004.
野球、サッカー、テニス、バレー、卓球……有名どころはもちろん、ラクロスやハンドボール、果てはカバディまでも押さえているこの学校。これだけでも十分多いのに、加えて様々な文化部も存在する。
それだけ多くの部活を許容できるのは、他校に比べて圧倒的に生徒が多いからである。
だからこそ、あの日の光景を共有しているのが僕と鍵山さんだけだなんておかしいのだ。
「あの日、絶対に何かが起きたんだ」
もう古くなってしまい、しかし朽ち果てることもなく、ただ物置と化した木造の建物――部室棟。部屋の数は九つ。このどこかに、死体が隠されているかもしれない。隠されていない場合もある。
「さて、……まずは野球部の部屋から」
ちなみにこの部室棟、鍵がかかっていない。部の物品を置くのにそんな無用心で大丈夫なのか、と心配になるが、そもそも僕は運動部ではないし、今日は好都合だ。
「三人で一つの部屋を探すんすか?」
「そのつもりだったけど……うん、手分けしよう。僕は野球部、鍵山さんはサッカー部、眞鍋さんは……テニス部の部屋をお願い」
「っす」
「わかりましたぁ」
こうして、あるかないかもわからぬ死体探しが始まった。
野球部の部屋の扉を開けて一言。
「臭い……!」
鼻を突く刺激臭。思わず涙を流しそうになるほどのそれは、紛うかたなき汗の臭いだ。汗それ自体は無臭だと言うが、含まれている成分によっては最大の凶器なりうるのではないだろうか。
野球部の汗と涙、その結晶。恐ろしすぎる。
「ああ、クソ、臭い……臭い!」
本当にこんなところに死体があるんだろうな!
……いいや、それを確かめるためにこんなところにいるのだったか。
「無いなら無いで結論付けたい……! けど、無いモノを証明するってどうするんだ!?」
悪魔の証明という言葉がある。実際に存在することを証明するよりも、いないことを証明する方が格段に難しい、という意味だったはずだ。僕は今、その言葉を痛烈に実感している。
僕は今、無いモノを探しているのか、在るモノを探しているのか。
ボールやらグローブやら、さらには有り得ないはずのスパイクが積まれた棚までも手当たり次第に暴いていく。虫の一匹だって隠れさせてはやらないつもりで。
だがそうすればするほど、埃が舞い上がりより酷い状況になる。
「だ、駄目だ……窓を開けよう」
立て付けの悪い窓をどうにか開け放ち、その裏にある林に、汚染された空気が大量に放出されていくのを見届け、ようやく一息つけた。
「大自然って素晴ら――ん?」
……なんだろう、あの建物は。
部室棟の裏には、鬱蒼とした林が広がるのみだ。立ち入り禁止にはなっているものの、屋上とは違い鍵も何もない。入ろうと思えば誰でも入れる場所だ。
その奥に、木々に隠れるようにしながら何かが建っている。こちらも木造だが、部室棟に比べ遥かに状態が良い、……ように見える。
「もしかしたら、あそこかもしれ――」
「先輩ッ! こっちは終わったっすよ、次はどこを……臭っ!!」
ドアを開け放ち、この部屋の異臭に涙する鍵山さん。
「なんなんすかこの部屋!?」
「あれ、サッカー部の方はそうでもなかったの?」
「っす……なんか芳香剤かなんか置かれてるみたいで。良い臭いとも言えなかったっすけど、ここまで酷くも無かったっす」
鼻を押さえながら、ジリジリと後退する鍵山さん。
それを真顔で見つめ、ふと思いつき、ジリジリと滲み寄る僕。
な、なんすか、と言いつつ、さらに後退する鍵山さん。
それには答えず、無言で近づいていく僕。
鍵山さんの手を取り「ひっ!?」部屋の中に引きずり込み――それと入れ替わるように僕が外に出て、扉を閉めた。
「あの、ちょっとぉ!? 何してんすか!? くさ、臭い! 出して、出してください!?」
「鍵山さんってさ……! なんか弄りたくなるんだよね……!」
というか、腕を掴んだ時に、ひっ、とか地味に傷つくからやめてくれ。
「もしかしてドアに体重かけてるっすか!? 急に、急に何してるんすかあの、ちょっと本当にやめてもらえないっすか? なんかマジで視界がクラクラしてきたっていうか……」
「大丈夫、そこからが本番だ」
「何の!?」
そうしてふざけていたら、眞鍋さんも捜索が終わったようで、
「あれぇ……何してるんですかぁ?」
