新しい靴を買った次の日、雨が降ると恋が叶う
「今回のテストでも、また霧咲が9教科合計1位だってさ」
「マジで!? すごすぎだろ」
耳にわたしの名前が飛び込んでくる。でも、絶対に反応はしない。
もう嫌われたくないから、傷つきたくないから。
理科の教科書とノート、資料集、筆箱と文庫本を抱え、1人で理科室に入って行く。
授業前の10分休み。大好きな読書ができる、幸せな時間。
「あれ? 紫、また1人で読書してんの〜?」
騒々しい人達の中で、わたしに話しかけてきた1人の男子。
「さっしー、やめときなよ。霧咲さんが返事するわけないじゃーん」
「そうだよー。さっしー、紫ちゃんがいっつも1人だから心配してるみたいだけど、大丈夫だと思うよ? ねえ、紫ちゃん?」
確かに、話しかけられるよりもほうっておいてもらったほうがありがたい。
わたしは無言でうなずき、神崎雅史から目を背けた。
その女子がわたしへの親切心で今の言葉を言ったのではないことは分かっている。
みんなに大人気の明るい「さっしー」と少しでも話したくて、口出しをしたんだろう。
わたしは、神崎雅史が嫌いだ。
全てがわたしと違う、眩しすぎるこいつが、大嫌いだ。
丁度良いタイミングでチャイムがなり、神崎雅史が自分の席に向かう気配が感じられる。
安心してわたしも本をパタンと閉じ、立ち上がった。
❉ ❉ ❉
「1、2、3、4」
「5、6、7、8!」
元気の良い声がグラウンドに響く。
今日は、この南下中学校では伝統になっている『MINAMIGE Sport King finals』がある。
個人戦と部活対抗の団体戦があり、種目は、50メートル走・1000メートル走・ハンドボール投げ・上体起こし・反復横跳び・立ち幅跳び・垂直跳び・握力。
わたし達1年生は初めてなのでよく分からないが、わたしが所属している陸上部は毎年かなり良い成績を残しているらしい。
「紫ちゃんいるし、今年もきっと上位ねらえるね!」
笑顔で言ってくれた先輩の言葉に、無言で首を振ることしかできない自分が嫌になる。
準備運動を終えている同学年の陸上部のメンバーが楽しそうに話している輪に入ることもできず、他の部活が集まってくるまで、わたしは1人で時間を持て余していた。
「50メートル走は、団体で1位とれるよね!」
「とれるでしょー。紫ちゃんもいるし」
「絶対に紫ちゃんが1位だよね。都大会で入賞した人なんて、紫ちゃんしかいないもん」
「短距離は最強だよなー」
グッと拳を握りしめる。
噂話をされるのは……苦手だ。
「でもさー」
少しトーンを落として話し出した瑠璃ちゃんの声に、ジッと耳を澄ます。
この時点で分かっていたのに。わたしに対して絶対に良くないことを言うんだって分かってたのに。
なんで、耳を澄ましてしまったんだろう。聴きたいと思ってしまったんだろう。
「ちょっとさ、ウチらのこと見下してるよね」
ガンッ!
心臓に固くて重いものをぶつけられた気分だった。
「うん。それ分かる」
「わたしはあなた達とは違います〜的な? 話しかけてこないしね」
「話しかけてもあんまり話してくれないし。あなた達と話すことなんてないですよって感じ?」
「そうそうそう! めっちゃ分かる!」
「あとさ、表彰された時のポーカーフェイス! 表彰されることが当たり前みたいな態度とるよね」
「ね。ちょっとも喜んだりしないじゃん」
「しかもね、クラスでまぁくんが話しかけても無視するんだよ!」
「うわあ、それは無いわー。親切にしてくれてんのにさ」
「紫ちゃんに親切にしてくれる人なんて滅多にいないんだから、その親切心ありがたく受け取っておけっての」
もうこれ以上聞きたくない。お願い、これ以上言わないで!
