006.
パソコンが使えなくなる前に書けるところまで書くことにしました。
そもそもパソコンが使えなくなるってどういう状況なんだろう。自分でもよくわかっていない。
死体探しをやめて二日。未だに僕らがしていたことに関する噂は消えてなくならない。が、それもじきに消えてなくなる。噂とはそういうものだ。
だからもうしばらくの辛抱。そう思えば、苦になることなど一つもなかった。
「……よ」
「ん?」
またもや登校中。今日は珍しく、鉄輪から声をかけてきた。
実は、昨日は話しかけていない。というか、鉄輪の姿を見かけなかった。なので鉄輪と話すのは、一昨日まったく話さなかったということもあり丸二日ぶりだ。
不思議だ。たった二日話さなかっただけなのに、もう懐かしく感じてしまう。
「調子はどんなもん?」
「やめたよ、やめた」
アッサリとした僕の返答に、鉄輪は少しだけ意外そうに、
「……へぇ、それまたどうして。あんなに意地になってたのに」
やはり鉄輪からもそう見えていたらしい。
「意地を張る意味っていうか……そういう理由とかが、消し飛んだから」
最初は普通であるために、と始めたことだった。しかしそれが原因で普通でなくなるなど、本末転倒にも程がある。
僕は周囲と同じ普通でありたい。であれば、これまた周囲と同じように『そんな事件は無かった』というスタンスを取るべきだ。
それを語ると、
「ふうん……まあいいけど。それで、付き合ってくれる気にはなった?」
「ああ、その話なら大丈夫」
はてさて、鉄輪の誘いとはいったい何なのか。
二日前の朝に誘われた時には何も思わなかった。しかし今となっては違う。そういった些細な関わりからさえも、ときめくものを感じる。
女子からの誘いにドキドキと感情を高ぶらせるのは、男子ならば普通であろう?
「どんな用事なんだ、って聞いたら、答えてくれるか?」
「内緒。……って言ってもいいけど、別に隠すことでもないし。アンタに会わせたい人がいるんだよ」
「会わせたい人……か」
鉄輪がわざわざ真剣な表情をしてまで会わせたい人。それはどんな人だろう。
「一言で言えば……魔女?」
「……は?」
ポカンと口を開け呆けるのは、僕の役目ではないはずなのに。それでも開いた口は塞がらず、魔女という単語の異様さから思考の中に空白が生まれた。
「鉄輪、きみ……」
「言っておくけど! アンタとか、その魔女の方がよっぽど変人だからな!? 私はちょっと変な体質ってだけで、変人ってわけじゃないんだし!」
僕だって変人というわけではないのだが――、
「――ん? 変な体質って?」
「……あー」
気の抜けた声を出し、一歩の間隔を広くする鉄輪。言ってはマズイことを口にしたらしい。
「まあ、それも含めていろいろわかるよ。……全部、放課後になってから」
僕の前方を歩いていた鉄輪は立ち止まり、顔を半分だけ振り向かせ、そう言った。そしてそのまま走り去っていく。
いつも思う。今この場で逃げたって、十数分後には教室で再会するのに、と。
でもまあ、今この場から逃げ出したい、という気持ちがあるのだろう。その場凌ぎというものか。
「……いつか、僕にも赤面を見せてくれないかな」
鞄から取り出した写真。その一枚に、顔を真っ赤にした鉄輪が写っている。
鏡くんに見せられた写真の中で、二番目に魅せられたものだ。いつかこの表情を、実際に見てやる。
顔を逸らさせず、真正面に見据えて、それで――、
――あれ?