「ちょっと遊んでる。テニス部の方はどうだった?」
「開けて、開けろぉー!!」
ドア越しに背中をドンドンと叩かれる。案外力が強くて、このままだと僕の方が圧されそうだ。
その状況を一目で把握したのか、眞鍋さんは「なるほどぉ」と呟き、
「テニス部の方は特に何もぉ……やけにえっちぃ本が多かったように思えますけどぉ、ここって大学でしたっけぇ?」
テニス×エロ本ですぐさま大学のテニスサークルを思い浮かべるその思考回路はどうなっているのだ。
「ぷはっ! 出れ、出れた……マジで死ぬかと思った」
僕が身を引き開いた扉から、鍵山さんが死ぬ寸前で飛び出してきた。少しやりすぎたかもしれない。
「いっそのこと死んだ方が楽かもしれないって思ったっす……」
「ごめん。でも窓開いてたし、少なくとも僕が味わった腐臭よりはマシだと思うんだ」
「もっと酷かったんすかアレ」
鍵山さんの表情が死んだ。
さて、気を取り直して次に行こう。
「あ、じゃあウチハンドボール部見に行くっす」
「んじゃ僕はバレー部かな。眞鍋さんは……陸上部?」
「わかりましたぁ」
◆
そうして二時間。入学直後の二週間は、体験入部もあるとかで、遅い時間まで活動している部はほとんどない。あの日、あの時間に校庭に誰もいなかったのはそういう理由だろう。
そして今日も、活動終了の時間がやってきた。
「さて、そろそろ来る可能性があるし、今日は切り上げようか」
どうにか時間内に九つの部屋を探し終えた僕らは、部室棟を離れ、再度二年三組の教室に戻った。僕のクラスである。
「部室棟には無かった、か……明日はどこを探そうか」
「他にあるとすれば、ボイラー室とかっすかね?」
「もしくは、使われなくなった焼却炉の中、とかぁ……」
結局次の候補は決まらぬまま、僕らは解散した。
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――――――。
――――。
――。
「――――さて、始めるか」
◆
日も落ち、暗くなった頃。
僕は未だに学校に残っていた。目的は、部室棟の捜索を続けること。
懐中電灯は持った。マスクとゴーグルも持った。野球部のような腐乱臭は無かったとは言うが、念のためだ。素顔を隠す目的もある。
「まずはバスケ部……っと」
灯かりが懐中電灯だけだと心許ない……が、仕方ない。まさか部屋の電気を付けるわけにも行かないし、何より電気が通っているのかどうかも定かではない。
「……こっちは何も置いて無さ過ぎて、むしろ隠せる場所が無いな」
当然か。バスケは屋内スポーツ。ストリートバスケ部というわけでもなし、大体の物品は体育館の倉庫に入れてあるのだろう。ほぼすっからかんなバスケ部の部屋を後にする。
次はハンドボール部だ。実は、ここが本命だったりする。
「自分からここを探す、って言ったんだし……一番怪しいよな」
ギィ、と軋んだ音が鳴る。中に入ると、そこは意外と整理されていて、これまた人間大の何かを隠せるスペースは存在しない。
「ここに隠していたものを、どこかに移したのか。それとも本当に最初から何もなかったのか」
念のため窓も開け、下に何かが無いかを確かめる。……雑草が広がっているだけで、何かがあるようには見えない。
ふと、林の中にあった建物が見えないかと懐中電灯で照らしてみる。日も沈み、暗い。その上木々が月の光さえも遮ってしまっているのだ。放課後なら見えたものが、今は見えなくなっていた。
「ハンドボール部も外れ……となると、残るはサッカー部か」
僕が何をしているか、という問いがあれば答えよう。
僕は今、鍵山さんが一度探し終えた部屋を見て回っている。
探偵ごっこを始めた初日、鍵山さんが、金澤に対し理路整然とした説明を行ったあの瞬間から抱いている些細な違和感。それが、僕に鍵山さんを疑わせている。
加えて鉄輪の言葉もある。
同じ光景を見た、という一体感があったが、そんな彼女の言葉と、一度惚れた相手の言葉ならば、断然後者を信じる。それが愛というものだろう。鉄輪に対する恋愛感情は一寸たりとも残っていないが。
サッカー部の部屋は、言われてみれば確かに芳香剤の臭いがした。マスク越しだから曖昧ではあるが、野球部のような刺激臭は感じられない。