どんどんと大きくなってきた瑠璃ちゃん達の声から逃げるように、わたしはグラウンドを出る門に向かって走って行った。
「え、紫ちゃん!?」
呼び止めてきた先輩の声も無視して、走り続けた。
あせっている様子の瑠璃ちゃん達のことも見ないようにした。
今すぐ消えたかった。
嫌われないようにしてたのに。静かにしていれば、空気同然の存在になれば、嫌われることもないって思ってたのに。
でも、わたしは空気にはなれなかった。
これじゃ昔と、何も変わらないじゃん……。
「紫っ! 危ないっ!!」
道路に飛び出した瞬間、誰かの声が聞こえた。え? 誰だ?
声が聞こえてきた右側を向こうとした瞬間、何かが当たった感触がして、わたしは倒れ込んだ。
い、痛いっ。何この痛み……。そんなことを考えるヒマもないまま、わたしの意識は遠のいて行った――。
❉ ❉ ❉
ゆっくりと目を開ける。
視界に入って来たのは、少し薄暗い部屋の天井。
「お、紫? 目ぇ覚ましたか」
1番に耳に飛び込んで来たのは、道路に飛び出した時に聞こえてきたのと同じ声。
「紫っ! 危ないっ!!」
この声は……そう、この声は。
「神崎雅史……?」
「おう。そうだけど」
神崎雅史が座っているであろう左側に目を向けようとするが、頭に走った激痛に顔をしかめる。
「霧咲さん! 大丈夫? 動かないで、痛いでしょう?」
心配そうに顔を覗き込んで来たのは、養護の牧谷先生。
「わたし……どうしたんですか……?」
「グラウンドを出たところで、車と接触したのよ。幸い、轢かれることはなかったけど、その衝撃で頭を打ってしまったみたい」
「ああ、あの時……」
途中で途切れている記憶。確かにあの時、わたしは頭を打ったんだ。
「神崎雅史……わたしに、声をかけたよね?」
「ああ。だって紫、放心状態っていうか……何も考えずに道路に飛び出して行った感じだったから。何があったんだ?」
「……」
熱い涙が一筋、こぼれ落ちた。
「わたしはいないほうが良いかしら」
牧谷先生が気を利かせて、カーテンに囲まれた部屋の一角から姿を消した。
「紫、大丈夫か? オレに話せることなら、話してみて」
わたしの視界に入る位置に移動して来る。
今までに見たことがないような神崎雅史の真剣な瞳に動かされ、わたしの口は勝手に開いた。
「わたし……」
語り始めた。小学2年生の頃から今までのこと、全てを。
➤ ➤ ➤
小学2年生の頃、わたしは明るく、友達が多い子だった。
「ゆかちゃんすごい! 速ーい!」
わたしは「ゆかちゃん」という愛称がとても気に入っていた。
わたしが走れば、みんなが褒めてくれた。
わたしが難しい問題を解けば、みんなが「すごい」と言ってくれた。
でも、1人の転入生が来て、わたしの生活は変わったのだ。
「紫ちゃんって、偉そうだよね」
そのたった一言は、わたしの心に深く刺さった。
でも、その子に悪く言われたところで、みんなは友達でいてくれる。何も変わるはずない。そう信じていたのに。
その転入生は、お金持ちの社長令嬢。私立からとばされてきたワガママ放題のお嬢様だったんだ。
わたしは無視され、あからさまに悪口を言われた。
逆らってイジメられることが怖くて、みんなもそれにならった。
悲しい悲しい、人間の現実。みんながそうしたのも当たり前だ。誰だって、自分がイジメられるのなんて嫌なんだから。わたしがその状況に置かれても、きっとイジメに加担しただろう。
いきなり無口で静かになってしまったわたしを見て状況を察し、親は引っ越しを決意して、わたしは転校した。
転校した先では、余計なことを言わないようにした。少しでも目立たないようにした。イジメられる、そんな生活はもう嫌だった。
「よろしくね、霧咲さん!」