「それで、僕はどうしたいんだろう」
赤面する鉄輪を正面に見据え、したいことがある。それは確かなのだが、具体的にどうしたいのかが浮かんでこない。
……まあいいか。
「その時になってから考えれば」
〝その時〟が来るのは、まだまだ先だろうから。
◆
「先輩、ちーっす!!」
ガラガラ、と教室のドアを開け放ち、運動部のような挨拶と共に入ってきたのは言わずもがな、鍵山柚月一年生である。
「へへっ、もう終わったのはわかってるんすけど、することも無かったもんで来ちゃったっす」
「することが無い、って……部活とかは?」
「入るつもりないっす」
「……友達とかは?」
「眞鍋は今日、用事あるそうで」
そういえば眞鍋さんの姿が見えない。いつでも共に行動しているイメージがあるが、意外にそういうわけでもないらしい。考えてみれば、四六時中一緒にいられるはずもないし当然か。
……そうではない。
「眞鍋さん以外の友達は……?」
「先輩っす」
「……他には?」
「それなりに仲の良い子はいるっすけど、どっちかって言ったら先輩を選ぶっすねウチは」
もしかして、この一週間を僕と共に過ごしたことが原因だろうか。
高校に入学して一ヶ月。それはとても重要な期間である。その間にある程度グループが決まり、カーストも定められる。高校生活の三年間を決定付ける一ヶ月なのだ。
その出だしを、僕が邪魔したというのなら申し訳が立たない。
「ああ、いいんすよ。そこまでイロモノ扱いされてるわけじゃないんで。ほら、ウチって可愛い方じゃないっすか? だからこそ、それなりに仲良くしてくれる子もいるわけで。噂もその内静まるだろうし、問題なんてなんもないっすよ。……むしろ、先輩には感謝してるくらいなんすから」
感謝……どういうことだろうか。
非難される心当たりならある。しかし感謝とはいったい。
「言ったじゃないっすか。ウチの話を信じてくれたのは、眞鍋と、そして先輩だけ。……案外、誰にも信じてもらえないのって辛いんすよ。だから同じ立場の先輩がいて、一緒に行動できて、かなり楽になったって。そういう感謝っす」
「……なる、ほど?」
わかるような、わからないような。
だが、一つだけ言えることがある。僕は最低だ。
ここまで純粋な気持ちを向けてくれた後輩に対し、疑惑の目を向けるなど。恥知らずにも程がある。
だから、僕からも一言。
「ごめん」
「え? いやだから、それはもういいって――」
違うのだ。これは非礼を詫びる謝罪。ケジメだ。
「謝りたいから謝った。それだけだよ」
「……先輩も大概、変な人っすよね」
そしたらまたも変人というレッテルを貼られてしまった。真摯な気持ちを伝えただけだというのに、そんな馬鹿な。
――しかし、友達、か。
感謝され、謝罪し、お互いのわだかまりがすっかり晴れたことで浮かび上がった一つの誘惑。耳元で囁かれたのは、一つの理想。
「なあ、鍵山さん」
「ん? なんすか?」
もしも、鍵山さんが僕のことを悪く想っていないのなら。……少なからず良い感情を抱いているのならば、
「僕と――」
――付き合ってくれ。
――――。
「……? どうしたんすか、先輩」
「……い、いや、なんでも」
どうしたのだろうか、僕は。今、たった一言だというのに声に出せなくなった。
言ってしまってはいけないような、そんな強迫観念に駆られ、喉を震わせることを理性ではなく本能が拒絶したのだ。
「??? やっぱ先輩って変――」
「ぃよっす、準備できたよ――って、なんかマズかった?」
そのタイミングで、準備をしてくるから少し待っていてくれ、と教室を出て行っていた鉄輪が戻ってきた。僕と鍵山さんの様子を見て、ただならぬ雰囲気を察したのだろうか。
「いや、ナイスタイミング。それじゃあ行こうか」
「あれ、先輩たち、どこかに行くんすか?」
ああ、そういえば言ってなかった。言うタイミングが無かったというか、そもそも他者に話していいのかが判断できなかった、というのもあるが。
チラ、と視線を鉄輪に送る。
「……別にいいけど。というかむしろ来て欲しいくらい」
「え? え? ……ウチ、どこに連れてかれるんすか? また閉じ込められたりしないっすよね?」
アレ、まだ根に持っているのか。……正直すまなかったと思う。
「閉じ込める……? 会わせたい人がいるってだけだけど……アンタ、この子に何かしたのか?」
「いいや、何も」
「先輩嘘ついてるっす!」
こうして僕らは、鉄輪に連れられてとある場所を訪れることになった。
その場所とは、
「……あれ、部室棟?」