先の二部屋と違い、いろいろなものが雑多である。ここならば何かを隠せるかもしれない。
――……捜索を始めて、三○分が経っただろうか。
ぎぃ、と物音がした。それは今日だけで何度も聞いた、ドアが開く音。
「誰だ!」
声は明瞭で、かつ透き通っている。校庭の端から端までも届きそうなその声の主は僕を見つけると、
「……何をしている?」
そう問うてきた。まあ、当然の反応だろうか。
それに対し僕はこう答える。
「真実の探求」
「……は?」
間抜けそうな声が漏れた。
まさか「死体探しをしています」だなんて言えるはずもない。それゆえに言葉を濁したのだが、より頭のおかしい奴だと思われてしまう選択肢だったかもしれない。
「僕のことはいい、それよりも、きみこそこんな時間に何をしている?」
これ以上問われてはボロが出てしまいそうだ。ならば、とこちらから問う。
こんな時間に、こんな場所を訪れるきみは何者だ、と。
もしかしたら――、
「よく推理小説とかで見る定説だ。犯人は、後に犯行現場に戻ってくる、と。……ここに、何かを隠した。それを取りに来た、とか?」
「……そんなこと、何処の誰ともしれないお前に関係あるか?」
大有りだ。まさしくそれこそ、僕が捜し求めているものなのだから。
「言っとくけど、今はお前の方が犯人らしい格好してるからな。……薄暗いから怪しさだけで一○○点満点だ」
確かに、今の僕はマスクにゴーグルで素顔を隠している状態だ。しかしそれも仕方の無い措置である。怪しいなどと言われる筋合いはない。
「あー、クソ。どうしてバレたかな……」
声の主は、月明かりの下でそうボヤく。
「見られなかった、と思ったんだろうけど、少なくとも二人はあの光景を目撃している。その証拠を探して、ここにいるんだ」
「……その証拠を、どうするんだ?」
どうする。……どうするんだったか。
僕は自分の目で見たものが真実であればそれでいい。僕の視界は異常ではなく、周囲と同じく平凡な世界を映していると証明さえすればいいのだ。
それと同時に、鉄輪の鼻を明かせれば万々歳だ。
だから、
「その証拠を、鉄輪っていう子に見せる」
そう言うと、犯人(仮)は、
「――い、いや、それだけはやめてくれ……頼む、そんなことされたら……あの子だけは、駄目なんだ……!」
異常なまでに狼狽し始めた。先ほどまでの余裕は鳴りを潜め、そこにあったのは追い詰められた犯人像。逃げ場を無くしたかのように次々と言葉が溢れ出してくる。
「さ、最初は出来心だったんだよ……そしたらまったくバレなかったものだから、つい調子に乗って……次々と。でも違う、決して悪用しようとしたわけじゃないんだ……ただ自分で楽しむためだけに……って!」
次々と、という言葉から、これまでにも多くの人間を殺してきたのだろうことがわかった。見たところ僕と歳はほとんど変わらない、この学校の生徒だろう。まさかこんな猟奇的な人間が、この学校に潜んでいたとは。
「なあ、頼む……一枚――いや、三枚でもいい。好きなのを選ばせてやるから、あの子にだけは黙っててくれ……!」
「一枚? 三枚? 何の話を……」
「何って、証拠だよ……オレが犯した、罪の」
まさか、ここにある死体は一つではないのだろうか。
というか、選ばせてもらっても困るのだが。
犯人(仮)は、様々なスパイクが並んだ棚にあるシューズケースを一つ抜き取った。
……は? いや、まさか。そんなところに死体があるはずがない。まさか死体をかなり小さく圧縮できるとかそういうのだろうか。
「ほら、月明かりの下で……よーく選べ」
そう言って箱の中から取り出されたのは、
「……写真?」
それは、鉄輪が写っている写真。
横顔だったり横顔だったり横顔だったり。一枚とて、鉄輪がカメラ目線のものはない。
もしやこれは……。
相変わらず可愛い顔のことごとく。僕が勢いで告白してしまうのも無理からぬ美少女の写真が、何枚も出てくる。
「……きみが犯した罪って、」
殺人なんかではなくて。
「――――盗撮、なのか」
その男、名を鏡兄亮と言う。
サッカー部でゴールキーパーを務める、爽やかなモテ顔美少年。その実体は、鉄輪のストーカーであった。
野球とサッカー。どちらも汗臭く砂にまみれるスポーツなのに、不思議とサッカーの方が爽やかなイメージがするのはなぜなのでしょう。