そう声をかけてきてくれた人にも心を開かず、必要最低限の会話をし、笑顔を作って過ごしてきた。
作戦は功を奏し、転校先の小学校でイジメられることは無く、そのまま公立の中学校に進んだ。
そして、今に至る。
➤ ➤ ➤
「だからなのか……」
「え?」
「誰かに噂話されるのを、おまえは明らかに避けていた」
「……うん」
「でもさ、そんな人生、つまんなくね?」
あっけらかんと言った神崎雅史の顔を訝しげに見上げる。
「わたしは、嫌われるより、静かに生きていきたい」
「じゃあ友達はいなくて良いのか? 趣味について話せる人は、休日一緒に遊ぶ人は、いなくて良いのか?」
「それは……」
「そうだろ? ずっとずっと、話したかったんだろ? 仲良くなりたかったんだろ?」
紛れもない、わたしの本心だった。
本当はずっと、友達が欲しかった。
でも、傷つきたくなかった。いつか嫌われる。いつか傷つくことになる。
そう考えたら、友達を作ることが怖くなっていた。
「恐怖心なんて、持たなくて良い。嫌われるかなんて、気にしなくて良いじゃん!」
あっけらかんと言った神崎雅史。
「嫌われるか気にしないなんて……わたしにはそんなこと、できない」
「おまえは人の目を気にしすぎなんだよ」
「みんなそうでしょ? でも、みんなは嫌われないだけ」
「それは違う」
窓越しに見える木の葉が、ザアっと音をたててそよいだ。
「何で分かんねぇんだよ。何でみんなの言葉を本気にするんだよ。そんなの、おまえを妬んでるだけに決まってるじゃん」
「妬んでる……? そんな訳ない、なんでわたしなんかを」
「それが悪いんだよ!」
「え?」
「わたしなんか、って。おまえはすごいヤツなんだぞ? 頭良くて、都大会で入賞もしてる。みんな本当は、おまえに……憧れてる」
神崎雅史の言葉は、わたしの心臓の傷口を優しく塞いでいってくれた。
「だから、みんなと話して見ろよ。今日オレと、こうやって話をしてくれたように」
久しぶりに見る、自分だけに向けられた同級生の笑顔。
久しぶりに聞く、自分だけに向けられた同級生の声。
「わたし……何で、神崎雅史に心を開いてるんだろう」
自分でも、その事実に心底驚いていた。
だって相手は、みんなに好かれる「さっしー」。わたしとは対照的な性格と地位。
大嫌いだったはずなのに。
「心を開いてくれたんなら、それは良かったよ。おまえ、オレのことめっちゃ嫌いだっただろ」
「うん、まあね……。あ、そういえば! Sport King finalsは? どうなったの?」
「否定もしないんかい! ん? 今ごろ、1000メートル走ってるんじゃないか?」
「ああー、もう終わっちゃったのか……」
「おまえがやれば、陸上部が1位決定だったのにな」
「そんなことないよ。あ、神崎雅史は? 出なかったの?」
「おう。オレ、帰宅部だし」
「え、そうだっけ?」
「そんなことも知らなかったのかよ。おまえ、オレに興味なさすぎだろ」
神崎雅史が苦笑する。
「そりゃあ、興味なかったよ」
「はっきり言い過ぎ。でも過去形ってことは、今は興味あるってこと?」
「それはだって……」
言いよどむ。
他人に興味を持つなんて久しぶりのことで、それを言葉にするのがどうしようもなく恥ずかしかった。
「なんで部活に入らないの?」
無理矢理話題を逸らす。
「めんどくさいから〜」
「はぁ?」
「だってさ、ほぼ毎日練習とかダルくね? 文化部ならゆるいトコあるけど、文化系には興味ないし。上下関係とかもめんどくさそうだし」
うっ、やっぱこいつ、クズだ……!
「それで、女子にモテて喜んでるって訳ね」
「もしかして嫉妬してる?」
「あきれてるの」
神崎雅史のこと、良いヤツだって見直したのに……こいつは、どこまでキャラがブレないんだよ……!