目の前にそびえ立つは古びた木造の建物。もう一週間半になるか。以前ここを訪れ、僕と鍵山さんは悪臭地獄を味わった。その夜、僕だけでもう一度訪れ、鞄の中にある三枚の写真を譲り受けることになったのだが、今思えば良い出会いだった。
「ここに誰かいるんすか?」
「ううん、ここじゃなくて……その裏」
裏? ……もしかして。
そのもしかしては的中し、鉄輪は裏手にある林の中に、臆することなく足を踏み入れた。この先にあるのは、あの建物だけだ。
何の目的で存在するのかわからない、木造の山小屋のような建物。
その前まで辿り着き、
「ここにいるんだよ」
「……誰が?」
やはり、どうしたって気になる。以前は鍵がかかっていて中に入ることができなかった。さらに金澤が現れ、この場を離れざるを得なかった。
だが今日は、この中にいる人物と出会えると言う。気にならないわけがなかった。
しかして、鉄輪は悪戯な笑みを浮かべ、
「――私の親友」
すんなりと回ったドアノブを押し、ドアを開けた。
◆
「何かを作り出すことを生業とする人間は、常に消費者の妄想を形にするのです」
第一印象は『美しい人』――揺れる長髪は輝く白。後姿のため顔は覗えないが、チラと見えた手は雪のように白い。
その手に握られるのは、ナイフか何かで削られた鉛筆。
「けれど、わたしは、わたしの中にある妄想を形にする。……ゆえに、『絵を描くこと』を生業にはできません」
透き通る声すらも雪を感じさせる冷たさがある。他者を必要以上に近づけず、だが何もかもを受け入れる包容力すら感じさせる。
――魔女。
なるほど、この女性を形容するのに、これ以上ふさわしい言葉はないだろう。
「初めまして。あなたが、いーちゃんの話によく出てくる『ヤツ』ですね」
「え、あ……僕?」
鉄輪を見ると、視線を合わせようとはせずそっぽを向いた。こいつ、僕のことをなんて説明してるんだ。……『ヤツ』って。せめて名前で伝えて欲しい。
「そして、そちらの方は……鍵山さん、でしょうか」
「あ、は、はいっす」
「わたしは留針という者です。どうかお見知り置きを。そしてどうか、この場所にわたしがいることは他言無用で」
柔らかく微笑む留針さん。彼女は、美しい。可愛いという言葉は似合わず、しかし綺麗という言葉にも収まらない。
まさしく、彼女こそが『美』の極致。
動かしていた手を止め、留針さんが振り返った。
「――――」
後姿でさえ圧巻だったのだ。その全容を見たら、僕はいったいどうなってしまうのだろう。
……結果としては、言葉を失った。
なぜならば、
「――――仮面?」
彼女は、その素顔を仮面で隠していたから。
完璧だ、完璧だった。白い肌に白い髪。それを埋め尽くすかのような黒い衣装。放つ雰囲気は涼やかで、繰る言葉は淑やかで。
なのに、仮面が全てをぶち壊しにしていた。
真っ白な仮面だ。目にあたる部分に下弦の三日月型の穴が空いている。その奥の瞳が僕を捉えた……気がした。
「……なるほど。確かに、在り方は複雑怪奇。いっそ不気味ですらありますね」
声を大にして叫びたかった。どう見ても不気味なのはあなただ、と。
ふと、彼女が描いている絵が視界に入った。鉛筆画のようで、そして人物画であるらしい。……の、だが、……あ?
「首から上が、ない……?」
そして気付く。彼女がいるこの部屋だが、至るところに、彼女が描いたのであろう絵が飾られている。そしてそのほとんどが、首から上が描かれていない人物画なのだ。
胸から上のモノもあれば、二人が手を繋いで歩いているモノまで、様々な場面が絵になっている。だがやはり、首から上がない。
もしくは、
「……また仮面か」
そのほとんどの内に入らないごく一部。いくつかの絵は、首から上が仮面で隠されている。
「この部屋を訪れる人は多くありません。そして、その多くない人々は必ずあなたのような反応をします」
留針さんが立ち上がり、僕は思わず一歩下がる。その際に鉄輪にぶつかってしまった。そんな僕の様子がおかしかったのか、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。
「ようこそ、わたしのアトリエへ。この場では、常識という名の仮面を剥いでくださいまし」
――その表情は覗えないが、きっと、仮面の下では魔女のような笑みが浮かべられているのだろう。
この得体の知れない女性を『親友』と呼ぶ鉄輪も、もちろんこの女性自身も、どういう世界に生きているのか。僕にはまるで、理解ができなかった。