008.
お気づきの方もいらっしゃるかと思います。
007.で鉄輪が読んでいる『果てのない物語』の元ネタは『はてしない物語』です。
振り下ろす、振り下ろす。
ストッキングに詰めた砂。その粒が少しずつ零れていく。
振り下ろす、振り下ろす。
ああ。血が、血が。止め処なく溢れていく。
振り下ろす、振り下ろす。
消えろ、消えろ、消えろ!!
憎い、憎い憎い憎い!
だというのに、自分は彼女を殺せない。
ああ、彼女の愛が自分に向けられているのを感じる。
この想いを綴らねば。文字にせねば。でも上手く行かない。
◆
留針部長のアトリエ訪問から一週間。
「……普通って、なんなんだろう」
中身はマトモなのに、その外見と趣味に一癖も二癖もある留針部長。
外見はマトモなのに、その眼に異常な存在を抱えている鉄輪。
そして僕。
「鉄輪の言葉を、微塵も疑うことができなかった」
――普通、仮面が見えるだなんて話を聞いたところで、その意味を理解できるはずがない。
幽霊とは違い、仮面という存在は誰にでも見ることができるモノのはずだ。しかし鉄輪は、わざわざ見えてしまうと言った。つまりそれは、普通は見えない類の仮面ということだ。
思えば、僕に『恋人がいるフリでもすればいい』と言ったあの朝、鉄輪は周囲の人間に仮面を見ていたのかもしれない。
いいや、それらの思い当たる節を加味したって、「はあ?」という言葉の一つくらい出しても良さそうなものである。なのに僕は、
――なんだ、それなら信じられる。
――……はあ?
むしろ彼女にその言葉を言わせてしまった。
なんというか、彼女が普通ではなく異端な存在であったことに、少しだけホッとしたのだ。そしてその安堵から、スルリと『信じられる』なんて言葉が出てきてしまった。
留針部長という存在に毒されてしまったのかもしれない、と今になって思い返してみるが、今だって鉄輪の言葉を疑えない。
「……僕って、変なのかな」
――そんなわけがない。
友達の言葉を信じたくらいで、そんな。
「変だよ、アンタ。私みたいに体質とかそういうんじゃなくて、根本的に」
「……なんだよ、友達の言葉を信じるのは普通だろ」
口ではそう言いつつも、拭い切れないモヤモヤがある。
「でもまあ、自覚してきてるってことは……よしよし、留針部長と会わせた甲斐がある」
「……なんでそこで、あの人が出てくるんだ」
「さてなー」
言うなり鉄輪は、読書に戻ってしまった。
ああ、そういえば。今、鉄輪は『友達』という言葉を否定しなかった。
それを少しだけ嬉しく感じながら、そろそろ昼休みを終えるというタイミングで――、
「――先輩ぃ……ッ! ゆぅちゃんが……ゆぅちゃんがぁ……!」
――話を聞けば、この二日間、学校にも来ておらず家にも帰っていないらしい。
「……鍵山さんを見ていて何か、気になることとかなかった?」
「なんだかぁ……やけに、そわそわしていましたぁ……」
眼をギラつかせ、常に険しい表情をしていたという。
「本当はぁ……もっと早くに伝えようと、思ってたんですぅ……でも、もう高校生だし、一日くらいなら大丈夫って思ってぇ……そしたら、二日も帰ってこなくて、連絡もなくてぇ……!」
そして意を決した今日。朝は時間が無かったらしく、昼休みにこうして訪れたのだというわけか。
「……明日、ゆぅちゃんのお母さんが捜索願を出すってぇ」
友達が行方不明だというのなら、授業なぞ放り出せばよかろうに。それができない辺り、眞鍋さんの人の良さと責任感、そして常識的な理性が覗える。
眞鍋さんが一人で何をしたって状況は好転しない。それを理解しているからこそ、鍵山さんの両親が捜索願を出すのを待っていたのかもしれない。
だが耐え切れず、感情の波を抑えていた、理性という防波堤が決壊してしまった。
……正直、僕を頼られても困る。
空から人が落ちるのを見た。しかし死体は消えた。その真相を探るべく、一週間以上の日数を費やした。それでも得られたのは、鍵山さんと眞鍋さんという友達のみだ。
そんな僕が、行方不明になった女子生徒一人を探し出せるはずがない。
「……はずが、ない」
――けれど、
もしも鍵山さんが、事件を調べられることを嫌った犯人に連れ去られたのだとしたら?