「ごめん、やっぱりわたし、あんたのこと嫌い」
「あはは。はっきり言えるじゃん」
「え?」
「紫がはっきり物を言ってるところ、初めて見た」
……そうだよ。
わたし、イジメられるようになってから、自分の思ってることを口に出すことなんてなかった……。
「……あのさ、紫」
「何?」
「おまえは覚えてないかもしれないけど、オレは……」
「お取り込み中、ごめんね。もう完全下校の時間なの」
はっと時計を見ると、もう6時30分まであと2分だった。
「すいません! もう帰ります」
「大丈夫? 無理はしなくて良いんだけど……」
「大丈夫です。もう、全然」
牧谷先生に笑顔を見せると、上履きを履いて荷物を持った。
「あれ? この荷物……。グラウンドに置いてたはずなのに。なんでここにあるの?」
「それね、陸上部の子達が持って来てくれたのよ。霧咲さんが道路に飛び出したのは、わたし達のせいだからって。すっごく反省してたわよ。天野さんなんて、号泣してた」
瑠璃ちゃん達の姿を思い浮かべ、涙がこぼれ落ちた。
「紫。おまえ、嫌われてなんか……なかったんじゃん」
「そうよ。天野さん達は、ちゃんと、霧咲さんのことを大切に思ってる」
大切に、思ってくれてたの……?
瑠璃ちゃんがわたしのために涙を流してくれたなんて。嫌いじゃなかったなんて。
「まあとりあえず、今日は帰りなさい。明日になったら、天野さん達と話してみれば良い」
「はい。ありがとうございます」
「じゃあ、帰るぞ」
「うん」
神崎雅史の優しい眼差しをしっかりと受け取り、後ろについて昇降口に向かった。
神崎雅史。ありがとう。
話を聞いてもらったおかげで、だいぶ楽になった。
久しぶりに、人に心を開けたの。
もう大丈夫な気がする。イジメられるのを怖がるなんてこと、なくなるような気がする。
明日になったらちゃんと、瑠璃ちゃん達と話してみるから。
❉ ❉ ❉
「おーい、ゆかちゃん、行こう!」
「ちょっと待って〜!」
Sport King finalsの日からもう2週間がたった。
この2週間は本当にあっという間で、本当に楽しかった。
あの事件があった次の日、瑠璃ちゃん達と話したんだ。今までのこととか、わたしがこれからどうしたいのかとか。
殻を破ったわたしは意外とみんなに好いてもらえるタイプだったようで、急速にみんなと打ち解けていった。
みんなが、キャラ変したわたしを受け入れて、そっちのほうが良いよと言ってくれたから、わたしはすぐにみんなの輪に入れるようになったんだ。
中でも1番仲良くなったのが瑠璃ちゃん。今では「ゆかちゃん」と呼んでくれるようになったし、陸上部での生活も本当に楽しいものに変わった。
「紫、良かったな」
神崎雅史はいつだってそう言って笑ってくれた。
そう。あの事件で決定的に変わったのは、わたしとこいつの関係だろう。
教室でもよくしゃべるようになり、今では一緒にいることもかなり増えた。
「ありがとう。ホント、神崎雅史のおかげだよ」
わたしも屈託のない笑顔でそう返す。
「あ、そうだ、紫。今度の日曜って部活ある?」
「部活? 午前はあるけど……」
「じゃあさ、午後カラオケ行かない?」
「良いよ! おー、人生初カラオケ!」
「マジで? じゃ、詳しいことはまた後で」
「うん」
うわっ、やった〜!
生まれて初めて、友達と『カラオケ』というものに行ける!
