くだらない争いには
清々しい朝にも関わらず、どうも僕の心は曇っている。それもそうだ、骨を粉々にされかけて普通にしていろと言うのが無理なものだ。
「なぁアハトよ?」
黒竜の少女(の姿をしている)リリーが僕の腕に絡みつきながら囁くように喋りながら顔を近づけた。
リリーの体は、この世界の基準で行くと非常にアンバランスだ。
幼い姿、美しい顔、古風な喋り方、そして何よりもメロン――何かの果実に似た大きさの胸をリリーは持っていた。
彼女の体を足元から顔までじろりと見る。
薄い布のようなもので体を隠しているリリーは服に頓着しない、それでいて隠せればなんでもいいと言うような少女であった。
扇情的とも言えるその姿に僕は気づけば唾を呑み込んでいた。
「ん? アハト、わらわに見惚れておるのか? 良いのじゃぞ――」
リリーは豊満な胸を押しつけるようにして耳元に顔を近寄せる。
「わらわの事を自由にしても、の」
魔性の色気を放つ彼女は耳元でそう囁くと、絡んでいた細腕を顔に近寄せてきた。そして僕の頬を優しく撫でた。
「わらわの婿になる、そう言ってくれさえすればもっと、もっと。好きなもの、欲しいもの、なんでも。なんでもお主にこの身が尽きるまで捧げるぞ?」
気づけば僕は魅了されていた、アンバランスな、それでいて絶世の美しさを持つリリーの声や仕草に僕は何もできずにいた。
だが後少し続けば、続いてしまえば僕は間違いなく彼女の、リリーの――
ブォンと言う風切り音と共に、僕に顔を寄せていたリリーが思い切り吹っ飛んだ。大きく吹き飛んだリリーの体は胸と共に大きく揺れ、二転三転して芝生に大きく転がり込んだ。
緑色の触手――いや、精霊樹の枝がまるでウネウネと僕の前に回り込んで、リリーと僕の壁を作るようにしている。
自然魔法、エルフの持つ特殊な魔力や性質が作り出す本来の魔法とは全く違う構成の魔法。
昔は風や木々と心を通わせ、共に戦う魔法と呼ばれていたが様々な種族が交わり、こうして大きな繋がりが出来た今では自然魔法は研究されていた。
その結果、自然魔法とは自然を隷属させて、好きなように操る魔法であった。
こうした今ではエルフ族の半分以上が自然とは切り離されたこういう土地で住んでいるのであった。自然と融和する魔法ではなく、自然を隷属させる魔法。エルフの中でも、自然を重んじる空気と言うものは薄れていってしまったのだろう。
何はともあれ自然魔法を使って黒竜のリリーを思い切り叩いて吹き飛ばすことが出来るエルフはそう多くない。
アーリが、僕の背中から首元に腕を絡ませて抱き着いてきた。先ほどの精霊樹の幹を粉々に圧し折るほどの力はもうない。
「アハト、危ない所でしたね。あんな黒いトカゲに大事なアハトが奪われる所でした」
「トカゲじゃあ?」
殺気、そういうものだろうか。吹き飛ばされたリリーがゆっくりと起き上がった。彼女の小さな身体からは赤黒いオーラのようなものが噴き出ている。
「ドラゴニックオーラ……凄まじいけど――」
彼女の体がいつもの一回り大きく見える。彼女の叫びに呼応するかのようにそこら中の植物が本来ではあり得ない速度で成長している。
僕が一番死ぬ可能性が高いであろう現在、僕は遺書を書いていないことに少し後悔していた。
リリーは小さな体の美しい肌から黒い鱗が生え始めている。そしてハイライトの失われた瞳でこちらをギョロリと見た。
「ひえっ……」
僕は怯えた、情けない声を上げて尻もちをつく。爬虫類特有のギョロリとした瞳と目が合ってしまい、もう立つこともできなかった。
「あと少しで、あとちょっとで。わらわの、わらわだけのアハトになったというのにィ……!」
メキメキとリリーの体から音が鳴り、肉体が膨れあがっている。翼や尻尾の片鱗が見え始めている。
「アーリヴァルトォ……貴様みたいな虫ケラにいつもいつも邪魔されて腹が立つのぉ。ここで死ぬか?」
僕は彼女から噴き出る黒いオーラに包まれて、吐き気を催していた。だが体に力が入らないため逃げ出すことも叶わない。泣きそうな目でアーリをチラリと見た。
彼女がすぐにでも謝ってくれれば――などという甘い考えは見た瞬間に消えうせた。
迎え撃つ気満々の姿、彼女の背後から、先ほどの精霊樹が凄まじい勢いで成長を続けていた。そこらの木々を呑み込み、まるでこの学園、この大地を全て呑み込まんとするほどの成長ぶり。
「ここであんたと私、どちらが上かのケリをつけるのも悪くないですね……」
「あわわわわ……」
目が回る、吐き気と共に動悸も強くなる。死ぬ、死ぬ。このままでは阿保みたいな死に方で死ぬ……!