もしかしたら僕らは、事件の真相まであと一歩というところまで近づいていたのだとしたら。それに感づいた犯人が鍵山さんを狙い、口封じの為に殺そうとしているのなら。
それは、僕の責任だ。
「……どうするの、アンタ」
文庫本から目を離さず、声だけで問うてくる鉄輪。甘えなど許さない、自分のことは自分で決めろと、全身で苛烈に責めてくる。
僕は、どうするべきだ。
――違う。
僕は、どうしたいのか。
「……放っておいたら、鍵山さんは殺されるかもしれない。その次は眞鍋さんや僕かもしれない。……こんな考え自体、妄想の域を出ていない」
それでも、少しでも不安があるのなら、それを払拭せねばなるまい。
この言いようのない危機感を、そのままにしておきたくない。
時計を見れば、もうすぐ昼休み終了のチャイムが鳴る時間だった。……構うものか。
「鉄輪、言い訳よろしく」
「ぇあ、ちょっと……頭痛で早退、ってことで良い?」
「全然オッケー!」
机の脇にかけた鞄を手に取り、教室に戻ってきた生徒の流れに逆らう。
また悪目立ちしてしまった。何事かと僕を見る目はついに、『普通』というレッテルを剥がしてしまう。
構うものか。友達を見捨てる方が、よっぽど普通じゃない。
……ああ、今になって気付く。
散々周囲と同じが良い、などと言いながら、散々普通が良い、などと言いながら。周囲はこれっぽっちも『普通』ではない。異端の集まりが数の暴力で『普通』を名乗っているだけだ。
そんな異常を――普通とは認めない。
「……考え無しに出てきちゃったけど、さて、どこから探そうか」
死体を探していた時とはワケが違う。まるで心当たりも無し、どこにいるのか見当すら付かない。
もしかしたら単なる家出かもしれない。犯人に連れて行かれたなんて、本当に妄想でしかない。
――手がかりが無いのなら、
「妄想だって構わない――!」
まずは犯人がいる前提で考えろ。その犯人は、僕が見た空から落ちてきた死体を隠した犯人と同一人物だ。ならば、学校の近辺にいる可能性が高い。
そして死体を隠した場所。それだって一時的にならば、校内の可能性が高い。
なんだ、ワケが違うなんて、そんなことはなかった。
「死体探しと、同じじゃないか」
死体を隠していた場所はすなわち、犯人が『ここならば見つからない』と考えた場所。同じ大きさの人間を隠すならばうってつけのはずだ。
「問題は、僕が死体の隠し場所を見つけられなかったってところだ」
死体が落ちるのを目撃した次の日に探した場所は除外していいだろう。ならばそれ以降。死体が消えてから日数が経っていて、死体が見つからなかった場所。
犯人が死体を処理し終えて、見つからなかった可能性のある場所だ。
方針を定めた僕は、できることなどまったくない身でありながら、ただ責任から逃れるためだけに走る。
責任逃れ。そのためだけに走る姿はさぞかし滑稽であろう。
だが――所詮、人間なんてそんなものだろう?