「あとさー、良い加減、その訳分かんないフルネーム呼びやめね?」
「えー、でもさ、神崎雅史はフルネーム呼びが1番しっくり来るじゃん。それにフルネーム呼びする人くらいいっぱいいるでしょ」
「いやあ、珍しいでしょ。フルネームで呼ぶ人なんて」
教科書を持って隣に立った瑠璃ちゃんもそう言って笑う。
「名前呼びすれば良いのに。2人、仲良いもんね〜」
茶化すように言っていたずらっぽいほほ笑みを見せている。
「瑠璃ちゃん、何言ってんのかな?」
「天野〜?」
「2人とも顔あっか! まさかの、マジで付き合ってんの?」
「えええええ!?」
瑠璃ちゃんのあまりの爆弾発言に、わたしとあいつは声をそろえて絶叫する。
「そんな訳ないじゃん!」
「え、でも、さっき話してたのってデートの約束じゃないの?」
「デート? 普通に遊びに行くだけだよ!」
「まあまあ。もう後は時間の問題だよね」
瑠璃ちゃんは1人で納得し、音楽室に向かって1人でスタスタと歩き始めてしまった。
「ちょっと、待ってよー!」
あわてて追いかけながら、高鳴る心臓の鼓動を必死で抑え込む。
神崎雅史と付き合ってる? 客観的にはそう見えるってこと?
不思議と嫌な気持ちにはならない自分のことがよく分からなかった。
「あ、ゆかちゃん。でも気をつけてね。さっしーは人気あるから、仲良くしてると妬まれるかも」
「確かに。怖っ!」
大げさにリアクションして見せると、瑠璃ちゃんは笑ってくれた。
日曜日のことを考えると、なんとも言えない甘酸っぱい気持ちになる。
これが、これが……きっと、好きってことなんだ。
❉ ❉ ❉
「お、紫」
「お〜!」
待ち合わせは南下中の正門。
小さく手を振ったわたしを見て、あいつは笑顔を見せた。
「なんか今日、天気悪いよな〜」
「ね。もうそろそろ雨降り始めるでしょ?」
「多分」
チラッと横顔を盗み見ると、キュッと胸が痛くなる。
好きって……こういうことなんだよね。
わたしの初恋。中学1年生になって、生まれて初めての、恋。
人生初のカラオケも楽しかった。
「おおー、歌うまいんだな」
そう言ってくれたあいつの顔が、2人で歌ったデュエットソングが、頭から離れない。
「いやー楽しかったな、カラオケ」
「うん!」
「また行こうな」
「もちろん!」
ヤバい、次の約束までしちゃった!
2人で並んで歩いていると胸が高鳴る。これって、デートなんじゃないですか?
「あっ、雨だ!」
さっきまでは傘がなくても気にならないくらいの小雨だったのに、急速に雨足が強まってきた。
それぞれが傘を開く。
開いた傘の分だけ、わたし達の間には距離ができてしまう。
その距離を少しでも縮めたくて、傘の位置を移動し、そーっと近づく。
「あれ? 気づかなかった。靴新しくしたんだ」
「あ、うん。昨日買いに行ったの」
「へ〜」
「あのね……」
神崎雅史の顔をしっかりと見据える。
「新しい靴を買った次の日、雨が降ると恋が叶うんだって」
「……そうなんだ」
一瞬びっくりした顔になったが、すぐにそう返事してくれた。
でも、思ったより反応が薄い。
わたしがこんな、恋する乙女みたいなことを言うのは初めてなのに。
「好きなヤツ、いるの?」
「え?」
「恋が叶うって……言ったじゃん。紫は、好きな人いるの?」
神崎雅史の刺すような視線から逃げるように前を向いた。
「……うん、いるよ」
かすれた声でそう答える。
「……そうか」
気まずい沈黙が流れる。
「好きな人いるの?」
わたしだってそう聞きたかった。
でも、怖くて聞けなかった。
いないと言われたらわたしのことを好きじゃないって確定だし、いるとしても相手がわたしであることは限りなくゼロに近い。
現実を見るよりも、夢見ているほうが良いから。
「誰だよ。好きなヤツって、誰だよ」
「ちょ、ちょっと何? 怖いよ?」
少しおどけて切り返すわたしに、フッと笑顔を見せた。
「オレには関係ない話だよな、紫の好きな人なんて。まあオレ、応援してるから。雨が降ったから恋は叶うんだろ?」
明るい声で笑いながら言った神崎雅史の笑顔に、胸がギュッと痛くなった。
わたしが好きなのはおまえなのに。
関係ない話なんかじゃないのに。
今すぐそう言いたかった。
でも、そんなことできる訳なくて、わたしも少し笑ってからそっぽを向いた。
