始まりは雨の日に 3
さて、きみやすがソフィと指揮官の会話に聞き耳を立てていた頃。
この街の町長の家では、きみやすと同じイチハチメンバーの二人が、ティータイムを楽しんでいた。
二人の前には町長お手製の動物クッキーが、紅茶に添えられ踊っている。一つ一つ丁寧に黄卵が塗られ焼かれているので、ちょっとした金細工のように綺麗だ。目や翼を縁取るチョコレートのコントラストもまた楽しい。
「どうだね、おふたりさん。今回のは自信作じゃぞ」
白髪の町長が、自分の紅茶のおかわりをしてから二人に尋ねた。かなり高齢だが、背筋はまっすぐに伸びている。きっと後ろ姿は昔から変わっていないのだろう。
「とっても美味しいです。ね、ウィユ」
綺麗な黒髪の少女がそれに答えた。イチハチのメンバーの一人、かのんだ。彼女からウィユと呼ばれた少年は、ゾウをかたどったクッキーを頬張ってうなずく。透き通るほど青い瞳が満足そうに輝いた。
「ふぁふあ、おはひふぁふぁんひはへふへ」
「こら、食べながら話さないの」
膨らんだ頬のせいで未知の言葉を発したウィユ。口の端からゾウの鼻が顔を出したのを見て、すかさずかのんがたしなめた。
「さすが、お菓子屋さんになれるねっていったの。さくさくだし、あまあまだし! な、かのん!」
「私は食べるのがもったいないよ……でも食べなきゃもっともったいないか……」
かのんはそうつぶやきながら、猫とウサギどちらのクッキーを先に食べるか迷っている。
町長はその様子を見て嬉しそうに目を細めた。
「これくらいお安いご用。おふたりさんが、最近街の畑を荒らしていた動物達を、懲らしめてくれたお礼じゃよ。これでしばらくは安心して眠れるというもんじゃ」
「あれくらい訳無いよ、じいちゃん。鏑矢を作るまでが慣れてなくて大変だったけどね。動物が嫌う音っていうのも……すぐには分からなかったし」
ウィユが近くの壁に立てかけてあるお気に入りの弓と矢筒を見て、得意げに言った。どちらも手作り感にあふれている。背の低いウィユに合わせて小さめにできていた。
「たしかに、私も動物が嫌う臭いってよく分からなくて……」
ウィユに続き、かのんも手元の木箱に目を向ける。今はしっかりと蓋が閉まっているが、あちらこちらにこびりついている意味ありげな染みは、体によろしくないものを想像させる。
「薬の調合が大変だったから、思い出すだけでも肩が凝りそう。雨が降り始める前に終わってよかった」
そっと呟いて苦笑いをこぼすかのん達に、町長はさらに目を細めて労いの言葉をかけた。
「苦労をかけたな。なにぶん、山の動物達が街に入るなんてめったにないことでのう……食べる訳でも無しに殺すのは気が引けたんじゃよ。――街の猟師達も殺す以外はしたことがないと言うし、おふたりさんの腕が一枚も二枚も上手じゃったな」
ふぉっふぉっふぉと笑い、二人のカップに紅茶を注ぎ足す。湯気とともに柔らかいリンゴの香りが広がった。
「へへへ、そうでしょ? でも子連れのイノシシに出くわした時は驚いたよ」
褒められて嬉しくなったのだろう。ウィユが今日の武勇伝に身振り手振りを交えて語りだす。
そうして、外はいつの間にか薄暗くなっていった。
――それからしばらく経ち、ウィユの武勇伝の中で全ての決着がついた時、楽しそうに相槌を打っていた町長がふと切り出した。
「そうだ、おふたりさん。もう一つ頼まれごとがあるんじゃが、お願いできんかね」
話し続けて乾いた喉を紅茶で潤しているウィユのかわりに、かのんがどうしたのかと聞き返す。
「実は今、わしの遠い親戚の子供が遊びに来ててな。人見知りなもんで寝室にいるって言ってきかなかったんじゃが……」
穏やかな表情はそのままだが、口ぶりがいつになく真剣だ。
「えー! 言ってくれれば一緒に遊んだのに。僕たち怖くないよ!」
「そうね……ほらウィユ、町長の話を最後まで聞かないと。えっと、それでどうされたんですか?」
残念がるウィユに同調しつつ、かのんが続きを促す。町長は一つ間を置いてからこう続けた。
「そう、遊んでほしくてな――」
そして後ろを向き、寝室につながる扉へ声をかける。
「リナ、そこにいるんじゃろ? こちらへおいで」
「え、えっと、女の子?」
しばらくしてから、木の扉がそっと開いた。
リナという名前に動揺するウィユだったが、扉の向こうから顔を出したその女の子を見てさらに眼を見開く。
「わあ! お人形さんみたい!」
彼女を一目見たかのんも驚きの声をあげた。
それもそのはず。ふっくらとした薄紅色の唇にぱっちりとしたエメラルドグリーンの瞳。それを恥ずかしそうに隠す金色の髪。
うつむいてしまった小さな女の子は、とても愛らしい容姿をしていた。ただ、身体も衣服もしばらく洗っていないのか埃まみれだ。背負っている細長い革の筒が、しっかり床に触れてしまっている。
突然現れた彼女にすっかり見とれているかのんとウィユに、町長が改まって声をかけた。
「――それでだな。突然ですまんが、君達の宿に泊めてもらえんかね。一晩だけでいい」
「お、おお! もちろんいいぞ!」
いきなりの展開にはしゃぐウィユ。自分と同年代の彼女と遊べることに、喜びを隠せないのだろう。リナがその声に委縮してしまったが、ウィユは気付かないようで。代わりにかのんが慎重な姿勢を見せた。
「それは……その、私はかまいませんが……ソフィさんがなんていうか」
常時気難しいリーダーの事を思い浮かべる。
なにもせずとも威圧感のあるソフィに、現時点で委縮しているこの子が慣れるだろうか。きみやすなら良くも悪くも気にしないで接してくれると思うが……。
しかし町長は気にする様子もなかった。
「なあに、わしの頼みだ。あいつも許してくれるじゃろう」
かのんの気持ちを知ってか知らずか、余裕綽々の微笑みだ。
すぐには納得のいかないかのんだったが、これには頷くしかない。
「ほれ、手土産じゃ。きみやすくんの分もあるぞ――リナ、向こうに着いたらお前から渡すんじゃ。目つきの悪い髭面の男がいるじゃろうから、彼にな」
目つきの悪い髭面の、とはソフィのことだろう。ずいぶんな言い方だがこれも長年の付き合いあってのものだろう。
クッキーをつめた木のカゴを渡して、いまだなにも言えずうつむいているリナの頭をそっとなでる。
「大丈夫……彼らは味方じゃよ」
最後に付け足されたその言葉が、町長自身に言い聞かせているようにも聞こえたのは、かのんの気のせいだろうか。
こうして町長に見送られた三人は、忘れかけていた雨の中を急いで家路に着いた。