◆
もうすぐ、彼はここに辿り着く。
苦肉の策ではあったが、存外なんとかなりそうだ。
目の前には、一身腐乱に殺し続ける彼女の姿。
それを眺め、綴る。
彼女が自分に向ける殺意を。
5月X日
がっ、がっ、がっ、がっ。
ぎりぎり、ぎりぎり。うあああああ。
ぐちゅり、ずちゃ、ぶちゅぶちゅ、ぐちぃ。
――足りない、足りない。まだまだだ。
もっと殺して、愛して、殺して、愛して。
それだけしても、相反する感情は乖離せず。
背中合わせのままに、内に溜まり続ける。
吐き出さねば、ぶつけねば。このままでは、
このままでは――、
「おかしくなって、しまいそうだ」
◆
「……こんなところに、いるはずがない」
時刻は既に放課後。僕は、もう何度となく見た部室棟の前に来ていた。
部室棟の中は既に探した。これから探すのは、この林の奥だ。
留針部長のアトリエ。もう、思い当たる場所はここしかない。
そして、いざ足を踏み入れんとした時、
「ここは立ち入り禁止だ。知らないとは言わせない」
どこから現れたのか。その声は、昨年の一年間で聞きなれてしまったもの。
そして、二週間前にも聞いたものだ。
「……金澤、先生」
背広にネクタイ。髪は短く揃えられ、提げられた面は決して緩まない。
様々なあだ名がつけられるが、一番しっくり来るのは『機械人形』という、感情があるのか疑わしい教師。
「お前は確か、この間も立ち入り禁止の屋上に入ろうとしていたな。そんなに校則を破りたいか」
「そういうわけじゃありません……僕だって、したくてしてるわけじゃ――」
――違う。
「……いえ、したくてしてることです」
「ならば、咎めぬわけにもいかん。止むを得ない事情があるならば、話くらいは聞いてやろうと思っていたが。……ただヤンチャしたいだけなのだろう?」
止むを得ない事情ならば、ある。だが、それを言ってしまえば僕は責任逃れの為に走ることができなくなる。
これは生徒一人で片付く問題ではない、と。
それが嫌だから、止むを得ない事情がありながらそれを黙り、自分の事情を優先する。
「――――」
僕を見る目が細く、細く。瞳孔すら見えなくなった両の眼が、僕の心を見透かすように射抜く。
もしや、という疑問が鎌首をもたげる。
立ち入り禁止の屋上、立ち入り禁止の林。
犯行を行えるとすれば、教師との共犯か、または教師単体か。そんなことを考えたことがあった。
あの日、屋上を調べに行ったタイミングでこの男は、鍵を使い屋上へと入ったのだろう。
思い返せば、数々の条件に、金澤という男は当てはまる。
コイツが……こいつが……!
やがて、金澤は僕から視線を外し、
「今回は不問とする」
金澤は、説教を始めるでもなく、去って行った。その足元――裾と革靴に、雑草の一部がくっついている。
「……本当にアトリエにいるんじゃないだろうな」
機械人形の意図なんて読めるはずもないが、それは、確かめればわかることだ。
早く、留針部長のアトリエまで。
湿気の多い林の中を駆け、アトリエに着くなりそのドアを乱暴にノックする。
「留針部長! 僕です! このドアを開けてください!!」
しばらくして、ドアノブがガチャリと回る。
「……そんなに乱暴になさらずとも、元から鍵はかけていませんよ」
半開きになったドアから仮面を除かせたのは、当然ではあるが留針部長だった。
「中に入れてください、留針部長」
「ごめんなさい、それはできません」
「どうして……!」
まるで、見られたくない何かがあるようではないか。
まさか本当に、ここに鍵山さんが。
「あなたが探している少女ならば、ここにはいません」
「……っ!? な、なんでそれを知って……」
いいや、ここに金澤が訪れたのならば、留針部長だってその存在を認知しているはずだ。つまり、彼女も共犯だったということになる。知っていても不思議ではない。
「……教えてください。鍵山さんは、どこにいるんですか」
答えてくれるとは思わない。でも、問いたくなった。
初めてここを訪れた日、ここに教師が来ることは有り得ない、と留針部長は言った。だが確実に、金澤はここを訪れている。あの時ついた嘘はいったい、何の目的があってのものだったのか。
「――きっと彼女は、苦しんでいます」
……は?
「己が望んで被った〈道化〉の仮面。そのあまりの重さに耐え切れず、自壊してしまいそうになっている。……そして、それを見て悦んでいる人がいます」
何の話だ。
仮面。それはこの一ヶ月で何度も耳にした言葉。
道化。それは、いったい。
「彼女たちを助けられるのはきっと、何も知らないあなただけ」
差し出された両手。その中には、一枚のメモ用紙、そして一枚の丸められた絵。
「――鍵山さんの居場所は、彼女が知っています」
◆
――ああ、もしもし。そろそろかなって思ってた。
私もついさっき知ったところだよ。でもまあ、薄々感づいてはいた。
……ああ、やっぱり行くんだな。
構わないよ。構わないけれど……アンタはさ、覚悟、ある?
わざわざ仮面を被ってまで隠した素顔を、暴く覚悟。
誰にも見られたくない、ずっと隠していたい。けれど、本当はこんな顔してるんだって誰かに知ってもらいたいという矛盾を、暴く勇気はある?
え? 何のことかさっぱりだって? ははは、だよな。
アンタは、何も知らないもんな。
……それでも?
◆
「――それでも僕は、その素顔ってやつを見てみたい」