もう諦めなきゃな。こんな叶うわけない恋、すぐ終わりにしなきゃいけないね。
誰よりも近くに行けたと思ったのに、バカみたい。
「関係ない話」って神崎雅史は言い切った。「応援してる」って言った。
その時点で、わたしのことは好きじゃないって確定じゃん……。
別れて1人で帰路についている今、傘を力なく下におろして空を見上げた。
雨か涙か分からない透明な液体が頬を流れて行く。
❉ ❉ ❉
その翌日の、月曜日。
「おはよう」
あいつは、わたしの気持ちなんて知らずに、いつも通り話しかけてくる。
「おはよ」
わたしの返事は、不自然になってはいないだろうか。
「ゆかちゃん、おはよ」
「瑠璃ちゃん! おはよ」
わたしが瑠璃ちゃんと話し出したのを見て、他の人のところに行った。
「で、昨日どうだったの?」
「え?」
「さっしーとの、例のデートだよ!」
「デートって……」
本気で絶句したわたしを見て、瑠璃ちゃんは目を見開く。
「まって、ゆかちゃん。ホントにさっしーのこと好きなの?」
「瑠璃ちゃん……」
「えええ!? マジ!?」
こくっと、静かに首を縦に振った。
「そっ……かぁ……」
ほとんど放心状態みたいな瑠璃ちゃんに、わたしは冗談めかして言う。
「付き合ってるとかデートだとか散々言っておいて、何その反応?」
「……いや。本当にそうだとは思ってなかったから。あのね、さっしーのこと好きだって、あんまり他の人に言っちゃダメだよ?」
「え? なんで?」
「とにかく! 絶対ダメ。分かった?」
「う、うん。分かった」
迫力に押されて大きくうなずく。
言われなくても、瑠璃ちゃん以外の人に言うつもりなんてないけど……でも、なんでそんなに止めるんだろう?
「ゆかちゃーん! 数学教えてもらっても良い?」
クラスメイトの呼びかけに笑顔で応じる。
「うん! 良いよー!」
最近はこうやって勉強を教えてと頼んでくる人も多く、わたしはそれが本当に嬉しかった。
「ねえ、聞いてよ。紫ちゃん、昨日さっしーとデートしたんだって!」
「えーマジ?」
「うん。昨日見た人がいるの」
背筋が凍った。
恐る恐る、その声が聞こえた方向を見る。
クラスでもハデな女子グループ。如月さんと橘さん、一ノ瀬さんだ。
「最近急にキャラ変しちゃってさ。さっしーに色目使ってんじゃねーよ」
鋭い視線に、わたしは思わず顔を背けた。
瑠璃ちゃんが「さっしのことを好きって言っちゃダメ」って言った理由がもう分かったよ。
「大丈夫?」
「うん。ごめんね」
数学を教えているクラスメイトが、気を遣って聞いてくる。
「あの人達のことは、気にしなくて良いから」
「いや、でも……嫌われるわたしが悪いんだよね」
「そんなことないよ!」
「え?」
「わたしも、ずっと誤解してたけど。でも、ゆかちゃんはホントに良い子だもん!」
「……ありがとう」
心の奥がとても温かくなった気がした。
「……あんなヤツ、さっしーも何がよくて一緒にいるんだろ」
そう吐き捨てるように言うと、如月さん達は教室を出て行った。
「え、さっしー!?」
なんと、神崎雅史は、ドアのところで聞き耳を立てていたのだ。
「今の、全部きいたよ」
「え、いや、だって……」
「じゃあね」
「え?」
神崎雅史は、今までにないくらいの穏やかな笑みを浮かべていた。
その笑顔を見ると、妙に胸騒ぎがする。
「ゆかちゃん、行って」
「え?」
「さっしー、なんか良くないことをする気がする。だから、ゆかちゃんが止めてあげて!」
意志の強い視線に押され、わたしは大きくうなずいた。
「うん! 行ってくる!」
階段のほうに向かって行った神崎雅史を追いかけ、廊下を全力疾走する。
短距離でわたしに勝てる人は、男子でも学年に2人しかいない。
女子が廊下をすごいスピードで走っている姿は客観的に見たら珍しいようで、過ぎ去る人が驚いて振り返っているのが分かった。
「神崎雅史見なかった!?」
階段までたどり着いて、たむろっている隣のクラスの男子達に聞く。
「え? さっしーなら、階段上がっていったけど」
「ありがと!」
返事をして階段を上り始めてから、ふっと疑問に思う。
この上には、屋上しかない。しかも屋上はプールになっていて、鍵を開けないと入れないはずだ。
入れない屋上に、何で向かった……?
