』は、男が女に立てるものだ。魅力ある女側が、何人もの男を抱えることは珍しくない。だから俺は、お前があの男を想っていても、構わない。俺の誓いを受けてくれるというなら、俺は……俺の全てを、お前に捧げる」
「……それは、初耳――だったかも」
「そうか。じゃ、今言ったから」
大切な話をしているというのに。こんな軽口めいた口調を聞いていると、本当に――いつもと変わらず、本についての雑談でもしているような気分になる。
私が、焔さんを想っていても、構わない――か。
それは、妖精なら当たり前の感覚なのかもしれない。……けど。
でも、私はやはり、抵抗を感じてしまう。
大切な人と、想い合うのは幸せなことだ。
けれど……自分が想いを捧げた相手が、他の誰かを想っていて、それでいい、なんて。
……私の想いを知っていて、誓いを立てるルゥルゥは……彼は、どんな思いでいるのだろうか。
――私には、想像もできない。
「……それに、さ」
「うん」
「お前はあいつを、としても……あいつは、応えてないんじゃないか?」
「…………」
「図星だろ」
「うぐ……。うん、そう……だけど……」
妖精には、心を読むことができるのだろうか。
そんなところまで、私たちは……見ていてわかりやすいだろうか。
私が少し、遠い目をしているとくすりと彼の笑い声が聞こえた。
「それならさ。お前が俺だけを見てくれる日が、くるかもしれないし」
すっと突然、目の前のルゥルゥが小さくなった。
と思ったら、彼は私の前に片膝をついて、俯く私を、下から覗き込んでいた。
にこ、と笑顔になった彼の前髪が揺れて、露わになった青い宝石のような瞳が、いたずらっぽくこちらを見上げる。
「――こないかもしれないけど。俺は、それでも構わないし」
「ルゥルゥ……」
「ま、人間とは違う感覚なのかもしれないけどさ。これ、割と普通なんだよ、こっちではさ」
「……そう、なんだ」
「それから。ここまで言ったらもう、ついでにこれも言っておいていいか?」
「うん?」
「俺がお前に、誓いを立てたいのは本当だし、お前のことを……その、愛している気持ちは、本当だけど。……でも、打算がないわけじゃないことは、言っておきたくて」
「打算……?」
「さっき、陛下の命だった場合に、お前を守れないのが嫌だって、言ったろ?それも、お前が俺の花であるなら、解決するんだ。『花への誓い』は、妖精にとって絶対だから。誓いを捧げた相手を守る、という名目があれば、陛下の命にお前が巻き込まれることがあっても、俺は堂々と、お前を守ることができる」
「……そう、なんだね」
彼は、そこまでして、私を守ろうと思ってくれているんだ。
その事実がじわじわと……そして、愛してると言われた言葉の温度も、ゆっくりと胸に広がっていく。
こんなに真っ直ぐ思ってもらえて、嬉しいと思う。
でも……でも。やっぱり私は、焔さんが好きで。
妖精の間ではよくあることだろうと、焔さんを好きな私が、ルゥルゥの全てを捧げてもらうなんていうのは……そんなこと、させてしまうのは良くないんじゃないかって。
そう、思ってしまって――。
一度ぎゅ、と、握る手に力が込められて。
ルゥルゥの手は、離れていった。
「ルゥルゥ、私――」
言いかけた私の唇を、伸びてきた彼の指が、そっと触れて止める。
彼は、優しく笑っていた。
「俺から言うだけ言っておいて、ごめん。でも――返事は、また今度にしないか?」
「…………」
「リリーが真剣に考えてくれてたの、よくわかってる。だからさ、もっと――ちゃんと考えてから、答え、聞かせて。待ってるから」
温かな指先が、そっと離れていく。
私は、言葉にできない感情が渦巻く胸をそっと押さえて、下手な笑顔を返すことしかできなかった。
「――うん。わかった」