だが分かっていても無駄だろう。と言うか彼女たちの殺し合いの余波は魔法学園は狭すぎるのだ。おそらく国一つで済むかどうか……
「ユグド――」
「ドラゴン――」
二人の力がぶつかろうとしたその瞬間であった。
まるで黄金のような輝きを持った魔力が、アーリとリリーの二人、そして僕を呑み込んだ。
二人に負けず劣らずの強力な力、二人に負けないだけの力を持つ魔法学園の生徒か先生は多くもないが少なくもない。
だが黄金の魔力と言うことは間違いなく――
「二人とも、止まってください」
勇者、白崎 アカネの魔力であった。
「……」
「……」
「邪魔をするな勇者……! わらわはコイツを屠らんと気が収まらん!」
沈黙を破ったのはリリーであった。殺気とドラゴニックオーラ?とかいうものをまき散らしながら叫ぶリリーに負けじとアーリが言い返す。
「そうよ、このトカゲを植物の苗床にでもしてやらないとっ!」
「……アハトさんを殺す気ですか?」
その瞬間、リリーから噴き出るオーラが収まり、少しずつ黒い鱗や尾が引っ込む。まるで燃え尽きたような表情で茫然とリリーは僕を見ていた。
アーリの背の方から生えてきていた大きな大きな精霊樹は元の大きさを少しずつ取り戻している。アーリからの魔力供給がなくなったから萎んだのだろう。
「アハトさんは貴方たちみたいな化け物と違ってとても繊細で、とてもとても小さく、大事な命なんですよ? 貴方たちはそういうのをまだまだ理解していないです」
勇者――英雄――なんといっていいのか分からないが僕の命の恩人でもある白崎アカネと言う少女は僕に駆け寄り、優しく抱きしめてきた。
「大丈夫でしたか、アハトさん?」
「あわ、わわ」
「かわいそうに、こんなに怯えて……」
「アハト……」
「アハトぉ……」
少女らしい少女、そういう印象しかないアカネと言う少女であった。しかし今は誰よりも頼れる存在でもある。
「あ、アカネ……」
「っ……アハトさん……」
頬を染め、鼻を抑えて横を向いたアカネは首をぶんぶんと振り、僕のことをゆっくりと支えあげた。
「お部屋に連れていきます。今日は授業には出れないでしょうし」
「わらわも!」
「あたしも!」
「ダメです!」
間髪入れずにそれらを拒絶したアカネは怒ってますと言わんばかりの表情で二人を見ている。しかしどうにも子供と言う感覚が抜けないアカネが怒っていてもイマイチ迫力がない。
だがそれでも今の二人には充分なようで後ろ手に一歩下がる二人をけん制するようにしてアカネは続けた。
「あなたたちは中庭をめちゃくちゃにしたことや男子生徒を危険に追いやったこと、その他諸々を含めてこれからキッチリ問い詰めますから!」
彼女は僕の表情を見て明らかにまずそうだと判断したのだろう、ちょっと焦ったような口ぶりでさらに言葉を続けた。
「これから先生方が来ますから、無駄に抵抗したりしないでおとなしく罰は受けて下さい。それまでアハトさんに会うのは禁止です。行きましょう、アハトさん」
流石に冷静になったのか彼女たちは付いてくることはなかった。僕は胃からくる不快感を必死に抑えて勇者アカネと言う少女に対して礼を言う。
「うぅ、アカネ……ありがとう……」
「だ、大丈夫ですよ。それよりも、アハトさんの方が……!」
彼女は僕の背中を擦りながら治癒魔法を唱える。彼女の分野ではないためか、殆ど効果がなかったがそれでも少しは楽になった。
僕は改めて思う。
やっぱ同じ種族が一番だな……