ドアを上がりきり、屋上の入口のドアに手をかけた。
開くわけがない。なのに……。
ドアは静かに開き、わたしの体を冷たい空気にさらした。
外は、暗い感情も吹き飛ばすかのような晴天。雲一つない青空に、さんさんと光る太陽。
思ったよりも強い風の中を、ただ1人の背中を追い求めて突き進む。
「ちょっ……! 何やってんの!?」
見慣れた背中は、フェンスの向こう側にあったのだ。
「……紫っ……!」
あいつは驚いて、バランスを崩しかけた。
「ちょっと、バカ! そんなとこいたら落ちるかもしれないでしょ! 戻って来なさい!」
側に行ってフェンス越しに下を見下ろすと、校舎の中心に位置するテニスコートが遠く見えた。
「これ、落ちたら死ぬよ!? 早く戻りなさい!」
「嫌だ」
「嫌って……! なんでそんなとこにいるの!?」
「オレ、死ぬから」
「……は?」
あまりにも真剣で切なげな瞳に、目を疑う。
「何言って……」
「オレは生きてる価値もないから。死ぬべきなんだよ」
「何言ってるの? あんたが死んで悲しむ人が、どれだけいると思ってるの!?」
意味が分からなかった。
誰からでも好かれて、女子人気も男子人気も高くて、毎日楽しそうに過ごしていたこいつが、神崎雅史が何で死ななきゃいけない?
「とりあえずフェンスより内側に来て。お願い」
「……ここにいても自分から行かなきゃ落ちないから。ここで話をしよう」
「……分かったよ」
バクバクなっていた心臓が、少し落ち着いてきた。
「まず、なんで屋上に入れたの?」
「今日、業者が入る日ってことを盗み聞きした。それで、ずっとドアを開けとくって」
そんな不用心なことが許されるのか……。
「なんで死のうとしてるの?」
「え?」
「わたしはずっと、神崎雅史のことが羨ましかった。男子からも女子からも好かれて、明るい性格で。何もかもがわたしと正反対で……。わたしもそんな風になりたかった」
「オレもだよ」
「……?」
「オレは、紫みたいになりたかった」
「何でっ……!」
「誰にも頼らずに生きれるのって、すごいなって。オレは頼ってばっかだから。それに、みんな、オレのことを大切になんか思ってない」
「そんな訳ないじゃん! みんな、あんたのことが大好きでしょ!」
「そんなことないんだ」
うつむいた神崎雅史が、1度言葉を切る。
「オレの友好関係は、浅く広く。誰もオレのことを1番になんか思ってくれないんだ」
「そんなの……」
「それにな。オレが死ねば、紫も悪口を言われずに済むだろ?」
「そんなの気にしてないに決まってるでしょ!」
「おまえはもう、オレがいなくてもみんなと仲良くやっていける。だから幸せに過ごしてくれ」
「わたしがみんなと仲良くなれたのは誰のおかげだと思ってるの?」
息を大きく吸い込んだ。
「あんたのおかげでしょ? あんたがいたから、わたしはみんなと仲良くなれた! わたしは神崎雅史のこと……」
その先の言葉がどうしても出て来なかった。
1番伝えたいことが、声に出せなかった。
「もう死ぬしかないよ。だって、おまえは、オレのこと覚えてないんだろ?」
「覚えてない? それってどういうこと?」
「はあ……。やっぱり、分かんないんだな」
泣きそうな瞳にわたしの胸も痛む。
覚えてないってどういうこと? わたしが、覚えてなきゃいけないことって……?
