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第7話 静寂の海

 王都を出た二人は、再び乗り合い馬車を捕まえた。馬車の旅は楽でもあり、同時に退屈でもあった。『巨人の庭』ほどでは無いにしろ、景色も変わり映えしない。歩かない分、余計に変化が少なく感じる。

 街道は、小さな村や、それなりに大きな街を結びながら伸びていた。一つ良かったのは、場所によって食べ物が結構違ったことだ。食事(どころ)を回って美味しい料理を探すのは、貴重な旅の楽しみになった。


 とある飯屋で夕食を物色していた時、レインは気になるメニューを見つけた。珍しい木の実を使ったスープと書いてあったのだが、その実の名前に見覚えがある。ダグラスをつついて、店員を呼んでもらった。

「なんでしょうか?」

 若い男の店員が、営業スマイルと共にやってきた。レインが自分の国の名前を告げると、彼は笑みを深くして言った。

「はい、そうです。あそこの特産品ですね。よくご存じで」

「やっぱり」

「ほう」

 メニューに目をやるダグラスに、レインは弾んだ声で言った。

「食べようよ」

「ああ。じゃあ、二人分頼む」

 店員は一瞬驚いたような顔をしたあと、にへらと笑った。

「ええ、ええ。すぐお持ちします」

 何故か嬉しそうな店員を、ダグラスは訝しげな表情で見送っていた。


「こんな所で見てびっくりしちゃった」

「よく食べるのか?」

「ううん、食べたことはないよ」

「そうなのか」

「珍しいから」

 スープはすぐに運ばれてきた。どろっとしていて、茶色っぽい色だ。香りはあまり無い。

 二人は早速食べ始めた。栗や芋のような味に、香辛料のようにぴりっとした刺激と苦みが混じっている。レインは緩く首を傾げた。

「こんな味なんだ」

「……不思議な味だな」

 ダグラスはもう一口食べてから言った。

薬膳(やくぜん)みたいなものなのか?」

「精力剤になるんだって」

 そう答えた途端、ダグラスが激しくむせた。ぽかんとするレインに、彼は絞り出すような声音(こわね)で言った。

「……精力剤って、意味知ってるのか?」

「元気になる薬でしょ? 聞いたから知ってるよ」

「……。……そうだな……」

「?」


「いかがですか? よく効きました?」

 さっきの店員が、にやにやとしながら揶揄(やゆ)するような口調で聞いた。レインは柔らかな笑顔で答える。

「うん、ありがとう」

「それはよかった。よい夜をお過ごしください」

「? うん」

 店員は、満足したように帰っていった。突っ伏すようにテーブルに顔を近付けるダグラスを、レインは首をこてりと傾けながら眺めていた。





 馬車のほどよい揺れは、レインの眠気を大いに誘った。音はうるさいが、すぐに慣れてしまった。はっと気付くと、出たばかりだったはずのお日様が、かなり高くまで昇っていたりする。

「起きたか」

 耳元でダグラスの声が聞こえて、レインは少しだけびくりとした。どうやら彼の肩に寄りかかって寝ていたらしい。

「ダグラスはずっと起きてるね」

 ちらりと目をやりながら言うと、肩をすくめられた。

「護衛が寝ちゃまずいだろ」

「あ、そっか」

 護衛として雇っていることなんて、すっかり忘れていた。もうずっと一緒に旅しているような気になっていた。


 体を起こして、大きく伸びをする。いつの間にか、馬車に乗っているのは二人だけだ。

 周囲に目をやると、道の両側には木が生い茂っていた。森の中のようだが、こんな場所でも道はきちんと整備されている。

「そうだ、さっき海が見えていたぞ」

「どこ?」

「今は見えないな」

 急いで客車の外枠(そとわく)から身を乗り出したレインだったが、やはり木しか見当たらない。きらきらとした視線をダグラスに向ける。

「寄っていってもいい?」

「そのつもりだ」

「やった!」


 そこからさらに一時間ほど行ったところで、二人は馬車を降りた。街道の横から細い道が伸びていて、海に繋がっている旨を記した看板が立っている。

「静寂の海……」

 看板にはそう書かれていた。場所はすぐそこのようだ。


 ダグラスに手を引かれ、細道を進む。しばらく歩くと、唐突に視界が開けた。その先にあるものを見て、レインは息を()んだ。

 真っ白な砂浜の向こう側に、一面の青い海が広がっていた。海面は至る所で隆起し、水の像を作り上げている。それはたくさんの人の形だったり、森の木々だったり、動物や建物だったりした。

 ほんの(わず)かな音も立てず、海は次々に形を変えていく。人から馬に、馬から木に、そして城に。映像と音の落差が、より強く静寂を意識させた。


 本で読んだ通りの光景だ。雨に流され、海に注ぎ込まれた『記憶』が、海水に溶け込んだ大量の魔力によって実体化している。魔力風(マナ・ヴェント)と同じく、自然が起こす一種の魔法だ。

 ぼうっと海を眺めていると、肩を抱くようにそっと手が置かれた。まるでいつもそうしていたかのように、ごく自然にダグラスに身を寄せた。


「レイン」

 名前を呼ばれ、振り向こうとする。だがその前に、近くにあった大きな水の城が、ぐにゃりと形を崩したのに気づいた。

 水は真下ではなく、砂浜に向けて倒れかかるように落ちてきた。静寂を破り、ばしゃりと大きな音を立て、二人の頭上に降り注ぐ。

「……ぷはっ!」

 水の塊が通り過ぎたあと、反射的に閉じていた目と口を、レインは思い切り開いた。顔を洗う時のように、水を払い落とす。

 隣に目をやると、ダグラスが情けない表情で立ち尽くしていた。二人とも頭から水浸しになっている。

「……離れた方が良さそうだな」

「うう」

 ダグラスと共に、とぼとぼと森の出口まで戻った。


「……酷い目に合った」

「びしょびしょ……」

 両手を目線の高さまで上げると、肘から水滴がぼたぼたと落ちた。下はともかく、上半身はびしょ濡れだ。

 視界の端に、ダグラスがごそごそとしているのが映った。目を向けると、ちょうど上を脱いでいるところだった。

「ひゃあ!?」

 変な声をあげ、レインは顔を手で覆った。ダグラスは、ぽかんとした表情でそれを見ている。

「い、いきなり脱がないでよ!」

 震える声音のレインを前に、ダグラスは困惑したように言った。

「上を脱ぐぐらい普通だろ……」

「そ、そうなの?」

「ああ」

 レインは恐る恐る手を下ろし、上半身裸のダグラスを上目遣いで見ていた。少女の顔は、真っ赤に染まっている。

「……わかった」

 重大な何かを決意したかのように、唇を真一文字に結ぶ。そして、思い切りよく服を脱ぎだした。


「いや待て!」

 唖然(あぜん)とした表情で固まっていたダグラスだったが、ようやく立ち直って少女の腕を掴んだ。ちょうど、下着に手がかかったところだった。

「え?」

「何やってるんだお前は!」

「だ、だって上ぐらい脱ぐって……」

「……俺の言い方が悪かった。男は、ってことだ。女が人前で軽々しく脱ぐな」

「そ、そっか」

 いそいそと服を着るレインの横で、ダグラスは呆れたような、もしくはほっとしたような、深い溜息をついていた。

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