「なあ、紫。オレ、死ぬ前に心残りなことが1つあるんだ」
「死ぬとか言わないで!」
「……あのさ、おまえは」
心臓がなり止まない。
「誰のことが好きなの?」
そう言った神崎雅史の顔を見た瞬間、幼い頃のある思い出が頭を駆け巡った。
➤ ➤ ➤
これは、幼稚園の年少か年中のときの話。
「ゆーかちゃーん!」
笑顔で駆け寄ってきた男の子に、わたしは満面の笑みで答える。
「なーに、まぁくん?」
1番の仲良しで、誰よりも身近にいた友達。
それが、この『まぁくん』だった。
まぁくんは斜め向かいの家に住んでいて、とても小さい頃から一緒に過ごしてきた。
「お母さん、まぁくんちどうしたの?」
運び出され、車に乗せられた家具。
幼心には、これが何を意味しているのか分からなかった。
「まぁくんはね、違うところに行ってしまうの」
「え? じゃあ、もう会えない?」
「そんなことないわよ。そこまで遠くに行くわけではないし、きっとまた会える」
「ホント?」
「本当。だから大丈夫だよ。ほら、お別れ言ってきなさい」
「うん」
どこかに行ってしまうと言われても、ずっと一緒にいた日常が変わりゆくなんて信じられなかった。
それほどまぁくんの存在は身近で、大切なものだったのだ。
「まぁくん、どっか行っちゃうの?」
「うん」
「でも、お母さんがまた会えるって。だから大丈夫だよね?」
「うん! また会えるよ!」
「そうだよね!」
「だって、僕、ゆかちゃんのことが大好きだもん!」
「うふふ」
「大好き」という言葉が嬉しくてくすぐったくて、恥ずかしそうに笑う。
「ゆかちゃんの」
まぁくんは1回そこで言葉を止めた。
「好きな人は、誰なの?」
無邪気な笑顔に、わたしも笑って返す。
「わたしの好きな人はね……」
➤ ➤ ➤
「まぁくん」
「え?」
「わたしの好きな人は、まぁくんだよ」
フェンス越しに見える表情に、ギュッと胸が締め付けられる。
なんで今まで気が付かなかったんだろう。
あんなに大切だったまぁくんのことを、何で忘れていたんだろう。
「紫……思い出して、くれたのか……」
涙で潤んだまぁくんの瞳を、正面からしっかりと見つめる。
「うん。まぁくん……」
「紫っ!」
フェンスを越え、わたしと向かい合うように立った。
そっと触れた手と手が、お互いの体温を伝え合う。
「ずっとずっと、もどかしかった。同じ中学に入学したのに、紫は気づいてくれなくて。オレはすぐに『ゆかちゃんだ』って分かったのに、おまえは分かってなくて……」
「ごめん。ホントにごめん」
「紫」
そっと上を見上げる。
「オレは、おまえのことが、ずっとずっと大好きだ」
待っていた言葉。1番言ってほしかった言葉。
神崎雅史、いや、まぁくんから放たれたその言葉は、わたしの胸を激しく揺さぶった。
「わたしも、大好きだから!」
グッとわたしを引き寄せた力強い腕。
その腕の中に、わたしは閉じ込められていた――。
新しい靴を買った次の日、雨が降ると恋が叶う。